「SVOCや時制といった中学英語を、学び直したくなるSF映画」メッセージ ソビエト蓮舫さんの映画レビュー(感想・評価)
SVOCや時制といった中学英語を、学び直したくなるSF映画
宇宙船をみてもわかるように、人類よりも明らかに高度な文明を持ち、
おそらく高次元っぽい世界にいる知的生命体(異星人・エイリアン)が、
世界各国へ同時に地球にやってきて、その言葉の通じない異星人たちと、
コミュニケーションを取ろうとする言語学者のお話。
SFというと、科学技術がメインになる作品が多いが、
言語(言葉・文字)の特性や知識を活かしたSF、という所が、斬新で面白かった。
日本語と、英語の違いで、
真っ先に思いつくのは、主語と述語(SとV)の扱い方だ。
日本語は、文字にすると、SとVが離れて使用される事が多い。
言語構造として、SとVの間に複数の修飾語が入り、
結論としてのVは、だいぶ後方に位置する。
また、Sは省略されて使用されることも多い。
対して英語は、まず最初にSとVが表記され、修飾語はVの後方につらづらと入る。
日本語:
「(私は=省略)、昨日、映画を、隣町の映画館で、夜遅くに、一人で、寂しく、観た。
英語:
私は、観た、映画を、寂しく、一人で、隣町の映画館で、昨日、夜遅くに。
これだけ見ても、英語圏の人は日本語圏の人よりも、主語と述語がはっきりとしており、
主張が強い、個人(我)が強い、という印象を抱く。
言語が異なると、その使用する言語ごとの価値観や感覚が生まれ、
使用者の行動や考え方に強い影響力を与える。
多様であると同時に、共存共有しずらい不寛容さをも生み出しやすいもの、
それが言語だといえる。
その最たる例が宗教であり、たとえば、イスラム語圏の人々は、
頭を神聖なものと捉え、子供の頭をむやみに撫でたりしない。
また、イスラム語圏の女性は、家族以外の男性に肌や髪を見せたがらない。
日本人(日本語圏の人々)にも同様の事柄があり、たとえば、
葬式から帰って家に入る前に、「塩を体にふって清める」という行動は、
他言語圏の人々から見て、理解しがたい光景に見える。
日本語でいう所の「穢れ」の思想である。
葬儀後にケガレを家の中に持ち込まないよう、塩を振りかけるといった行為にある。
他方で、日本語も、英語も、その他の言語も、
多くの地球に存在する言語の共通点は、「時制」を持っている点である。
1つの言葉には、過去形、現在形、現在進行形、未来形といった形を持っている。
地球人の言語は、多様な種類の言語があり、直線的で一方通行的な時制を保有している。
ところが、異星人の使う言語は、多くの象形文字に通じるような、時制が無い言語を使う。
時制が無いという事は、時制を必要としない世界の住民であることが伺える。
3次元世界の地球人とは違い、異星人が4次元世界の存在である事を示唆している。
3次元と4次元の違いは何かと言えば、
時間軸が「非直線的で一方通行的ではない双方通行的な世界」であること。
バックトゥザフューチャーのような、過去と現在を行き来する描写は無いので、
異星人は、現在と未来を行き来する知的生命体、
もしくは、現在から未来を見ることができる知的生命体、
言い換えれば、3.5次元の知的生命体、ということになる。
3.5次元の異星人の言葉を、3次元の地球人が研究し、理解し、習得すると、
現在から未来を見る能力、
すなわち、高次元の言語が使えるようになると、未来予知も可能になる、
というSF展開が、知的で説得力があり面白かったし、
物語のシーンが展開するたびに、主人公の目が覚めるたびに、
フラッシュバック的映像として差し込まれる、子供との過去の「思い出」が、
そうではなかったと、裏切り演出だったことに気づいた瞬間の興奮度たるや、
SF映画の醍醐味であり、映画が名作に代わった瞬間でもあった。
また、昨今の量子力学の研究発展から、
こういう能力を持った異星人が、科学的にいてもおかしくない状況であったり、
高次元世界の存在の可能性が、科学的に現実味を帯びているのも嬉しい。