「原作を愛する身としてはマイナス40点」メッセージ カミツレさんの映画レビュー(感想・評価)
原作を愛する身としてはマイナス40点
1.映画『メッセージ』の良い点と、1つ目の不満点「ヘプタポッドの見た目」
ルイーズたちがヘプタポッドに初めて出会う場面までは、ほぼ完璧だと思います。人がいなくなった大学の構内、霧が立ち込める平原に浮かぶ“殻”とその周囲の車両やテントの様子、そして“殻”内部の不思議な重力の仕組みとその内観。異星人が地球に訪れるという荒唐無稽な事態を、抜群の説得力ある映像で観客に信じさせる、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の手腕は確かなものだと言えるでしょう。
さらに言うなら、ヘプタポッドとのセッションが始まってからしばらく経った前半の50分あたりまでは、“ある2点”(後で詳述します)を除いては、ストーリーの面でも映像の面でもほとんど不満はありませんでした。しかし、それまでのセッションから分かったことを、ナレーションによる簡単な説明で済ませてしまっているところで一気に興が削がれ、そこから後半は政治サスペンス要素がストーリーの中心になっていることに大いに失望しました。約2時間のハリウッド映画としてまとめるためとはいえ、原作にあった豊かなSF的な面白さと比較すると、あまりに凡庸で退屈な内容です。
この政治サスペンス要素を成立させるため、ヘプタポッドの見た目を恐ろしげなクリーチャー(パンフレットによると「クジラとタコとクモとゾウからインスピレーションを得た」そうです)にしてしまったことが、1つ目の不満点です。原作では「一個の樽が七本の肢に接合されて宙に持ちあげられているように見えた」と表現されていますし、個体名も「フラッパー」と「ラズベリー」という可愛らしい名前だったため、私は『スターウォーズ』に出てくる“R2-D2”(にクラゲの肢が生えた)ような姿をイメージしていました。ルイーズたちとのコミュニケーションに主眼をおいたストーリー展開にするのであれば、ヘプタポッドをこんなおどろおどろしい姿にする必要はなかったと思うのですが……。まぁ、でもこの後に説明する“2つ目の不満点”に比べれば、これは些細な問題です。
2.原作『あなたの人生の物語』の構成と、映画で描かれなかった内容
2つ目の不満点について説明する前に、原作小説である『あなたの人生の物語』の構成について簡単にふれておきます。『あなたの人生の物語』では、大まかに分けて3段階の議論がなされています。
(1)〈ヘプタポッドB〉(文字言語)はどのような言語なのか?
(2)〈ヘプタポッドB〉は思考にどのような影響をもたらすのか?
(3)未来を知るとはどのようなことなのか?
映画版の『メッセージ』では、(1)(2)(3)の全てにおいて具体的な描写や議論が不足しているため、説明が一足飛びになってしまっていて、「なんだか分かるような分からないような……」という印象で終わっています。映画を観ただけでは、〈ヘプタポッドB〉と人類の言語との決定的な違いや、なぜ〈ヘプタポッドB〉を習得することが「未来を知ること」につながるのかがよく分からないと思いますし、映画での描かれ方では、ヘプタポッドの認識様式が単なる便利な “未来予知能力”のように見えてしまいかねないと思います。
描写や議論が不足していると書きましたが、具体的には以下の内容が映画版では省かれています。
➀〈ヘプタポッドB〉に用いられる視覚的統語法
➁ルイーズが〈ヘプタポッドB〉を習得していく過程
➂ヘプタポッドの物理学体系・数学体系
➃未来を知ることと自由意思の問題
3.2つ目の不満点「〈ヘプタポッドB〉を“イカスミリング”にするということ」
新海誠は原作小説『あなたの人生の物語』の帯で「ヘプタポッドのあの表義文字がスクリーンに現れた時の感動……!」とコメントしていますが、私は表義文字(つまり〈ヘプタポッドB〉)がスクリーンに現れた瞬間、「これはちょっと違うんじゃないか……?」と首を傾げてしまいました。〈ヘプタポッドB〉を“イカスミリング”にしてしまったことが、本作最大の問題点であると私は思っています。
原作では、ヘプタポッドが文字を書く過程に注目することで、一本目の線を書き始める前に、ヘプタポッドは全体の文の構成がどうなるかを心得ているということが明らかになり、これがヘプタポッドの認識様式についての重要なヒントになっています。しかし、映画版の“イカスミリング”では書く過程がほとんど意味をなさないため、この部分が分かりにくくなっています。
また、映画ではルイーズがタブレットを用いて〈ヘプタポッドB〉を再現している描写がありますが、元々の原作に出てくる〈ヘプタポッドB〉は、紙とペンさえあれば、誰にでも再現することが可能な文字であるはずです。原作では、ルイーズが〈ヘプタポッドB〉を書くことに習熟していきながら、しだいに思考様式が変化していくという描写が出てきます。映画版では〈ヘプタポッドB〉を、特殊な装置を用いないと書けない文字にしてしまったことから、このプロセスを全く描けていません。終盤のルイーズが“イカスミ”を自在に操作して文字を書き上げる場面も、まるで魔法のような能力を得たかのように描かれています。
あと、映画版では一文ごとに一つの文字を提示していますが、これも根本的に間違っています。これでは結局のところ、語をひとつひとつ逐次的に並べることを余儀なくされる〈ヘプタポッドA〉(発話言語)と本質的に何も変わりません。映画の終盤に出てくるヘプタポッドからの最後のメッセージは、壁面いっぱいに夥しい量の文字が浮かんでいるように描かれていましたが、本来〈ヘプタポッドB〉はどれだけ文章が複雑になろうと長大になろうと、文字のサイズが大きくなっていくだけで、いくつもの文を一つの文字に統合することができるはずです。だから、あの最後のメッセージは、壁面いっぱいにいくつもの線が複雑に絡み合う巨大な“曼荼羅”のように描かれるべきなのです。
4.それ以外に映画で省かれている➂と➃の内容について
➂ヘプタポッドの物理学体系・数学体系
原作では〈ヘプタポッドB〉の解読と並行して、ヘプタポッドの物理学体系についての考察が進められていきます。ここで本作の重要なキーワードにもなっている“フェルマーの原理”(変分原理)が出てくるのですが、ここで明らかになるのは、ヘプタポッドの物理学体系は人類のものとあべこべになっていて、人類にとっては数学的に複雑な計算を要する“作用”(アクション)という属性が、ヘプタポッドにとっては初歩的なものだと捉えられているということです。このことがヘプタポッドの認識様式を理解する上での、もう一つの重要なヒントになっています。
物理学者のイアン(原作小説では「ゲーリー」)は、映画版ではルイーズの助手のような役割しか与えられていませんが、原作ではこの物理学体系・数学体系についての議論を進める中で重要な役割を担っています。イアンがヘプタポッドとのセッションに同行しているのにも本来はちゃんと意味があるのです。
➃未来を知ることと自由意思の問題
「避けられない未来の運命を受け入れることはできるのか」原作の終盤では、この問題を中心として議論が進んでいきますが、はっきり言って映画版の政治サスペンス展開よりもはるかに面白いです。自由意志の問題は、グレッグ・イーガンの諸作品や伊藤計劃の『ハーモニー』等でも出てくるSF的にもホットなテーマの一つだと思いますが、本作でなされている問いかけは、20年前に書かれた作品とは思えないほど鋭く刺激的です。
ラストシーンでルイーズが“ある決定”をするところも、この「未来を知ることと自由意思の問題」を踏まえているか否かで深まりが全然違います。ヘプタポッドたちが行動する目的である“未来を創出すること”と、“子どもをつくること”という人類にとっても普遍的な動機が重ね合わされているからこそ、このラストシーンはSFならではの深い感動をもたらすのです。
5.まとめ「原作小説を読もう!」
こうして見ると、映画『メッセージ』は原作『あなたの人生の物語』のSFとしての面白さをほとんど捨て去ってしまっていることが分かります。ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督はSF映画らしい画づくりには長けていますが、本質的にSF自体にあまり興味がないのではないかと思ってしまいます。私見では、映画版は原作小説の面白さを3割程度は引き出すことができていると思います。しかし、逆に言えば、原作の7割の面白さを損なっているわけで、「30%-70%=-40%」──原作を愛する身としてはマイナス40点をつけたいぐらいの気持ちです。
とはいえ、「過去・現在・未来という時間の流れに縛られない認識」というアイデアを(“さわり”だけとはいえ)紹介できただけでもSF映画としては画期的だったと思いますし、監督の画づくりのセンスは確かなものだと思いますので、本作を原作小説の出来の良い“PV”だと考え、原作に向かうきっかけにしてもらえればいいのではないかと思っています。
映画『メッセージ』を観ていまいちピンとこなかったという方も、惹かれるものはあったけどよく分からなかったという方も、ぜひ原作小説をお読みください。文庫本にして100ページほどの中編ですので、それほど身構える必要もなく読めるはずです。『あなたの人生の物語』は、正真正銘現代SFの最高峰と呼ぶべき傑作です。映画だけを観て、原作小説を読まないのは本当にもったいないことです。ぜひ!
※コメント欄にて、琥珀さんが出してくださった“6つの疑問”にお答えしています。そちらでは主に、レビュー本文の方であまり詳しくふれることができなかった「未来を知ることと自由意志の問題」について詳しく述べています。原作小説を読んでこの部分がよく分からなかったという方は、ぜひ読んでみてください。
また、レビュー本文やコメントを読んで、疑問に思ったことや感想、ご意見等ありましたら、気軽にコメント欄の方に書き込んでください。コメントをお待ちしております。(2018/09/29 追記)
読んできました。
映画「メッセージ」を観た後で、
このレビューのやりとりを読み、その上で原作「あなたの人生の物語」を読むという、この上ない幸せを味わえました。
もし映画を観ただけだったら、下記程度の理解で終わったでしょう。
「メインメッセージは『協調が大切』。そこに加えて、異文明がプレゼントしてくれる素晴らしい能力を持つことが幸せかどうかは生き方次第と考えさせる映画になっている」(当時のレビューを要約)
本レビューでのやりとりを読み、原作を読んだおかげで、上記したような薄い理解でなく、「もうちょっと深いところで、わかったような気がする」という、映画好きとしては至福の時を、今、迎えています。カミツレさん、琥珀さん、本当にありがとうございました。
そして、現状とはるかにかけ離れた状況を描くことで、実際に考えるべきことを客観的に見せてくれる力を持っている "SF" っていいなあ、と今回あらためて思えたことも幸せです。
CBさん、コメントいただきありがとうございます。
こんなに長くて入り組んだコメントのやりとりを最後までお読みくださって、本当にお疲れ様でした(^-^;)
映画『メッセージ』も原作の『あなたの人生の物語』も両方鑑賞済みの友人にさえ、「ごめん、よくわかんなかった……」と言われてしまった、このコメント欄を最後まで読み通せたのですから、きっと原作小説を読破するのなんて余裕だと思います(笑)
レビュー共々、長々と書きましたが、要するに私が言いたいのは「原作小説を読んでほしい!」の一言に尽きるので、それがちゃんと伝わっていることがとてもうれしいです。
お読みいただけたら、ぜひとも感想を聞かせてくださいね♪
う〜ん、すごい!
「メッセージ」をどれだけわかっていなかったかを、俺に教えてくれただけでも、ありがとうございました。
お二人のやりとりを読み切っただけで、自分を褒めたいです。
原作、読まなきゃ。
「自分より圧倒的に強い存在に対して、被害者側は無駄とは分かっていても一縷の優しさを期待するしかない。」というのは、非常に興味深い心理ですね。
この話を聞いて真っ先に頭に浮かんだのが、虐待を受けた子どものことです。
被虐待児は虐待について訊ねられると、たとえ暴力を受けていても自分の両親をかばおうとするそうです。
(『万引き家族』のりんちゃんも、腕のヤケドの痕について訊ねられた時に、「転んだ」とか「ママやさしいよ」と答えていましたね。)
ここには、自分の親をかばおうとする気持ちとともに、「本当にそうであってほしい」という願いも込められているのではないかなと思いました。
実は、最近読んだ性暴力やイジメのことが頭の隅、というより、コアな部分に残っているのです。その為、自分より圧倒的に強い存在(性暴力の加害者男性、DVの夫や親、クラスのいじめっ子…体格や性格がいじめられる側にとっては圧倒的な存在)に対して、被害者側は無駄とは分かっていても一縷の優しさを期待するしかない。そんな状況とダブって読み解いたりもしてました。職場やクラスにもヘプタポッドのような人がもれなくいてくれたらいいのに、と思ってしまいます。
新たに理解したこと、感じたことを少しでも正確に表現したい、伝えたいというのは本能みたいなものなので、私も大変感謝しています。
さっそくコメントいただき、ありがとうございます。
実は昨年のリバイバル上映に合わせて、『2001年宇宙の旅』についてあれこれ調べていたので、その時にたくわえた知識を披露する機会に恵まれ、とてもうれしく思っています。
『2001年』の「ファースト・ボーン」は、“種を蒔く”だけでなく、必要とあらば“除草”も行うそうなので、倫理的に優れた優しい存在とは限りませんよ(笑)
まぁ、そもそも“倫理”というものは、SFやファンタジーにおいては、きわめて相対的であやうい概念に過ぎないのですが……。
映画『メッセージ』は、「3000年後に云々」とヘプタポッドが地球に来た理由をはっきりと語ってしまっているところも個人的には気に食わないんですよね。
原作のヘプタポッドの“のらりくらり”とした、とらえどころのない雰囲気が好きなんです。
なんだかこういう超然とした仙人のような佇まいに惹かれるものがあるのかもしれません。
実に面白い解説でまたまた刺激されちゃいました。
自分より圧倒的に優れた存在は、その高みに到達=倫理的にも優れた存在(そうでないとフリーザ軍のように人類を滅亡させる存在になり得る)のはず、という潜在的な願望があるので、2001年の生命体のように当然のように人類を優しく導いてくれるはず、と思ってしまいますが、ヘプタポッドはただ必要だから来た、ということですね。そういうクールさが前提としてあるから、文明や進化の度合・優劣にも関心がないし、わざわざ人類と論じたり、導く必要もない。
なんだか日常における人間関係に置き換えて議論しても膨らみそうな深い論点ですね。
ちなみに原作小説では、ルイーズでさえヘプタポッドの言語を完全には習得することができておらず、その研究を本や論文として誰でも読めるようにまとめた、という記述は一切出てきません。結局のところ、ヘプタポッドたちは何人かの言語学者たちの意識に変化をもたらしただけで、何ら新しい知識を人類に残すことなく地球を去ってしまうのです。
そもそも、物理学についての議論の中で「あらゆる物理現象は、まったく異なる二とおりの方法で説明できる言辞であり、ひとつは因果律的で、いまひとつは目的論的だが、どちらも妥当であって、どれだけ多数の文脈を動員しようが、どちらもその適格性を奪われることはない。」とあるように、原作では人類の逐次的認識様式とヘプタポッドの同時的認識様式のどちらか一方が正しい、あるいは優れているといったような捉え方はしていません。
たしかに「過去と未来を同時に知覚する」ヘプタポッドの認識様式は、人類の目から見ると驚異的に映りますが、別にヘプタポッドが人類のような逐次的認識様式を発達させ、進化の果てに同時的認識様式を獲得したわけではありません。彼らは意識のきらめきを得た瞬間から、あらゆる事象を同時的・目的論的に認識していただけなのです。
以上をまとめますと、
➀映画では、ヘプタポッドの認識様式の方が優れていて、ヘプタポッドは人類よりも進化した存在であるかのように見えかねない。
➁原作小説では、人類とヘプタポッドはそれぞれ別の発達の道を辿ってきた存在であり、「一方の妥当性が他方より優れているとか劣っているとかではない。」
さて、ここで新たな疑問が浮かびます。「進化という観点で見たとき、人類とへプタポッドの位置づけはどうなるのでしょうか?」──より直接的な問いに置き換えるなら、「へプタポッドは人類よりも進化した存在なのでしょうか?」
実はこの点について、映画『メッセージ』と原作『あなたの人生の物語』では、その捉え方が微妙に異なっているように感じます。
映画の終盤、ルイーズがシャン将軍に電話をかける場面の直前で、ルイーズがヘプタポッドの言語についての研究を本にまとめ、大学で講義をしているという“未来の記憶”が出てきます。ここでの様子を見ると、近い未来においては、ヘプタポッドの言語は誰でも学ぶことができるようになっていて、人類は新たな叡智として異星人の言語(と新たな認識様式)を獲得しているようです。元々映画では、ヘプタポッドの認識様式が単なる便利な “未来予知能力”のように見えてしまいかねない“きらい”がありましたが、これでは「人類が新たな認識様式を獲得し、より高次の段階に進んだ」かのように見えてしまいます。
だとしたら、人類に新たな認識様式をもたらしたヘプタポッドは、人類よりも進化した存在ということになるのでしょうか?
コメントありがとうございます。
いえいえ、琥珀さんの自由なインスピレーションと鋭いご質問にはいつも刺激を受けております。
作品を捉え直す良い機会を与えてくださり、感謝していますよ(^―^)
それでは、お待たせしてしまいましたが、後半の議論に入りたいと思います。
とても分かりやすく明快なご回答、本当にありがとうございます。
同じものを読んでいても、感覚的に思い込んでしまう自分の悪癖と浅薄さが恥ずかしくなります。
ニーチェのことも名前以外何も知らなかったので勉強になります。最近は自分が何も分かってないことが分かる経験が多くて、情けなく思う半面、楽しみもまた増えていると〝思い込む〟ことにしています。
ちなみに、この「人類よりもはるかに進化した知的生命体」や、ボーマンが最後に「スターチャイルド」へと進化するという発想の元になっているのが、ニーチェの「超人」という概念です。詳しい解説は省きますが、著作「ツァラトゥストラはかく語りき」の中で、精神は「駱駝→獅子→幼子」の三段階で変化していくと説明されています。
「スターチャイルド」が胎児(幼子)の姿をしていたのも、映画のメインテーマがリヒャルト・シュトラウス作曲の「ツァラトゥストラはかく語りき」なのも実はこのためです。
では、ここで琥珀さんの疑問に戻りたいと思います。「ヘプタポッドはその進化の途中形態なのでしょうか?」──答えは限りなく“No”に近いと思います。
上記の設定からも分かるように、「ファースト・ボーン」は人類よりもヘプタポッドよりもはるかに進化した「知的生命体の究極の進化の果て」とでも言うような存在です。「時の流れに縛られず、過去も未来も同時に知覚する」というへプタポッドの「同時的認識様式」は、これに似た性質をもっているようにも思えますが、「肉体をもたず、時空間を自由に行き来することができる」という彼らとは、文字通り“次元が違う”と言わざるを得ないでしょう。
まず、『2001年宇宙の旅』に登場する知的生命体がどのような存在なのかを、簡単にではありますが、確認しておきたいと思います。
“登場する”と書きましたが、実は映画の中でこの知的生命体が姿を現す場面は一つもありません。なぜなら、彼らは肉体を捨てた、純粋にエネルギーだけの生命体だからです。アーサー・C・クラークによる小説版『2001年宇宙の旅』の中では、以下のように書かれています。
彼らは、空間構造そのものに知識をたくわえ、凍りついた光の格子のなかに思考を永遠に保存する仕組みを学んだ。物質の圧制を逃れ放射線の生物になることが可能になったのだ。/当然の成行きとして、彼らはほどなく純粋エネルギーの生物に変貌した。(中略)いまや彼らは銀河系の覇者であり、時すら超越していた。思うままに星の海をさまよい、希薄な霧のように宇宙空間そのものの隙間に沈むことができた。
“彼ら”は人類よりもはるかに進化した知的生命体であり、作中では「魁種族」や「ファースト・ボーン」とも呼ばれています。彼らは肉体の軛(くびき)からも解放されており、時空間を自由に行き来することができます。
映画の中でも、ボーマンがスターゲートを通過する時に、地球の誕生から生命の誕生までの歴史を一瞬で見せられる場面から、その神にも等しい能力の一端を垣間見ることができます。
別の作品のコメント欄にて、琥珀さんから以下のような面白い質問をいただきました。
『2001年宇宙の旅』で人類を木星に導いた知的生命体は、進化の結果、たぶん銀河系の星々を結ぶ神経ネットワークによる意思として存在(銀河系の星の数と人間の脳細胞の数はどちらも何千億という単位で似ている?)していると解釈しているのですが、ヘプタポッドはその進化の途中形態なのではないでしょうか?
もちろん『2001年宇宙の旅』と『あなたの人生の物語』は、別々の作者による全く無関係な作品ではありますが、この疑問について考えることで、進化という観点から見たときの、人類とヘプタポッドの位置づけを明確にすることができるのではないかと思いました。
そこで、(幸いにも琥珀さんからも許可をいただくことができ、)こちらのコメント欄にて私なりの解釈を述べさせていただく運びとなりました。
こちらこそありがとうございました。
何もしないとあしたのジョーのように真っ白な灰になって終わってしまうので、どこかでまたお邪魔してくすぶり続けたいと思ってます。引き続き宜しくお願いします。
琥珀さん、とても楽しいコメントのやりとりをさせていただき、本当にありがとうございました。
私たちには〈ヘプタポッドB〉がないので、深く感動し、強く印象に残った作品であっても、文章にするなどして記録しておかなければ、その鮮烈な印象はしだいに薄れていってしまいます。
私の中の『あなたの人生の物語』という作品についての記憶の燠は、今回執筆したレビューと琥珀さんとのやりとりのおかげで、いつでも強く鮮やかに燃焼させることができそうです。
良い機会を与えてくださり、重ね重ねありがとうございました。
……あっ、もちろんまたコメントしてくださっても大丈夫ですよ(笑)
こうして一つの作品を巡りながら想像力を働かせていると、実は過去に見たり読んだりした映画や本、或いは断片的な経験や記憶を呼び起こしていることがわかります。それもまた燠と言えなくもないわけで、確かに暖炉の前のロッキングチェアーで寛ぎながら感じる暖かさを想起させる素晴らしい表現ですね。
私の場合、殆ど消えかけてたところ、カミツレさんに酸素を供給してもらい、かろうじてまた燃え出した感じですけど(^^)
>逐次的コメント➂
原作に出てくる『ゴルディロックスと3びきのくま』のエピソードが、最も卑近な例として印象に残っています。たとえ絵本の中の物語がどう進むかわかっていても「だって、聞きたいんだもん!」──これは、未来がわかった上で、それを望んで実演・遂行することの非常に分かりやすい例だと思います。
はじめに“ある目的”を強く意識し、そこに到達するまでの行程を高い確度でイメージしながら、そのプロセスを前向きに遂行していく──超一流のアスリートもそうですが、私は優秀な科学者がそのイメージに一番近いかなと思いました。
「〈ヘプタポッドB〉は記録化されないのではないか?」というのは非常に面白いご指摘だと思います。
唯一、記録化する必要が生じるとしたら、種族が滅亡するなどの理由で、ヘプタポッドの叡智を他の種族に伝達しなければならなくなった時ぐらいでしょうか。しかし、その場合も〈ヘプタポッドB〉での認識様式自体を伝えることができれば、歴史書などの資料は必要なくなるのではないかと思います。
また、琥珀さんのコメントから思い付いたことなのですが、「ヘプタポッドの世界に“物語”は存在するのでしょうか?」──答えはおそらくノーだと思います。ヘプタポッドには時系列という概念がないので。
そう考えると、私たちが当たり前のように楽しんでいる物語というものも、けっして自明で普遍的なものではないのかもしれませんね。
>逐次的コメント➁
「意識の獲得」という言葉自体がもうSF的で、SF好きの私としてはわくわくしてしまいます(笑)
優れたSF作品には「自明と思われる概念や価値観を問い直し、読者の価値観を揺さぶる」という作用があると思います。例えば、人類の時系列的な認識様式や、そもそも“意識”や“意志”というものがはたして自明なものなのか? 異星人や未来人、ロボット等を人類と対比させることで、読者の“あたり前”を揺さぶり、時にひっくり返す──私がSF小説を好んで読む最大の理由がここにあります。
そういう意味では、優れたSF小説には優れた純文学作品と同様の作用と価値があると私は信じています。
余談ですが、“鮎喰響”は芥川賞と直木賞の両賞にノミネートされていましたが、現在の文学賞のシステムを考えるとこれはあり得ないことです。しかし、もし万が一可能性があるとしたら、ジャンル横断的に書かれたSF小説がその可能性に一番近いのではないかと思っています。実際に、最近ではSF作家の宮内悠介さんが、別々の作品ではありますが、芥川賞と直木賞の両賞にノミネートされたことがあります。
すみません。遅くなってしまいましたが、いただいたコメントに対する感想を述べていきたいと思います。
>逐次的コメント➀
原作にある〈ヘプタポッドB〉を習得したルイーズの意識についての記述がとても素敵なので引用します。
〈ヘプタポッドB〉で考えることを習得するまえのわたしの記憶は、逐次的な現在の痕跡を残しつつ、ごくわずかずつ燃焼していく意識によって生成される煙草の灰のようなものだった。
(中略)
ときおり〈ヘプタポッドB〉が真の優位を占めるとき、わたしはひらめきを得て、過去と未来を一挙に経験する。わたしの意識は、時の外側で燃える半世紀の長さの燠(おき)となる。そして、ありとあらゆるできごとを──そのひらめきを得ているあいだは──同時に知覚する。
燠(おき)とは、赤く“おこった”炭火のことですが、ここでの比喩表現がまた詩的で美しく、強くイメージを喚起します。
半世紀のあいだのできごとを一挙に経験し、それらを同時に知覚するというのは、一体どんな感覚なのでしょう? また、常にそのような感覚に身を浸しているヘプタポッドたちには、世界がどのように見えているのでしょうか? 実に想像を掻き立てられますね。
第3の仮説が浮かんでしまったので追記させていただきます。
❸ヘプタポッドBは記録化されない。
歴史書等の書かれる背景として、
時の為政者にとっての権威付け(前政権の否定やレガシーの簒奪)や正当化・正統性の担保。
後の世代のよる検証(短期間では見えなかったある事象の因果関係の探求)。
時系列で足跡を辿ることで次の未来への戦略やふるまいを考える。
人間ならではの不安(先を見通せない以上過去から学ぶしかない、自身の記憶や存在した証を残したい)から記録化せずにはいられない。
等があると思いますが、ヘプタポッドBによる認識とそれが当たり前の知性による遂行にとって表義文字によるマニュアル的なものは不要なはずで、ヘプタポッドBによる歴史書や『三世の書』にあたるものは存在しない、という理解も成り立つのでしょうか?
定理や公式などの科学的知見の蓄えは何らかの記録があるとは思うのですが、種族としての歴史(過去の記録)は不要なのでは、と思ってしまいました。少なくとも私が考える歴史書の存在理由に当てはまる要素はヘプタポッドには無さそうです。
大変興味深いご意見ありがとうございます!
脳が活性化するようで、読んでいてとても楽しいです♪
より詳しい感想は、またあらためて書かせていただきます。
少しお待たせしてしまいますが、明日中にはお返事できるかと思います。
ちょうど『ペンギン・ハイウェイ』の方でも面白い質問をいただき、質問への回答としてコメントを追記いたしました。
レビュー本文ではあまり詳しくふれられなかった内容について、補足することができたのではないかと思っておりますので、よろしければそちらの方もご覧ください。
琥珀さんの質問もそうですが、的確で鋭い質問をいただけることで、私の不完全なレビューを補うことができて、とても助かっています。本当にありがとうございます。
『三世の書』を巡る仮説。
❷「未来を知るという経験がひとを変えるのだとしたら?それは切迫感を、自分はこうなると知った通りの行動をすべきだという義務感を呼び覚ますのだとしたら?」
仮説:ある種の人間はすでにそれを遂行している。
イチロー選手のような超一流のアスリートは意識的か直観的かを問わず、1年や数年単位、場合によっては引退までの行程(必要な練習やスキル向上の具体的かつ段階的な到達点)を高い確度でイメージし、〝こうなると知ったとおりの行動〟を前向きな義務感で遂行している。
超一流ではない凡人であっても、極短期間のルーティンにおいては、想定された未来を生きており、しかもそれが一定の安寧をもたらすことを〝直接的経験〟から知っている。
競馬の予想というレベルではなく、先を見通すこと、見通したとおりに生きることが、決してネガティヴではない未来の創出(何が起ころうとも)だというロジックが何となくわかりかけてきたような気がしてきました。
そうしてみると、ペンギン・ハイウェイのアオヤマ君は正にイチロー選手のようにお姉さんと再会する迄の行程が詳細まで見えており、日々粛々と〝遂行〟しているように見えてきました。
うーん、もっと崇高で哲学的な話ができるような気がしてたのに、なんだか締まりのない俗っぽい内容になってしまいました。
お待たせしたのに申し訳ありません。
(取り敢えず、了)
逐次的コメント③
『三世の書』を巡る仮説。
❶人間は総体としては多様性に溢れ、個々の生き方・考え方は自由である。しかし、個体でみたとき、自分自身の本質・本性からは決して自由ではない。
「われわれは自由意志は存在するだろうと確信している。意志作用は意識の本質的要素なのだと」
就職や転職、或いは結婚という人生における大きな節目において紆余曲折はあっても、結局はこうなったな、となることが実は多い。勇気がなかったから、とか両親のことがあったから、とか人間関係や環境の問題を理由として後付けすることがあるが、本音の部分では始めからその選択をしていた。
お前は人が良すぎるから殻を破れない、というようなアドバイスを受けた人が、急に態度を変えて(ずる賢くふるまい)何かを達成した、という事例を今までの経験で見聞きしたことはない。
卑近な例であまり説得力がないかもしれませんが、人間は持って生まれた本質的な性格の束縛からはそれほど自由ではない。
自由意志と思い込んでいるものが実は本人が気付いていないだけで、意識のきらめきの段階で既に規定されているのかもしれない⁈
(続きあり)
熱のこもったコメント、本当にありがとうございます!
「逐次的コメント➀、➁」に対しても、また新たに述べたいことが浮かんできましたが、琥珀さんのコメントが全て済んでから、まとめてお返事させていただきたいと思います。
とは言え、焦らなくても全然大丈夫ですので、ご自身のペースでコメントを投稿なさってくださいね。
逐次的コメント②
未来を見通せる期間についての、個体と種族の違いという見識は、原作にない映画における事象をも包摂した説得力のある解釈で感服するばかりです。
人類の誕生が宇宙の普遍的な仕組みや定理・原則に基づく中で発生したのなら、意識の獲得それ自体もフェルマーの定理(光の法則)や超ひも理論の文脈の中で成り立ちが説明出来るのかもしれません。すると、ヘプタポッドが獲得した意識は究極の、というより、宇宙本来のあるべき生命体のものなのかもしれません。ある星の一生が、何十億年かけて赤色巨星やら白色矮星などを経て、ブラックホールになり、場合によってはそのままワームホールを形成することが決まっているのが宇宙ならば、ある生命体が目的論的解釈に基づく意識を備えて誕生することが決まっているのも宇宙といえるのではないか。そんな風にも思えてきて、宇宙における人類の異質さが際立ったものであることを感じざるを得ません。
ヘプタポッドのような意識への進化(ここでは敢えてそう定義します)を遂げることへの想像力を働かせると、なぜか2001年宇宙の旅に出てくる胎児・スターチャイルドが浮かんできました。
一方、宇宙の中で極めて異質な人類という存在に思いを馳せると、その愛おしさに震えるような感動すら覚えます。
逐次的コメント①
ヘプタポッドBを習得したルイーズは、カミツレさんご指摘の通り、地球人と異星人との混成物(折衷型)の認識であり、一般的な人類からは確定した未来をなぞっているように見えてしまうものも、選択→結果、という時系列概念がない以上、ただの遂行ということになるのですね。強いて言うなら『未来の創出』を選択したということ。時系列の概念が無ければ「子が親より先に亡くなる不幸」という概念も消失し、今という瞬間を生きている自体が目的であるならば、一生という時間の長さに対しての悲しみや憐れみという感性も超越できることになります。フェルマーの定理における光も最小とは限らない、とゲーリー博士もちゃんと言ってましたね。そこからルイーズの歓喜の極致か、苦痛の極致か、という文学的表現に結び付けている精緻さにも感心させられました。
ありがとうございます。どれも納得できるご回答でした。色々と述べたいことが浮かぶのですが、表義文字が使えないので、時間をいただき、逐次的・断続的にコメントをお返しして参ります。明日までにはと思っています。しばしご猶予を。
お待たせしました!質問への回答はこれでラストです。
➅異星人言語Bを習得し、未来が見通せるようになると、人生は選択の積み重ねではなく、確定した道のりをなぞっていくものになる?
そうなると、目的とか達成へのモチベーション、という概念がなくなるわけで、正直戸惑っています。
原作小説の表現を引用すると「へプタポッドたちは自由でもなければ束縛されてもいない。〝それら〟は意志に従って行動するわけでもなければ、救いがたい自動機械でもない」
未来を知っているへプタポッドたちは、その未来に反する行動をけっしてしません。なぜなら、〝それら〟が行動する動機もまた、歴史の目的と一致するからです。つまり、未来を創出するため、年代記を実演するために、へプタポッドは行動するのです。
……とは言ったものの、このようなヘプタポッドの認識様式と行動の動機は、私たちには到底受け入れがたいものです。自由意志に基づいて行動する人類から見ると、それは未来に束縛されているようであり、自動機械と違わないように思えてしまいます。
しかし『あなたの人生の物語』がすごいのは、主人公のルイーズにヘプタポッドの認識様式を獲得させることで、私たち人類とヘプタポッドの“橋渡し”をしているところです。
最終的にルイーズは、これから自分が産み育てることになる娘の全人生を見通し、彼女が若くして命を落とすことになるということも知った上で、子どもをつくるか否かという選択を迫られます。彼女は未来を知っているため、当然その通りに子どもをつくることを選択しますが、この行動は奇妙で受け入れがたいものでしょうか。
ヘプタポッドが行動する動機である“未来を創出する”ということが、“子どもをつくる”という人類にとっても普遍的な動機と重ね合わされることで、少し理解できるような気がしませんか。
最後に映画のラストシーンから、ルイーズの独白を引用し、このコメントを締めくくりたいと思います。
「この先 何が起こるか分かっていても でも構わない どの瞬間も大切にするわ」
➄もし、異星人の見た結果への最短の行程の中に、地球人抹殺というプロセスがあったら、異星人は迷いなく、地球を攻撃していた⁉︎
まさしくその通りです。「最短」というより、知覚した「目的」に達する行程にそのようなプロセスがあったならば、その年代記を実演するため、地球を攻撃していたことでしょう。
➃始めと終わりが決まったとした場合、その期間には制約はないのか。未来が見通せる期間(異星人の言語Bの機能?)はルイーズの娘の一生程度から3000年以上までと無限に近いのか?
ヘプタポッドの認識様式を部分的に獲得したルイーズの場合、「はじめ」はヘプタポッドたちとのセッションの最中であり、「終わり」はルイーズ本人が死ぬ時です。当然その中には、あなた(ハンナ)の全人生が包含されています。
先ほど「あるいはその種族」と書いたのは、映画の中で「3000年後に……」という具体的なかなり大きい数字が出てきたからです。おそらくこのことから、完全な同時的認識様式を持つへプタポッドたちには、自分自身の一生をも超える期間の未来(と、おそらく過去)が見えているのではないかと考えられます。(ヘプタポッドの一個体の寿命が3000年を超えるというのであれば、また話は変わってきますが……)
これはあくまで私の想像ですが、ヘプタポッドたちは、自分たちの祖先が意識のきらめきを得た瞬間から種族が滅亡する時までの、ヘプタポッドという種族に関わる全ての事象を知っているのではないでしょうか。
引き続き、➄までの疑問にお答えしたいと思います。
➂ある結果が次の結果をもたらすこともあると思うが、始め(原因)と終わり(結果)はどう決まるのか。
「原因」と「結果」は人類の逐次的認識様式から生じる概念です。人類は世界を過去から未来へと続く時系列で捉えます。ある瞬間から生じる、つぎの瞬間。「原因」から生じる「結果」というように、事象を“因果律的に”解釈するのです。そしてこの対極にあるのが、ヘプタポッドの“目的論的”解釈です。
少し話が逸れてしまいましたが、「はじめ」と「終わり」ということに関して言えば、「一個体あるいはその種族が、意識のきらめきを得た瞬間から、死ぬ(滅亡する)時まで」ということになるのではないでしょうか。生物である以上、究極的には“死”が全ての終着点であるということに変わりはないはずです。
「あるいはその種族」としたのにはちゃんと理由があります。その点については、次の➃で詳しく述べます。
➁つまり、ルイーズも自由意思で未来を受け入れたのではなく、元々選択肢はなかった。
これは人類の視点に立つか、ヘプタポッドの視点に立つかによって答えが変わってきます。人類の逐次的意識においては、自由意志は確かに存在します。ルイーズがヘプタポッドとのセッションに参加したことも、人類である彼女の視点に立って言えば、間違いなく彼女の意思決定によるものです。しかし、ヘプタポッドの同時的意識においては、自由意志は存在しません。ルイーズがヘプタポッドたちに出会い、その言語を習得することはあらかじめ決まっていたこととも言えるでしょう。「未来を知ることは自由意志を持つことと両立しない」のです。
では物語の終盤、ヘプタポッドの認識様式を部分的に獲得したルイーズがとった行動についてはどのように捉えればいいでしょうか。ここでのルイーズは、ヘプタポッドと全く同様に世界を認識できている訳ではありません。彼女の認識様式のベースには人類の言語があり、その世界観は人類とヘプタポッドの混成物と言えるものです。
この点については、後の➅の疑問に対する答えのところで詳しく述べたいと思います。
とりあえず、➀と➁の疑問に対する答えだけ先に公開します。
➀原因と結果が同時に認識された時のプロセスは想定される最小、最短の時間や行程である。
「最小、最短の時間」というのは、あくまで「フェルマーの原理」の説明で出てくる光線の進み方の話です。「光線は進み始める前に途中の経路について全てを知っていなくてはならない」という“同時的な”世界の見え方の喩えとして、フェルマーの最小時間の原理が出てきます。
ですので、ヘプタポッドたちの取る行動が全て最適化された、理想的なプロセスであるとは限りません。アボットが爆発による死を避けられなかったように、人類から見れば無駄と思えるような行動や、明らかに間違っていると思われるような行動も当然とることがあります。ただし、ヘプタポッドたちは“それらを全て知っていて、その通りに行動する”のです。
余談ですが、原作小説のラストシーンに出てくる次の一節が大変素晴らしいです。上記のフェルマーの原理が元になっているのですが、なんとも詩的で美しい比喩だと思います。
わたしがめざしているのは歓喜の極致なのか、それとも苦痛の極致なのか? わたしは最小と最大のどちらを成就するのだろうか?
分かりました。手元に原作小説があるのであれば、説明がかなりしやすくなります。助かりました。
「テッド・チャンによる解説」は、原作小説の結構ディープな部分にまで踏み込んだ内容になっていて、原作者本人による解説なので非常に分かりやすく、原作小説を理解する上で役に立つものだと思います。ただ、わざわざこれだけのためにBlu-rayを買って見るほどのものではないだろうと思います。この映像特典は、Blu-ray版にのみ収録されていて、レンタル商品にも入っていないようですので……。
原作の『あなたの人生の物語』は私にとって非常に大切な作品なので、いつか映画版の『メッセージ』のレビューを書かなくてはいけないと思っていました。そんな折に、琥珀さんが書かれていた質問に出会い、「これらの質問にきちんと答えることができれば、絶対に良いレビューになる!」と思い、レビューを書くことを決心しました。良いきっかけを与えてくださり、琥珀さんには本当に感謝しております。
さて、それでは質問に答えていきたいと思います。ただ、かなり込み入った内容になっている上、文章も長くなってしまいそうですので、少々お時間をいただけますか。お待たせしてしまい、申し訳ありません。明日中には全ての質問に回答できると思います。
原作は映画の後に読みました。が、もう詳細は憶えてません。謙遜でなく、カミツレさんほど深く読み込めてないので(たぶん、いや間違いなく(^-^;)再読してみます。それからBlu-rayやDVDは観てません。
それにしても私の為にオーダーメイドのご回答なんて、光栄ですが、他のフォロワーに叱られませんか(^^)?
琥珀さん、ありがとうございます!
質問に回答する前に1点だけ確認しておきたいのですが、琥珀さんは原作の『あなたの人生の物語』は読まれましたか?
質問の内容から察するに、おそらく読まれているとは思うのですが、原作を未読であれば、質問への答え方がだいぶ変わってきますので、教えてください。
ちなみに、Blu-rayに収録されている映像特典「原作者テッド・チャンによる解説:時と記憶と言語の原理」はご覧になりましたか?
カミツレさんへ
ご丁寧に〝仁義を切って〟いただき恐縮です。多様な価値観の表明と自分と異なる意見を謙虚に理解しようとすることはとても大事なことなので、全く問題ありません。拝読するのが楽しみです。
私信:琥珀さんへ
琥珀さんが他の方のレビューにコメントとして書かれていた質問をお見受けしました。
まだ誰もお答えしていないようですので、僭越ながら私の方で、お答えできる範囲で回答させていただきたいと思うのですが、いかがでしょうか。
また、その際こちらのコメント欄に、琥珀さんの質問内容を引用させていただいてもよろしいでしょうか。
琥珀さんの質問内容が非常に的確で、それらの質問に対する答えを考えることが、作品のより深い理解にもつながると思いましたので、私としてはぜひお答えしたいと思っています。よろしくお願いいたします。