彼女がその名を知らない鳥たちのレビュー・感想・評価
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7年前の高評価映画「彼女がその名を知らない鳥たち」を観た感想
主人公の女性、いわゆる「愛人」なんだけど、世間的には愛人って嫌われて、軽蔑される存在だよね。でも、この映画の主人公は、浅はかでありながらも純粋な女の子として描かれているんだ。
彼女が浅はかだなって思うのは、男を外見だけで判断して、だらしない男(主人公)を嫌って、外見がいいイケメンにすぐに惹かれちゃうところ。でも、純粋だなって感じるのは、見た目が良い人は心も優しいって思って、無条件に尽くしちゃうところ。例えば、ダメ男と割り勘したり、彼のために年老いた男と関係を持つくらい。こんな彼女、憎むことできるかな?もしかしたら、これから「愛人」の話をする時、世間の偏見をちょっと置いといて、彼女たちの個人的な気持ちや欲求をもっと理解してから判断するべきなんじゃないかな。
男の主人公については、彼みたいに愛のために自分を犠牲にできるほどの覚悟は正直ないし、彼の気持ちとか欲求は完全には理解できない。でも、彼は不妊だから、自分には愛を持つ権利がないって思って、愛を父性愛に変えちゃったのかもしれない。彼もまた、どこか純粋な理想主義者なんじゃないかな。
20250104補充
私の考えでは、恋愛は一時的なロマンで、結婚はお互いに助け合う関係じゃないと続かないと思います。「利益」って言うとちょっと冷たく聞こえるかもしれないけど、要するにお互い成長できる関係が大事だってことです。「あなたがいるから、私はもっと良い自分になれた」ってよく言うけど、この言葉の前提は「あなたがいなくても、一人でも十分幸せに生きていける」という自立なんだと思います。だから、結婚ってシンデレラみたいな救世主的な話じゃなくて、二人で高め合っていく「錦上添花」みたいなものなんじゃないかな。
そう考えると、映画の中の男主人公の気持ちは正直ちょっと理解しづらいです。彼は女性主人公から何を得たんでしょう?彼女に一目惚れして、必死に追いかけるのは分かります。でも、一緒に住むようになってから彼女は冷たくしたり、ひどい態度を取ったりしていて、それでも彼はずっと彼女に尽くしている。こういう関係って、何のために続けているんでしょう?男主人公がこの関係で成長したとは思えないし、女主人公も何か変わったようには見えません。唯一「成長」と言えるのは、あの劇的な生死の別れを通してだけ。でも、現実の世界ではそんなドラマみたいな展開なんてそうそうないですよね。
もし男主人公が命を捨ててでも彼女を愛してるなら、どうして彼女は彼を「だらしない」って嫌がるくせに、自分の態度を改めたりしないんでしょう?たぶん、私たちも男主人公みたいに、何かに固執して無茶することがあるんじゃないかな。彼のこの偏った執着心は、たぶん「自分は愛される資格がない」っていう思い、つまり「自己否定感」から来てるのかもしれません。自分が不妊だと知って、結婚や恋愛に対して自信を失い、幸せな関係を築く資格がないと感じてしまったのかも。そう考えると、彼が彼女に尽くすのは、ある意味自分を救いたいっていう気持ちの表れだったのかもしれません。でも、それって結局は自己中心的な行動だとも言えますよね。
ここまで考えて、私って他人や物事を批判的に見ちゃう癖があるなって気付きました。本当は、自分が理解できないことでももっと認めたり、尊重したりするべきなのかもしれません。この批判的な癖って、たぶん自分の中にある「自分を認められない気持ち」が外に出てるんだと思います。過去の恋愛を振り返ると、一人でいるときは穏やかで満たされてるのに、誰かと一緒にいると段々と自分の嫌な面が出てきてしまうことがありました。だから、過去の恋愛はあまり理想的じゃなかったなって感じています。
最近は、毎晩寝る前に「今日は自分を褒めるポイントは何かな?」って考えるようにしています。小さいことでもいいんです。でも、それだけじゃなくて、「ダメな自分を受け入れる」ことも大事だなって思うようになりました。たとえば、自分の平凡さをそのまま認めるとか、先延ばしにしちゃう自分を受け入れるとか、そういう感じです。自分を否定するんじゃなくて、理解してあげること。それって、他人への接し方にも表れるんだと思います。どれだけ親しい関係であっても、自分との関係を超えることはないんじゃないかな。
あまりにも一途で純粋すぎる愛
見てくれや普段の振る舞い等で一瞬見失いがちかも知れないが、心の部分だけを取り出したとき、陣治の十和子への愛は
見ているこちらの胸に迫ってくる程の
“哀しいくらいに一途な純愛”だと
私には感じられた。
見返りを決して求めず、ただひたすら
十和子の笑顔を見たいがために彼女に尽くす陣治の姿には、見た目とは裏腹に清廉さすら感じたのは私だけだろうか…
阿部サダヲさんが演じてくれたからこそ
そんな風に感じられたのだと思う。
情けないようでいて十和子に何かあれば
即座に飛んで行き、彼女の窮地を救う。
人を刺し相手が殺められてしまった現場を見ても、逃げることなく彼女を守ろうと画策する姿。
ヘタレでも情けない奴なんかでもない
と個人的には思えた。
また、十和子への愛は親が子を守ろうとする保護欲にも似たようなものにも感じられ、だからこそ 見返りのない愛をよりいっそう感じたのかも知れない。
蒼井 優さんも素晴らしかった。
陣治とは正反対の男達の甘い言葉を信じ
疑うことを知らない。
ある意味 純粋なのかも知れないが
少しでも疑うことが出来ていたのなら
最期の強行に至らずには済んだのではないか…と、胸が痛む。
自分を心から愛してくれる相手を愛することが出来たなら、平凡でも穏やかな生活が送れたかも知れないのに
こんなにも愛してくれる人は、陣治以外に存在し得ないと心底気付いた時には彼はもう側にいない。
陣治が身を挺して彼なりの愛を表現した後、十和子がどのように生きたのか
とても気になってしまう。
でも、幸せな生活の中で子供を設けていて欲しい、と強く願うのは私だけではない気がする…
何年も前に原作を読んで衝撃を受けた作品だったが、映像化され私に取っては
記憶に残る忘れられない映画作品になりました。
闇を抱えての愛
新感覚の後味悪い系邦画
登場人物に共感で来てしまう私はメンヘラ女なのでしょうか笑
レビューを拝見すると、共感できないとの感想が多く、皆さん健全なメンタルをお持ちなのだなと感心しました。
もちろんフィクションなのだけれども、このような愛憎が殺人に結びついたり、不倫の末路等々…
非日常とは思えないず妙にリアル。
陣治の言動は度を超えていると感じるが、愛する人が傷ついたり、悲しんだりすることを回避させようと自分を犠牲にすることは誰にでもあるはず。
陣治の十和子への想いの根底にある、愛する人を笑顔にしたいというはそれは決して歪んでなんかいない。誰もが皆ちょっとした狂いやタガが外れることによって、犯罪者になりかねない。
陣治の狂気や異常性を徐々にたくさん感じるようにうまく煽られた。そこからのあの結末に1本取られたという感じ。
キャスティングは概ねはまっていたと思います、
竹野内さんだけなんだかしっくりこなかったのは私だけでしょうか… いかにもすぎて逆に不自然だった気がします。竹野内さんは大好きです
後味悪い系の邦画大好きでたくさん見ていますが、そこまで重くはない題材だったかなと思います。
最後の大どんでん返し
このタイトルの象徴が最後に飛び立つ鳥たちなのだろうか?
象徴であって意味はないのだろうか?
このタイトルに最大の疑問が残った。
彼女とは十和子。これは間違いないだろう。
鳥もまた象徴で、飛び立った3羽の鳥が無数の数になって行く。
ジンジが十和子に与えた数えきれない愛なのだろう。
「その名を知らない鳥たち」という言葉も象徴で、彼女が思い出せなくなった記憶であり、その中には飛び降りてしまったジンジがしてくれた数々の「こと」が鳥のように空に舞って消えたということなのかもしれない。
ジンジの考え方と行動はモテない男にはよくわかるかもしれない。
特に傷心した彼女をずっと見てきたような男にはわかるだろう。
その最上級に君臨するのがジンジという人物だ。
自分のすべてを一人の女性に捧げた男だ。
十和子の記憶に一瞬で蘇った二人の出会い。黒崎にDVを受けた直後の出会い。人を好きになるのに理由はないだろうが、ジンジにはモテない男が瞬間的に感じる美人(見るも無惨に怪我をした)に対する優越感のようなものは微塵も見られず、その証拠にジンジはあのように振舞うことができたと考える。
美人だが男に都合のいいように扱われる十和子。
「叔父と寝ろ」「それで僕が助かる」
大金持ちの叔父は姪のカヨ、つまり黒崎の妻とも関係しているのだろう。彼女の家の豪華さがそれを物語っている。
十和子が訪ねてくることをカヨは叔父に教えているほどだ。
ある日ジンジは十和子からの無言の電話に彼女の危機を感知し、そのすべてを受け止め、工作し、十和子が何も覚えてないことを神に感謝した。
「できるだけ長く彼女との時間が続きますように」
ジンジは彼女の消えた記憶と、もしかしたら思い出すことも視野に入れ、自分の人生を今の彼女と一緒に過ごすことだけに決めたのだろう。
種なしという設定は、選択肢がないことを意味するのだろう。
「お前を幸せにできるのはオレしかいない」 最後になってこの意味が分かる。
このころはまだモテる男とモテない男とか、都合のいい女と具合のいい女とか、そんな言葉があったような気がする。
記憶をなくした十和子は「素の自分」になる。その自分はジンジの容姿やしぐさが嫌いだ。そのフラストレーションが黒崎との思い出を甘くし、水島との関係を作り、消した記憶がよみがえるきっかけを作っていく。
ジンジはそれを必死になって止めようとする。
十和子は自分を傷つけるものが何かを理解している。実際にそれを行動にしたことは、体が覚えている。
ジンジには彼女のそうした変化がよくわかってしまう。彼女の変化に気づく。
「ねえジンジ、今日の晩御飯、一緒に食べない?」
この幸せに満ちた一言に、ジンジの心のセンサーが激しく反応した。だからこの日は会社へ行ったふりをして行かず、ずっと十和子を尾行した。
「今日がその日 彼女との最後の日」
黒崎の死体を埋めた日からずっと覚悟してきた時がついにやって来たのだ。
すべては大好きな十和子のため。
このモテない男「阿部サダヲ」の前には、竹野内豊も松坂桃李も遠く及ばない。
実に見事なプロットだった。
最後にジンジが彼女へ依頼した約束 「思い出したことを全部抱えて生きて、そして幸せになれ。生まれてくる子供は「オレ」だ」
個人的に、モテない男が言う最後のセリフには、「乗り越えるべき記憶の中に、一緒にいた人物がいればそれらが思い出され、乗り越えられない。だから俺も忘れてくれ」というニュアンスが含まれると思う。それは実際そうだったんだと妙に実感してしまった。
本人に仕掛ける大どんでん返しは難しいが、この作品はとてもよくできていてとても面白い作品だった。
「共感度ゼロ」の中身。
ポスターに「共感度ゼロの最低な女と男が辿りつく“究極の愛”とは」との言葉がある通り、登場人物たちに全く共感できない。
竹野内豊も、松坂桃李も、心底惚れ惚れとするゲスっぷり。
それは、阿部サダヲも蒼井優も一緒。中身は違えど、ゲスであることには何ら変わりない。
彼等のゲスさは、全く自分の中には見当たらないものかと言えば、そんなこともない。にも関わらず、「共感したくない」と思ってしまうのは、自分の中にある「あそこまでゲスだとカッコ悪いよな」と思う理性と、「自分がそのゲスさを受ける立場だったらたまんないよな」という防衛本能が理由な気がする。その「彼等は自分とは違う」と思いたい気持ち自体が、自分自身の中に眠るゲスさに他ならないんだろうけれど。
そうした「直面したくない自分の負の部分に向き合わされる気持ち悪さ」が、どんなに不快でも、ちゃんと重く響いてくるのは、役者たちの力だろう。主要人物を演じる4人全員が思う存分に力量を発揮している。
ただ、自分がちょっとモヤモヤしたのは、表現されている個々のゲスさとは違って、この映画の根底に、「マチズモ=男性優位主義」の無自覚な肯定がある気がしたから。
陣治の「献身」も、マチズモ的な価値観にたった「束縛」で、ラストの行動も、生涯消えない「呪い」を十和子にかけたように見える。そこが、自分にはちょっとハマらなかった。当人たちは、愛として示し、愛として受け取ったのだろうけれど。
出会いが結末を決める
建設会社でOLをしていた十和子。
頭に包帯ぐるぐる巻き、左手を三角巾で吊るしている。
包帯で片目を覆われている衝撃的な姿で、陣治と出会う。
その姿で作業員の陣治たちにお茶を出す事務員。
黒崎(竹野内豊)から恐ろしいDVを受けた直後だったらしい。
痛々しいその女に陣治は心を掴まれた。
鷲掴みにされた。
それが十和子と殉治の出会いだった。
沼田まほかる原作の特異な愛の物語り。
究極の破滅愛。
お互いを愛することで傷つけあい、
愛しても救われない。
美しくもない殉死愛。
阿部サダヲが傷ましい。
十和子に会わなければ普通に生きられただろうか?
違う
違う気がする。
歪な十和子だから惹かれた。
破滅の匂いに引き寄せられる・・・
陣治はそんな愛し方しか出来ない人間なのかも知れない。
監督が白石和彌だったことにちょっと驚く。
竹野内豊のクズ男にも驚いた。
蒼井優はもちろん男を破滅させる女を説得力もって演じた。
だけど一番すごい演技は阿部サダヲ。
心にこびりつく映画だ。
それで救われるのか?
マンションのローンもあるのに遺された十和子はどうすればいいんだろう。
またろくでもないDV男に騙されるのがオチじゃないかな。
萩尾望都の「トーマの心臓」みたいなことをやりたかったのかもしれないけど、にしては美しくないな。
俳優陣の演技は悪くないが、蒼井優の関西弁に違和感を感じる…頼むから方言キャラには方言ネイティブの役者を使ってくれ…
原作でもう一度楽しみたい
もっと伝えやすい手法があったはず
蒼井優の七変化
白石監督作品
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