「宮崎駿監督"風立ちぬ"か"ノアの箱船"か。」人生フルーツ さぽしゃさんの映画レビュー(感想・評価)
宮崎駿監督"風立ちぬ"か"ノアの箱船"か。
風が吹けば枯れ葉が落ちる
枯れ葉が落ちれば土が肥える
土が肥えれば果実が実る
こつこつ、ゆっくり
『人生フルーツ』
高蔵寺ニュータウンの一角に住む、建築家:津端修一さん(当時90歳)と、その奥様:英子さん(当時87歳)の日々の生活から、戦後から日本の高度成長期を振り返るドキュメンタリーです。
本作の修一さんと英子さんは、一見すると、とても穏やかでお互いを労り合いながら、仲良く暮らしてらっしゃいます。
修一さんが英子さんを「彼女は生涯で最高のガールフレンド」だと仰る姿は、微笑まずにはいられません。
けれど、多くの方達が感じられるような、「素敵な暮らし」「理想の暮らし」とは、自分の体験からも(現在田舎暮らし2年目)思えない部分もありました。
凄く素敵だと思うけど、厳しい、(ちょっと行き過ぎた)ストイックさ、みたいなもの。
自宅は30畳のワンルームで、修一さんが尊敬する師であるアントニン・レーモンド宅を真似て造られたのだとか。
私も父の介護をするにあたって、リビング(キッチン)を中央に、父の寝室、アトリエをぐるりと見渡せるような家にしたかった(水回りの移動が大変でできませんでしたが)ので、津端宅は理想の家でした。
お二人の庭には100を越える植物が植えられていて、肉や魚以外はここでできた物を食べているのだとか。
この家で特徴的なのは、周りを囲む雑木林です。
自分の家の周りだけでも、小さな森を作る。
そこにはスローライフとはほど遠い、切羽詰まった思いを感じずにはいられませんでした。
その強い思いの理由は、修一さんの家から見える高蔵寺ニュータウンにありそうです。
1959年の伊勢湾台風の甚大な被害を受けて、国は高台に安全な集合住宅を造る計画を立てました。
その主要メンバーの一人が、修一さんでした。
森を切り開き谷を埋め建てられた巨大な集合住宅は、実は修一さんの理想とする建築とはほど遠かったのです。
これを期に、現在の生活をするようになったのだとか。
高蔵寺ニュータウンだけではなく、多摩ニュータウン、千里ニュータウンなど、最近になって入居者の高齢化(しかしバリアフリーではない)、建物の老朽化(しかし空きが多い)、作為的に作られた町の問題点が色々と出て来ているのは、みなさんご存知かと思います。
修一さんは「お金は後生に残せないが、豊かな土を残す」と、ドングリの木を植えて森を作る(里山計画)運動をしていました。
自分の理想から大きく外れ、自然破壊し、成功とは言えない自分が関わった都市計画を毎日眺めながら、自分の理想とする家を作ろうとした修一さん。
例えお顔は穏やかに微笑んでいらしても、自分の思いを突き通す強烈な個性が滲み出ています。
少し、怖かった。
そしてその修一さんの行為は、果たして後生のためなのか(ある種の贖罪なのか)、自分の理想郷に対する強い思いのためなのか。
この家は、修一さんの建築哲学の実践でもあるのですから。
駿監督の「風立ちぬ」が思い出されたり、ノアの箱船が思い出されたり……。
ベニシアさんとか、ターシャ・テューダーとは違う。
それにしても、そんな強烈な我(才能)に、何十年も寄り添って来た英子さんは凄い。
でもそうやって英子さんが柔らかく寄り添ってこられたからこそ、修一さんは狂気と日常の狭間で、どうにか心を保ってられたんじゃないだろうか。
とは、言い過ぎだろうか。
観ていて、涙したり、微笑んだり。
「もっとゆっくり休んだら」と声をかけたくなったり。
そして、自分の老後を思ったり。
豊かさについて考えたり。
第42回放送文化基金賞:テレビエンターテインメント番組「最優秀賞」受賞作です。
ドキュメンタリーの意義は、そのテーマが学校、会社、色んな場所に運ばれ、濃厚な議論が展開されることだと思っています。
そういった点では、ただ単に「素敵な暮らし」「素敵なご夫婦」で終わってしまうのは、修一さんに対しても英子さんに対しても失礼な気がします。
久々に良いドキュメンタリーを観ました。
全力でオススメします。