マンチェスター・バイ・ザ・シーのレビュー・感想・評価
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想い出にかわるまで。
主人公役がマットでなくケイシーに代わって良かったと思った。
知的で頑丈なマットではこの味わいは出せなかっただろうから。
彼が過去に負った傷とは何なのか、それが判明する中盤以降は
正視できないほどの悲しみが襲う。もし私だったらと彼と妻の
双方に例えてしまった。こんな悲劇を背負った人はその後どう
やって生きていくのかとニュースを見て思ったこともあったが、
後半で偶然再会した元妻との会話では更に胸を締め付けられる。
歩み出した妻と歩み出せない夫。セーターで大事に包んだ三つ
の額縁を甥がジッと見つめるシーンにその悲しみが集約される。
喪失感は人それぞれだ。気丈に振舞う人もいれば悲しみを露わ
にする人もいる。自分を責め続ける人もすぐ前へ進む人もいる。
「もしお前が泊まりに来た時のためにソファーベッドを買う」
と甥に告げた主人公の言葉に涙が溢れた。ひとつ乗り越えたな。
うまくいかない。それでいい。
終始、曇天の映像。
登場人物は皆、
ポケットに手を突っ込んで
背中を丸めている。
観ていて決して
晴ればれする絵面でない。
なのに、観終わった後の
染み入るような不思議な余韻は
なんなのだろう。
想像を絶する過去を
愛と友情で乗り越えての
大エンディング!
...なんてのは人生では
残念ながらほとんどない。
この映画もそう。
主人公のリーも
忌まわしい過去に勝てずに
マンチェスターを去ってしまう。
でも、これこそが真実であり
人生なのだと感じた。
ラストシーン。
緩やかな坂道を登りながら
リーとパトリックが
拾ったボールでじゃれ合う。
そして穏やかな水面にボートを出し
二人で釣竿を構える。
二人が「同じ方」を向いて
映画は終わる。
素晴らしいラストシーンだった。
東海岸の小津映画
ある重い事件が原因で人生を捨ててしまった男と父親を喪った甥の少年の物語。タイトルは舞台となる寒々しい港町の名。ケイシー・アフレックの人好きのしない顔が人生を捨ててしまった男にふさわしく、甥の少年も現代っ子らしく悲しみを前面に出さずドライなところがとてもリアルだ。もちろん少年も深いところで傷ついている。
キャメラはほとんど動かす淡々と俳優を捉える。場面転換もポンと港の風景を入れたりする空シーンで小津映画を思い出す。但し本作は時制が過去、現在を往き来し、その転換もカットのみで行なわれるのと、フルショットが多いので付いていけない人がいるかも知れない。映画に慣れているひと向けの映画だ。
映画はほんの少し希望が見えたかのようにして終わる。その際男と少年はほとんど顔を合わせないでキャッチボールをしながら歩いて行くが、ギクシャクしながらも父の代わり、息子の代わりとなっていくのだろうと思わせる。父子はキャッチボールをするものだから。
心が痛い。アメリカの地方都市のお話
2017年の第89回アカデミー賞では作品賞ほか6部門にノミネート。ケイシー・アフレックが、『ラ・ラ・ランド』のライアン・ゴスリングを抑えて主演男優賞を受賞。ロナーガン監督が、これも『ラ・ラ・ランド』のデミアン・チャゼル監督を抑えて、脚本賞を受賞。ただ、監督賞は、『ラ・ラ・ランド』のデミアン・チャゼル監督が受賞していて、痛み分けと言う感もある。
アメリカの、地方都市に生きる人々の姿を描いたと言って、良いんでしょうかね。リーは、マンチェスター・バイ・ザ・シーに来る前は、ボストンに住んでいたので、“地方都市”とは言い難いかもしれませんが、マンチェスター・バイ・ザ・シーは間違いなく地方都市です。
加えて言うと、抒情的とも感じます。非常に抑えたトーンで描かれているのは、リーの心情ともシンクロしているんでしょうか。リーは、このマンチェスター・バイ・ザ・シーで“想像を絶する”体験をしていて、心が凍ってしまったという感じですからね。結局、その心の凍結は最後まで解けなかった様ですが・・・。
そういう、抒情的で、非常に抑えたトーンの作品であることが、上映館が少ない事に影響しているのでしょうか?アカデミー主演男優賞と、脚本賞を受賞している作品なのに、上映している映画館が思ったよりも少ない印象です。人の心の痛みを描いた作品で、悪くは無いんですが、結末も必ずしもハッピーエンディングとは言えないので、こうなるのも仕方ないのかな。
主演ケイシー・アフレックの兄、ベン・アフレックの盟友であるマット・デイモンが、プロデューサーの一人に名を連ねている。当初の予定では、プロデュース・監督・主演をマット・デイモンが務める予定だったが、デイモンのスケジュールの都合で、監督はケネス・ロナーガンに、主演はケイシー・アフレックに引き継がれた。
ずっしりと胸に響く。
淡々としていて、最初ははっきり言って眠くなる所も多々ありましたが、とても切なくて心に刺さる作品でした。
リーが悲しい過去と向き合い、少しずつ変わろうとする姿や甥とのあたたかな関係性に感動しました。
結局リーはマンチェスター・バイ・ザ・シーに戻ることはありませんでしたが…最後、「お前が来るかもしれないからソファーを買おう」みたいな台詞があって、リーが過去を乗り越えて前に進む姿に目が潤んでしまいました。
もう1回観たいです。
乗り越えなくても良い
壊れかけた二つの魂の触れ合いから紡がれていく、日常に寄り添う哀しみと生きていかねばならぬ話。と、書くと面倒臭い感じだけれど、ホントに面倒臭い(笑)
それを、流れと画面と音楽で淡々と、ただただ淡々と見せていく。
昔のダスティンホフマンとかの映画が好きであれば、あぁぁ♪となれる気がしたりもします。ラストも含めて久々のジンワリヒットでございました。
寛容の在りかとその発露
前回、上映開始の直前に体調を崩し、無理に着席するも、敢えなく自沈。出直しての鑑賞。
海辺のマンチェスターという名の小さな港町が美しく切り取られたショットの数々。これだけが印象に残っていたが、これだけでもこの映画を観る値打ちはある。
そのことが象徴するように、この映画は海辺の風景と父親が遺した小さな船が人びとを強く繋ぐ役割を果たす。
この船に付けられた名が、主人公の母から取られたものであることが、兄が埋葬される墓碑に刻まれた名によって観客に示されている。亡き母が、遺された弱き息子と親を亡くすにはまだ若すぎる孫との、唯一の肉親関係を繋ぎ留めるのだ。
人は何によって救われるのか。
この大きな問いへの小さな、しかし、具体的で強い答えが映画には描かれている。
父親を失った後、主人公の甥は別れた母親に会いに行く。彼女は現在の夫と暮らしているのだが、甥はその夫のことを「キリスト教徒だった」と評する。
これは痛烈な宗教批判ではなかろうか。
この少年は、弱きを助け隣人を愛することを説かれているはずの敬虔なキリスト者には受け入れられなかった。むしろ、辛い過去と偏屈な自我のために人を遠ざけている叔父に救われるのだ。
いったい人の寛容性とはどこにあって、どのように発露されるものなのか。
映画はこの問題提起に止まらず、具体的な回答を示すことにより、感動のフィナーレを迎える。
ベビーカーを押す元妻との再開のシークエンスの、なんと緊張感に満ち、そして暖かみに溢れていることか。
彼女の後悔の言葉に続く「愛してる」の一言。それをどう受け止めたら良いのか判らずに、逃げるようにその場を立ち去る主人公。二人とも不器用であるが、相手をすでに赦していることが、正直にその言葉や態度に表れている。
この寛容性の発露が声高ではなく、真摯で暖かい。
固定カメラのショットが多用されていることから、小津安二郎の味わいをどこかで感じていた。そこへこの感動の再会場面である。これはこの作品に小津の緊張感と感動に類するものをもたらした。
ほろ苦い
思ったよりも重く、思ったよりもユーモアもある映画でした。
まったく情報を入れずに観に行ったので、すべての展開に驚き泣き笑い、くちびるを噛みしめながら見守り続けましたよ😣
主軸となる出来事に対し、数々の思い出がフラッシュバックする構成が若干の複雑さを醸し出してますが、主人公のリー・チャンドラー(C・アフレック)の言動に隠された過去が徐々に垣間見えるつくりに自然と引き込まれていきます。
まだ作品の温度感がわからないうち、笑っていいものかわかりにくいシーンがあったりして、奇妙な感覚に襲われ、遠慮しながら笑いをこらえることが多々。
リーの兄ジョーへの急な宣告にも、チャンドラー家の男たちはジョークを交えて会話します…が、肝心の夫までもがいつもの調子なのでジョーの奥さんは混乱&激怒。
観客のほとんども(それジョークなの?本気なの?なんなの?)って思ったことでしょう。日本人にはとくに笑いにくい雰囲気ですよ~。
それに対して甥のパトリックの奔放さは、わかりやすく笑いの許される描写ばかりで、みんな安心して声を出してました😄
パトリックの性格はジョー譲りかと思いますが、彼もまた弱いだけの子どもではなく、しかし社会的に自立した大人でもない、微妙なお年頃。
リーとパトリックの関係はムズムズしてしまい、(リーはなぜこんなにも頑ななのか)という疑問を観客は抱きます。
パトリックは知ってか知らずか、その核心に触れようとはしませんでした。おそらく知らないのでしょうが…。
「なぜボストンにこだわるのか」だけでなく「なぜマンチェスターではダメなのか」も問うべきであるし、それが自然だと思い込んで違和感を覚えてしまいました。これは払拭できなかったじぶんが悪いです💦
よくあるところでは「甥と心を通わせることで過去を克服し、新たな一歩を踏み出していく」となりそうなところ、ほろ苦い結末が待っている。そこが実にリアルです。
ただラストのラスト、溶け残りの砂糖のかたまりをひとなめしたような、ほのかな甘みも感じることのできるステキな終わり方です。
終盤から涙が止まりませんでした…。エンドロールの余韻もすばらしく、こころが温かくなって劇場を後にしました💖
悲劇と悩み
場面が前後するためわかりにくいですが、大変な悲劇や早すぎる別れで胸が押しつぶされます
そこから皆さんが意見を出し合いながら新しい生活に踏み出してゆく。この先も皆さん大変そうながらも最良の結末だったように感じました
人生
ラストは、これがリアルな結果なのだろうと思った。正直、あの地で甥を育てながら、自己再生をしてほしいと期待したけれど。その可能性も感じさせる所で終わって正解なのだろうと納得。
難破船…
人生という広大な海で難破してしまった男の哀しい物語。
名作だが退屈です。
ただ、他にはないテーマがある。
主人公が生きる意味を失ったかのような
生活を送る一方、
2人の女の子と学園生活を満喫する甥、
悲劇を乗り越えて子を作る元妻。
それらの姿が、主人公の不器用さを
より際立たせる。
この難破船が、一体どこに辿り着くのか…。
人生、乗り越えられないこともあるのだ。
そう訴えてくる。
2時間以上(物語上は半年)かけて
変わったのは自分の家にリビングセットを用意することだけ。
でもこのわずかな差が、
彼の人生には必要なのだろう。
このあとエンジンが壊れてしまった男は、
手漕ぎのオールでどこまで進めるか…。
マンチェスターの寂しく、
しかし生活臭のする街も心を打った。
印象的なシーンは、
半地下の自室の窓のカット。
坂道で出会う元妻と赤子の不安定さ。
2時間を超える物語、睡魔との闘いながら無事ゴールまで持つかとぐらつ...
2時間を超える物語、睡魔との闘いながら無事ゴールまで持つかとぐらつくような思いで観始めたら時間を追うごとにこの世界に引き込まれた。背負った罪に苦しむが故に他人に対し暴力的あるいは無関心になりいつどうなっても構わない立ち振舞いに泣きが入る。音楽の使い方に疑問が残るがそれおも上回る台詞や行動演出にやられた、辛すぎるの一言に決壊しました。
本当に絶望してる人は、雪かきしない。
雪かきは、すぐ無駄なってしまうけれど、
それをしなければ、道が出来なくて、
歩き出すことができない。
雪かきをするって事は、本能は生きようとしている事
なんだ。
ちゃんとした家具に囲まれていなければ、まともな生活が、できない。人が訪ねて来られるため、くつろげるぐらいのソファーがないといけない。
寒い冬の日は、厚手のコート着て、ちゃんと指先まである手袋をはめよう。それをやらないで、不満を言うのはやめよう。
本当の自分の、凍ってしまっていて、感じることのできない心の部分を、怖いけど、ハッキリ自覚する。
その事ことでしか、弾むボールの様な心は取り戻せないんだよな。
年に一回くらい、つい寝てしまうのが決まってヒューマンもの。あの取り...
年に一回くらい、つい寝てしまうのが決まってヒューマンもの。あの取り残された感で映画に入り込めない感が悲しい。これもそんな映画だった。
しみる作品。
ケネス・ロナーガン脚本監督によるオリジナル作品である。
丹念に作られている映画で、それだけで好感がもてる。
ボストンで便利屋として働いているリー(ケイシー・アフレック)のところへ兄ジョー(カイル・チャンドラー)の訃報が届く。ジョーが住むリーにとっては故郷になるマンチェスターは、同時に非常につらい場所でもある。
ジョーの息子パトリック(ルーカス・ヘッジス)は、父の死にショックを受けながらも、自分の生活をしっかりとしていける人物に描かれている。
だから余計にリーに焦点が当たる。
「ギャング・オブ・ニューヨーク」の脚本を手がけたという印象が強かったので、もっと大味かと思っていたが、過去2作の監督作品が日本未公開になっているところをみると、本作のようなヒューマンドラマが本領なのかもしれない。
ケイシー・アフレックは確かに良かった。
そして、マシュー・ブロデリック!懐かしすぎる。
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