火花のレビュー・感想・評価
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バカヤロー、まだ始まっちゃいねぇよ。 二匹のマシンガンが散らす火花に照らし出される、芸人残酷物語。
売れない若手芸人・徳永と、彼が師匠と慕う型破りな芸人・神谷の2人を中心に、芸人たちの人生が描き出されるヒューマン・ドラマ。
主人公の徳永を演じるのは『何者』『帝一の國』の菅田将暉。
徳永が師と慕う芸人、神谷を演じるのは『ソラニン』『バクマン。』の桐谷健太。
神谷と同棲する女性、真樹を演じるのは『イニシエーション・ラブ』『ピースオブケイク』の木村文乃。
なお主演を務める菅田と神谷は、主題歌も担当している。
原作は既読。
徳永を菅田将暉に演じさせるのはミスキャストだろ〜、と思っていたけど、いざ観てみると結構ハマってた。
神谷を演じた桐谷健太はなかなかにイメージ通りでグッド👍
観賞してみて、率直に感じたのは2点。
一つ、やはり「漫才」を演じるというのは難しいんだな、ということ。
長年の練習を積んで、ぴったり息の合った2人が演じるからこそ漫才は漫才たり得るので合って、やはり映画の為に組まれた即席コンビでは、「漫才」という表現媒体の面白さは引き出せない。
これが本作の一番のネックで、「あほんだら」の漫才の面白さや凄さが伝わらないので、徳永が神谷に心酔するという展開に若干無理があると感じてしまった。
二つ、やはり本職の漫才師は凄い。
「スパークス」のツッコミを演じるのは、漫才コンビ「2丁拳銃」のツッコミを担当している川谷さん。
「2丁拳銃」について詳しく知っているわけではないけど、漫才シーンでの丁々発止のやり取りを聞いて、すぐに本職の芸人さんだとわかりました。
20年以上も漫才を続けている人というのは、やはり漫才の呼吸のようなものをしっかりと理解しているらしい。
菅田将暉が悪い訳ではないが、やはり2人が並んで漫才を披露すると、川谷さんの技量の高さだけが目立ってしまい、「スパークス」に対して偽物っぽさを感じてしまった。要するに演者のバランスが悪い。
「あほんだら」のツッコミを演じるのは三浦誠己さん。
この人のことは全然知らなかったんだけど、元芸人さんのようだ。
全然知らない人だったのにも拘らず、観賞中「この人は本物の漫才師なんだろうな。」と思った。
「芸人に引退はない」という作中のセリフの通り、たとえ引退していても、漫才シーンのリアリティはやはり未経験者とは全く違う。
桐谷健太はとても頑張っていたと思うが、やはり本職を経験している三浦誠己さんとは技術的に差があり、「スパークス」程ではないにしろ役者のバランスの悪さが際立ってしまっていた。
「せやけど」を「しゃあけど」と発声する三浦誠己の関西弁が凄く本物っぽい😆
あと、もう一点。
菅田将暉と2丁拳銃川谷が同級生だというのは、いくらなんでも無理があるだろ!💦
20歳も歳が離れているんだよ!そこが気になり過ぎてお話が入って来んかったわい!
ついでにもう一点。
エンディング曲が「浅草キッド」なのはちょっと安直すぎる。
大体、この2人と浅草はなんの関係も無いじゃない。
『キッズ・リターン』をやりたかったから、最後にたけし要素を入れときましたみたいな感じなの?
桐谷健太と菅田将暉に熱唱されても、作中の温度と違い過ぎて全くノレなかった。
邦画の多くはエンディング曲を適当に考えすぎ。タイアップかなんか知らんけど、EDまで含めて一つの映画だっつーの。
関西由来ということで「ボ・ガンボス」とか「憂歌団」とかを使えばよかったのに。
ここからは映画というよりは原作の問題点かもしれないけど、やっぱり勿体無いのは徳永の書く神谷の自伝が、物語的に一切関係なかったこと。
いきなり自分の自伝を書くように指示されるという、結構インパクトのあるツカミだったのに、オチでそれを拾わないのは勿体無いと思う。
この自伝って結局なんだったんだ?
あとはお笑い芸人を題材にしておきながら、笑えるシーンが一つもなかったのはなんとも…。
終始重く苦しいシーンの連続で、抜きどころがない。
最後にちょっとした抜きのポイントはあるんだけど、そこまでが果てしなく長く、正直疲れちゃった。
映像的にハッとさせられるポイントや、美しいポイントが有ればまだ良かったんだけど、それも別になかったしねぇ。
結構酷評めに書いたけど、決して嫌いではない作品。
芸人として売れることの過酷さ、現実の残酷さが終始一貫して描かれており、作品にブレがない。
また、監督/原作ともに芸人ということもあり、お笑いや芸人に対する愛情がヒシヒシと伝わってきた。
ものすごく強度の高い芸人青春物語になっており、かなり心が揺り動かされました。
本作を観れば、芸人に対するリスペクトの気持ちが一層強くなること請け合いです。
神谷のアメカジファッションはダウンタウンの浜田雅功を、斜めに世間を見るようなカリスマ性は松本人志をモデルにしているのだろう。
対して、オシャレだが人とはうまく付き合う事が出来ない、そしてサッカーで大阪選抜に選ばれた経験があるという徳永は、又吉直樹自身をモデルにしていると考えられる。
多くの若者がダウンタウンを目指して芸人の世界へと足を踏み入れたことは言うまでもない。
又吉がNSCに入学し、芸人の道を志したのは1999年。
おそらくは又吉もダウンタウンからは大きな影響を受けているのだろう。
というのも、90年代のダウンタウンといえば、飛ぶ鳥を落とすどころか、飛行機でもロケットでも撃ち落とせるほどの勢いがあった。
89年〜の『ガキ使』や91〜97年の『ごっつ』などでバラエティやお笑いの常識を覆し、94年に松本人志が書いたエッセイ『遺書』は大ベストセラーに。
1995年、浜田×小室哲哉の楽曲『WOW WAR TONIGHT』は200万枚以上のCDセールスを達成。
98〜99年に発表された松本の映像作品『VISUALBUM』は、未だに多くの芸人から圧倒的な指示を受ける聖典と化している。
本作には神谷=ダウンタウン、徳永=又吉直樹とその同世代の芸人たち、という構図がみて取れる。
神谷に憧れ崇拝するが、その影響を受けるが故に自分自身を見失い苦悩する徳永。
最終的に神谷への崇拝を捨てる徳永。しかし、彼の笑いが大好きだという気持ちは変わらない。
又吉は、ダウンタウンを崇拝するあまり、自分自身のお笑いを見失い破滅する同世代の芸人たちを多く見てきたのだろう。
本作は自らの生み出した偶像としてのダウンタウンを崇拝するあまり、無念のうちに散っていった芸人たちに対する鎮魂歌であり、同時に若さゆえに苦悩していた若手芸人時代の自分自身を救済するための物語だったのだろう。
その、ほとんど私小説のような物語を、ダウンタウンに最も近い後輩の一人である板尾創路が監督しているというのは、非常に感慨深いものがある。
前半は圧倒的なカリスマ性を放っていた神谷が、終盤になるに従ってどんどん小物化していくのは、徳永が神谷を崇拝する気持ちが薄れていっているから。
神谷が変わった訳ではなく、徳永の気持ちが変わったことを表しているのだと思われる。
これは主観的な表現を行える小説という媒体だとうまく機能するのだが、客観的な表現にならざるを得ない映画という媒体だと、今ひとつうまく伝わらないな、と思ったりもした。
かなり胸がしんどくなる、重く苦しい作品であると同時に、何かを挑戦しようという時に背中を強く押してくれるような作品でもあると思う。
敗者にだって役割はある。その敗北を糧に、次どうするかが問題なのだ。
バカヤロー、まだ始まっちゃいねぇよ。
又吉の最高傑作が映像化されることに感動!
あまりに残酷で厳しいされど美しいお笑い芸人の世界を忠実に描いてる今作。大好きな小説ともあって大きな期待感を持っての視聴!正直違和感を感じた場面もあったが(太鼓のお兄さんのシーンの後の喫茶店での神谷の「世間」「模倣」「創造」関して論じるシーンやスパークス最後の漫才の神谷がおそらくその場に居合わせなかったところ)そもそもこの小説を実際に映画化されて映像化されるだけで自分としては大満足だった!桐谷健太や菅田将暉は流石の演技力!特に桐島健太ほど神谷にふさわしい俳優はいないのではないだろうか。普通に菅田将暉が漫才がうまくてびっくりした。二丁拳銃川谷も良かった。神谷の2人目の彼女でのあのシーンはやっぱり泣いた。スパークス最後のライブでの徳永が言った「僕は一緒に戦ってきた同世代の芸人を誇りに思う」という台詞やクライマックスに近いシーンでの神谷が発した「芸人に引退などない」などの言葉は原作著者の又吉が一番伝えたかったメッセージなのかなぁとも感じた。この映画を見てて思ったことはやっぱり芸人はカッコいい。自分の中の芸人に対する憧憬の念を再確認させてくれた作品だった。
地獄、地獄、地獄・・・明るい地獄
せっかくの全国公開に先立って、“セコい不倫ゴシップ”でお茶の間を賑わせてしまった板尾創路監督。それでも日馬富士暴行問題のおかげで目立たなくなったおかげか、週末興行収入ランキングはめでたく3位スタートとなった作品。これこそが明るい地獄なのか?
お笑い芸人の道は厳しい。かつてほど漫才番組が少なくなり、逆にバラエティー番組がテレビ欄の多くを占めている昨今。芸人たちの苦労話などを耳にする機会も増えてきた感があります。とにかく目が出ぬうちはバイト、バイトの生活で、どちらが本業なのかもわからなくなってしまうほどの貧しい暮らし。そうした下積み時代の芸人の姿が見事に描かれていたように思います。ちなみに芥川賞を獲った原作は読んだこともありません。
桐谷健太も菅田将暉も演技は良かった。“スパークス”の相方である川谷修士の演技力も伝わってきたと思う。それよりも印象に残るのが加藤諒!あの濃い顔が宣伝する缶コーヒーの自販機も存在感があり過ぎだった。ただ、悲惨なバイト生活を表現するにはもっと暗めの役者が必要だったかと思います。また、桐谷演ずる神谷の借金まみれになりながらも前向きな生き方には元気をもらえました。
漫才のシーンや、普段の会話のボケ・ツッコミにも笑おうと思えば笑えるのに、これは芥川賞を受賞した作品なんだという潜在意識があったためか、一つ一つの台詞の根底にある若者の人生哲学のようなものを感じてしまいました。特に公園の子供たちを前にして行うネタ合わせなんてのは、売れない芸人の懸命に稽古する姿と悲哀が入り混じった複雑な気持ちにさせてくれました。全体的には良かったのですが、やはりシリコンのエピソードは要らない・・・
芸人 又吉直樹の作品。
芸人又吉直樹が書いた作品だなって思った。
私はお笑い好きだから 劇場では人気なのに中々テレビに出られない 芸人を色々知ってる。
そんなコンビやトリオが解散するニュースがTwitterに流れてくるとビックリする。
解散理由は 漫才の価値観が合わなくなってしまった
年齢(芸歴)を考えたら先が不安になる
結婚して子供が出来たちゃんと養いたい
とか 色々あるけれど、そんなお笑いコンビの葛藤が描かれていて、きっとこうなる場面を経験する芸人 って少なくないんだろうな。とか思った。
ネタに関して喧嘩はするけど、なんだかんだ相方は主人公のことを信用してるんだろうな って伝わった。
あとは知ってるマニアック芸人(ブロキャス!とかゆにばーすとか)がちょくちょく出てきたのも密かにテンション上がったし 主人公が飲み歩いてたのが 若手時代に又吉がずっと住んでた 吉祥寺 って言うのが 又吉直樹をかんじられてテンション上がった。
才能と現実
小説も読んだけど、映画の方が漫才のテンポ感が伝わって好きかも。菅田将暉と桐谷健太も役にハマってる。
面白いってなんなのか、笑われてるのか笑わせてるのか、オリジナリティってなんなのか、本物のお笑い界は覗いたことないけど、あ、きっと今テレビに出てる人も同じような道をもがいてきたのかな、って納得しちゃうような、説得力がある。
自分の道を貫いても、受け入れられるために必死で世間を取り入れても、上手く行かないことはある。結局成功を掴むのは、鹿谷みたいなよくわからん奴だったりする。すごいビターな話だけど、それでも進んだ先に、火花のように弾ける瞬間はやって来たりする。スパークス最後の漫才に、徳永の気持ちが爆発しててグッとくる。神谷の豊胸は、普通に笑った(笑)悪気なんか1ミリも無いんよね。
作中いろんなドラマがあって終始飽きない。又吉直樹と板尾創路の才能に驚く。傑作と思う。
燻る火花から、打ち上がる笑いの花火となれ
原作は言わずと知れた芸人として初めて芥川賞を受賞した又吉直樹のベストセラー。
原作は未読。
おそらく素晴らしい小説なのだろうが、こういう芸人絡みの映画化などのメディア展開は便乗商法の匂いがぷんぷんして好きじゃない。
話題を振り撒いた割りにさほどヒットせず、それ見ろと。
しかし実際見てみたら、結構良かったんだな、これが。
若手漫才コンビ“スパークス”の徳永。
先輩漫才コンビ“あほんだら”の神谷。
笑いの世界に生きた二人の10年…。
もっと笑いを全面に出しているのかと思いきや、人情と切なさの、しみじみとした人間ドラマ。
貧乏暮らし。
小さな劇場でオーディション、ネタ披露。
厳しいダメ出し…。
相方への不満。
行き詰まり、どん詰まり。
限界…。
芸人の話としてはあるあるかもしれないが、売れない芸人の姿や世界をリアルに映し出す。
これもひとえに、原作・又吉、監督・板尾創路、作り手側に携わった二人の芸人の賜物だろう。
今や“一握り”の成功した二人だが、彼らだって経験したであろう“苦み”が、喜怒哀楽の感情たっぷりに描かれていた。
主演二人の魅力も大きい。
後輩・菅田将暉、先輩・桐谷健太。
元々の高い演技力に加え、バラエティー番組などに出ると芸人顔負けの個性とユーモアセンスの持ち主で、それらが抜群の相性を見せた。
昨年大活躍した菅田だが、本作は桐谷が儲け役。
型破りな笑いを追求する豪快な人柄で、面倒見がいい兄貴分。まるで素の桐谷を見ているよう。
時々イイ事も言う。
それでいて後半は、哀愁も…。
芸人の話でよくあるのはコンビ愛だが、本作の二人はコンビではなく、お互い相方が居て、あくまで後輩と先輩。
神谷に惚れ込み、弟子入りを志願する徳永。
そんな神谷も呑気に弟子を取れるほどベテランでもなく、売れてる訳じゃない。寧ろ、まだまだ未熟で、徳永と同じく全く売れてない。
でも人との出会いや縁って不思議なもので、この人に追いて行きたいと思う時がある。
別にそれは芸人と芸人としてではなく、人と人としての相性の良さだろう。
普段はボケ担当の徳永だが、神谷と一緒だと自然と自分がツッコミ側になってノレる。何でも話せる。打ち明けられる。励まされる。
それは神谷にとっても同じ。可愛い弟分。安心してボケられる。励まし、頼られてるようで、実は自分も励まされ、頼っている。
この人が居るから、コイツが居るから、俺は頑張れる。
しかし、お笑いの世界はシビアなもので…
まるで線香花火の如く、ほんのひと時芽が出ても、結局はブレイクの波に乗れないまま。
売れる、売れない。この差って、何なんだろう…?
持って生まれた才とか、強烈個性とか、時には運とか、色々ある。
スパークスもあほんだらも、決してつまらなくはない。スベった時もあるが、審査員に酷評されたあほんだらの録音漫才も個人的にシュールでウケた。
真摯に向き合ったお笑いへの姿勢は全身全霊だ。
それでも、売れない。
キャラだけでウケてるピン芸人の方が売れる。
笑いの追求、笑いの受け止め方は人それぞれ。
だからこそより一層、笑いとは何なのか、笑いについて考えさせる。
頑張っても、頑張っても、頑張っても…。
次第にキレが無くなっていくスパークス。
迷走する神谷。
二人の笑いの価値観にもズレが生じ始める。
見ていて痛ましい。
進むべき道も狭まってくる。
徳永の相方、山下のある台詞が響いた。「笑いには自信あるけど、この生活を続けていく自信が無い」
俺たちは、ここまでなのか…?
一体、何人居るのだろう、笑いの道から退いた若い芸人たちが。
各々、どんな思いでラストライブに挑んだのだろう。
スパークスも遂に引退を決意する。
そして迎えたラストライブ。
このラストライブは、芸人人生のトリを飾り、観客を大爆笑の渦に巻き込んだとはとても言い難い。
が、相方へ、お客さんへ、何より10年も情熱を捧げたお笑いへ満ち溢れ、“反対に”ぶちまけた思い。
漫才としては反応に困るが、ラストライブとしては胸に迫り、目頭熱くさせる。
引退し、堅実な仕事に就いた徳永はある日、久し振りに神谷と再会する。
神谷はまだお笑いの世界に居て、ドン引くくらい迷走していた。さすがにアレはね…(^^;
それでも神谷は、笑いの世界で生きていきたい。どんなにボロボロになっても。
それなのに、自分は…。
神谷はお笑いライブの飛び入り参加に徳永を誘う。
拒む徳永だが、この時の神谷の台詞に心鷲掴みにされた。
芸人として戦った、芸人として今も戦っている自分への誇り。
全ての芸人たち、お笑いの世界への感謝、エール。
笑いの世界は辛く、苦しく、厳しく、それ以上に楽しく、面白く、堪らなく、奥が深い。
何故笑いの世界で食っていきたい若手が後を絶たないのか、売れても笑いを追求し続けるのか、その理由がそこにある。
エンディングに沢山名前がクレジットされた無名の芸人たち。
この中で何組が“火花”から“花火”となるのか。
そこに流れる、徳永と神谷のカバーによるビートたけし作詞の『浅草キッド』が胸アツ。
星の数ほどの燻る火花たち。
いつしか、夜空に打ち上がる笑いの花火となれ。
いい話でした
原作を何も見ずにこちらの作品を見ました。
一番感じたのは菅田将暉さんが演技うますぎました。
出ている全員ば演技もうまいししっかり内容を観れる作品でした。
解散ラストの漫才では涙が止まりませんでした。
相方役の二丁拳銃のツッコミの方も、やはり本物の芸人さんなだけあって、漫才は本格的でした。
芸人さんは芸人さんをライバル視してみているのって、一般人からしたらまったくわからない世界で、世界観がしっかりした映画で、面白かった!の一言でした。
木村文乃さんの変顔も最高でした。
小説も読んでみたいなって思いました。
志
間違いなくこの東京の片隅で生きてるであろう人達の話。
深く染みた。
何を戯けた事をと…美化してるだけだろ?と言う人もいるだろう。だけど、ああやって懸命に立ち向かってる人達を僕は知ってる。
この作品を観て、作者も監督も「お笑い」が心底好きなのだろうと思えた。
現場に立つ人間だからこそ、語れる部分は多分にあり、明確なリアリティが映し出される。流暢な関西弁は、そのリアリティを邪魔する事はなく、増幅させてくれてた。
最後の漫才は、まさしく歴史を覆すに値するネタであり、しっかり笑わせるところに笑いに対するプライドを感じた。
漫才パート全編に対して思うのは、活字では伝えきれないであろうライブな感覚と臨場感があった事。また、そこに臨場感を付与できるだけ、スパークスの2人は純然たる漫才師として存在していた。
いくつも心に留めておきたい台詞があり、芸人に引退はないと語る理由は、その最たるものであった。その感傷が薄れる間もなくエンドロールで流れる「浅草キッド」が凄くハマっていて…「夢は捨てたと言わないで。他に道なき2人なのに。」
この最後のフレーズに泣かされた。
夢だけを語るわけじゃない。
苦悩も充実感も、儚さも信念も余す事なく映像に刻みつけてあった。
飾らない主役2人が魅力的で…またそれに見劣らない相方たちも見事であった。
そして、音楽の入り方が大好き!
色々な才能が組み合わさって…
この役者がいた奇跡に。
この監督が撮れた奇跡に。
この歌があった事の奇跡に感謝したい。
タイトルは「火花」
右から読むと「花火」となる。
観終わった後、横書きのタイトルコールにそんな意図を想像し、なんとも洒落のきいた優れたタイトルだなあと思えた。
また、いつか観たい作品になった。
一生面白い生き方を。
10年間
夢を追いかけて走り抜けた
軌跡に何が残るのか。
才能を武器に
人生をかける人は凄いと思います。
画家、歌手、作曲家、芸人、彫刻家…
その圧倒的な才能に触れたとき、
五感が震え、凄く感動したり
満たされたり、幸せに感じたりします。
原作未読なので
そのドキュメントなんだろうと
思っていたのです。
本作を見たとき、
そういう芸を会得する苦労話を
表現したものではなく、
芸人の考え方はこういうものなんだと
いうのを表現した作品なんだと
途中で気づきました。
表情で示していた徳永と同じように
神谷の感覚に共感できませんでした。
自分が苦労して夢をみる話なら、
いいのですが、
周りもまきこんでるのに、芸人って
そういうものという当たり前な空気が
成人した大人の責任をフリーパスで
放棄しているように思えてしまう。
同棲してる真樹に対するエピソードの
扱い方が特にだめ。
・本人が納得してるから
・芸人の女はそういうもの
というのを、
彼女を美化して説いているのが
違和感がありました。
人を笑顔にする力は大切で、
その場にいる観衆の耳目を
魅了するのは誰もができない凄さで
あるのは知ってます。
切磋琢磨して、
人生の多くの時間を費やして
その力を磨く凄みは伝わったけど
それを支える側に対する作品感覚が
芸人目線でなにげにさめました。
という感想なんですが
そういうコメントがあまり
ないので
お互い納得してるからいいでしょ
という感覚の人の方が多くて
世間的には違和感ないんかも。
けれども、
人間味溢れる人と、酒をのんで
将来をかたって暮らすスタイルは
憧れましたし、
コンビの最終のステージシーンでは、
桜や花火などのノスタルジアを
感じました。
ぱっと広がって終わる。
日本人のDNAですね。
10年は長い人生の中では一瞬。
ちりぎわが美しいものに、
人は惹かれる。
エンディングソングの浅草キッド
で人生の儚さを
余韻としてもらいました。
なんともいえない
綺麗なハッピーエンドを期待する方には向いてないかもしれない。
「自分の面白いと思ったことを信じ続けられるか、そしてそれを表現する努力を続けられるか」芸人としてだけでなく、生きてくうえでの言葉に思えた。
原作ダイジェスト+無駄な感動エピソード
映像にしてしまえば、こんなもんか。という感じもするが前半が淡々としすぎていて、真樹がただの変顔お姉ちゃんぐらいの印象しかなく、後半の子連れシーンが死んでしまった。
真樹を交えた青春をもっと上手く描けていれば、最後の漫才シーンをわざとらしいお涙頂戴にせず、人知れず辞めていく芸人の淋しさの様な表現をできたんじゃないかと思う。感動させどころを間違えた。
だが、神谷、徳永をはじめ、芸人同士の掛け合いは、さすが芸人監督。映画として評価するかは別だが、そこはうまかった。
まあまあ
原作もテレビも見ず、映画で初めてみました。
2丁けんの川谷さん、菅田さんとの年齢差とても感じましたが、演技ここまで上手とは思ってませんでした。
前半もたつき感あり、何度かうとうとしましたが、後半はしっかり観賞。
桐谷さんの、淘汰されていく芸人あってこそ、一番になる芸人がいて、面白くも感じる~的な発言、グッときました。
これって結局お笑い界だけでなく、人間いや動物も含め全ての世界で通じることじゃないかと考えさせられた。
スパークスのラストライブもよかった。
劇中のネタ、どれも笑えなかったけど、ラストの漫才は感動させられた。
機会あれば原作読みたいです。
主演二人が好演だっただけに勿体ない
原作未読。
ドラマ版も未視聴。
主役の二人が大好きだったから
観に行った結果。
もったいない。
そんな印象だった。
物語のクライマックス。
スパークスの解散ライブでの
菅田将暉の熱演には鳥肌が立った。
ラスト、神谷が熱海の居酒屋で
徳永に語るシーン。
「売れずに消えて行った全ての芸人の上に
今の売れっ子芸人は存在しているんだ」
のセリフは人生の全てに当てはまる気がして
これまた鳥肌。
だからこそチョイチョイ入る
「板尾節」が作品の方向性を
ぼやかしてしまっているような気がして
本当にもったいない。
物語ラストの
神谷の妙なキャラ付けと
海辺を走る妄想シーン。
確かに笑ったけど、そのシーン要る?
鮮度抜群の食材を
こだわり過ぎたシェフが
癖の強い味付けをしてしまった。
もっと素材の味を楽しみたかったな。
逆に主演二人の才能が
浮き彫りになったかな。
加えて
原作をちゃんと読んでみたいと
強く思った。
完成度高い作品と見事な演技に感心
予備知識なしで単純に菅田将暉が好きで見に行った。正直に言えば大満足だった。「あゝ、荒野」の時と全く別人のような斬新な演技を見えてきて感動した。神谷を勧めた時に涙を抑えよう抑えきれない顔、ラストライブの時の熱演ブリ、それに最後のセリフ「やりません」を口にした時変化に富んでいる表情、すべては説得力があってしかも印象的なシーンである。原作かドラマ版と比べると、確かに神経質かつ暗いイメージから離れているところがあるかもしれないが、私みたい両方見たことがない人からすれば、この作品自身の完成度と明るい絶望感が際立って原作や前作に頼る必要がないと思っている。(そういえば、菅田さんの方が陽気で根から明るいですね)もう一つは、やはりスパクスの相方役を演じる方も見事だった。彼はうまく自分の役をちょうど良い程度で抑えているからこそ、菅田さんはこんな風に自由自在に演じることができるようになるでしょう。
優しく、力強いメッセージ
原作未読で鑑賞。ピース又吉原作なので、太宰っぽい救いのない話かと想像してましたが全然違いました。
夢破れた者たちを全肯定し高らかに謳いあげる、とても力強く優しいテーマを持った映画でした。
ラストの神谷の語りは本当に胸に迫りました。まるでゴスペル。弱っているときに観たら涙腺決壊していたと思います。
しかし、もうひとつのクライマックスとも言えるスパークスのラスト漫才はエモかったけれど胸には迫らなかったです。
その理由は、徳永がどんな漫才をやりたかったのかが作品内で描かれてなかったからだと思います。
神谷のやりたいことは理解できます。漫才の枠を超えるような笑いをしたかったのでしょう。音と動きのズレのネタとかにその思いは描写されてます。
しかし、自分の方向性では売れず、葛藤がある。そのため身持ちをさらに崩したり、迷走して徳永のマネしたりと、神谷の10年の苦闘は伝わります。だから彼には悲しみを感じたし、後半のデブ女の家で神谷に向けて語る徳永の言葉には胸が震えました。
一方、徳永は漫才を愛している、やりたいという情熱は伝わるが、表現者としての哲学が見えづらい。売れたい、相方とうまく行かない以外の葛藤が伝わらなかった。だからこそ、ライブという表現の場で思いを語られても、もともと彼が何をしたいのかわからないため、いまひとつ心が動かなかったのです。
また、もしかすると徳永は自分の可能性に見切りをつけていたのかも、とか想像しました。少し売れた後も、それを手掛かりに次の一手を考える様子はなく、どうせこれは一過性のものだ、と醒めていました。この淡白さは観ていたときはまったく解せなかった。そのため、徳永の心の奥底では、自分たちは成功できない、なぜならば才能がないから、と決めつけて諦めていたのかも、という仮説を立てたのです。
なので、ラストライブの感想は、やっと夢の呪いから解放されて良かったね、というものでした。
しかし、そんなのは関係なく、10年挑戦し続けたことが尊いのだ、敗れ去った者にも意味があるのだ、とラストの高らかな宣言に、めちゃめちゃ感動。まさにその通り!と完全同意し、良い映画を観たなぁ〜としみじみしている次第です。
エンディングの浅草キッドもさすがの名曲で、桐谷健太の歌も最高で持っていかれました。
終わり良ければ全て良しとはよく言ったものです。
積み重ね感
1番いいなと思ったシーンは主人公の独白シーン。おそらく小説の一文だろう(原作未読だけど…)独白でなく映像で感動させて欲しかった。
場面場面はいいシーンがあったと思うが、月日の積み重ね感が上手く表現出来ておらず、登場人物に感情移入出来なかった。ケータイが変わっていたり部屋のポスターが変わっていたり小さい部分での変化はあるのだが、渋谷や吉祥寺の街の画があまりにも今で、月日の流れがうすっぺらく見えてしまった。
祝!板尾監督第3作目
筆者は今までTVのお笑い番組を熱心に観てきたわけではないので、お笑いとしての板尾創路の普段の活躍はほぼ知らないに等しい。
しかし本作のメガホンを板尾が取ると聞いてすごく嬉しかった。
なぜなら彼の監督した前2作品を観ていてその独特な創造性を知っていたからだ。
はじめは落語の「粗忽長屋」を下敷きにした第2作目の『月光ノ仮面』を映画館で観たのだが、人間のアイデンティティの危うさを問う重い題材を扱っているにもかかわらず、決して笑えないのにどこかシュールという奇妙なアンバランスさを持った語り口にえらくはまってしまった。
すぐに気になって長編監督作品の第1作目に当たる『板尾創路の脱獄王』をDVDで観た。
同作は『月光ノ仮面』に比べると面白くはなかったが、やはり監督としての個性はしっかり感じ取られたのでこれからの監督作品を楽しみにしていた。
この時期は松本人志も積極的に監督作品を発表していて、決して一般受けはしないものの彼らの作品が硬直した日本の映画界に新風を吹き込んでくれたようでわくわくしていたのだが、その後両人ともに作品を発表しなくなってしまったのでとても残念に思っていた。
それが今回本作の監督と脚本(豊田利晃と共同)を担当することになり、聞けば原作者の又吉直樹も板尾に全幅の信頼を寄せているという。
本作は原作ありきなので板尾監督らしさは全面に押し出されているわけではないものの、むしろ普通に一定水準以上の映画になっていることにびっくりした。
芸人を描いた映画であってもお笑いライブの場面では観客の露骨な笑い声や笑うカットなどを入れるなどの過剰な演出をしていない。
本作を観て興味を持ったので原作小説の『火花』も読んでみることにした。
脚本はだいたい400字詰め原稿用紙1枚が1分の計算になる。本作は121分の作品になるからそこからエンドロール分を引いて原稿用紙およそ115枚といったところだろうか。
原作小説は文庫本で本編が165ページ、400字詰め原稿用紙に直すとおよそ245枚になり、脚本はあくまで会話主体なので原作の地の文はそれほど反映されないから2時間の作品に映画化するのにちょうど良いと思う。
実際に原作のほとんどの部分が本作に活かされていた。
この作品では神谷と徳永の関係を軸に10年の歳月が流れるわけだが、原作では多少何年後という描写が入るものの時間経過は主に主要人物たちの関係性の変化が地の文で説明されることで感じられる仕組みになっている。
本作でも何年後というテロップなどは流れないが、原作にはない演出を仕掛けて問題を解決している。
熱海では興行の後、神谷と徳永は始めて飲み屋で盃を酌み交わすのだが、身重の女性店員を登場させる。
そして10年を経て神谷と徳永が2人で熱海旅行に行き、そこで再度同じ居酒屋で飲むのだが、同じ店員が小学生高学年になった女の子に宿題を教える場面に出くわす。
言葉による説明のいらない時の流れを瞬時に思わせる映像として見事な演出である。
また原作では木村文乃演じる真樹が井の頭公園で子どもを連れているのを徳永が目撃する場面は徳永が真樹と最後に会ってから10年以上経過している設定なのだが、徳永がサラリーマンになってすぐに変更したのも同じ意図であろう。
それに原作では真樹の髪色を思わせる描写はないが、神谷と同居していた時は金髪で後に見かけた際は黒髪にしたのも時間の経過であからさまな変化を見せる演出だろう。
渋谷で風俗店上がりの真樹と徳永が気付かずにすれ違うシーンと徳永が相方の山下に「お前に神谷さんの何がわかんねん!」と激昂するシーンも原作にはない。
しかしこちらは、視覚的にわかりやすい演出として理解はできるが、一般的な青春ドラマに少々堕した感があり追加する必要はなかったようにも思える。
徳永役の菅田将暉は以前に田中慎弥原作の芥川賞受賞作を映画化した『共食い』にも主演していたので、芥川賞受賞作に縁があるのかもしれない。
菅田は『海月姫』や『明烏』『セトウツミ』『帝一の國』『銀魂』などの作品でコミカルな役も無難にこなすが、本作や『共食い』『そこのみにて光輝く』『ディストラクション・ベイビーズ』などの文芸作品でこそより力を発揮する俳優に思える。
神谷に扮した桐谷健太は演技がうまいのか良くわからないところがあるが、雰囲気のある俳優と言える。
ただ監督である板尾の意図もあるのか、彼ら2人のやり取りやそれぞれの相方との漫才はさすがにそれほど笑えるわけではない。
菅田の相方の山下役は実際のお笑い芸人である2丁拳銃の川谷修士らしいが、プロを相方に迎えてもやはり片方が素人だと笑いをおこすのは難しいのだろうか。
桐谷の相方の大林を演じる三浦誠己も元お笑い芸人らしいから、それだけ笑いの世界というのは奥深いのかもしれない。
なお三浦は本作が出演映画100作目になるらしい。
筆者も彼の出演作品を15本以上観ているようだが、映画での三浦の存在を意識したのは本作が初めてで、テレビ東京のドラマ『侠飯〜おとこめし〜』の火野丈治役で馴染みができたからである。
筆者も20代半ばから30代前半に映画学校に通ったりしながらドキュメンタリー映画を自主制作していたので、たとえ当時の先生や同期の生徒など少数であっても自作の欠点を指摘されると自分の全存在を否定されたように思ったものである。
理解してもらうにはどうしたら良いか、もう一度撮ってきた素材を吟味して何時間も編集し直してその間ご飯もろくに喉を通らない時もあったりした。
又吉の原作小説を読んでいて分野は全然違うし真剣さも足下にも及ばないだろうが、共感できるところが多くあった。
ピースの漫才自体は全く観たことがないのだが、きっと彼本人や周囲の今までの経験が存分に活かされているのだと思う。
またNetflix版のドラマは観ていないのでわからないが、映画版の本作では原作で描かれる神谷と徳永の間に流れる繊細な空気は伝えきれていないように感じた。
原作小説は文章もうまいし時々笑えるところもある。芥川賞受賞者の中で筆者が読む数少ない作家である西村賢太や田中慎弥にも通じる独自の作家性も感じる。
だからこそ本当は第1作目で芥川賞を受賞してほしくなかったという気もある。
話題作りで芥川賞を受賞させられたことは又吉本人が一番理解しているだろうから釈迦に説法だろうが、これからもずっと作家活動を続けてほしい。
2作目の『劇場』も今年上梓しているし、今後に本当に期待したい。
また板尾創路にもオリジナル脚本で4作目・5作目と続けて監督作品を制作していってほしい。
さらに言うなら松本人志にも映画監督として復活してもらいたい。
たとえ初めは理解されなかろうと映画として破綻していようと、だからこそ継続していれば絶対に新しい価値が見出されると筆者は信じる。
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