アイリッシュマンのレビュー・感想・評価
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人生、長生きすると・・・
時間がすぎるのが早く感じるものなのだが・・、というセリフが全くこの映画には通じない。
長い。長いのである。209分である。3時間29である。トイレが辛い長さだ・・・。
でも、見たのである。見なければならなかったのである。最後の1時間は耐え抜いた。
なぜならここからがクライマックスだと思うからである。
しかし、この映画、アル・バチーノとジョー・ペシだけやんか・・。
アンナ・パキンだけっていうのも。時間が長く感じるやん。やっぱ、マフィア物は長いん?
しかし、いくら短いのがいいからって『マイ・インターン』の121分は短すぎる。
アン・ハサウェイが出ているのにこの短さはなんだ!デニーロより彼女を見たいのに。
(ストリープは・・・・・あんな感じで結構。あ、これは別の映画)
だから、どうしても学生時代に見たデニーロを思い出すよね。
1987年の『アンタッチャブル』は短くて119分。なんだこの程度。ケビン・コスナーとショーン・コネリーでさらに短く感じる?
同年『エンゼル・ハート』も113分。スッゲー短!まぁ、猫パンチはいいとして・・。
来ました!1984年『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』!205分!今回はこれより長かったのか!!!でも、エリザベス・マクガヴァンは若かった。
ということで、自分の映画史の中でデニーロ最長であったのか?
人生長生きしても、やっぱり映画の時間の長さは気になるものなのである。
扉をしっかり閉めないのはあかん!・・・終わりが今ここに始まることを気づけない哀しさがある。
扉を閉めていたら・・・時間が早く過ぎ行くことにも気づかなっかたかもしれない・・・ね。
評価は保留
『アイリッシュマン』はスコセッシの「グレイテスト・ヒッツ」ではないと思う。確かに久しぶりにオリジナルメンバーは揃ったけど、収録曲は往年の名曲じゃない。むしろ新メンバー(アル・パチーノ)を迎えながら、自身の一番得意とするスタイル・テクニックを封印した実験的なオリジナルアルバムだと思う
『アイリッシュマン』は違うとわかってたのに『グッドフェローズ』を期待したのが良くなかった。これは『ミーン・ストリート』的な『ゴッドファーザー PART Ⅲ』だったんだよな。うん、そう考えるとやっぱり大傑作に決まってるじゃないか!少し寝かせてから観返すわ
『アイリッシュマン』はファーストカットの幽霊みたいなスピードのステディカムから、『グッドフェローズ』とは違うと宣言しているのに(同作のコパカバーナ入店シーンのステディカムの意図的な「上ずった感じ」とは決定的に違う)…
観ました。長かった。
本当は映画館で観たかったけど、腰痛が悪化しそうで自信がなく、Netflixで。
フランクシーランもジミーホッファも、チラッとWikipediaで予習した程度だったので、途中まで若干退屈で辛かった。
フランクが友人である筈のジミーを手にかける所まで追い詰められた辺りからは、最後まであっという間でした。見応えありました。が、それほど映画を見慣れてない、かつ腰痛持ちの身としては、2時間半くらいに編集してバーンと映画館で上映してくれたら嬉しいのになあ。自宅でNetflixだと、もちろんメリットはありますが、やはり気分が出ないし、子供に邪魔されたり、宅配に邪魔されたり、しますねん。映画館で観たかったなー!
デニーロの魅惑を十二分に堪能
いつの世も居た側近の殺し屋は、ある種刹那的な生き方で成り立たせる事が出来る特異な存在だと思いがちだ。彼が演じたヒットマンは、時に慈悲深く神を信じた。情を重んじ軽率で無かった。生き長らえた者だけが味わう苦悩と対峙する姿勢が忘れ難い。時を経ても語らず、死をもって葬る覚悟は、同時に家族との和解を遠ざけているとしても…
圧巻の名作
mcuなど、シリーズ物やリメイク作ばかり公開される映画界では、この監督の作る、裏社会や暴力を描写し、アメリカ社会の闇の部分、人間の奥底を描く作品はもはや古典になりつつのかもしれない。それ故に大手映画スタジオが断念した上映時間3時間半、予算1.5億ドル?の今作にゴーサインを出したNetflixはさすがだなと思った。
今作はアメリカの近代の暗部を駆け巡る作品である。普通、何十年も描くとなると別のキャストを使ったり、特殊メイクをしたりするが、やっぱり違和感がある。その点、昔ながらの今作にキャプテンマーベルなんかでも使われた最新の若返りCG技術が用いられてる。これが演技の邪魔にならず、自然に馴染んでてすごい。特に、フランクと出会った時のラッセルなんて「グッドフェローズ」の時のジョーペシにそっくりで驚いた。
長尺ということもあり、全体的にテンポがゆっくりと進んでた気がしたが、それ故、名優たちの演技を堪能することができ、あっという間に終わってしまった。個人的には「グッドフェローズ」や「ホームアローン」とかのハスキーボイスでめちゃくちゃ喋るイメージしかなかったジョーペシの穏やかなんだけど、怒らせたらヤバイ、物騒な気にさせる演技は圧巻だった。
マフィアの殺し屋を、一人の人間として描いた一大叙事詩
面白い!面白すぎる!
Netflixでの視聴とはいえ、アベンジャーズ/エンドゲーム以来、フルの状態で2回観ました。
「タクシードライバー」等の名作を手掛けた巨匠マーティン・スコセッシ監督の最新作!
今作は製作費の膨れ上がりや上映時間の長さ等で元の制作会社であるパラマウントフィルムが手離してしまったところ、Netflixが多額の出資をして製作された複雑な経緯を辿っています。
僕はマーティン・スコセッシの作品は「沈黙」、「ヒューゴの不思議な発明」、「タクシードライバー」、「ウルフ・オブ・ウォール・ストリート」の4つしか観ていなくて、「グッドフェローズ」等のギャング映画は観ていません。
まともにスコセッシのギャング映画を観てない自分がこんなに長い映画を観て楽しめるのかと不安はありました。
ですが、そんな心配は全く不要でした!
3時間半の映画ですよ!?
まさか2回観るとは思いませんでしたよ(笑)
労働組合の委員にしてマフィアに所属してる殺し屋としての顔を持つ実在の人物の半生を描いた一大伝記映画です。
その主人公フランク・シーランを演じたロバート・デ・ニーロ。
彼を用心棒にさせていた労働組合のトップ、ジミー・ホッファを演じたアル・パチーノ
そして、マフィア「ブファリーノ・ファミリー」のトップであるラッセル・ブファリーノを演じたジョー・ペシ。
イタリア系ハリウッドスターのレジェンドが一挙に集結しただけでも凄いですが、やはり彼らの演技は本当に素晴らしいです!
今回のロバート・デ・ニーロは抑え目な演技でしたが、普段は穏やかながらも裏に狂暴さも秘めている感じが本当に素晴らしいです!
対してアル・パチーノは物凄く感情的に行動しながらも、言葉で人を惹き付けるカリスマ性溢れる役が本当に素晴らしい!
ジョー・ペシも物静かながら存在感が凄いです!
また、劇中で起こる会話劇から突然銃撃や爆破シーンが起こるのも相まって結構ハラハラしました。
またストーリーも、自分が観た「ウルフ・オブ・ウォールストリート」と同じように非常にテンポ良く進んで行って、尚且つ面白い!
1960年から70年代当時の労働組合とマフィアとの繋がりや、それによって生まれる人間関係が凄く興味深く描かれます。
ちなみに今回のストーリーは非常に情報量が多かったので、2回目観たときの方がより楽しめました。
この映画で描かれているのは、「ゴッドファーザー」のようにマフィアを恐れる存在として描くのではなく、一人一人の人間として描いているので、犯罪者でありながら物凄く人間臭い物語が展開されます。
これは同じくアイリッシュマンを観た僕の友達が言ってたことですが、
「この当時の労働者って、マフィアと付き合ってないとやってられなかったって事ですよね。」
まさしく言葉通りだと思います。
実際、劇中のロバート・デ・ニーロもマフィアと関わり始めた理由は「家族を守るため」なのですから。
家族を養うためにお金が必要になり、お金を稼ぐためにマフィアの仕事に手を貸しますが、終盤では…
アル・パチーノも然りです。
労働組合と密接に関わりがあるマフィアと付き合っていたから、みんなに支持されますが、それ故にあのような末路を辿ってしまったというのがなんとも皮肉です。
非常に人間臭くて何とも言えない気持ちになります。
本作で数少ない好きじゃない部分をあげるとしたら、終盤(デ・ニーロの晩年)の部分がテンポが急に遅くなってしまって、そこはさすがに長く感じてしまいました。
しかし、観終わった後は何とも言えない余韻に浸る事が出来ました。
こんな凄い傑作はNetflixオリジナルとしてはなかなか観れないと思います。
ありがとう、ロバート・デ・ニーロ!
ありがとう、アル・パチーノ!
ありがとう、マーティン・スコセッシ!
最後まで諦めずに映画を作ってくれて、本当にありがとう!
アメリカ式栄枯盛衰、諸行無常
マフィアものヤクザものが苦手なので、不得意ジャンルで3時間半はキツイかな~と懸念しながらの鑑賞だったが、ケネディ暗殺などの歴史事件と絡めて進んでいくので、意外に興味深く見られた。私は当時のアメリカの情勢や、映画の元ネタになった事件に疎いので、詳しければ更に楽しめたかも。
暴力表現は勿論たくさんあるが、身構えていた程エグい描写がなかったのも有り難かった。
相変わらず役者に頓着しない性分なので、今回も、観賞後に調べていてようやく、あ、あれがロバート・デ・ニーロでアル・パチーノでしたか…、道理で圧が強いと思った、てな有り様ですんません。今時は映像技術で若さも操れるのね。
3つの時系列が入り乱れて登場するので、しつかり考えながら筋を追わないと少し解り辛かった。
見終わって抱いたのは、マフィアだろうと女王だろうと、終いは老いてヨボヨボになるのだよなぁという事と、所詮政治も経済も、金と縄張りと面子と意地の張り合い、くっだらねぇなという思い。正に諸行無常。
しかしまあ、善行を働いて心の満足感と平穏を得るのも、現世で世俗の悦びを貪るのも、自らの選択次第、どちらもあの世までは持って行けない。決して後悔しない、全てのリスクを呑み込む覚悟で生きるなら、個人の目線で見れば、どちらも大差は無いのかも知れない。
けれども、何も恥じず、悔いずに逝けた者は誰かいたかな?
殺人と家族への愛情は矛盾しない。「遺族は知り合いじゃない」しね。
けれど娘に知られたくなかったという事は、後ろめたさがあったんだろうに。
仕事と家庭でのペルソナの違いは、誰にも多かれ少なかれあるものだが、何処にいても誰に対しても、同じく胸を張れる自分を貫くのは難しい。
因果な商売
ロバート・デ・ニーロの修正なしの顔はどれなのかしら…
どうやってあんなに若く仕上がったのかしら…
と顔ばかり気になって見てたけど
ストーリーの映し出し方が素晴らしい
台詞少なくてちょっと意味わかんなかったけど
わかんなかったところは最後のまとまりになんの影響もないところだったという大人の映画
あたしはやっぱりアル・パチーノが
何をやっても好きだわ〜♡
イブに映画2本目
『アイリッシュマン』イブに映画2本目。
デニーロ、パチーノ、ペシ3大俳優が揃い踏み、しかも監督がスコセッシなら観ない訳にはいかない。
ストーリー云々より役者の演技力に魅せられてお腹一杯。
結構オッサンになってもマフィアの殺し屋は殺しを行わなければならない点がリアル。確実に殺していくし。
長いのは承知の上で観て、やっぱり長いと感じてしまった。でも、上手い...
長いのは承知の上で観て、やっぱり長いと感じてしまった。でも、上手いこと編集、とかいう作品ではない。これでも語りきれなかったんじゃないかという情報量。あるアメリカの歴史。
けつ痛い
まずは、観終わって思う事は
ケツが痛い!
首痛い、疲れた!観た!!達成感!!
そんな感じ。
でも中身は濃厚で、観ていて飽きはなかった。
序盤の真っ白な状態から、
施設入植中な状態まで描いていて
どの様に人はあの世界に足をつっこんでいくのかが
よく分かった。
序盤の下りに合流するシーン
そこかいとは思いましたが、、、
またそこからも長い長い。
ホッファをやる時のフランクはどんな心境だったのか。
そもそもホッファ頑固すぎて驚いたけど。
救いたかった感じはとても伝わった。
一つ疑問なのは、
なぜホッファの息子があの仕事を引き受けたのか。
魚のくだりはなんだったのか
16日と19日、2回観ました。デニーロ、アルパチーノ、ジョー・ペシ流石です。
単なる還暦のミーハーな映画ファンです。最近お子様ランチのような映画が多くて、あまり映画館に足を運んでませんでしたが(若いころは祇園会館で観まくってた世代です)、久々に2回観ました。みなさんのような評論めいた事や、専門的な事は知りませんが、デニーロとアルパチーノ、ジョー・ペシの3人の演技が観れただけで十分満足です。アルパチーノの演技は、あの当時のゴッドファーザーパート2の演技を彷彿させてくれました。演技や、しぐさ、服装まで当時真似たものです。懐かしい・・・至福の時間でした。
不可解な日常の変化を通じて女性達の嗅覚の鋭さが見え隠れする
自称「壁塗り屋」のトラック運転手(デニーロ)が 愛する家族に疎まれ 命の危機に遭遇しながらも生き延びられたのは 右にも左にも利用されやすい世渡り上手で 仕事が1発必殺 証拠を残さない腕があったからだろう
余談だが「桜を見る会」で反社会的勢力について官房長官が「犯罪が多様化しており、定義を固めることは逆に取り締まりを含め、かえって複雑になる」と言い 反社勢力と政治家の接触はあの時代から今も続いているのだろうから 曖昧な方が都合がいいのだろうな なんてことを脳裏に浮かべながら 戦後アメリカの裏社会を 映画好きなスコセッシ監督がロバート・デニーロとアル・パチーノ両御大を使って 練り上げてたギャング映画のエポックメイキングを味わった
裏切り奇襲が当たり前の闇社会で生きながらえるのは至難の技 不可解な日常の変化を通じて女性達の嗅覚の鋭さが見え隠れする
「人は1回は確実に死ぬ」ということは うすうす皆んなが知っていることだが スコセッシはそのことを重ねて言いたかったのだろう
観たぞ〜、というだけで誇りたい
あ〜、観たぞ〜!流石に長かった209分(3時間29分)…
事前に、浮遊きびなごさんのレビューにある以下を予習していったおかげで、この長時間を、置いて行かれることなく堪能できました。浮遊きびなごさん、感謝です。
----ここから
>①ジミー・ホッファの経歴
>②キューバ危機
>③ジョン&ロバート・ケネディ
> くらいを軽く下調べして
>おくと非常に楽しめるかと。
----ここまで、浮遊きびなごさんレビューから引用
デニーロは、黙っているときがいいです。対して、しゃべるアルパチーノ。そして常に権謀中というジョーペシ。なんか、3人とも普段からこの通りなんじゃないの?と思ってしまうのは、3人の演技のなせる技なんだろうな。
終盤の、この映画最大の出来事が、そのインパクトに反して、あっさりと、そしてあっという間に描かれるのは、主人公フランクの "真ん中にあるもの" を描き出すためなのかな。
何を優先するか。彼にとってのそれは「依頼を実行する」であって、友情や家族は二番目以降ということなのだろう。作品を観ればわかるが、「友情や家族愛に薄い」ではなく、あくまでも「二番目」なだけ。
彼が、(愛する娘に嫌われてもなお) その原則を貫けるのは、戦争体験や "この時代" だからこそなのだろう。
彼の中では、当然の順位であり、決して反省するようなものではない、と感じさせる。このことに、監督・俳優の腕と、本作の冷徹さをみた。
真のハードボイルドは、やはり、「観て気持ちがいい!」というような代物では、なかったよ。
3人の演技に引き込まれる
ロバート・デ・ニーロ
アル・パチーノ
ジョー・ペシ
この3人が裏社会を生きる様を描いている
アル・パチーノは今でも目力強いし
デニーロも今でも健在だ
やはりやくざは似合う
ペシもくしゃっとした顔の奥に凄みを見せる
3時間の大作だが見応えがあった
これは長時間だからこそ しっかりと丁寧に描けたのだろう
彼らの晩年もああ盛者必衰!
3人のやくざに引き込まれた3時間だった
長かったけど、納得の作品でした。Netflix旋風強い
映画館を諦めNetflixにして良かった。
雰囲気やサウンドは映画館とは比べられませんし負けるけど、やはり長すぎる。😔
でも、長すぎるには必要な内容でしたし見飽きることなく1人の人生が語られてました。
それにしても、信頼は少しの問題で無くなる儚さを感じました。
役者の皆さんは誰もが迫力がありすぎ。
音楽も渋い。
まさかの号泣
うーむ。不覚にも涙してしまった。年老いたロバート・デニーロ(フランク)がアル・パシーノ(ジミー・ホッファ)の写真を見返すシーンで号泣。すごく良い映画でした。まさかスコセッシに泣かされるとはね。
映画の終盤、あれだけ時間にうるさかったジミー・ホッファでも、フランクには怒らない。そして、怪しいと知りながらも、ジミーはフランクがいるからという理由で、車に乗る。そして車の中で熱いハグ。フランク、お前が来てくれただけで充分だよと言わんばかりのホッとした様子のジミー(その後呆気なく殺されてしまうん辺りが、スコセッシ流って感じ)。ロバート・デニーロとアル・パシーノ熱い抱擁に胸が熱くなりました。このシーンは彼らじゃないとできない、というか、彼らのために用意されたシーン。涙なしには観れないよ。
ただのマフィア映画ではなく、人生の映画になってます。人は誰でも老いる。老いれば若い頃に羽振り良かったことなど関係なくなる。孤独に寂しく老人ホームで死んでいくのが現代人。スコセッシが意図していたかどうかは分かりませんが、映画の終盤は、繁栄を極めたアメリカ社会への批評になっていたような気がする。
物質的な豊かさには意味はねーからな!
アイリッシュマンからはそんなテーマが浮かんだ。この映画のなかでは、リアル=金、社会的成功、人脈、といった物質的豊かさ。バーチャル=信心、友情、神、といった精神的豊かさ。
近代から現代になるにつれて、人は物質的豊かさを、「未来は明るい」という、精神的豊かさに変換することができた。
しかし、この先、多くの先進国では物質的豊かさの向上が望めなくなる。我々は価値観を改める必要がある。物質的豊かさでは無い何かを拠り所にし、新たなる精神的豊かさを生み出す必要がある。
物質的な豊かさに従い続けた場合どうなるのか?その慣れの果てがこの映画のフランクだ。若い頃、いかに自分が物質的に豊かだったか、を自慢する輩の末路は悲惨だと決まっている(フランクはそんな輩では無いけどね)。何故なら、どんなものであっても、物質は必ず無くなるからだ。
スマホゲームやネトフリがここまで流行っているのは、物質的な豊かさを望めなくなった結果だと言える。最近はみんなゲームやら映画やらドラマ番組の中に精神的な豊かさを求めているんだよね。きっと。
マーベル嫌い
タランティーノは“シャロン・テート惨殺事件”をモチーフにして、昨今のウォーク・カルチャー一色に染まりつつあるハリウッドの凋落ぶりをブラックな笑いで丸焦げにしてみせたが、かつて格好のアメリカン・ゴシップ・ネタにされてきた“ジミー・ホッファ失踪事件”を題材に選んだ本作で、マーティン・スコセッシは観客に何を伝えようとしたのだろう。
一介の食肉運搬業者だったアイルランド系アメリカ人フランク・シーラン(ロバート・デ・ニーロ)。ひょんなことからイタリアン・マフィアの重役ラッセル(ジョー・ペシ)と知り合い、その縁で全米トラック運転組合=ユニオン委員長ジミー・ホッファ(アル・パチーノ)からも気に入られユニオン支部長に抜擢される。ニクソンへの献金を妬まれケネディ兄弟にマークされたホッファの信頼すべきボディーガードとしても働いたシーランだったが、年金流用でマフィアと対立しはじめたホッファ暗殺をラッセルから依頼される・・・
長年謎とされてきたジミー・ホッファ失踪の真実を、その死後を待って出版された実在の人物フランク・シーランの暴露本を元に製作されたという本作。劇中意味深に登場する日本語のテロップ“家のペンキを塗る”とは、射殺時に死体から家屋に血飛沫が飛び散る様を形容したスラングだ。長年ファミリーのため組織のためその手で赤いペンキを塗ってきたシーランの生き様が重厚に描かれたスコセッシお得意のギャング映画のような気もするが、従来のシリアス路線とはひと味違った演出に着目したい1本である。
(アイアンマンにかけた)“アイリッシュマン”とはタイト
リングされながら、演じているのはこてこてのイタリア系ロバート・デ・二ーロ。通常なら別の俳優を使うところを、76歳のデ・二ーロにわざわざ特殊CG処理を施して若き日のシーランを演じてもらったというから驚きだ。この映画、介護サービス付病院で車椅子にのったシーランの回想シーンで始まるのだが、あのオスカー受賞作“グリーン・ブック”を彷彿とさせる(アリバイ工作のための)長距離ドライブをメインに、そこからさらに男ざかりの時代を回顧させる二重構造が、何かしら監督の“企み”を感じさせる演出なのである。
ロンドン映画祭に出席したスコセッシが、本作に関する記者会見で次のようなことを述べていた。
「マーベル映画のようなテーマパーク映画は、また別物の体験です。前にも言いましたが、あれは映画ではなく別物。好きかどうかにかかわらず、別物だし、我々はそちらに侵されてはいけない。これは大きな問題です。劇場主は、物語を語る映画の上映を強化すべきです。」
「ある意味、すでに私たちには(映画界に)十分な居場所がありません。あらゆる理由から、この映画を作る余地はなかったんです。それでも、作品に干渉しない、作りたい作品を作っていいという企業が支援してくれました。ただしその代わり、ストリーミング配信になり、それに先がけて劇場公開をすることになる。今回のプロジェクトの場合、これはチャンスだと判断しました」
この記事を読んで気がついたのは、本作のジミー・ホッファやフランク・シーランは、やがて消え行く運命の古き良き映画文化のメタファーであり、監督マーティン・スコセッシの分身にちがいないということ。なによりもユニオンが大切なホッファはその旧態依然としたやり方が災いしてユニオンやマフィア(ハリウッド)から鼻つまみ者扱いされる。そして、愛する家族を守るためマフィアから依頼された暗殺(プログラムピクチャーの監督)に長年手をそめてきたシーランは、愛娘ペギーに嫌われ疎遠になる孤独な晩年が劇中詳細につづられている。
それは映画を愛し守ろうとした言動が逆に映画界からバッシングされ、ハリウッドの中に居場所をうしなったマーティン・スコセッシの立ち位置とぴたり重なるのである。映画は、シーランが頑なに口を閉ざし守ろうとしたマフィアの面々が高齢でみな亡くなっている事実をシーランが知り呆然となるシーンで幕を閉じる。かつて大統領の次に権力を持っていたと伝えられるジミー・ホッファも、歴史の流れの中で現在ではその存在を知る者さえほとんどいなくなっているという。CG処理を施したデ・ニーロが守ろうとしたホッファが歴史から消え去ったように、スコセッシが守ろうとしている古き良き映画文化もいずれ幻と化すのかもしれない。
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