彼女がその名を知らない鳥たちのレビュー・感想・評価
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新感覚の後味悪い系邦画
登場人物に共感で来てしまう私はメンヘラ女なのでしょうか笑
レビューを拝見すると、共感できないとの感想が多く、皆さん健全なメンタルをお持ちなのだなと感心しました。
もちろんフィクションなのだけれども、このような愛憎が殺人に結びついたり、不倫の末路等々…
非日常とは思えないず妙にリアル。
陣治の言動は度を超えていると感じるが、愛する人が傷ついたり、悲しんだりすることを回避させようと自分を犠牲にすることは誰にでもあるはず。
陣治の十和子への想いの根底にある、愛する人を笑顔にしたいというはそれは決して歪んでなんかいない。誰もが皆ちょっとした狂いやタガが外れることによって、犯罪者になりかねない。
陣治の狂気や異常性を徐々にたくさん感じるようにうまく煽られた。そこからのあの結末に1本取られたという感じ。
キャスティングは概ねはまっていたと思います、
竹野内さんだけなんだかしっくりこなかったのは私だけでしょうか… いかにもすぎて逆に不自然だった気がします。竹野内さんは大好きです
後味悪い系の邦画大好きでたくさん見ていますが、そこまで重くはない題材だったかなと思います。
最後の大どんでん返し
このタイトルの象徴が最後に飛び立つ鳥たちなのだろうか?
象徴であって意味はないのだろうか?
このタイトルに最大の疑問が残った。
彼女とは十和子。これは間違いないだろう。
鳥もまた象徴で、飛び立った3羽の鳥が無数の数になって行く。
ジンジが十和子に与えた数えきれない愛なのだろう。
「その名を知らない鳥たち」という言葉も象徴で、彼女が思い出せなくなった記憶であり、その中には飛び降りてしまったジンジがしてくれた数々の「こと」が鳥のように空に舞って消えたということなのかもしれない。
ジンジの考え方と行動はモテない男にはよくわかるかもしれない。
特に傷心した彼女をずっと見てきたような男にはわかるだろう。
その最上級に君臨するのがジンジという人物だ。
自分のすべてを一人の女性に捧げた男だ。
十和子の記憶に一瞬で蘇った二人の出会い。黒崎にDVを受けた直後の出会い。人を好きになるのに理由はないだろうが、ジンジにはモテない男が瞬間的に感じる美人(見るも無惨に怪我をした)に対する優越感のようなものは微塵も見られず、その証拠にジンジはあのように振舞うことができたと考える。
美人だが男に都合のいいように扱われる十和子。
「叔父と寝ろ」「それで僕が助かる」
大金持ちの叔父は姪のカヨ、つまり黒崎の妻とも関係しているのだろう。彼女の家の豪華さがそれを物語っている。
十和子が訪ねてくることをカヨは叔父に教えているほどだ。
ある日ジンジは十和子からの無言の電話に彼女の危機を感知し、そのすべてを受け止め、工作し、十和子が何も覚えてないことを神に感謝した。
「できるだけ長く彼女との時間が続きますように」
ジンジは彼女の消えた記憶と、もしかしたら思い出すことも視野に入れ、自分の人生を今の彼女と一緒に過ごすことだけに決めたのだろう。
種なしという設定は、選択肢がないことを意味するのだろう。
「お前を幸せにできるのはオレしかいない」 最後になってこの意味が分かる。
このころはまだモテる男とモテない男とか、都合のいい女と具合のいい女とか、そんな言葉があったような気がする。
記憶をなくした十和子は「素の自分」になる。その自分はジンジの容姿やしぐさが嫌いだ。そのフラストレーションが黒崎との思い出を甘くし、水島との関係を作り、消した記憶がよみがえるきっかけを作っていく。
ジンジはそれを必死になって止めようとする。
十和子は自分を傷つけるものが何かを理解している。実際にそれを行動にしたことは、体が覚えている。
ジンジには彼女のそうした変化がよくわかってしまう。彼女の変化に気づく。
「ねえジンジ、今日の晩御飯、一緒に食べない?」
この幸せに満ちた一言に、ジンジの心のセンサーが激しく反応した。だからこの日は会社へ行ったふりをして行かず、ずっと十和子を尾行した。
「今日がその日 彼女との最後の日」
黒崎の死体を埋めた日からずっと覚悟してきた時がついにやって来たのだ。
すべては大好きな十和子のため。
このモテない男「阿部サダヲ」の前には、竹野内豊も松坂桃李も遠く及ばない。
実に見事なプロットだった。
最後にジンジが彼女へ依頼した約束 「思い出したことを全部抱えて生きて、そして幸せになれ。生まれてくる子供は「オレ」だ」
個人的に、モテない男が言う最後のセリフには、「乗り越えるべき記憶の中に、一緒にいた人物がいればそれらが思い出され、乗り越えられない。だから俺も忘れてくれ」というニュアンスが含まれると思う。それは実際そうだったんだと妙に実感してしまった。
本人に仕掛ける大どんでん返しは難しいが、この作品はとてもよくできていてとても面白い作品だった。
「共感度ゼロ」の中身。
ポスターに「共感度ゼロの最低な女と男が辿りつく“究極の愛”とは」との言葉がある通り、登場人物たちに全く共感できない。
竹野内豊も、松坂桃李も、心底惚れ惚れとするゲスっぷり。
それは、阿部サダヲも蒼井優も一緒。中身は違えど、ゲスであることには何ら変わりない。
彼等のゲスさは、全く自分の中には見当たらないものかと言えば、そんなこともない。にも関わらず、「共感したくない」と思ってしまうのは、自分の中にある「あそこまでゲスだとカッコ悪いよな」と思う理性と、「自分がそのゲスさを受ける立場だったらたまんないよな」という防衛本能が理由な気がする。その「彼等は自分とは違う」と思いたい気持ち自体が、自分自身の中に眠るゲスさに他ならないんだろうけれど。
そうした「直面したくない自分の負の部分に向き合わされる気持ち悪さ」が、どんなに不快でも、ちゃんと重く響いてくるのは、役者たちの力だろう。主要人物を演じる4人全員が思う存分に力量を発揮している。
ただ、自分がちょっとモヤモヤしたのは、表現されている個々のゲスさとは違って、この映画の根底に、「マチズモ=男性優位主義」の無自覚な肯定がある気がしたから。
陣治の「献身」も、マチズモ的な価値観にたった「束縛」で、ラストの行動も、生涯消えない「呪い」を十和子にかけたように見える。そこが、自分にはちょっとハマらなかった。当人たちは、愛として示し、愛として受け取ったのだろうけれど。
出会いが結末を決める
建設会社でOLをしていた十和子。
頭に包帯ぐるぐる巻き、左手を三角巾で吊るしている。
包帯で片目を覆われている衝撃的な姿で、陣治と出会う。
その姿で作業員の陣治たちにお茶を出す事務員。
黒崎(竹野内豊)から恐ろしいDVを受けた直後だったらしい。
痛々しいその女に陣治は心を掴まれた。
鷲掴みにされた。
それが十和子と殉治の出会いだった。
沼田まほかる原作の特異な愛の物語り。
究極の破滅愛。
お互いを愛することで傷つけあい、
愛しても救われない。
美しくもない殉死愛。
阿部サダヲが傷ましい。
十和子に会わなければ普通に生きられただろうか?
違う
違う気がする。
歪な十和子だから惹かれた。
破滅の匂いに引き寄せられる・・・
陣治はそんな愛し方しか出来ない人間なのかも知れない。
監督が白石和彌だったことにちょっと驚く。
竹野内豊のクズ男にも驚いた。
蒼井優はもちろん男を破滅させる女を説得力もって演じた。
だけど一番すごい演技は阿部サダヲ。
心にこびりつく映画だ。
それで救われるのか?
マンションのローンもあるのに遺された十和子はどうすればいいんだろう。
またろくでもないDV男に騙されるのがオチじゃないかな。
萩尾望都の「トーマの心臓」みたいなことをやりたかったのかもしれないけど、にしては美しくないな。
俳優陣の演技は悪くないが、蒼井優の関西弁に違和感を感じる…頼むから方言キャラには方言ネイティブの役者を使ってくれ…
めちゃめちゃ良かった。
阿部サダヲのビックリ気持ち悪い役がうますぎて素晴らしかった。竹野内豊も松坂桃李も竹野内豊のおじさん?もクズで何かみんなクズやけど白石和彌監督はこういうのも撮れるんだな、とお見事でした。以上!
原作でもう一度楽しみたい
これは、原作を読まねばならん。
きっと面白い!
「凶悪」でも感じたけど、白石監督のテンポとか、台詞で説明するところ・しないところの選び方とか、少し自分の好みとズレている。
その辺りを、原作でなら楽しめそうだな、と。
沼田まほかるらしさ満載の読後感を存分に味わいたいと思います。
もっと伝えやすい手法があったはず
父親と子供部屋おばさんで話を進めた方がシンプルでよかったと思う。
今まで反抗期の子供のように都合のいいときだけ阿部サダヲを利用してきたのに、すべてを知って相手を「恋人」と認められるほど蒼井優が大人だとは思えなかった。
蒼井優の七変化
2022年4月29日
蒼井優と阿部サダオの組み合わせなんてクセしかないと思い鑑賞しました。
実は数年前に観たことを忘れていて、2回目の鑑賞でしたが、またラストで騙されました。
じんじの愛が強くて脆くて辛かった、、、、、、
白石監督作品
偶然見ることなった。キャスティングがリアリティを奪った。俳優陣に問題があるわけでは無いが、どうもしっくり行ってるとは思えなかった。阿部サダヲも蒼井優も良い俳優だが、阿部サダヲの今作のキャラとがあってるとは思えない。また蒼井優の関西弁がかなり違和感があった。
蒼井優と阿部サダヲが魅せる究極愛
本作は、蒼井優、阿部サダヲの渾身の演技で魅せる心揺さぶられる濃厚な愛憎劇である。見応え十分の邦画らしい邦画である。
主人公・北原十和子(蒼井優)は、共同生活している下品で不潔で粗野な佐野陣治(阿部サダヲ)を蔑みながら、彼の収入を当てにして自暴自棄な毎日を過ごしていた。妻子ある水島(松阪桃李)との不倫に溺れていた。一方で、陣治は十和子に罵られながらも、十和子に執拗に拘りストーカー紛いのことをしていた。ある日、十和子は今も想いを寄せる元恋人の黒崎(竹野内豊)の失踪を知り、その真相に迫っていくが・・・。
主要な登場人物全員は身勝手で思いやりがない、一筋縄ではいかない好感など到底持てない面々ばかり。彼らを演じる4人の役者(蒼井優、阿部サダヲ、竹野内豊、松阪桃李)が役に徹しきった存在感のある演技をしているので、それぞれの人物像が際立っている。作品全体が引き締まっていて緊迫感がある。
十和子は、陣治への優しさが全く感じられない。陣治を忌み嫌い、毎日、陣治を容赦なく罵倒する。陣治は、そんな十和子に全く反論せず、十和子のご機嫌取りに終始する。十和子の帰りが遅いと大騒ぎをする。お互いに居ないと困るというだけの典型的な相互依存関係にある。相思相愛感は全くない。さらに、十和子が時折見せる憂いの表情に彼女の孤独感、成就しない恋愛への渇望感が滲み出ている。一方の陣治も、台詞、行動の中に愛する者を守ろうとする尋常でない狂気が垣間見える。黒崎の失踪判明以降、様々な伏線が張られ、ミステリー色が強くなるので、物語は只の相互依存した不仲の二人の愛憎劇では終わらないだろうなという予感がした。
竹野内豊、松阪桃李は、従来の役柄とは異なり、典型的な女性を騙す悪党振りが様になっている。甘いマスク、甘い台詞、巧みな話術に悪党としての説得力がある。今後の役柄に影響が出るのではと心配になるくらいのハマリ役である。彼らに騙される十和子役の蒼井優は凄い役者である。陣次を観る時との目の表情の差が際立っている。眼の表情だけで相手を愛し信じ切っている雰囲気を作っている。
本作では、十和子の過去の愛の遍歴は描かれるので、十和子の生き方に好感は持てないが理解はできる。しかし、陣治の過去は全く描かれない。特に二人の馴れ初めには一切触れないので、何故これほどまでに十和子に拘るのかが全く分からない。物語がミステリー色を強めるにつれて、優しそうだが謎めいた不気味な人物という印象が強くなる。
終盤、様々な伏線は一気に回収され、やり切れない救いのない物語の色調が変わっていく。その予想外の変化に心が揺り動かされる。本作が平凡な男女の愛憎劇になっていないのは、何と言っても、蒼井優と阿部サダヲの演技力の賜物であろう。鬱屈した癖のある役柄を渾身の演技で体現しているので、現実的で説得力のある物語になっている。愚直なまでに純粋で不器用な男女の愛の形を見事に表現している。
ラストシーン。題名にもなっている、幸福=愛を暗示する鳥の群れも印象的だが、それ以上だったのは十和子の台詞である。真っ暗なスクリーンに十和子の、“私の・・・・”という短い台詞が劇場内に響き渡る。この台詞は本作のメッセージである。そういうラストであって欲しい。そういうラストにして欲しいと思いながら観続けていたので、この台詞は、心に響き渡った。止め処もなく涙が溢れてきた。これからも様々な作品を観るだろうが、この作品のこの台詞は、生涯決して忘れることは無いだろう。
本作は、起伏に富んだストーリーでもない、映像美が素晴らしいわけでもない。ただ只管に、ある一組の男女の個性的な愛の形を描くことに徹している。純粋な愛、究極の愛とは何かを我々に鋭く問い掛けている。
まぎれもない愛
本当に純粋な愛とはこういうことなんだろうと考えさせられる。
何がなんでも愛した人を守り抜く姿勢は愛すべき人がいる立場なら学ぶべきなのかもしれない。
蒼井優さん、阿部サダヲさんの関西弁の演技は流石だった。
全303件中、1~20件目を表示