劇場公開日 2018年7月7日

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菊とギロチン : インタビュー

2018年7月6日更新
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瀬々敬久監督×木竜麻生、“今”を揺さぶる30年間の夢想の結実「菊とギロチン」

30年前の夢想が形を成し、“今”の世界を揺さぶる野心作が世に放たれた――瀬々敬久監督が、巨編「ヘヴンズ ストーリー」以来8年ぶりに自身の企画によるオリジナル映画としてメガホンをとった「菊とギロチン」。長大な時間のなか、折々に起こった出来事を反映し続けた物語は、現在24歳の新人・木竜麻生の参戦を心待ちにしていたようだ。「強くなり自分の力で生きること」を一心に願う女相撲力士たち、「格差のない平等な社会」を目指そうとしたアナキスト一派。両者の邂逅が、閉塞的な現代社会を穿つ!(取材・文/編集部、写真/間庭裕基)

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舞台は大正末期、不穏な空気が漂う関東大震災直後の日本。物語の軸となるのは、かつて実際に日本全国で興行されていた女相撲の一座「玉岩興行」と、実在したアナキスト・グループ「ギロチン社」の青年たち。力自慢の女力士のほかにも、元遊女や家出娘が集った「玉岩興行」、失敗を繰り返しながらも信念を貫こうとする「ギロチン社」が、ともに抱く「差別のない世界で自由に生きたい」という純粋な願いによって、性別や年齢を越え、強く結びついていくさまを描き出す。

80年代中頃。当時ピンク映画の助監督を務めていた瀬々監督は、詩人・正津勉氏が、雑誌「BRUTUS」で挙げた「ギロチン社」リーダーの中濱鐵(なかはま・てつ)の言葉に出会う。「菊一輪ギロチンの上に微笑みし 黒き香りを遥かに偲ぶ」。同グループのメンバー・古田大次郎が死刑に処された際、獄中にいた中濱が追悼の意を込めて送った短歌が本作の核へと転じ、「ギロチン社」への知識を深めれば深めるほど、ある種の“シンパシー”を感じる。

瀬々監督「『ギロチン社』が生きたのは、有名な社会主義者が牢に入り、次々と弾圧された時代。彼らはある意味“後追いの世代”なんです。一方、全共闘運動が収束してからの時代を過ごした僕らは、ある種“何もない世代”だった。映画位でしか新しいことを起こせないだろうと感じていたこともあったんです。そういう“後追いの世代”として近しい感覚を覚えて『ギロチン社』を題材にした映画を夢想するようになりました」

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だが「生活感のない、観念的な人間」が集った「ギロチン社」だけでは「一般の人々がついてこれない」という危惧もあった。そこで加わったのが、90年に出版された「プロレス少女伝説」(著:井田真木子)で触れられていた女相撲のエッセンス。「彼女たちは生活感があり、身体があり、その肉体で戦ったわけです。『ギロチン社』『女相撲』、この2つが出会ったという設定にすることで、力強さが増すのではないかと考えました」と土台を完成させたようだ。

11年、東日本大震災を契機に、朝鮮人虐殺事件という問題をはらんだ関東大震災を組み込み、より社会的なテーマを内包した脚本へと改稿がなされる。13年には「自分だけの狭い世界に広がりを――」という意味合いで「バンコクナイツ」などで知られる映像制作集団「空族」の相澤虎之助に脚本協力を要請。楽器・ジャンベのリズムをバックに、主要キャラクターが砂浜でアフリカンダンスを踊り、中濱役の東出昌大が、19世紀末~20世紀初頭のパリの若者たちをモチーフにした「アパッシュの歌」を口ずさむという無国籍的な要素が合体したシーンは、相澤が提案したものだ。「空族」の南方志向を取り入れた瀬々監督は「海の向こうには楽園のようなものがあり、それが革命へとつながる。さらに言えば、世界各地には貧しい人たちが存在し、彼らは『団結できる』。相澤君が入ってくれたおかげで、新たに導入され、展開が強化された点です」と明かした。

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そして16年、木竜の“土俵入り”へとつながる。約300名の候補者のなかから「どこか懐かしい顔立ち。少し不器用そうだけど、確固たる芯があった」(瀬々監督)という理由で、物語をけん引する新人力士・花菊という大役を抜てきされた木竜は、「玉岩興行」の面々とともに日本大学相撲部の稽古によって、四股、鉄砲、股割り、そんきょといった基本動作を体得していく。「期間中は、駅に集合して稽古場まで向かったり、帰りのタイミングが合えば皆で一緒にご飯を食べたり。撮影現場でも同じ洗濯機を回したり、本当に“一座”になったような感覚でした」と述懐する木竜は、暇さえあれば公園で四股の練習、撮入前日には女相撲甚句の「イッチャナ節」の精度を高めようと尽力していたようだ。

木竜をはじめ、出演者の大半は、映画出演の経験が浅いキャストばかり。「その点には不安はなかった」という瀬々監督は、本作の青春映画的側面に言及する。「(彼らの)『これからやっていくんだ』という思いは、登場人物たちの考え方と近いものがある。それは、既に“出来上がってしまった人”とは違うもの。彼らの気持ちが、劇中に立ち上がってくれば、それは映画の力になるだろうと思っていましたね」

暴力的な夫の支配から逃れた花菊、おぞましきジェノサイドを目の前で体感した朝鮮出身の十勝川(韓英恵)など、それぞれ複雑な事情を抱えながらも、強者を倒すために強者になりたい者たちが集う「玉岩興行」。瀬々監督が「彼女たちの生き様が表れている」という女相撲の試合は、演者たちが生傷をいとわず、精魂込めて体現したものだ。「アクションと同じ」と瀬々監督が語るように、試合の流れや勝敗は決まっているものだったが、カメラがじっくりと切りとる光景は、映画であることを忘れ、思わず歓声を投げかけたくなるほどだ。

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木竜「試合は本当に難しかったです。稽古ではそれぞれ得意技を決め、それを使って勝つ練習をしました。どういう流れで取り組みをしたら、スムーズに格好良く映るのかという点も考えたり。本番では、実際の土俵が目の前にあったためか、皆練習の時よりも力が入ってしまったので、リハーサル時点ではきちんと声を掛け合っていました」

後半パートの撮影では、木竜はさらなる“進化”を求められた。事の発端は、花菊が思い焦がれる古田大次郎(寛一郎)の夢を見たシーン。「(後半では)弱い面が立ち上がり、生きていくなかで、やがて“爆発”しなければならない」というイメージを、花菊に背負わせたかった瀬々監督は、木竜の芝居に対して「今、自分のいる位置が違うだろう!」と叱咤した。やがて、気迫の演技を見せる勝虎かつ役の大西礼芳の存在を挙げ「このままじゃ、大西に主役を取られるぞ」とまで追い込みをかけた。土俵際に立たされた木竜は、そのピンチを成長への糧とした。

木竜「要所要所で強く言っていただけたことは、しっかりと覚えています。私は頭でっかちで考えてしまうところがあるんです。この現場ではいっぱいいっぱいになってしまって…全部頭の中で組み立ててしまったんです。『思ったままに動いていい』と。相手の言葉を聞けていない時に仰っていただいた『もっと相手の言葉をもらいなさい』という言葉は胸に刻まれています」

キャスト募集と並行して、出資者も募った「菊とギロチン」。「この作り方自体が、この映画のスタイルを決めているところがある。そこから世に問いかけている。参加して頂ける人々の思いを抱えつつ、製作を進めていきました」と説明する瀬々監督は「自由」「自主自立」のお題目を徹底した。「有名無名の区別をつけないことで、ある種の一体感が生まれていました。たったひとりの人間が『自由』を標榜しても、それは『自由』ではないんです。そこに賛同してくれる人がいる――そこが重要な点でした」

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特定秘密保護法、共謀罪法案の成立を受けて「自由が失われていく」「戦争へのムードが高まった」として、構想当時の牧歌的な青春譚に数々の要素を加えて「“今”を反映する作品」を完成させた瀬々監督。「初号で見た時は客観的に見れなかった」という木竜は「誰かと話したり、内容を思い返したりするなかで、確かに“今”に通じる点がたくさんあると感じました。“今”の時代の漠然とした不安、先行きの見えない不穏さ。でも、現代の私たちでも、そのなかに自由や光がほしいと考えているはずです」と思いの丈を述べた。

古田大次郎は、劇中でこう喝破する――「いつかやる奴の『やる』なんて一生来ない。やるなら今しかないんだよ!」。30年前という“過去”から届いた物語は、背景となる大正時代の騒乱を描くだけではなく、これから私たちが生きようとしている“未来”に思いを馳せさせる。上映時間189分の大作だが、6月27日のヒット祈願に出席した東出の発言「人生にとっての3時間なら短く、濃いものが残るはず」に異論は全くない。だからこそ、言いたい。「見るなら今しかないんだよ!」と。

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