パターソン : 映画評論・批評
2017年8月15日更新
2017年8月26日よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほかにてロードショー
ささやかな詩の魔法が息づくジム・ジャームッシュの豊かで摩訶不思議な“日常”映画
何とシンプルで柔らかな語感のタイトルだろう。もしもそれが人の名前ならば穏やかで善良な人物を連想するし、もしも地名ならば紛争や犯罪とは縁遠いのどかな町を想像してしまう。風変わりな吸血鬼映画「オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ」以来となるジム・ジャームッシュ監督の劇映画は、ニュージャージー州の実在の町パターソンに暮らす物静かなバス運転手パターソンの物語だ。派手なスペクタクルは一切なく、ドラマチックなストーリー展開すらない。休日の土曜日を除き、毎朝ランチボックスを片手にバス会社に出勤し、業務をこなして愛妻のもとに帰ってくる主人公の一週間を綴った“日常映画”である。
というわけで明快なセールスポイントがどこにも見当たらない本作だが、その淡々としたタッチが実に新鮮で心地よい。例えば、古めかしいバスの走行シーンの素晴らしさ。その車窓の外の移ろう風景に、ごく平凡な日常が緩やかに流れゆく感覚をオーバーラップさせたショットの数々こそは、あらゆる社会問題からも商業映画の法則からも解放されたこの超マイペースなインディペンデント映画の有り様を象徴している。
また、この“日常映画”はパターソンがアマチュア詩人でもあるという設定ゆえに成り立っている。とはいえ格式張った文学映画ではまったくなく、部屋の模様替えやカップケーキ作りに忙しい愛妻やお茶目な愛犬、さらには町で出会ったコインランドリーの詩人や少女の詩人とのエピソードが、いちいちユーモラスで微笑ましい。そこはかとなく夢と現実が溶け合ったかのように、町のあちこちに異常な頻度で双子が出現するスーパーナチュラルな細部にも目を奪われる。いつの間にかジャームッシュ流の起承転結なきオフビートな日常描写の豊かさ、摩訶不思議さに魅了されてしまうのだ。
しかしながら運行中にふわりと現実から逸脱し、脳内で詩作にふけるバス運転手というのは、実際にいたらちょっと危なっかしい気もする。しばしば虚ろな表情で滝に面した公園のベンチに座るパターソンの姿は、快活で美しい妻の存在を忘れさせるほど孤独の影をまとい、不吉な予感を抱かせもする。そこに満を持して登場するのが、日本からやってきた詩人役の永瀬正敏だ。不意に「パタースン」というカタカナ明朝体の文字がスクリーンに映し出された瞬間、筆者はそのいささか場違いで、あらゆる不安を吹っ飛ばすソフトな字面の威力に感動し、これぞ詩の魔法だと唸ったのであった。
(高橋諭治)
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