哭声 コクソンのレビュー・感想・評価
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結局どういうことなの~?ってなる映画
最後までみて誰が善で誰が悪かよくわからない。
解説サイトをみても色々な解釈があるようだ。
なんなら、監督自身がそうなるように作ったと言っているようだ。
テーマを与えられてそれについての一つの回答を見せられ考えさせられる、
というタイプの映画ではない。
國村隼の名字を音読みするとコクソンになることに気づいてから
そればっかり気になりながら見てたし、
実際どこまで意図されてるのものなのか気になります。
日本人差別?それともアンチテーゼ?
誰が悪党なのか?
ホラー映画としてはとても面白かった。
出だしでは主人公のジョングは臆病者で頼りない村の警察官。
このキャラクターが前半の物語で凄惨な事件が立て続けに起こっているのも関わらず
イマイチ深刻な雰囲気が出てこない。
この凄惨な事件とは家族のひとりが他の家族を皆殺しにしてしまう謎の連続事件。
その凶兆がジョングの幼い娘に表れたことから、ジョングの危機感が醸し出されていく。
その落差が物語をより不穏にしていくのかな。
この事件、何者かによる物理的なトリックなのか?はたまた悪霊の仕業なのか?
そして謎の日本人の立ち位置は?胡散臭い祈祷師は詐欺?女は悪霊なのか?
見ている側がどこに向かっているのか全くわからないという状況が最後の最後まで続き、それが何とももどかしくもあり、謎の心地よさがありと不思議な雰囲気に。
何となく呪術対決なのかな?と思うと悪霊なのか?まさかのゾンビ?
展開が二転三転してグッとのめり込んじゃいます。
ただ流石に2時間30分は長くどうでもいいシーンが多かったかなとは思いました。
結局見終わってよくわからなかったのだけど、胸糞の終わり方で日本人の思う壺という展開で終わったんだということだけはわかりますが。
ポイントは4つ
女は何者?祈祷師は何者?日本人は何者?そして村に災いを起こす理由は?
これが皆が一番気になるところかなと思いました。
個人的には
女は村を守る者
祈祷師は本物の霊能力を持つ詐欺師
日本人は悪魔
じゃないかと。
祈祷師と日本人は祈祷によって悪魔を殺す直前まで行きます。
これは祈祷師は日本人が呪いをかけていると思っているので
殺すつもりで呪術対決をしたのではないかと。
女は何か霊能力があり何かしらの呪いや結界で村を守ろうとしていたのではないかと。
それゆえ祈祷師に出会ったときに殺さず「帰れ」と促したので、あくまでも彼女の狙いは他にあったと思われるからです。
そして日本人は虚実を混ぜ合わせ混乱に陥れる悪魔?魔物?であり純粋に
災いのある場所に惹かれ寄ってきたものではないかと思います。まあ悪魔というよりは
人間が魔物になった感じですかね。悪魔的思考は有るものの物理的な強さはなさそうでしたので。
祈祷師が村に仕掛けを張り事件を起こす。
それによって祈祷の仕事の依頼を受ける。
凄惨な事件により悪魔が悪魔がよって来る。
女が災いを起こすものを払いに来る。
そんな感じじゃないでしょうかね。
もしかしたらそんなスッキリしたものなんかなくて
ただただみている人を混乱に陥れるためだけの映画かもしれないですけど。
悪魔はすべての人の心に宿る。。。よね?
2016年公開とのことだが、もっと昔のような気がする。悪い意味ではなく、本作は私にとって、サスペンス・ホラーのひとつの基準線になっているからだ。
無責任な個人の意見なので、ぜひ寛大な気持ちで読んでいただきたいのだが、
昨今のサスペンス・ホラー作品の共通項として、和洋問わず、″音″ のチカラを最大限活かそうとする演出が多くて、かなり食傷気味になっている自分がいる。
暗闇でそっと背中から近付いてきて、突然、大声で「わっ!」と嚇かすようなヤツだ。
映画館で鑑賞するときは、スピーカーのポテンシャルを最大限に使って恐怖を煽る。
ズルいな、と思う。驚いて当然だ。
本作にはそれがない。
展開で引っ張っていき、映像と演者の力で恐怖を作り上げている。
韓国の片田舎で警察官を務めているジョング(クァク・ドウォン)は、相次いで発生する怪事件に、日本から移住してきた男(國村隼)が関与しているのではないかと疑い始める。
その矢先、小学生であるジョングの愛娘にも異変が起こり、ジョングは藁にもすがる思いで悪魔祓いの祈祷師(ファン・ジョンミン)の力を借りることにする。。。
このほかにも、
白い服を着た謎のオンナ(チョン・ウヒ)
日本語ができる牧師見習?のイサム(キム・ドユン)
などが登場し、観客を引き込んでゆく。
韓国にはキリスト教信者が多く、その一方で、仏教も古くから根付いている。
本作は冒頭から聖書の一節が引用されたり、民間信仰的な悪魔祓いの儀式があったり、日本人の私には100%咀嚼するのは困難なのかもしれない。
本作をどう解釈するか、多数のサイトで論じられているので興味ある方はそちらをご覧いただきたい。
個人的には、この方の分析に圧倒されました。
ttps://note.com/maycrow_nte/n/n09c855036913
解釈やラストシーンの暗示する内容が論じられる映画って、いくつかありますが、本作についても、それくらい(解釈を明確化したいくらい)気になるってことですよね。なかなかスゴくないですか?(笑)
映画全体を覆う悲劇の空気感、
國村隼さんの好演ぶり、
最後の最後まで引っ張ってくれたストーリー、
それらに対して敬意を表し、アジア版『エクソシスト』の称号を贈るとともに、☆4.5を捧げるものです。
國村隼の怖さが異常
人は、見たい物だけ観る🫣
ある日突然に、平和な村できのこを食べたせいのか?
身体はドロドロになり狂ったせいなのか?猟奇殺人が起こる!
まぁーグロいです。
山に、住んでいる謎の日本人が容疑者にされる。
まさかの國村隼さん。
主人公の警察官ジョングの娘も、謎の湿疹や異常な行動で病院に行くも原因不明。
そこで、村の人から謎の日本人が災いをもたらしていると、百姓一揆状態になってしまう。
謎の日本人の家を捜査すると、呪いをかけた人物の写真やら、遺留品やら出てくる。そこでジョングの娘の靴を発見した事で、ジョングは謎の日本人が犯人で、呪いだと信じ込んでしまい…
この映画は、本当に賛否両論されるように作られているように感じましたねー。
ラストなんて、えー😱やし、なんで人がゾンビになる理由や、謎の日本人はいったい何者?で終わる?
宗教的な要素も、多く入っていて私は無宗教ですが、
閉鎖的な村で、大人がパニック状態になりお祓いやら、儀式やらされたら完全に狂った状態になり、🍄が原因ならなおさら。
結果的に、答えなんてなくて単なる🍄が原因で、謎の日本人も祈祷師もグルで、それに対する謎の女の存在で、ジョングは心がやられて悲惨なラストになってしまったんでしょうか?
ラストは、謎の日本人の聖痕は神父さんが、見たい物しか見えなくて、悪魔に見えていたのか?
私は、おもしろかったです。
國村隼の演技が大きく支える
<映画のことば>
父さんは警察官だ。
父さんがすべて解決する。
父さんが…。
猟奇的な事件が次々と起こり、村人の体には奇病(原因不明の湿疹)が現れる。
そういう不可解・解決困難な状況下で、市井には揣摩臆測が入り乱れて、ある者は医師に任せるべきだといい、またある者は祈祷師の力に頼り呪術で問題の解決を図ろうとする―。
そのなかでも、少しばかり(かなり?)ピント外れながら、娘のヒョンジを思いやる父親ジョングの姿が印象に残りました。評論子には。
さしずめ、ソフトホラーのストーリーが本作のヨコ糸であるとすれば、ジョングの父親としての娘ヒョンジに対する「想い」がそのタテ糸といったところではないでしょうか。
冒頭の映画のことばは、そこのとを指すものとして、本作の全体を通じたキーになっていると思います。
作中では最後の最後のエンドロール直前になって、初めて語られるのですけれども。
そして、映画作品としても、ともすれば単調なサスペンスものに陥りそうなところ、脇筋の―否、かなり共演にも近い?―謎の男(國村隼)か、いい役を演じて「流れ」を作っているように思われます。
それら、これらを併せて評すれば、佳作としての評価が適切な一本かと思います。
(追記)
主役を張ったクァク・ドウォンも、いい味を出していましたけれども…。ホント、國村隼の演技が光っていましたね。本作では。特筆ものだと思います。
善玉も悪玉も卒なく演ずる彼のキャラクターもあって、なかなか彼の正体がつかめない―。
そのことが、本作に「味わい」を付加していたことは、事実だと思います。
見る人によって結末が変わる映画
2.98そこまでグロくはない
そこまでグロくはなかった。トリックを思い出す作品
祈祷師バトルは面白かった。
バイオハザードとアジア祈祷バトルなのでそこまで怖くなかった
落ちはお粗末
ゲームだったら面白かったんだろうなぁ・・・
なんじゃこれ
これは好き嫌いが分かれる
國村隼の演技力
どう観えたかが全て
キリスト教と絡む話だそうですが…その当たりは全く分からないのでスルー。
この映画で明確な事は
小さな町の住人の身体中に酷い発疹が出来る。
行動がおかしくなる。
猟奇殺人を起こす。
そして変死する。
が次々に起こる。
それだけ。
主人公の警官目線で原因を追ってく事になるが
人伝の話、噂ばかり入り混じり…
確かな物を目にすること無くただただ混沌
としていく。
結局何だったのか明かされない事ばかり。
胸糞というほどでも無いけど……
終盤出てくる言葉
「わたしが何者かはお前はもう確信している それはもう変わらない」
「私の手や足を見なさい私は私だ」
こっちに投げかけられた言葉だと思います。
何と無く意図はわかるがこっちに委ね過ぎだよなぁ!という想いは残りました。
【心理的なハラハラがすごい。エンドロール直前まで観客の心を二転三転させてくれる哲学系ホラーミステリー】
・2016年公開の韓国のミステリーホラー映画。
・とある田舎の村「コクソン」で、村人が動機もなく家族を惨殺する事件が立て続けに発生する。主人公である警察官のジョングは、当初は「山の中に住む日本人が関係している」という意見に耳を貸さなかったものの、異常な状況を目にしていくつれて日本人を疑いだす。そして、自身の娘もおかしな言動が増え始め、次第に日本人と呪術が一連の事件と関連しているとして日本人の正体を追いつつ、祈祷師に娘の除霊をお願いする。除霊の儀式を行うも娘の容態は悪化していくことにしびれを切らし、ついに強硬的に日本人の居場所に押し掛ける。事件の真相とはいったい・・・ という大枠ストーリー。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
[お勧めのポイント]
・観客の「疑う心」を最後まで二転三転させてくれる
・答えがないようで答えがある
・散りばめられたヒントを追うために二度観したくなる
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
[物語]
・この映画のポイントは「疑い」。キャラクターたちの「疑う心」、観客の「疑う心」。それらが二転三転させられます。観ているこちらも、最後の最後まで「結局犯人は誰で、事件の真相は何なのか」ということに翻弄されます。そういう意味では、エンディングロールに入るまでハラハラを継続させてくれる見ごたえのある物語だと思います。
[演出]
・主人公(追う側)視点で國村隼さん演じる日本人を魅せる際の不気味な感じ。逆に日本人(追われる側)視点で魅せる際のピンチな感じ。洞窟内で神父助手と話をしている際に天使か悪魔か不明瞭な状態の視点で魅せる色のない感じ。一人の人間を様々な角度から魅せることで、観ている側の印象がこうも変えられていることに驚きました。事実は一つのはずなのに、魅せられ方で捉え方が自然と変わっている自身の心の動きが面白くて、心理的なアトラクションにのせらている気分になりました。
[映像]
・農村風景が日本のそれと似ていて、どこか懐かしさを覚える心地よさがありました。
[音楽]
・際立って感じたことはありませんでした。
[演技・配役]
・主人公ジョングを演じる「クァク・ドウォン」さんは、一見、友達にいそうな顔立ちで「主人公?」と思ってしまうのですが、その親近感の沸く弱さの表現と次第に狂気じみていく際の目の鋭さ、このギャップがすごいなぁと思いました。
・韓国俳優さんに囲まれて國村隼さんが演じていることになんだか胸を張りたくなるような嬉しさがわきます笑 多くを話さない役柄なのですが、不気味さがすごいです。
[全体]
・エンドロールが始まると、「え?で、結局こういうことでいいの?」と多少思います。ただ、この映画のすごいところは、観客によって異なる可能性があるにせよ、一旦、それぞれの結論を出せるように構成されているところです。「悪魔とは」「日本人とは」「祈祷師とは」「女の正体とは」を観ている人がどう解釈するかによって、結論の色が決まります。が、それでもどうもモヤモヤが残って「え?で、結局こういうことでいいの?」と。そこで、他の方のレビューを見てみると、割と監督の意図に近いと思われる解釈ガイドが沢山あります。それを見て、90%近くの腹落ちができるので消化不良にならずに映画鑑賞を終えられるところが良かったです。
・私が解釈したこの映画の本質のさわりだけ言いますと、「事実(人やモノや出来事)は一つなのに、それを見る人次第でどうにでも移り変わる≒疑いの目でみればそれが事実に見えるもの」ということ。この実世界でも、様々なものを見聞きして解釈して、善悪を決めたりなどもしますが、果たしてそれが本当に「事実」なのでしょうか。今一度、冷静に物事を見つめなおしてみると、見える世界が変わるかもしれませんね。そんなことをそっと言われた気がします。
・心理的ハラハラで楽しませてくれるホラーミステリー系物語の裏に、哲学的なメッセージが見え隠れする映画。個人的には結構楽しめました。皆様も一度、鑑賞されてみてはいかがでしょうか。
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#全体3.6 #物語3.7 #演出3.6 #演技3.6 #配役3.6 #映像3.5 #音楽3.5
コクソン考察
誰が悪魔か?
自分の中では白い服の女、日本人、両方が神であり悪魔です。
最後のシーンで日本人の姿を悪魔としてみたら変わった様に見方で変わります。
事件現場には、双方の痕跡があり結局人は救えていません。
双方、霊的な存在であり互いを悪霊としてみなしています。
このことから互いが足を引っ張り、結果的に人を救えないという現状があるのだと思います。
宗教間の対立で結局人が救えないという。現実にある問題だと思います。
毒キノコが人間をおかしくした主な原因であると思われます。
しかし、女が祈とう師に日本人を攻撃するように仕向けてたり、一般人に幻覚を見せたりしたと思われます。異国の神から自分の領域を守る為の防衛だったのかもしれない。
一方、日本人も人の魂を救済していたのか収穫していたのか判断できません。
人間の都合で動くものが神ではありません。
昔、キリスト教で言う他宗教の神、それは悪魔です。
しかし、その地に住む人々の心を救ってきた神でもあります。
他宗教の神、それを信仰する人、異文化に寛容であればこの映画の人々にも救いがあったのかもしれません。
つまり、民主主義って大事ですね
過去鑑賞
これもレビューしてなかったですね。
訳の分からない作品だとの話を少しだけ聞いていたので、いったいどのようなお話なのかと身構えながら鑑賞しました。
難解な点もありましたが、156分の長さを感じさせないくらい面白かったです。
確かによくよく考えてみれば、結局本当のところはどうだったのか?、あれはどういう意味だったのか?等疑問点は多々浮かぶものの、単純にエンターテイメント作品としても観られないわけではないですし、何より不可思議な魅力が溢れる作品である事は間違いないと思います。
いろんなサイトで様々な意見・解釈が書かれているみたいですし、それらを読んだ上でいつか再鑑賞してみたいです。
それにしても國村隼さんの存在感は流石でしたし、ヒョンギ役のキム・ファニさんの演技も秀逸でしたね。
よくわからないオカルト映画。
とにかく長くて苦痛。最初は反日プロパガンダ映画かと思ったが、よく分からないオカルト映画だった。韓国の人達には非科学的な思考回路をしている人が多い、と思わざるを得ない。演技力が光るのは國村隼と主人公の娘さん役。國村隼はよくこんな役を受けたものだと思う。
何が正しいのか
とにかく國村隼の怪演が目に焼き付けられる。どの国にも素晴らしい演者がいるものだ。韓国映画の静かな表現の中に現れる狂気や狂暴な恐怖は他の国の映画では味わう事の出来ない空気感である。それに國村隼演じる謎の日本人が良いスパイスとして引き立ててくれた。それほど残虐描写に頼った作品ではないが、韓国映画はこの空気感が物凄くグロテスクに見えるのである。
本作はサスペンススリラーと表現されているが、本格的なホラー作品だと思う。ややコミカルな前半から後半に行くに連れだんだん怖くなってくる所は面白い。國村隼は日本人役なのだが、前半から「コイツが絶対悪の根源だろ」と思わせる演出やセリフがあり、こちらもそのつもりで鑑賞し、注意深く動向を見守るようにしていた。それがどうだろう、後半は何を信じたら良いのかが全く分からなくなるのである。「悪魔」や「祈祷師」というエクソシスト的ワードが出てくるが、軸の1つとしてそれは明確に劇中でも描かれている。「エクソシスト」の韓国解釈版と考えても良いのだが、本作ではその要素に誰を信じるのかという疑心暗鬼に陥るような湿り気のある怖さが加わって来る。主人公に近づく白い服の女が怪しく見えたかと思えば、どこか祈祷師の言動に違和感を覚えたりなど、人を信じることが出来ない作品だ。実際に韓国では何かあると祈祷師に頼る事がある。地方に行けばよりそれが色濃く出てくる為、韓国人の方が本作に対する怖さをより具体的に感じるだろう。
インタビューに際して、監督は本作を「今の韓国を写した様な作品」と表現していたが、「チェイサー」でも韓国社会の闇の部分を描いたように、本作では宗教的な内容であり、ましてや日本人が出てくる辺りなども考えると、旧統一教会と存在が重なってしまう。終盤の洞窟で國村隼が日本語で話すシーンでは多くの事が描かれている。映画冒頭、イエス・キリストの「私の手に触れてみろ~」の旧約聖書の一文が登場するが、それがこのシーンに生きてくる。ここは要チェックのポインドだ。どの国にも陰と陽があるだろうが、ナ・ホンジン監督の作品を観ていると、平和に暮らしている自分がどれだけ幸せであるかを実感させられる。
全179件中、21~40件目を表示













