光(河瀬直美監督) : インタビュー
永瀬正敏が「光」で自身に課したもう一つのカセ 河瀬監督に断食を直訴した理由は?
永瀬正敏が「あん」に続き河瀬直美監督とタッグを組んだ「光」が、第70回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品された。永瀬にとっては3年連続のカンヌ出品で、日本人俳優史上初という快挙となる。完全に視力を失いつつある弱視の元カメラマンを演じた永瀬は、5人の視覚障がい者から直接話を聞き、弱視状態を体感できる特殊なゴーグルで“役作り”したほか、実は撮影途中から、ほとんど食事を取らないという別のアプローチもしていた。「毎日かあさん」「64」でも役のために減量したが、今回の意味は違うという。その真意を聞いた。(取材・文/平辻哲也、写真/根田拓也)
出演作のカンヌ出品は2015年、ある視点部門オープニングの「あん」、コンペ部門の2016年「パターソン」(ジム・ジャームッシュ監督、8月26日公開)に続くもの。特に今回は、第70回大会という大きな節目の中での選出となった。「全部、ジャームッシュ監督、河瀬監督のおかげです。河瀬監督だから、カンヌに出品されるのは当たり前と思う方もいるかもしれないですけども、そんな甘いものではないんです。世界中から何百と集まる中、20本しか選ばれないんですから。去年の『パターソン』では、カンヌに行かなかったので、(世界の関係者から)「なんで、来ないんだ?」と怒られました。最後のワンシーンにちょっと出ているだけなんですけどね……」と謙遜する。
カンヌでの初体験はジャームッシュ監督の「ミステリー・トレイン」(89)だった。スパイク・リー監督と街を歩いたり、世界のプロデューサーたちからは、直接次回作の出演交渉も受けた。世界への目を開かせてもらった、との思いがある。「最終日の28日までいていい、という話になったので、いろいろと見て回りたいですね。70回ということですから、そうそうたる方々が集まると思います。(世界の映画人との)再会が楽しみです」
「光」は弱視の元カメラマン、中森雅哉と、視覚障がい者向けのバリアフリー映画の音声ガイドを務めるヒロイン、美佐子(水崎綾女)の交流を描く。河瀬監督の初の本格的なラブストーリーというのがキャッチフレーズだ。永瀬は、脚本段階から参加。昨秋の奈良での撮影には2週間前から劇中に登場するアパートメントの一室で生活することから始めた。5人の視覚障がい者から話を聞き、雅哉という人物を自身の体に染み込ませていった。一般にはこれらの作業を「役作り」というが、「役作りではないんですよね」と永瀬は言う。
「監督は『役を積む』と表現されます。演じるのではなく、雅哉自身になってほしい、というわけです。だから現場で、僕のことを永瀬さんと呼ぶ人は1人もいません。『雅哉さん』と。共演した俳優さんとも撮影以外でプライベートな話はしませんし、撮影当日も朝、お互い顔を合わせないように段取りされています。その日、顔を合わせるのは、もう本番の時なんですね」
河瀬監督が俳優に求めることは徹底している。準備期間を十分にもうけ、撮影中は全て役名で呼ぶ。映画の現場でおなじみの「よーいスタート」「カット」の掛け声もない。いつの間にか、カメラは回り始め、いつの間にか、終わるというスタイル。映画の物語の中に、俳優を溶け込ませ、ほぼ順撮りで行う。
「こういう贅沢な現場は今の日本映画にはなかなかないので、有り難いです。そう、デビュー作の『ションベン・ライダー』(83)の現場と似ています。相米慎二監督は、何にも言ってくれない人で、(演技には)『バツ』としか言ってくれなかった。こっちは何にも知らないズブの素人なのに……」
その相米監督を師と仰ぐ。相米監督から「OK」と言ってもらいたい、その一心で俳優を続けてきた。「光」の現場には、「ションベン・ライダー」で共演した藤竜也の姿もあった。劇中映画の監督兼俳優として登場するのだ。「普段、監督はほかの役者さんと話をすることも許さないんですが、藤さんとの関係はよく分かっていらっしゃっていて、『話してきなさい』とおっしゃってくれたんです。本当に久しぶりだったのですが、特別な時間を過ごすことができました。それから、(美佐子の母役の)白川和子さんはドラマデビュー作のお母さん役。何も分からない僕に丁寧に教えて頂きました。今回はそういう特別な方と共演できたのは嬉しかったです」
「光」は永瀬にとっては、原点に立ち返る作品だ。それだけに役への思いも強かった。自身も国内外で個展を開く写真家で、祖父も写真師。劇中には、キーアイテムとして登場する雅哉の写真集も自身が撮りためた膨大な数の写真から、「雅哉が撮っていてもおかしくないもの」を選んだ。「この写真集は普通、表紙と少し中身を作るのでしょうけど、一冊の写真集としてまとめました。写真が飾られた雅哉の部屋も美術さんと一緒になって、作っています」。
5人の視覚障がい者からは話を聞き、役に活かした。しかし、“役を積む”作業は、それだけでは終わっていなかった。カメラマンながら、視力を失ってしまう雅哉の苦悩を表現するために、撮影途中から食事を断ったのだ。クランクアップ時には体重が8キロ落ちていた。
これまで、ガンに侵されるカメラマンを演じた「毎日かあさん」、娘を殺された父親役だった「64」でも、大幅な減量を経験しているが、今回は体重を落とそうと思って、食べなかったわけではないという。
「目のご病気の方、見えなくなった方、弱視の方…いろんな方々に協力していただきました。中には言いたくないこともたくさんあったと思うんですが、気持ちの隅々までさらけ出し、僕に預けていただいた。それを裏切ってなるものか、という気持ちがありました。と言っても、普段の僕は目が見えるわけで、なにか一個二個カセを作っておかないとダメだと思ったんです。それが何かまでは思いつかなくて、欲の一つである食欲を断とうと思ったんです。監督以外には、ほとんど言わなかったです」
しかし、そこまで追い込まなければ、いけないものなのか。何が永瀬をそうさせるのか。
「理由は二つあると思います。一つは監督が届けたい世界に、少しでも力になれれば、ということです。もう一つはお客さんへの思い。せっかくお金を払って、劇場まで来ていただくわけですから。嘘はつきたくない。映画は残るものですから」。
永瀬には、スクリーンに映る、もう一つの人生を見せたいという思いがある。
3月31日、東映大泉撮影所内のホールでの初号試写のことだ。見終わった永瀬はひとり姿を消した。関係者が探す中、「もう少しだけ一人にしてください」と言って、近くで佇んでいた。たまたま、私はその時の永瀬の顔を見た。何か打ちのめされたような表情で、どう声をかけてよいのか、分からなかった。
「終わった時はそうなんですけども、客観的に見られないんです。『ションベン・ライダー』もいまだにそうです。『光』でも、全てをそこに置いてきた、というくらいの気持ちがありました。普段、初号とか大きなスクリーンの試写会は行かないんです。DVDをもらって、こっそり。『光』は雅哉としてちゃんと生きないといけない、という現場でした。だから、自分の昔のアルバムでも紐解いてみたような感じがしたんです。遺作かなにかでも見ているような複雑な気持ち。映画で、もう一回視力を失う瞬間を見てしまって、その時の雅哉の気持ちに戻ってしまったんです。そのまま、すぐに奈良に行きたかった。…しばらく時間が必要だったんです。上映後、監督にもお礼の握手したんだけども、ちゃんと話すことができなかった。整理がつかなくて……。人にいろいろ言われても、返す言葉が見つからなかったんです」
試写は河瀬監督の隣の席で見ていた。「河瀬監督は映画を見て、号泣しているんです。自分が作った映画なのに……。それだけ、魂を込めたんだなと思いました」。映画をテーマの真正面に置いた「光」は、監督にとっても集大成と言えるだろう。その思いに応えた永瀬も、ベストアクトを見せている。カンヌ国際映画祭の最終日、主演男優賞の名前に、永瀬の名前が挙がれば、と期待している。