三度目の殺人のレビュー・感想・評価
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丸投げ?
三度目の殺人とは結局死刑の事なのだろうか?
僕の役所広司はまさにこれ。この怖さ。不気味で静かでだけど熱く沸点が分からないこの感じ。
役所広司に取り込まれていく福山雅治も分かる。
だけどもこのラストは僕の中では、あんまりだろ!と思う。
監督には全てが分かってて、だけど観客は「おや?どういう事?」と考えるのは心地良いのだけど、今作は監督もよく分からず丸投げしてる感じで考えたところで…という虚しさすらあった。
役所広司の本当の当時の行動を期待して観ると、まだ途中やん!というラストだと思う。
空っぽの器。忖度。それで殺人を犯したのだとすると、それだけかよ、と思ってしまう。
なにが真実か
結局最後までなにが真実だったのか、わからない作品でしたが、そこを目的とした映画ではなかったと思うので、スッキリはしませんが、深い映画でした。
誰が真実で、誰が偽りで、嘘か本当か信じるか信じないかは、自分の感情、思考次第で、誰が裁くのか、本当にそう思いました。
殺していないのに殺したことにされて無期懲役の人もこの世にはいると思います。
結局、なにが本当かなんてわからないですね。
福山さんの演技があまり好きではないのですが、最後まで見切りたいと思う映画でした。
人って難しい。
何が真実で、本当で、何が嘘なのか。
誰が裁いているんだろうか、何を裁いているんだろうか。
誰のために、何のために…。
延々と続く答えの出ない思いがぐるぐる回る。
最後まではっきりした答えはでずにすっきりしないが、人の思い考えはそれぞれであり、複雑に絡み合っているんだよな。
社会の大半は白黒つけられない曖昧で成り立っている。
広瀬すずは感情を表に出さぬ難しい役どころだったけど見事でした。
面会時に二人の顔が重なっていくシーン、とても新鮮で魅入ってしまうアングルで良かったな。
役所広司のどれが本当でどれが嘘なのか分からなかったけど、きっと伝えたいのはそこじゃないんだろう。
んー、考えさせられる。
難しい作品でした。
評価し辛い映画ですね。
事件の真相・真実を知りたくてこの映画を観ていた人にとっては、つまらないと感じるでしょう。
この映画の本質は何処なのか?
正解は無いかも知れませんが、私的には皆さんのレビューを元に別の視点で最初からこの映画を観ようと思いました。
事件関係無く、登場人物の人間性を特に。
ホント出てくる台詞は考えさせられるモノばかり。
生まれて来なければ良かった。
産んでくれてありがとう。
死んで当然。
死んで当然なんて人間なんていない。
誰を信じれば良いのか。etc...
観る側の人間性を問われているかの様。考えさせされる言葉が並びます。
選択の自由なく、人間と言う器に入れられた我々。
事を運ばせる為には人間性さえ無くさなければならない事もある。
そんな人間に寄り添わなければならない事もある。
人間に生まれなければ、こんなに考えなくていいのかな?とも思ったりするし、考える事が出来るから、こんな映画の「罪と罰」が存在するんだろうなとも。
私個人としても結論は出ませんでしたが、結論が出ないのが「正解」と思えてしまう訳で。
長々とすみません。
人間って何でしょうね。
そう思わせてくれる作品です。
評価が高いので見ました。
オンデマンド配信の有料で見ました。映画館に行く暇がなくてとても見たいと思ってたので配信すぐに見ました。皆さんが書かれてるように深く考えずにみて途中寝ては戻しての繰り返しでした。私は是枝監督の作品が特に好きな訳ではなく海街も他の作品も見ましたが淡々としすぎていて見た後に何も残らないのが印象的です。好きな方はごめんなさい。
三度目の殺人は本を読んでいなくて法廷映画
だと思っていました。是枝監督は日本の法曹界はこんなもんやでと言いたかったのかなと思いながら暗くあくまでも暗く描き続け
役所広司の演技力と広瀬すずの演技力のみが
映画をなんだかとても考えさせられる良い映画 と勘違いさせられ、最後まで見るものに考えてあなた方のお好きに解釈してください。的に終わりました。カナリア 十字架、意味があるのでしょう。元判事に送った葉書色々と小さなところで考えなくてはいけないのでしょうね。でも私には何も残らなくてオンデマンドでお金払ったから最後までみてしまおうくらいにしか思わなくて.いい映画か悪い映画かは見る人の好みの違いで仕方ないにしろ
この映画が日本の一番の映画(アカデミーをみて)なのが何故かとても残念でした。映画館で
正規の料金払って見なくてよかったと思い
関西人の私はなんかひとつくらいはっきりさせたらええんちゃうと思い(笑)そういう思いは残っても是枝監督から映画を通しての思いは何も感じず何も残らず。法曹界に対してのイメージだけがとても残念でした。
答えがないのか
事件の真実よりも勝ちにこだわる弁護士。
事件について、自分の証言をころころ変える容疑者。
弁護士は、死刑を軽減させようと色々なことを調べて戦い方を決めるが、容疑者の言い分が変わり苦戦する。しかし、決定的な真実が出たので、勝てると思ったが、また容疑者が言い分を変えた。その結果、容疑者に死刑が言い渡される内容だった。
全体的に暗い話でしたが、なぜか話の中に吸い込まれてしまいました。
取り調べのセットでのやり取りはとても緊迫している雰囲気が伝わってきました。
話を見ていてら、だれが本当のことを言っているのかわからなくなり、結局、事件の真実もわからなかったのが残念でした。このような話は、個人的にはちゃんと真実が知りたいです。
十字架とは
キリスト教でいう身代わりの象徴。
三隅は様々な罪や痛み、真実を背負い込み自ら死刑になるように証言を一変させた。そしてそれこそが真実かどうかも知っているのは三隅のみというかなりモヤモヤしたラストを迎える。
死刑決定後の重盛との面会で三隅が神々しく光輝く演出が秀逸。
そして三度目の殺人を犯した犯人は法廷であり、社会であり人間そのものであって、被害者が三隅本人。
裁いたのは決して神様ではないということこそが理不尽であるということを訴えたかったのかも。
色々考えさせられる良作でした。
もし違ってたら誰か教えて下さい。
これは、サスペンスではない
真実は、結局明かされないのだから。でも多分、弁護士が言うことに間違いはないのだろう。作品が言いたいのは、真実とは関係なく命を自由にできる機関があるということ、それに従わなければいけない社会があるということなのだろう。3度目は、ミスミへの殺人。
真実?三度目?
初めは真実なんてどうでもいいと話していた重盛も、
意図的に弁明を変える三隅に真実を求めるようになる。
ただしその真実は結局誰にも明らかにならないし、タイトルの三度目の意味は自らが死刑となることなのだろうか?
タイトルの意味
見終わった後、色々と考えてしまう映画でした。
特にタイトルの三度目の殺人の意味。見終わった後はスッキリしませんでしてが、そういう意味だったのかな、と自分なりに色々考えさせられました。
他の人のレビューにもありましたが、面会のシーンで顔が重なり合っていく場面が秀逸。
この映画の見始めの役所広司さんはダイワマンのイメージ強かったのですが、最後の方は役にどっぷり浸かり狂気を感じました。広瀬すずは相変わらず可愛かったです。
役所広司さんの演技が凄い!
最後まで自分が犯人だと言い張り、誰かを庇い続ける直向きな中年犯罪者を演じて、途中で証言をコロコロ変える奇行を繰り返す犯人!
しかしそれは明らかな理由があったとしたら…
非常に満足しました!
終始翻弄されて
面白かったというよりは見逃せない映画という感じ
終始犯人である彼に翻弄され振り回された映画である。
結局真実がどこにあるのか?そこを明らかにしないのは現代の司法制度やら裁判や人が人を裁く上での問題点への現れとも言えるのかもしれない。(意図的なんだよな?それとも理解力不足か?)
そんな訳で終始全ての真相は明らかにはならない。誰が本当のことを言っているのかも分からないし何が正しかったのかも分からん。
タイトルの意味も分からないまま終了。
監督が描きたかった上記の司法や裁判なついてのあれこれは特に終盤に如実に表れており、疑問に思う満島は観客の視点とも言えるキャラなのだろう(質問をして登場人物達に説明させているあたりとか)
役所広司の怪演は素晴らしいし、こういう重たい役にも挑んでくれている広瀬すずも好感がもてる
様々な父娘関係が示されたが有効にはたらいていたとは思えなかったがどうなのだろう?
とりあえず他にも見た人間と論議したい映画ではあったが、自身の読解力のなさ故なのか傑作とは言い難い映画でした。
あぁ、もっと深く知りたいものだ。
もう一度見たら理解が深まるか?
答えなんて知らん
誰が殺したのかなんで三度目なのか動機は
その正解が何なのかはどうでもよくて、ひとりひとりがそれを考えようとする、妄想できることが一番の喜び。ひとりひとり考え方が見方が違うから答え合わせをわいわいガヤガヤできる喜び。
私はそういう楽しみかた頭の使い方ができるのが映画だと思う。
別に事件が解決しなくても犯人に逃げられても、真犯人やものがたりの真実を突き止めるのは観てる人ではなく、登場人物なんだから。
私は、もしかしたら斉藤由貴が犯人?とか、わざと先入観もってもう一度観てみたい
役所渋い
広瀬すず演じる社長の娘を救うため、2度目の殺人を犯す役所。触ると意図を感じ取れる役所は、世の中の不公平を恨みながら生きている。嘘のない塀のなかと嘘だらけの法廷。最後に着いた、殺してないという嘘は、真実を述べることを決心したすずを救うため、自分を殺す事となった。
何を信じたいと願うかで事実は姿を変える
エンドロールが流れた瞬間……映画館の椅子に
ぐぅっと沈み込んだまま考え込んでしまったのを覚えている。
胸の奥に残る、灰色の靄(もや)のような感情。
役所広司演じる三隅は、恐らく殺人を犯したのだろうとは思う。
だが、その犯行からは「なぜ」がすっぽり抜け落ちている。
なぜ被害者は殺されなければならなかったのか?
一体何の為に、誰の為に、三隅は罪を犯したのか?
その犯行に至る動機には不明瞭な部分が残ったまま。
にもかかわらず、彼は死ぬ。
...
主人公・重盛が北海道へ向かう列車で見た、雪合戦の夢。
現実では見せないような笑顔で戯れる三人。
あの時すでに重盛は咲江に同情をしていて
(彼女が自分の娘を連想させるからか)、そして
三隅を単なる人殺しではないと考え始めていたのだと思う。
重盛は三隅を信じたがっていた。彼が咲江を救う為に
罪を犯した、言うなれば“善意の殺人者”だったと。
だが最後、三隅はその気持ちさえも煙に巻く。
接した人の願いを敏感に感じ取り、それに合わせて
如何様にも変容する『空っぽの器』のような男。
その根底に三隅自身の本心があったかは分からない。
と言うか、彼は最初から理解されることを
放棄していたようにさえ思える。
アクリル越しに重なった重盛と三隅の
掌と顔がすうっと離れていくカット。あの瞬間に
重盛は、三隅がいつしか自分の願いを投影した
『器』となっていることに気付いたんだろう。
思うに、重盛は三隅を『信じていた』
のではなく、『信じたがっていた』。
彼は自分の娘を連想させる咲江が救われる結末を望み、
そこへ辿り着くことを前提に三隅という人間を解釈した。
...
ここで視点を変える。咲江の足について。
彼女の足が悪いのは「生まれつき」と周囲の人々は言う。
だが本人だけは「屋根から飛び降りたのだ」と主張する。
咲江が嘘をついているか?よりも僕が気になったのは、
「足が生まれつき悪い」という情報の源はどこか?である。
十中八九、それは彼女の親だろう。そして観客は彼女の母親が、
娘を守ることより自己保身の為に体裁を取り繕い嘘を吐く、
信用のならない人物であることを知っている。
もし「生まれつき」が嘘であるとすると……咲江の主張は
両親に対する何らかの非難を含んでいたように感じる。
だがこれも、観客である僕が咲江の境遇を憐れみ、
『信じたがっている』からこその解釈だ。
...
つまるところ、
何を信じたいと願うかで物事は幾らでも変容する
(変容する三隅は変容する『事実』そのものなのだろう)。
この物語は、『何が事実か』ではなく『何が事実
だと信じたいか』についての物語だったのだと思う。
信じるという行為は小舟に帆柱を築くようなもの。
それは自分の進むべき道を決め、嵐の時にも
振り落とされぬようしがみつくための帆柱だ。
日々メディアが安易に・無闇に垂れ流している
“事実”だか“真相”だかの言葉が耳に心地好く響くのは、
それが全く折れる心配の無い堅固な柱に見えるからだ。
だが僕らが事実と考えていることの殆どは、
自分で実際に見聞きしたことよりも、どこかの
だれかかが残した記録や伝聞を『信じる』ことで
成り立っている事の方が圧倒的に多い。
ならば、どんな些細な物事であれ、それが
『事実である』と一体誰に分かると言うのか?
自分のことすら信じ難い時さえあるのに?
僕らは結局「これが事実だ」と語るその相手が
信頼できる人物(または媒体)かを判断し、
相手を『信じる』ことしかできない。
時にはそれが人の生死さえも決するというのに、
『事実』というものはなんと不確かなものか。
『信じる』ということはなんと難しいことか。
...
事実が見えないままに物語が完結してしまう
だけでなく、過去の法廷映画で見慣れた場面が
ほぼ登場しない点もユニークかつ現実的。
驚愕の新事実が突然飛び出したり――
弁護士と検察官が舌戦を繰り広げたり――
そんなドラマチックな展開が本作には殆ど無い。
裁判の進行は、弁護側と検察側が予め証拠や証言を
整理して筋立てをしておき、スケジュール通りに
判決が下せるようにシステマチックに行われる。
そのこと自体の良し悪しを判断するのは難しい。
年間数万件もの膨大な訴訟を処理する上でシステマチックに
処理せざるを得ない現状があるのだとは思う。
だが、ひとつひとつの案件が被害者・加害者の命だけでなく
それに係わる人々の人生を左右するほどの重みを持つ
にも関わらず、そんな幾つもの人生が巨大な歯車仕掛けで
『処理』されていくという違和感や不気味さは、
やはり感じずにはいられない。
三隅の本心は分からない、と先に書いたが……
『三度目の殺人』というタイトル。
二度の殺人を犯し、飼っていた小鳥達にも自ら手を下した
彼は、『他者に理不尽に命を選別されるくらいなら』と、
最後の最後に自分自身の命を裁いたのだろうか?
全ては藪の中。
<2017.09.16鑑賞>
TOHOシネマズ府中にて観賞
流石に密度の濃い演出で面白いんだが、「中身が空っぽ」というのはミステリー作品では禁じ手だなーと。
推理してアレコレ考えるのがバカバカしくなる。後続の作品は真似しないで欲しい。
福山雅治演ずる弁護士が最後まで部外者であり続けるにも拘わらず、役所・広瀬との雪合戦シーンがあるのは映画の広告面の見栄えの為だけじゃないのか?
裁く、ということ。
主人公の弁護士同様、役所広司演じる三隅という男に翻弄され、ぐいぐい飲み込まれる。
こうであってほしい、と願う人の気持を汲み取るような、欺くような。怖ろしくも魅力的な三隅。
本作で暴かれたのは日本の法制度や裁判の欺瞞や矛盾。
裁くことの難しさを十分に感じる。
法廷は真実を裁く場ではないからこそ、真実にこだわらなかったエリート弁護士。
彼に芽生える、三隅の良心を信じたいという思い。それはもう願いに近い。
真実は何なのか?は観客に委ねられている。
咲江の父を殺したのはいったい誰なのか。
一度目の殺人も、二度目の殺人も、三度目の殺人においても
三隅は 私刑、という形で彼の正義を貫き通したのではないか、という考えは私の願いでもある。
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