ソフィア・コッポラの椿姫
劇場公開日:2017年10月6日
解説
「ヴァージン・スーサイズ」「ロスト・イン・トランスレーション」のソフィア・コッポラが初演出したオペラ公演「椿姫」をスクリーン上映。真実の愛に目覚めた高級娼婦ビオレッタの悲劇的な運命を描いたジュゼッペ・ベルディによる名作オペラ「椿姫」。コッポラの監督作「マリー・アントワネット」に感銘を受けたイタリアのファッションブランド「バレンティノ」の創業者バレンティノ・カラバーニがコッポラに演出をオファーし、2016年にローマ歌劇場での本公演が実現した。カラバーニ自身がビオレッタのドレスをデザインし、その他の衣装もカラバーニの指示のもとバレンティノのスタッフが担当。舞台美術は「プレステージ」「ダークナイト」「インターステラー」でアカデミー美術賞にノミネートされたネイサン・クロウリー。ミラノ・ジュゼッペ・ベルディ交響楽団のアソシエイトコンダクターの経歴を持つヤデル・ビニャミーニが指揮を務めた。
2017年製作/141分/G/イタリア
原題:La traviata
配給:東北新社
スタッフ・キャスト
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2017年10月19日
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鑑賞方法:映画館
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ソフィアの『マリー・アントワネット』のラスト、主人公マリーは馬車の窓越しにヴェルサイユの日々に「さよなら」を告げる。今回、ソフィアが初めてオペラ演出に挑戦した本作では、その冒頭、主人公ヴィオレッタが長い真っ白な階段をゆっくりと降りていくのだが、このシーンにも『マリー』と通じる“追想”といった意味合いが添えられているのを強く感じた。ノーラン組としてもお馴染みの美術監督、ネイサン・クロウリーによる舞台芸術は、この階段や窓といったモチーフを大胆に盛り込んでみせる。そこにヴァレンティノの豪華衣装も加わり、まさに三位一体(もちろん主演の演技や歌唱、オーケストレーションも絶品)。その一つ一つは個性的だが、ソフィアがしっかりと手綱を握ることで、各要素をしっかり一つにまとめて現代の観客へと提示してくれた。製作陣が希求したクラシックとモダンの融合は、こうしてソフィアの手により、しっかりと成し遂げられたのだ。
2019年1月3日
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鑑賞方法:映画館
「映画」というより「オペラを収録したもの」です。非常に丁寧に編集されていて、オペラを鑑賞するのに、非常に良い方法だと思いました。
生で観るのももちろんいいですが、この映画は生では出来ないことが出来ています。細部まで聞こえ、かつ、バランスの取れた録音や、必要なところで適切に人物がアップで映されることなど。(オペラ歌手があんなに演技達者だとは知りませんでした。あんなに表情が見えるのは、生では無理ですので。)
この適切なカメラワークのお蔭で、登場人物の感情がより伝わってくる辺り、さすが映画の名手が作っただけのことはあります。
(以前『トスカ』の映画化を観ましたが、そちらは「映画」っぽく作りすぎて、アップが多すぎるしカメラワークが目まぐるし過ぎるし、拍手をしたいところで拍手がないし、よく出来てはいたものの、舞台は映画化しすぎてはいけないことに気づかせてくれる作品でした。)
2017年12月18日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
ジュゼッペ・ヴェルディの歌劇「椿姫」のオペラを映画で撮ったもの。舞台そのままの映画のようです。ソフィア・コッポラの過去作に「マリー・アントワネット」がありましたが、あれとは違うのです。自分はオペラをちゃんと観たことはありません。通しで観たのはブルーレイでプッチーニの「トスカ」を観たくらいです。
しかし、オペラの音源を聴くことはありました。あまり数は多くないのですが、「椿姫」に関しては、事前に軽く勉強もしました。
この曲は、有名ですよね。
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ああこの曲、よくテレビCMで流れていますよね。凄く楽しげな曲ですが、この「椿姫」の原題は「堕落した女」です。主人公、ヴィオレッタは娼婦です。パリ社交界で男爵をパトロンに持ち、優雅な生活を送っています。そこに若き青年貴族アルフレードがあわられ、恋に落ち、パリを離れ郊外へ逃避行、そして…死ぬ!!という話です。
まあ、このように要するに「メロドラマ」なのです。だから話はわかりやすいです。前に観た「トスカ」もそうでした。字幕つきなので、「そんなどうでもいいことをわざわざ歌に」なんて思ってしまうのですが、基本セリフは無く、全て歌。だから良いのです。
オペラは凄いと、改めて思いました。セリフがなく、全てに歌がついている、それをオーケストラも支えているのです。「それを取って〜」「かしこまりました〜」みたいな短いものにも、歌と伴奏があるのです。すごいなーって。当時は、オペラにそれだけの労力をかけられる事ができたのだな、と実感しました。
パリの社交界が舞台なので、沢山の壮麗な衣装を来た紳士淑女が出てきます。みんなで合わせて合唱をしたりする。もちろんみなさんプロです。壮観です。オペラはスケールが違う。そして、衣装も凄いのです。有名な方がデザインをされているようで、ソフィア・コッポラの「マリー・アントワネット」のように、華美すぎずどこかモダンさを感じさせるのですが、非常に壮美であります。主人公ヴィオレッタが、終盤に着る衣装の肩には、カラフルなお花のような飾りのあるもので、すごく「かわいい」なと思いました。衣装のデザインはソフィア・コッポラではありませんが、彼女の「ガーリー」さも感じました。
そしてオペラの主役である「歌唱」も当然の如く、素晴らしかった。主人公を含め、終始に歌唱をしているのですが、どれも常人とは思えない、凄まじい歌ばかりです。高音で長く伸ばし、音符は細かく震えて、激しい感情を伝え、強い印象を心に刻んでくれます。それがずっと続く、字幕では、悲しみだけではない、喜びすらも、その歌唱で表現をするのです。
しかしそこで伝えられる物語は、とても人間的であり、普遍的なものです。ほんとうにわかりやすい。むつかしい比喩などはなく、そのままの感情だけが込められている、と感じました。
最後には、ヴィオレッタは結核に罹ってしまう。愛しのアルフレードと再会をし、幸せになることがわかった。その喜びの頂点を歌った瞬間、ばったり倒れ、死んでしまいます。
ハッピー・エンドではないことは、自分に取って、楽しいことです。が、一般的にはそうではないでしょう。ハッピー・エンド、バッド・エンド、どちらも僕にとってはどうでもいいことです。
映画に限らず、小説、ドラマ、音楽など、全ての物語に対して、「結末でその評価をする」ということは愚の骨頂だと、自分は思うのです。「椿姫」も「娼婦が恋して最後は死ぬ」という話の筋がメインだけれども、感じたことは、主人公たちの心の揺れ動き、ということでした。
2017年12月9日
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鑑賞方法:映画館
椿姫の話があまりにあっけないので、びっくりしました。