パーソナル・ショッパー : 映画評論・批評
2017年5月9日更新
2017年5月12日よりTOHOシネマズ六本木ヒルズほかにてロードショー
孤独の淵をこそ逞しさへの起点とする、アサイヤスならではの闘うヒロイン映画
「あの最後のショット、あれは彼女が初めて自分と仲直りできた瞬間だと思っています。あそこで彼女は漸く自分自身になれたのだと」
ベイルートで「カルロス」を撮影中の監督オリヴィエ・アサイヤスが電話インタビューに応じて「クリーン」の幕切れを語った言葉、それが彼の新たな快作「パーソナル・ショッパー」を予知しているかにも響くのは、やはり素敵に感慨深い。
朝日を微かに浮かべて輝く海を一望して幕を下ろす「クリーン」はそこに浮かぶ清新な希望の影を涼やかに感覚させた。ありのままの自分へとたどり着くための長い旅、獲得された誰のものでもない彼女自身の眼差し。そんなモチーフは新作のヒロイン、モウリーンとも無縁ではない。
モウリーンは、双子の兄の急死のショックから未だ立ち直れずにいる。霊的存在との交信能力を有する“霊媒”として彼女は、同じ力で結ばれた兄が生前の約束通り死後の世界から送るサインを待ちながら、セレブの服飾品調達係(パーソナル・ショッパー)をうんざりと続けていた。金ピカの名声の世界を唾棄しつつ別の自分を夢みる心も抑えきれず、禁を破って調達の品をふと身につけてみた彼女の下に相前後して不審なsmsメッセージが届く。兄ではーーと、信じたい気持もあって憑かれたように返信を重ねるモウリーンは、見えない誰かの挑発に抗いながら、進んでそそのかされもするように心の底の欲望に身を任せる。そうして巻き込まれた殺人事件。気づいてみるとそんな窮地に陥るまで彼女はみごとに生身の人と触れ合うことをしていない。
電子メディアとの、はたまた霊との交信。見えない何かを感覚しつつひょっとしたら見えなくていいものを見始めていたかもしれないひとり。スカイプでしか繋がっていなかった恋人が住むアラビア半島の果てで、漸く彼女がひとりの自分を受け容れる時、白い光を映す顔にまだ少し漂う覚束なさをゆっくりと駆逐して透明な解放の喜びが予感される。
裏腹に、覚醒が夢でも幻でもない罪を指し示すと見ることも無論、できるだろう。が、それでもそれをアサイヤスは彼女の“ハッピーエンド”としているようにみえる。古典的恐怖映画からJホラーまでをも視界に入れて見えない何かを鮮やかに見せるアサイヤスはしかし、孤独の淵をこそ逞しさへの起点とする彼ならではの闘うヒロイン映画を今回も迷いなく差し出している。その世界を請け負うクリステン・スチュワートの輝き方! お見逃しなく!
(川口敦子)