三度目の殺人のレビュー・感想・評価
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60点
映画評価:60点
この作品は、とても難解でした。
前にも映画版を観たことがありましたが、
小説は読んだことはありません。
私が最初観たときには、
役所広司さんを『良心』と捉えていたのです。
広瀬すずさんのためにその父親を殺害し、
広瀬に恥ずかしめを受けさせない様に供述を変えた。
そう私が勝手に理解していました。
そして、この作品の奥深さはソコにあります。
この役所広司さん演じる三隅は、
何も入っていない器として評されています。
まさに私(視聴者)が、
望むであろう結論や解釈に寄り添っていただけ
視聴者の心が三隅を悪と捉えたければ、
この結論や解釈はガラリと変わるでしょう。
この事柄は、
三隅に関わる登場人物にも影響します。
三隅は、その登場人物の求めている応えに
寄り添った行動や言動をしてしまうのかもしれません。
今回の殺人も広瀬すずさんに寄り添った結果だったのでしょうし、供述がコロコロ変わるのも、弁護士や記者、検察の希望に添った発言だったから、ブレブレだったのかもしれません。
実際、彼の心には何も入ってなくて、
関係者の心でその器を満たしていたのでは?
と今回見ていて感じました。
とても奥深く、奇妙な話しです。
正直、映画版を一度観ただけでは
到底理解できない内容だとは思います。
大衆向けではないですね(笑)
私は好きですが、
【2023.4.13観賞】
真相は藪の中
観客も翻弄される真実の迷宮
本作は、真実の危うさを描いた意欲作である。殺人事件を巡る推理サスペンス仕立てではあるが、起承転結の分かり易い作品でなない。
本作の主人公は敏腕弁護士である重盛(福山雅治)。彼は、ある殺人事件裁判の弁護を担当する。容疑者は殺人の前科を持つ三隈(役所広司)。三隈は既に自白しているので、重盛は減刑を弁護方針として、判決を有利にできる証拠を探そうとするが、肝心の三隈は、拘置所での接見で供述を二転三転させ、重盛は次第に混乱していく。ついに裁判が始まるが、そこには意外な展開が待ち受けていた・・・。
冒頭の凄惨な殺人シーンから、これから、本格的な殺人事件を巡る推理サスペンス、法廷劇が始まるのだと思ったが、そういう作品ではなかった。巧みに騙されてしまった。
本作の主題は真実の危うさである。真実は多面的であると謂われる。一面だけ見ても真実の本当の姿は分からない。ジグソーパズルに例えるなら、真実は、多数のピースで構成されていて、全てのピースが揃わないと全貌は見えない。本作では、重盛たちの調査で、次々と殺人事件の新事実が明らかになり、殺人事件の真実を構成するピースは徐々に揃い始める。逆に、三隈は、虚言を繰り返すことで、殺人事件を構成するある重要なピースを偽造する。そして、偽造されたピースで偽りの真実を見せる。完全に、重盛たちは三隈の虚言に翻弄されていく。弄ばれていく。操られていく。僅かなピースを偽造するだけで、真実は簡単に歪められてしまう危うさを持っている。
ということで、本作では何といっても三隈がキーパーソンとなるが、三隈役の役所広司がキーパーソンに相応しい存在感を示している。一見穏やかそうで人の良さそうな感じだが、心に深い闇を抱えた一筋縄ではいかない容疑者を巧演している。重盛役の福山雅治も、最初は裁判に勝つことに拘る合理主義者だったが、三隈の虚言に振り回されることで、自身の人間性が覚醒して、殺人事件の真実と向き合う弁護士への変貌を熱演している。
本作は、殺人事件の真相究明、法廷での弁護側、検察側の虚々実々の駆け引きを力点にはしていない。本作の力点は、繰り返される拘置所での重盛と三隈の接見シーンに集約されている。犯行動機のやり取りに始まり、徐々に重盛が不気味な三隈に翻弄されていく様が克明に描かれる。真実の危うさが炙り出されていく。最後の接見での激しいお互いの信念のぶつかり合いは鬼気迫るものがあった。
本作は、起承転結でラストもスッキリという作品ではなく、観客に答えを委ねる問題提起型の作品である。観終わって、“真実”という言葉がいつまでも頭から離れなかった。
殺人犯・三隅の闇
司法制度の矛盾を突いている映画でもありました。
また役所広司ってなんて奥深い演技をするチャーミングな役者だと
再確認する映画でもありました。
是枝裕和監督はじめての法廷サスペンス。
三隅(役所広司)は殺人罪で30年服役して、出所後に勤務した職場を
解雇されたことの腹いせに、元職場の金庫から金を盗むような男。
そして更にその会社の社長を殺して放火した疑いで裁かれようとしている。
どうにも動機が不明だ。
動機が弱い。
「カッとなって」と答えるかと思うと、摂津弁護士(吉田鋼太郎)には、
「前から殺してやろうと思ってた・・そう言ってたじゃない」と、
言われる。
三隅は供述を二転三転して得体が知れず、弁護士の重盛(福山雅治)たちは
翻弄されます。
自白以外に確固たる証拠がありません。
是枝裕和×役所広司×福山雅治
二度とありない組み合わせ。
日本映画界を牽引してきた名優・役所広司。
日本を代表する監督・是枝裕和。
日本を代表するアーティスト・福山雅治。
働き盛りの彼らが結集したのは素晴らしいことです。
「法廷サスペンス」
是枝裕和監督は脚本も手がけることが多く、この作品も監督・脚本・編集
と、3役です。
殺人犯役の役所広司の役ですが、彼はサイコキラーではありません。
人の気持ちを汲み取って、まるで予知能力でもある様に殺人を請け負う(?)。
だから判決が出た後で、重盛が、
「あなたは器(うつわ)なんですね?」
と、不思議な言葉を言ったのだと思いました。
情のある殺人者。
殺した社長の娘・咲江(広瀬すず)は父親から虐待を受けていて、
三隅のアパートに通い、娘のように振る舞っています。
「大きな声でよく笑う娘さん」
咲江が大家さんがいう《大きな声で笑う娘》には、画面で見る限り
まったく見えないのですが・・・。
かと思えば咲江の母親・美津江(斉藤由貴)に夫の殺人を50万円で依頼された・・・
と週刊誌記者に衝撃告白をする。
供述がコロコロ変わります。
まったくもって三隅は得体が知れない。
30年前の殺人事件で無期懲役を食らった男・三隅。
弁護士には弁護士の描くシナリオ
(死刑を回避して無期懲役を狙う)
検事にも思い描くシナリオがあり
(一度無期懲役を受け、死刑になり損なった殺人犯。だから今度は厳罰)
そして三隅にも三隅のシナリオがあった。
(俺は死刑なんか怖くない。裁判官の心証・・・
(ふふふ、裏をかいてやるさ!!どうせ死刑になるなら咲江の恨みを
晴らして、せめて最後に人のお役に立って死んでいくさ)
とでも思っているのでしょうか?
「一番目の殺人」の詳細を知りたかった・・・が、正直なところです。
残虐な男なのか?やむを得ぬ殺人だったのか?
これを伏せたのは是枝監督の作戦なのでしょう。
重盛の父親が裁判官として出した判決。
無期懲役だったはず。
父親(橋爪功)は、
「あの時死刑にしておけば良かった・・・」と息子に呟く。
そうすれば「二番目の殺人」は防げたのですから。
三隅に情状酌量の余地はあったのでしょうか?
翻って今回の事件の背後を探る事は、咲江を世間の好奇に晒すこと。
それを三隅も重盛も望んでいない。
日本の司法制度。
警察の捜査。
検察の立件。
そして裁判が開かれる。
不幸にして冤罪も時として起こる。
しかし私は日本の司法をある程度信用しています。
たとえ立件された犯罪の有罪率は99.9%・・・
立件されたらほぼ有罪・・・すごく怖いです。
それでも、
まだアメリカより正義は守られている。
(立件するまでに多くの時間を割いて調べているから、)
多くのアメリカ映画の受け売りですが、そう信じています。
「王将社長射殺事件」の犯人が事件後9年経て逮捕されました。
9年間、捜査は継続していたのです。
延べ2万6千人の捜査員を動員して。
「山梨キャンプ場女児失踪事件」
この事件も2年8ヶ月捜査は継続されて、悲しいことですが遺体の骨が発見されました。
どちらの事件もコツコツ実直に取り組む姿勢が見られます。
この映画で、三隅という人間をまともに扱えと言う方が無理があります。
三隅は咲江の気持ちを忖度して社長を殺したのではないか?
これだって推測の域をでません。
三隅の心のうちは誰にも分からない。
と思うのです。
三隅のような30年間税金で生かされてきて、
またもや殺人事件を犯して更なる裁判・・・更なる税金が使われる。
この映画では、三隅が「殺してません」と供述を翻したとき、
検事(市川実日子)が、
「それなら公判を最初からやり直さなければ・・・」と言い出します。
しかしその意見は裁判官と事務方の耳打ちなどあり、
協議の結果「迅速に進めましょう」と却下される。
要するに《時間と経費の無駄である》
スピードと効率。
警察にも裁判にも「重要な事件(案件)」と、
「さほど力を入れなくてもいい事件(案件)」が
自ずからあるのが現実でしょう。
是枝裕和監督の本作は司法の矛盾を突いている面が多く描かれています。
……強盗殺人事件より、殺人と窃盗の方が刑が軽い、
……殺人の動機が、カッとして殺したより怨恨の方が刑が軽い。
それは恨むほど被害者を憎む理由があるから・・・
そして、「精神分析?」
「精神医学なんて科学ではなくて、あれは文学ですよ!!」
と、皮肉に言い放ちます。
《人が法律で人を裁くことの可否》
それを言い出したらキリがありません。
「三度目の殺人」の三度目とは?
三隅が裁判制度を利用して、自分で自分を殺す・・・
私はそう考えたのですが、真偽は闇の中です。
サイコパスではないと前述しましたが、普通の神経の人間でないことは
確かかも知れません。
なんだかなあ、
んーーーーーっ。
ヒーローかクズか
豪華だけなフルコース
同じ話を視点を変えて繰り返す「羅生門」的な雰囲気を感じました。
それを少女を守りたいという思いから一人の男性が証言を変えるという新たな試みで、発想がとても面白かったです。
ただ少女と犯人の関係性の深堀が足りない印象を受けました。
思い切って弁護士の話を全てカットしても良いくらいかもと思いました。
Amazon primeのお薦めから
自ら招いた「三度目の殺人」
1度目も2度目も、自分の怨恨や都合ではなく、人の感情を行動に移す「器」で殺人をやった三隅(役所広司)、なんとか減刑にしたいと思う弁護士の重盛(福山雅治)、その気持ちを読んだ三隅は途中から自分は河川敷に行ってない、やってないと言い出す。それに基づき、重盛は証人の供述も変えた事で、本来なら死刑にならなくて済んだはずの三隅の真実から、却って死刑を導いてしまった重盛。「三度目の殺人」は、皮肉にも三隅が弁護士の器となり、三隅が自ら導いた自らを殺す結末となったのだ!
三度目の殺人が何を指すのか
考えられるのは二つ。
・死刑という行為が「三度目の殺人」
・死刑にしなかったことで起きる新たな殺人が「三度目の殺人」
どこかの記事では、映画のメイン事件を「三度目の殺人」と捉えていましたが、予告編動画にて「二度目の殺人を犯した男」とされているので、その記事は間違いです。最初の殺人で二人殺したから、今回が三度目だろう、ということではありません。
「三度目の鑑賞、だったように思う」
タイトルに意味はないのですが
意味ありげに、タイトルをつけて
しまったと、おそらく、感情的な部分で
要らぬ説明を入れてしまった。
と、言うことは、やはり私のタイトルに
何らか少しでも、興味を持って欲しいと
思う、本心があるのでは、ないかと
今携帯スマホをいじりながら、思っている。
わたしが、この作品を何回も見て、
毎回、毎回、レビューする。
わたしのレビューを読む人などは、
限りなく皆無と、私は思っている。
でも、レビューしたいのだ。
理由は、この作品『三度目の殺人』を
見た後は、心がざわつき、どこかに
そのざわつきを発散したくなる。
ただ、それだけなのです。
実際には、本心を、
書き込めないとも、なんとなく
思っている。
本当の心とは、なんだろうか?
自分自身の欲しかない、
気持ち、心、本心とは、存在するのだろうか、
目を覚まし、目を閉じ
開けてる目からの情報を、脳、心、感情が
閉ざし凍結させる。 そんなことは、
日常茶飯事なのに、日常茶飯事を無視出来ない
人こそが、本来の姿のように言ってしまう事は、今のわたしにはできない。
なぜだろうか?
もし、
不思議に思ってしまう人がいたら
自分自身の目を開け、
見た物すべてを理解し説明出来るだろうか?
と
考えてほしい。
わたしは、目にするもの、耳にするもの
肌にするもの、匂い、食感を感じ、
受け止め、置き換え、ふらつきながらも、
感情に問いながら、平静な心を保ち努めるように日々を重ねています。
皆さまは、どうですか?
裁判のあり方
真実がみえない
裁判とは 問いかける作品
殺人を犯すと警察で自供を強いられ
裁判で刑が軽くなると言われ
起訴内容を言われ本人の意志に関わらず
一度自供して起訴されると
覆すことが難しい
後からやってませんと言っても
ほぼ結果は確定している
この世の中は理不尽な事ばかりで
刑務所の中がいいと言った
皆、見て見ぬふりして暮らしてる
すばらしき世界の映画な様な感じを受けた
たまたま役所さんだった事もあって
映画のなかで誰も真実を話していない
と鈴ちゃんが言った
裁く人裁かれる人誰が決めるのか
?(今のところ裁判官)
重盛と三隅の会話で
本当の真実はどっちと
思ってしまう
真実がわからない
事件の真相は一部分しか見えてなくて
本人も真実を話しているのかどうかも…
わからない(見えない)部分の方が多いのかも
と思った
三隅は
今まで自分は生まれこなければよかったと
自分がいるだけで周りを傷つける
誰かの役にたてる
人殺しでも……
役にたてる ここが真実なのか
最後の重盛の言っていた器とは
何だろう
いつも是枝監督の作品は問いかける映画です
私の考えが及ばないような作品です
作品が暗く作られていないところがよかった
この事件が多い世の中、司法マニュアルによって
裁判が進んでいく(人による忖度)
少し経って思うことは。。
三隅は最初から真実をイマイチ話そうとしない様子
真実を隠しているから供述が二転三転する
真実を知られない様に重盛の思いのままに裁判に臨む
……真実を隠すために
誰も真実を話さなかった最後まで
器とは
真実を隠すもの果たして中身は
……………。
殺人者とキリスト
これまでに観た中で、一番好きな映画です。
三度目の殺人、つまり死刑が大きなテーマなのは間違いないと思います。
「人を殺す人間と、殺さない人間では、種類が違う」と言いつつ、「あいつは死刑にすべきだった」と軽い口調で言えてしまう元裁判長は、「人を殺さない人間」なのでしょうか?
焼死体の跡、カナリヤの墓、雪の上に横たわる人の形、十字路。
何度も登場する「十字架」は、重盛が言ったように、裁きの象徴ではありません。
十字架が象徴するのは贖罪。
人間が生まれながらに背負った原罪が、イエス=キリストの死によって贖われたことの象徴です。
「大いなる器」である贖罪者、三隅。
とある接見のシーンでは、後ろからの光を背負い、神父と見まごう姿で登場しますが、彼は神の父ではなく、神の子なのではなかったか。
彼が贖おうとした人間の罪とはいったいなんなのか、是枝監督が想定する答えを、深く考えずにはいられません。
丁寧に作り込まれた映画なのです。
ピーナツバターを山盛りにつけたパンを頬張る、三隅の幼子のような表情に、「器」の中に何が入っているのかと首をかしげます。
片方だけ汚れた靴や、ハガキに描かれた絵など、一度しか登場しない画面にたくさんの情報が詰め込まれていて、何度見直しても発見があります。
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