打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?のレビュー・感想・評価
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ひたすら酷い
(上映当時に1度映画館で全編鑑賞し、
金曜ロードショーでの放送を全部見た、計2回の鑑賞後の感想です)
結論としては、
他の方々が言っているように、これ入れときゃ盛り上がるんじゃね?って言うのをひたすらに詰めて面白くしようとしたところ大きくシラケた作品です。
下ネタとエロ、終始画面をやや明るめにすることによって、“それっぽさ”を演出し、めんどくさい所はCGで誤魔化す
声に関してはまさにこの人達を使えば話題性があるんじゃね?って言うレベルのチョイス、
あらためて考えて欲しいのだが、この映画のキャラクター達は「中学生」だ。
菅田将暉と宮野真守、
人気俳優と人気声優の2人で、演技は申し分ないが、2人ともゴリゴリの大人声だ。
こんな野太い声の中学生がいるか?
ジブリ作品と細田守監督の作品を見てきた自分としては、終始気持ち悪くて仕方がなかった。
映画全編に渡って、“それっぽさ”となんとも言えない気持ち悪いエモさがあったせいもあってか、
「うん!いい作品でした!すごく感動しました!」
「難しい…頭がもう少し良かったら理解できたかも…
(理解出来てないのに☆3+を付ける」
というあたかも催眠されたかのようなレビューがある事に対しては笑う他ない。
これを見て“良い作品だった”て言うのは、思春期真っ只中の中学生か周りの流れに便乗することしかできないやつぐらいじゃないか…?と思うほどの作品でした。
個人的には映画館で上演後に中学生のグループがなずなエロいなヤりたいなって言ってるのがめちゃくちゃ気持ち悪かった。
金ローも良くこんな“なずな見たらうんこしたくなってきた”というパワーワード、“水商売”とか“ビッチ”とかを言う作品を流せるなぁって感じです。お陰様でお茶の間が凍りつきました。
何度見ても酷い作品です
暴力が過ぎる。
今日、金曜ロードショーで初めて見たが、最初から暴力が過ぎる。一番酷いと思ったのは、なずなが母親に暴力を振るうシーン。こんなの虐待行為だ!なずなが痛い!離して!と言っているのに強制的に腕を持ち家に帰宅される所が本当にウザい。マジなずなの母親死ねや。なずなが可哀想。こんな暴力的なドラマをもう再放送するな!だんだんと良くなっていくが、暴力的な行為が多いところでもう見る気失せた。だけど初めて見るからまだ見ている。もう見たくない。
ハズレ
原作が何故名作と呼ばれるのかを全く分かっていない人が
名作をいじって掻き回してぐちゃぐちゃにした作品。
ストーリーに迷った監督が全部押し込んだだけ。
アニメでなければ演出できない要素をふんだんに盛り込んで
これでどうだと言わんばかりだ。
レビューが低すぎる
巷では必要以上に酷評されているけれど、いい映画だったと思います。
花火などの映像は美しく、特にラストのもしもの世界が崩れていく場面は非常に良かったです。歪んだ花火など、アニメならではの演出で印象に残りました。
広瀬すずと菅田将暉も自然に聞ける位には声の演技はできています。
そしてこの映画のミソとなるのは、「やるせなさ」だと思います。
中学生という、子供とは言い切りたくないが確実に大人ではない年齢の二人。再婚相手が気に入らなくても、転校したくなくても、なずなはそれを受け入れることしかできないし、典道もそれを見ていることしかできません。
また、何度繰り返しても二人には必ず終わりがやってきます。典道の強い「もしも」の願いによって時間を戻せても、結局捕まってしまう上に不自然な世界へと辿り着いてしまいます。打ち上げ花火をどこから見ても形が同じように、なずなとの別れは必然なのです。
そして、最後には二人は「もしも」の世界ではなく、現実に戻っていきます。あたりには沢山の「もしも」が浮かんでいました。それらは全てあったかもしれない世界で、でも自分たちが選ぶことはなかった世界です。既に選んでしまったものは変えようがない。でも、それを知ることができればこれからは後悔しないように選択肢を選んでいけるようになる。ラストの典道がいない教室は、そういったことを表しているのではないでしょうか。彼がなずなを追いかけたのか、サボっているだけなのかはわかりませんが。
拙い文になってしまいましたが、この映画のレビューとしてはこのような感じです。
最後になりましたが、主題歌の打上花火はとても素晴らしいです。ぜひ映画を見たあとに、良い環境で聴いてみてください。
・・・ひとつだけ言うとすれば、途中の瑠璃色の地球は間違いなくいらないシーンでした…
有名人に高いお金を払っても、本職の声優にはかなわない。
1年前に「君の名は。」という作品が世の中に出たおかげで、アニメにさほど興味がなかった人たちも含めて目が肥えてしまった今、大同小異のストーリー、どこかで見たような絵、しかし哀しいかなクオリティーが数段階落ちるアニメと来た日にゃ、ほかにいったい何を褒めれば良いのでしょうか。
広瀬すずみたいな有名人を主役の声に設定するという手はアリだと思いますよ。
ただ、その場合、周りをベテランの声優に囲ませて、広瀬さんにも勉強になる映画にしなくちゃ。
有名人たちのネームバリューに期待したのかも知れませんが、本作は、「素人のど自慢」の水準です。
モテキの大根さんとか、岩井俊二さんとか、船頭が多すぎて、銀河鉄道ならぬ銚子電鉄が海を走ってしまうお話でしたとさ、と総括しておきましょう。
いやはや、期待がペチャンコですよ。
子供心を回帰させる作品
「もし」あの時ああだったら。
みなさんも何度も思ったであろうタイムスリープのお話。
子供の頃恥ずかしくて言い出せなかったり親や周りを気にしすぎて行動できなかった。そんな思い出を回帰させてくれます。
人間1人1人に願望があり後悔もあります。
ヒロインには辛い現実から今だけでも逃げたいという気持ちがあり主人公は何度も繰り返しながらそれに応えてあげる。
こんなロマンチックな世界があったらなとつくづく思います(笑)
映像も素晴らしい。歌も素晴らしい。背景が分からない方は調べてみると面白いかもしれません。
君の名は。が良かったので
アニメいいじゃん!と思って他のアニメも見てみようと選んだ作品
映像綺麗、音楽もいい
ストーリーがヤマ無しオチ無し意味は…なくは無いかという程度
オチがしっかり有ればもっと評価されたんじゃないか
夏のかほりがする。
・なずなのたまに出るわるーい顔
・急なギャグに照れちゃう
・原作を見返すと子役たちの演技の素晴らしさに気づく
(ギャグ描写がスーパーナチュラル)
・なずなに魔性を感じる。自分を守るように誘導するような。
・その、なにを考えてるかわからないミステリー加減に男子はそそられるのです(誰)
・原作は、その底知れないミステリーさにそそられる加減の描写が非常に巧み。
・しかし、アニメではオリジナルのシーンで松田聖子を妄想ファンタジーの世界で歌う場面がある
・そこで、なずなという人物像が明確になりすぎて、嘘みたいにミステリーな妖艶さがサーーーッと晴れてしまって、萎えちゃった
・そのあたりが、なずなというキャラクターの魅力をちょっと減点させちゃっているのがもったいないな...と思った
(瑠璃色の地球って選曲は、時代背景ともマッチしてるしゲキ渋でナイスなのですが)
・そういうなずなの妄想ドリームの世界に翻弄され、ついには道ずれに引きずり込まれた主人公男子なのではないかと思いました
・原作と比べられちゃう呪いのような宿命があるなか、風景描写は原作以上に、夏の匂いが薫ってくるような香ばしさがあって、そこは素晴らしかった
タイトル通り「どの角度から見るか?」な作品。(長文考察です。)
感想というよりほぼ考察になります。
観賞後にネットの考察記事などで補完しようとしたところ、僕と同じ意見のレビューを見つけられなかった為残します。
まず結論として「典道は生存、なずなは死亡」していると思います。
これはあくまで個人的な考察です。
以下長文になりますが、これらはあくまでアニメ劇場版のみから読み取った情報を整理しただけなので原作やメディアミックスで語られる事実は無視します。
本編を二度観ただけなので見落としなどあればご容赦ください。
●もしも玉
まず時系列上もしも玉が最初に現れたのは『なずなの父親の手の中』です。
事故死なのか自殺なのか不明ですが、なずなの父親は一年前に死亡しその死体は海辺に打ち上げられます。この時死体が握っているのがもしも玉です。
恐らくなずな父は死の直前に「もしも」という願望を抱いたんでしょう。
そう願ったものに託されるアイテムなのか、はたまたそう願った父が生み出したアイテムなのかは不明です。
そしてもしも玉は時を経てなずなの手に渡ります。
彼女もまた「もしも」を願う人間だからです。
やがて玉は「もしもあの時水泳で勝っていれば」と願った典道の手に渡ります。
「もしも玉」は現実逃避を助けるアイテムとして望むものの手に渡るのです。
もしも玉には発動条件があります。
回転させることで物理的にエネルギーが生まれ発動していることがわかります。つけ加えると「もしも」と願う精神的エネルギーも必要なのかもしれません。
こうした条件が揃って初めて"典道"がもしも玉を発動させるに至ります。
一度目は偶然に、二度目は必然的に発動します。
劇中でもしも玉は発動したことが"ハッキリ"と描かれます。
十分な飛距離から生まれるエネルギー、発動したことが分かる輝き、静止する世界、そして巻き戻し、別世界線へ。
しかしもしも玉は三度典道の手から放たれます。さて三度目はどうだったでしょうか。
●物語の構造
典道が水泳で負けた最初の世界を①
2人で列車に乗れなかった世界を②
裕介に灯台から突き落とされた世界を③
2人で海に潜りキスした世界を④
とします。
ここで重要なのは③→④の時。観客は既にもしも玉というスーパーアイテムによって
「どんな悲劇が起きても回避できるだろう」「どんな不可思議が起きてもおかしくないだろう」と納得する姿勢になっている、ということです。
これがこの作品の巧みな点であり、多くの誤解を招いている点でもあるかと思います。
ここが実は受け取り方の分岐点になっていて「ひとつの事象をどの角度から見るか」に繋がります。
つまりこの③→④→ラストシーンの受け取り方で「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」というタイトルを現しているのです。これについてはまた後述します。
しかしながらこの作品、結局のところどう捉えるかは観るものに委ねられていてどの角度から観ても正解であるとも思えます。
純粋な目で物語を観た人の多くはラストシーンにおいてこう捉えるでしょう。
「花火大会の日に気持ちを確かめ合ったなずな と典道。そして新学期、なずなは転校して遠くへ行った。なずなに告白するつもりだった裕介は不服そうに頬杖をつく。そして典道は学校をサボりなずなのことをどこかで想っているのだった。広い空の下、もしもいつかまた会えるなら。」
一方で僕はこう捉えました。
「花火大会の日、灯台からの落下事故によって死亡したなずな、死の淵から戻った典道。そして新学期、裕介が犯人であることを典道以外は知らず落下は事故として処理された。典道を心配した友人2人は典道を登校させることができず遅刻するのだった。そして典道は事故現場の灯台に訪れなずなを弔う。ナズナの花が風に揺れていた。」
では僕がなぜこの様な見方に至ったか。
●三度目のもしも玉は発動しなかった。
そもそも④の世界などないのです。
以下前述した説明を踏まえて答え合わせします。
③→④の時、灯台から落下する典道が投げたもしも玉は発動条件を満たせずに着水し沈んでいきます。
あれ程ハッキリお約束として二度描かれた発動シーンがないのです。
そしてブラックアウトして突然次のシーンでは列車に戻ります。
ここから描かれるのが
❹水中で溺れたなずなと典道が臨死状態で一緒に見ている夢の世界
です。走馬灯の様なものでありつつ2人で共有している夢の様なものかと思います。
では何故多くの観客がこれに気付けなかったのかと言うと「もしも玉で悲劇を回避できた」と思っているからです。「もしも玉は現実逃避を助ける為に望むものの手に渡る」のです。
典道が発動させられなかったもしも玉を観客自身が発動させることで、④の世界に行けたと誤認させられているのです。
さて列車で目覚めた時点で肝心なもしも玉はどこか。
これまで別世界線へジャンプした際、もしも玉は「戻った時点の」「あるべき場所」にありました。
④への移動が成功しているとすれば「列車に乗っている」「典道」が持っているはずです。
しかしもしも玉は❹では終盤海辺に現れ、通りかかった花火師の手に渡ります。
海から現れた玉は、③で「玉が水没した世界の続き」つまり「2人が落下した世界の延長線上」であることが示唆されているのです。
そしてこれはもう一つ物語っています。
●死の間際で見る願望
劇中で海辺に打ち上げられていたものがもう一つあります。「なずなの父の死体」です。
つまりこの「海辺のもしも玉」は、観客が何となく見た「死のイメージ」を掘り起こさせるのです。
一見すると「青春恋愛もの」という「願望の象徴」である今作ですが、「死」という「現実の象徴」はしっかりとこの作品に備わっていたのです。
これこそ前述した「打ち上げ花火(娯楽の象徴)」をどの角度から見るかということなのだと思います。
願望に従いもしも玉を自身で発動させた観客、現実的に色眼鏡で見た僕の様な観客、どちらもいて良い作品なのです。
話が前後しましたがここからは❹が並行現実世界ではなく夢想世界であることについて綴ります。
この物語において「水」と「鏡面」は死と願望を表すメタファーとなっています。
実際にも死のイメージとして「三途の川を渡る」「彼岸へ渡る」など言います。
また鏡はあの世と繋がっているとも言われますし、そこに写る自分を美化して見せる効果もあります。これらは死と願望の例えになります。
そして物語において直接的に紐づけられるモノと言えば、水の持つ「死」のイメージについてはなずなの父です。
そして鏡面の持つ「願望」のイメージを表すのは、③で列車の窓に写ったなずなが歌い踊るシーンです。
❹はこの両方から成っています。
❹は波紋で覆われたドームの内側になっています。
これは水の波紋であり、2人がまだ水中にいることを教えてくれます。
また途中海の上を走る列車もまるで「向こう側の世界」に向かって進んでいる様です。
ここはつまり、水という「死」の間際で、水面という「鏡面」が写し出す願望、その内側で見る夢なのです。
「じゃあこれは典道君が作った世界なんだね」
「そうなんだけど、俺がもしもって望んだ通りになったけど、なんかおかしいんだよな」
と、これまでの世界と違う事を語っています。
●水中(死と夢想)から水上(生と現実)へ
海の中で見る夢は、夢の中で海へと辿り着くことで終わりへ近づきます。
なずなは恐らく列車の窓から見た母親が泣く姿を見た時点で、現実と向き合わなくてはいけないと感じ始めています。
一方で典道は懲りずに「元の世界でなずなとずっと一緒にいられたら」と、もしも玉があったら叶えたい願望を語ります。
しかし玉は手元にはなく、「海で泳ごう」と言うなずなに遮られます。
なずなはこれが覚めなければいけない夢である事を悟っていたのかもしれません。
そしてもしも玉が花火師によって打ち上げられ、発動し、砕け、その破片は見たものの願望を写し出します。ですがこれらも全て典道の願望によって描かれたものだと思います。
「好きな人に対して正直になれる友達」や「都合よく流れ着いたもしも玉」と「それを発動させる人物」、すべて典道の願望を叶える為に補完された「材料」なんだと思います。
玉は本来の力を発揮せずとも、破片は典道の望んだ未来をビジョンとして写して見せます。
そこに写るのはなずなとのキスです。
そしてそれを見た典道はやっと気付きます。
願望は今この瞬間に行動ひとつで叶えられると。
これこそが今作のメッセージです。
2人は海の中へと深く潜りキスします。
(一連のシーンはやたらと非現実的に感じますが、やはり夢想世界だからでしょう。)
そしてなずなは典道と気持ちを確かめ合うと満足気に、しかし悲しく名残惜しそうに彼の元を離れ浮上していきます。
「次会えるのどんな世界かな、楽しみだね」
転校するなずなの言葉というよりかは
来世について語る言葉としての方が受け取りやすいです。
そして水中で作られた❹夢の世界は、③現実世界の水面に到達することで完結します。
水面に雫が滴るシーンで締めくくられますが、これは典道が気付いた瞬間でしょう。
「なずなは先に夢から覚めていた」という生存の可能性もあるのかもしれません。
ですが、やはり水中からなずなが1人で浮上するシーンは、僕にとってはあまりにも決定的な別れのシーンでした。そして後述に「死亡した」と感じる決め手となったくだりが存在します。
●ラストシーンの意味と解釈
ここで改めて僕の解釈を。
「花火大会の日、灯台からの落下事故によって死亡したなずな、死の淵から戻った典道。そして新学期、裕介が犯人であることを典道以外は知らず落下は事故として処理された。典道を心配した友人2人は典道を登校させることができず遅刻するのだった。そして典道は事故現場の灯台に訪れなずなを弔う。ナズナの花が風に揺れていた。」
ラストシーンに典道の姿はありません。
しかし恐らくは事故現場となった灯台を訪れ、自分の過ちを後悔しています。
その心の声こそが冒頭のナレーションです。実はこのモノローグがエピローグでした。
この映画の冒頭はこうでした。
水着姿で水中深く沈んでいくなずな、そしてその手を掴み損ねて溺れる典道。
そして繰り返される典道の「もしも」というセリフ。
「もしもあの時俺が…(手を掴めていたら)」「もしもあの時なずなが…(意識さえあれば)」「もしも…(最初から玉なんて使っていなければ)」という事です。
そして存在しないはずの「私も泳ごうかな」と、なずなが微笑む記憶。生きていて欲しかった願望です。この男、この後に及んで願望です。
この冒頭の語り「やっと両思いになった女の子が遠くへ転校してしまった」という事であれば大袈裟で意味深すぎます。
ひとつ引っかかるとすれば実際落下した時は私服でしたが冒頭のシーンでは水着です。
深く捉えなければこれは印象を薄める為のミスリードです。
斜めから捉えると「もしもあの時(水着で泳ぎやすければ)」と典道が語っているブラックユーモアのビジョン。
深く捉えると「なずなはもっと前に溺れて死んでいた」「典道は登校日8/1に戻ってきていた」「玉を手に入れる前だからその記憶が薄れて起床時に虚ろな顔をしていた」「なずなの命を救えたのに願望の積み重ねで結局死なせてしまう」など大きくループしてる可能性も残します。
しかしここまでくると深読みですね。
長くなりましたがまとめますと
この物語が教えてくれるのは「願わずに動け!」という事です。
もしも玉が作り出した世界は正しかったか?そうでも無いと思います。
そもそも典道は自己肯定と責任転嫁で「もしも玉」への願いが全部ずれてました。
思春期の少年が幼さ故に見過ごした事のやり直し、歪んでいった世界です。
人はみんな願望を持ちながらも現実と向き合い行動して向上していきます。
「好きな子を取られた」けど「二学期に告る」と決めた裕介の様に。
僕は打ち上げ花火、こう見ました。
乙女心は真実をはぐらかす。ノスタルジック的映画。
夏休み、母親の再婚で転校を余儀なくされたなずなが花火大会に同級生を誘う。
しかし、なずなは花火大会の他にもう一つ事情を抱え母親に連れ戻されてしまう。
もう1人の主人公:典道が「もしも、花火大会の1日がこうであるならば」と違う未来を考えた時、不思議な球によりその想像した世界を体験する話。
TVドラマ奥菜恵主演版は観た事ありますが、あまり良く覚えていない😅w
たしか、恋話よりかは行動重視のifじゃない様な。
キャストも中学生以下の設定だった様な。
作画はシャフトですか。「化物語」を観た事ありましたんでピンと来ました。
映像としては綺麗なのですが、動作があまりない背景や建物、自然が固定されている様な作画であり、より細かくリアル感があった「君の名は。」に比べると少し物足りなさはある。
あと、夏休み(8月1日)って普通に学校出るの?全員?
なずなの様なこの年頃の少女は同い年の男子よりは考えが大人であり、ミステリアスな憧れや大人への興味がある所など上手く表現されている。
逆に典道の様な男子は気持ちがまだ幼い。好きな女の子の事を友達にはぐらかす様な思春期。同級生の異性を自分より大人に感じ取る。
16歳を言う微妙な思春期を感じ取る映画だと思った。
映画対象はどこだろう。
同じ16歳?
なずなの後半「次会えるのいつかな?」と言う台詞。
男子友達が次々と好きな人の名前を言い出すシーン。
同じ思春期の人々よりかは、少し大人になりはぐらかす事を辞めた人々。
ノスタルジック的に思春期を思い出させる。
そんな映画だと思う。
TVドラマ放映同時は物語に分岐ルートがあるドラマなんて無かったものだから新鮮味があり、そこにノスタルジック的要素が加わり岩井監督は注目された。
(まぁ、少女の表現も上手いのが岩井流だが)
しかし、分岐ルートがあるアドベンチャーゲームやアニメが多々ある現代、新鮮味と言う点では難しいかも知れない。
また、作画とノスタルジックが噛み合っているかいないかも微妙ではある。
あくまでも典道がなずなの幸せを考えて模索していくif話であり、本ルートではなずなの本心は語られていない。
しかし、ifでは語られているかの様な映像表現。(私的にはマイナスポイント。これは要らないと思った。)
ifで本心にたどり着いたのか?
ifが真実になっちゃったの?
だけどラストを観るとなぁ、、、。
どっちつかずのはぐらかし表現もこの映画の楽しみ方なのかな?🤔
ここがちょい疑問だ。
気持ち悪くて最初の15分でやめた
下品なセリフ、先生へのセクハラ見てて誰が楽しいの??
女性の胸の大きさを茶化して喜ぶ映画が2017年の作品だと思うと残念です
主題歌が好きだったので見始めましたが、とても残念で胸糞悪くなりました
全部見てから評価しろ、と思うかもしれませんが、これから見る人で、気分悪くなる方がいないように、コメント残しています
私は無理でした
他の方のレビューを読んでて書きたくなったので書いてみる。 CMで気...
他の方のレビューを読んでて書きたくなったので書いてみる。
CMで気になってはいたものの映画館など一人でとても行けない私もアマゾンプライムビデオで見たのだが、結構見るのすら苦痛だった。
シャフトは物語シリーズもまどかマギカも素晴らしい。……だけにこの映画の出来は残念としかいいようがない。恐らくシャフトは特異なものを描くのは得意(シャレみたい)だがこういう青春物を描くのは向いていないのではないか。例えばなずなと戦場ヶ原ひたぎは若干雰囲気が似ているが、ひたぎが妖艶なイメージが合うのに対しなずなは全く似合わない。にもかかわらず画風は一緒。合わないのだ。付け加えて広瀬すずの演技が酷い。母親に連れ戻される所など見ていられない酷さ。有名俳優を使えば売れると踏んだのだろうが、結果として駄作を作ってしまった感は否めない。レビューの一つに「君の名は」と比較するからだという意見があったが、それは半分合っていて半分間違っている気がする。何故ならこれが先だったとしてもこれは受けなかっただろうから。全くこの世界観に引き込まれない。例えば「君の名は」であればこうあって欲しいという言わばお約束的なものが多々あった。みつはの胸を揉むとか段々お互いを意識するとか吐き出したお酒を飲んだと聞いた時の反応とかパンチラとか(女性から怒られそう)。そういった自分でも同じ事をやるだろう、またはこういう反応してほしいとか、こうあって欲しいといった共感出来る所が一切ない。つまる所この映画はずっと第三者的視点で他人の人生を見させられているに過ぎない感覚なのだ。しかも全く羨ましくない人生。泣ける所も一切ない。そりゃ受けないよこれは。
もしもこうしていたら!ひと夏の青春を美しく描いたアニメ映画
~ポケモントレーナーみゆきは、85点の経験値をもらった!~
2017年に公開されたアニメ映画。
1993年に放送されたテレビドラマが原作の映画だそうです。
親友同士が同じ人に恋をするストーリー。
主人公は思いもよらない現実への後悔の想いと、不思議な玉の力で時空を超えた世界へととんでいきます。
「もしも」を変えていった先に何が待っているのでしょうか。
映画のタイトルにもなっている打ち上げ花火は、現実世界と変化させた世界の違いを上手く描く象徴になっていると感じました。
下から見える花火と、横から見る花火の見え方にも注目です。
ポケモントレーナーみゆきも、「もしもあの時こうしていたら」ということは今までいくらでもありました。
ただ、自分が選んだ道を受け入れて、次への経験にしていくのは大切なことのように思います。
変えてしまったことへの反動は自分で受け入れる必要のある現実が待っているのかもしれません。
キレイな映像と共に甘酸っぱい青春を思い返す映画です。
ぜひ観てみてください。
★大好きなポケモンに例えると★
カプ・テテフ
サイコフィールドで不思議な世界へ!時空を超えた世界で見えるものとは!
感想
ちょっと心残りがある作品でした。あのガラス玉の力は凄すぎる!時間を巻き戻し いいですね。親や友達から逃げてって二人っきりの所はめちゃくちゃ興奮しちゃいました。夏休みが終わって 女の子が転校したのは分かるけど 一緒にいた男の子が学校に来ていないまま終わったのであのどうなったのかめちゃくちゃ心残りしました
公開のタイミングが悪かったのかな
公開当時に友人から「そんなに面白くなかった」という酷評を聞かされたので、興味はありましたが劇場では観ていませんでした。
本日Amazonビデオで観ましたが、感想としては「普通に面白かった」です。正直、ネットでここまで酷評される意味が分かりません。
この映画がここまで批判される理由としては、間違いなく前年に公開された「君の名は。」の影響がデカいと思います。ストーリーが分かりやすい・徹底的に磨き上げられた作画の美しいアニメーション・マスコミによる連日の報道などで歴史的興業収入を叩き出した「君の名は。」の影響で、それまでアニメ映画を観なかった客層の人達もアニメ映画に興味を持つようになりました。その影響か、酷評レビューを見ると「アニメ的な演出が鼻についたのかな?」というレビューが目立ちます。
制作会社のシャフトは「物語シリーズ」や「魔法少女まどか☆マギカ」などのアニメーションを作成した有名なアニメ会社です。独特な演出で有名な制作会社なので、普段アニメを全く観ない人達には合わないのかもしれません。
しかしながらアニメーションに関する私の感想は「流石シャフトは力の入れる場所を理解しているな」です。普段はテレビアニメーションを制作している会社なのでおそらく今回の劇場アニメは限られた予算と人員で作っていたんだろうなと推測されます。なので最初から最後まで、全てのシーンに力を入れることはできません。そのためこの作品は日常のちょっとした風景である主人公が自転車に乗るシーンはCGで表現し、ストーリーで重要なプールでの水泳シーンは作画にメチャクチャ力を入れており、驚くほど滑らかに動きます。限られた中で最高のパフォーマンスをしているように感じました。
万人受けする作品では無いと思いますが、ここまでボロクソに批判されていると擁護してあげたくなるくらい、私は気に入った作品です。観たこと無い方には試しに観てみてほしいです。
全640件中、61~80件目を表示