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ラジオ『伊集院光深夜の馬鹿力』でのネタコーナーで、『大人の何でだろうカルタ』というものがある。お笑い芸人テツandトモのネタを大人でも楽しむという趣旨であるが、その中に『劣等感を膨らませるばかりで本当の自分自身に向き合おうとしないのは何でだろう?』というネタが紹介された。この映画のテーマそのものである。
閑話休題 上映会場のユーロスペースに行ったら、主役と相手の女優さんが一生懸命ビラを配っていた。改めて頭の下がる姿勢だ。そしてその1階のロフト9では、前回観たOP映画の『コクウ』の主役の女優さんの1周年記念イベントが開催されていて、何だか縁みたいなモノを感じてしまったのは多分気のせいw
今作品に流れる、社会の底辺の生活が醸し出す薄茶けた雰囲気をスクリーン一杯に満たしながら、ストーリーは展開してゆく。とにかく主役の須森隆文の怪優振りが凄まじい。あの容姿、そしてまさにアンガールズ田中と見紛う位の台詞回し。あれはギャグというかキャラを作っているのだろうが、こちらもそれが自然に演出されていて、とにかくそのダメ人間振りがガンガンとこちらに伝わってくる。
自分もそういうダメ人間の内の一人だと自負しているので、痛い位の同情を禁じ得ない。それが社会では受容れられないことは十分承知しているからこそ、つまらない狡猾さ、だらしないプライド、そして情けない程の寂しさへの訴えや、自分を肯定し受容れて欲しいと願う心の叫びが切なく伝わってくる。目を背けたくなる程の主役の演技が丸で同族嫌悪のそれだと気付いた途端、その恥ずかしさ情けなさに、気持ちが打ち震える。
多分、この作品は、観る人を選ぶ。きちんと社会生活を営む独立した人間と、心底心根の腐ったダメ人間。勿論、前者はこのストーリーは退屈極まりない筈。そして後者は、この作品を複雑な気持ちで、しかし感情移入を激しくしてしまうだろう。
ラストシーン、一緒に亡命もとい、国後への墓参訪問を拒否そして離別を宣言された男は、今までの怨みを習字でしたためた半紙を海の中で燃やし、何とも言えない表情を浮かべるのだが、多分、これは依存からの脱却を心に刻んだ決意ではなく、又元の同じ生活に戻るだけの諦めなんじゃないかと感じる。そう、出自は代えることなどできない、それ程の強い信念など持ち併せていない、ダメ人間なのだから・・・自殺も出来ない位の決断力のない人間は、所詮ずっと孤独なのだ。
雑木林の中での生活において、もっと虫等に噛まれるなどのリアリティがあればその破滅的な人生が強い輪郭となって演出できたんではないかと、そこは一寸した注文である。
いずれにせよ、この『狂依存』、いわゆるパラサイトというテーマの闇を今後も追い続けるのだろうな、私は・・・