ノクターナル・アニマルズ : 映画評論・批評
2017年10月24日更新
2017年11月3日よりTOHOシネマズシャンテほかにてロードショー
鎧としてのドレスを脱ぎ去る時 監督フォードのしたたかな強さを思い知る
「セットではスーツを着て撮影にあたった。スーツが僕の制服だから。ニットを身につけると自分が弱々しく、脆くなった気がする」
二本目の監督作「ノクターナル・アニマルズ」を放ったトム・フォードのそんな発言を、ガーディアン紙のインタビューでみつけて大いに興味をかきたてられた。同じ記事で「スーツは僕の鎧」とも語っているフォードは、その監督デビュー作「シングルマン」の主人公をまさに鎧のように身を守る優雅なスーツ姿で登場させていた。新たな快作でも彼は、一部の隙もないドレスとメイクでヒロイン、スーザンの初登場場面を印象づける。
LAの現代アート界でしのぎをけずるギャラリー・オーナー、スーザンの居場所は、モード界の先端をゆくデザイナー、フォードのそれとも無縁ではないだろう。そこで闘いぬくために内面の葛藤を封印する鎧/服装術を必要とするような存在。その戦闘モードがふっとほころびを見せる時を2本の映画で監督フォードが素材にしているのはやはり見逃せない。完璧で強い戦士としての自分に絶大な自信をもち、そのイメージを迷いなく世界に発信するクリエイターが、内にある弱さや脆さや傷つき易さと対峙するために映画というもうひとつの創造の場を耕しているようにも思えるからだ。
20年前に別れた夫が送ってきた小説を読むスーザンが、小説内で展開される陰惨な事件の向こうに裏切った自分への前夫の復讐の思いを重ね、若き日を回想しつつ壊れた関係の再生に淡い期待を抱く――。そんなプロットを現実と小説、現在と過去とを交錯させる多重構造の中で緻密に制御する監督フォードは、読書するヒロインをメイクなしの素顔とセーター姿で差し出してみせる。鎧を脱いだ、脆く弱々しい状態のひとり。現実の自分には許容し難いそんな状態もここでなら解き放てるというように、封印してきた罪悪感や後悔や取り戻し難い夢と向き合うスーザンをフォードの映画は残酷に、真摯に、みごとに率直にみつめ切る。ヒロインの内なる自分との対話の時は精密な色彩設計を味方につけ、やがて繊細な心理メロドラマとしてスリリングに紡ぎ直される。そうしてそこに現出される映画の完璧なルック。監督フォードのしたたかな強さを思い知る。
(川口敦子)