メッセージのレビュー・感想・評価
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「ボーダーライン」に続き、本年度ワーストか?実はごり押しドゥニ・ビルヌーブの最新作をおっさんはこう見た。
ドゥニ・ビルヌーブ
前作「ボーダーライン」を面白い、つまらない、という意味でなく、期待値からの落差で昨年のワースト1にしたのだが、今もっとも注目すべき監督であることは、その時も触れた。
この監督の作品は、ごり押し的な映像と音響、だが物語りはそれほど丁寧でなく、設定で押し切る、というような共通点がある。
それがうまくいったのが、「プリズナーズ」「複製された男」であり、悪く出たのが「ボーダーライン」と思っている。
初期作「灼熱の魂」「プリズナーズ」は特に「タブー」を題材にしたため、吸引力は必然としてあったのだが、「複製された男」については、「ミステリー」と「タイトル」で、その映像表現と省略、という名の「プラス」の演出がハマったと思う。
オレが「ボーダーライン」を評価していないのは、メキシコの現実の「設定」の上で十分成り立っているのに、余計な映像表現や暑苦しい音響効果でが煩わしく、映画が乗っていないからだった。
省略を「プラス」の演出と見るオレにとっては、「過剰」に「過剰」を重ねたわりに、根っこの味が定まっていない、という印象。
果たして今回はどうか。
「メッセージ」
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結論から言うと、本作も全くその通りの映画だった。
よくよく睡魔が襲う、退屈、とかいうレビューが見られるが、全くその通り。それは君たちの問題ではない。
単純にいびつなのだ。
そもそも、宇宙船、宇宙人とのファーストコンタクト、言語解読、という、このミステリアスなSF設定でなぜ睡魔に襲われなければならないのか。
無駄に不安をあおる音響、暑苦しい映像が、全く機能していないからだ。
ストーリーのダメさについても、後半に至っては、宇宙船への攻撃をするかしないか、のサスペンスもびっくりするほど、キレがないし、ラストの愛の告白なんても、あんたら、いつそういう関係なの?
変わることのない未来を受け入れることと、隣にいた同僚を愛するのとは違う。
今年暫定1位のSF映画。原作読むとさらに発見あり
まず、構成が巧み。言語学者のルイーズが異星人とのコンタクトを試みる話に、彼女の娘を中心とする家族のエピソードが時折挿入され、終盤に相互の関係が明らかになって「なるほど!」となる。家族のエピソードはルイーズ自身の変化に関わっていて、異星人の「目的」にもからんでくる仕掛けだ。
原作小説を読むと、ルイーズたちが調査する宇宙船で起きる危険な出来事や、ある外国政府がもたらす危機的状況とルイーズらの対応など、ストーリー上のサスペンスと映像的なスペクタクルをもたらす要素の多くが映画オリジナルであることにも感嘆させられる。
接近遭遇、コミュニケーション、人類の進化など、過去の代表的なSF映画に登場した要素も多いが、緻密な構成とセンスの良いVFXのおかげもあり、知的好奇心と情緒を刺激するオリジナルな傑作に仕上がった。SF好きを自認する人なら見逃してはならない。
SVOCや時制といった中学英語を、学び直したくなるSF映画
宇宙船をみてもわかるように、人類よりも明らかに高度な文明を持ち、
おそらく高次元っぽい世界にいる知的生命体(異星人・エイリアン)が、
世界各国へ同時に地球にやってきて、その言葉の通じない異星人たちと、
コミュニケーションを取ろうとする言語学者のお話。
SFというと、科学技術がメインになる作品が多いが、
言語(言葉・文字)の特性や知識を活かしたSF、という所が、斬新で面白かった。
日本語と、英語の違いで、
真っ先に思いつくのは、主語と述語(SとV)の扱い方だ。
日本語は、文字にすると、SとVが離れて使用される事が多い。
言語構造として、SとVの間に複数の修飾語が入り、
結論としてのVは、だいぶ後方に位置する。
また、Sは省略されて使用されることも多い。
対して英語は、まず最初にSとVが表記され、修飾語はVの後方につらづらと入る。
日本語:
「(私は=省略)、昨日、映画を、隣町の映画館で、夜遅くに、一人で、寂しく、観た。
英語:
私は、観た、映画を、寂しく、一人で、隣町の映画館で、昨日、夜遅くに。
これだけ見ても、英語圏の人は日本語圏の人よりも、主語と述語がはっきりとしており、
主張が強い、個人(我)が強い、という印象を抱く。
言語が異なると、その使用する言語ごとの価値観や感覚が生まれ、
使用者の行動や考え方に強い影響力を与える。
多様であると同時に、共存共有しずらい不寛容さをも生み出しやすいもの、
それが言語だといえる。
その最たる例が宗教であり、たとえば、イスラム語圏の人々は、
頭を神聖なものと捉え、子供の頭をむやみに撫でたりしない。
また、イスラム語圏の女性は、家族以外の男性に肌や髪を見せたがらない。
日本人(日本語圏の人々)にも同様の事柄があり、たとえば、
葬式から帰って家に入る前に、「塩を体にふって清める」という行動は、
他言語圏の人々から見て、理解しがたい光景に見える。
日本語でいう所の「穢れ」の思想である。
葬儀後にケガレを家の中に持ち込まないよう、塩を振りかけるといった行為にある。
他方で、日本語も、英語も、その他の言語も、
多くの地球に存在する言語の共通点は、「時制」を持っている点である。
1つの言葉には、過去形、現在形、現在進行形、未来形といった形を持っている。
地球人の言語は、多様な種類の言語があり、直線的で一方通行的な時制を保有している。
ところが、異星人の使う言語は、多くの象形文字に通じるような、時制が無い言語を使う。
時制が無いという事は、時制を必要としない世界の住民であることが伺える。
3次元世界の地球人とは違い、異星人が4次元世界の存在である事を示唆している。
3次元と4次元の違いは何かと言えば、
時間軸が「非直線的で一方通行的ではない双方通行的な世界」であること。
バックトゥザフューチャーのような、過去と現在を行き来する描写は無いので、
異星人は、現在と未来を行き来する知的生命体、
もしくは、現在から未来を見ることができる知的生命体、
言い換えれば、3.5次元の知的生命体、ということになる。
3.5次元の異星人の言葉を、3次元の地球人が研究し、理解し、習得すると、
現在から未来を見る能力、
すなわち、高次元の言語が使えるようになると、未来予知も可能になる、
というSF展開が、知的で説得力があり面白かったし、
物語のシーンが展開するたびに、主人公の目が覚めるたびに、
フラッシュバック的映像として差し込まれる、子供との過去の「思い出」が、
そうではなかったと、裏切り演出だったことに気づいた瞬間の興奮度たるや、
SF映画の醍醐味であり、映画が名作に代わった瞬間でもあった。
また、昨今の量子力学の研究発展から、
こういう能力を持った異星人が、科学的にいてもおかしくない状況であったり、
高次元世界の存在の可能性が、科学的に現実味を帯びているのも嬉しい。
将来を受け入れ、瞬間を慈しむ
構成、ストーリー、どれを取ってもあっぱれ。
すぐに理解できないところが難儀、、
時系列
エイリアン→未来予知(別れること、子供が死ぬことを予見しながらも結婚)→ルイーズとイアン結婚→子供→未来予知で離婚する未来と離婚する未来を相談→離婚→子供亡くなる。
言語の現象学
「今」を大事にしよう
シンプルなのに やたらと難解
ドゥニ・ヴィルヌーブ監督作品ということと、第89回アカデミー賞8部門ノミネートで音響編集賞授賞ととても評価されている作品ということで鑑賞。
うーん、登場人物が少ないし限られたシーンのみのシンプルな構成なのだが、真のところはやたらと難解。
そして終始暗めの映像と不安を掻き立てられるような不穏な音響は、何となく心がざわついてしまい疲れてしまう。確かに音響編集賞を受賞するだけあって、とても印象的な音使いのだが…。
全体を通して全く退屈さは感じないのだが、かといってなんだか面白味に欠ける。この感じは、ドゥニ・ヴィルヌーブ監督らしさといえばらしさなのかも知れない。結構好みが分かれる作風なのだろう。
評判通り良い作品だとはいうことは節々でわかるのだが、個人的にはあまり観応えを感じられなかったかな。
最後のルイーズの決断に感動
よくある宇宙人との接触ものかと思いきや、予想外の展開にビックリ。回想シーン=過去の先入観に騙され、未来の光景だとは疑いもしなかった。冒頭から娘の死でトラウマを抱えた主人公の話だと錯覚させられる。
最後のルイーズの決断に感動。辛い未来を知ってでも受け入れて進む、ルイーズの姿勢は私には真似できない。私だったら子供が死ぬと分かってたらイアンとは結婚しない道を選ぶかもしれない。
どんでん返しがあるとは聞いてたけど、斜め上の形で感動系の終わり方に持ってたのが良かった。
こういうの好きだけど一点だけ…
宇宙もので時制を超えた展開好きです。
インターステラーとかね。
これは間違ってDVD借りて2度目の鑑賞なのだけど。
一個だけ疑問が。
将来、ルイーズが自分の出版記念パーティー?で将軍と会う時、
将軍に電話したこと自体覚えてないのはなぜ?
その成果が周囲にも伝わらないと携帯で電話したこと自体罪に問われるわけだし。
でも繰り返すけどこういう映画嫌いじゃない。
文字を用いた地球外生命体との交信を描く異色作
ある日、突如宇宙からアメリカ、中国、ロシア、日本等、世界の12ヵ所に巨大な宇宙船が出現。言語学者のルイーズは、過去に軍で翻訳の仕事をした実績を買われ、物理学者のイアンらと共に、宇宙人が地球に来た目的を探る事になる。宇宙船に招かれたルイーズらは、地球外生命体“ヘプタボット”と交信し、彼らの使う文字を解読する作業が始まった。
監督は『ブレードランナー2049』『DUNE/砂の惑星』シリーズの鬼才ドゥニ・ヴィルヌーヴ。原作はテッド・チャンの短編小説『あなたの人生の物語』。
原題は「来日、到着」を意味する“Arrival”だが、邦題の“メッセージ”は本作の本質を的確に表現した素晴らしいタイトルだったように思う。
また、日本ではヘプタボットの乗る宇宙船の形状が米菓子の“ばかうけ”のようだと話題になったが、見れば見るほど黒い“ばかうけ”にしか見えなくなってくるから面白い(笑)
侵略目的ではない宇宙人との遭遇、彼らの使う文字の解読、ヘプタボットの特徴的な7本足やヒトデのような手のひら、宙に描かれる墨を吐き出したような文字と、あらゆる面で独特な世界観が展開される。宇宙船の佇む野原の昼夜様々な景観、霧に包まれたような宇宙船内と画的な魅力も素晴らしく、静謐で美しいSF作品に仕上がっている。
ルイーズ役のエイミー・アダムスは流石の演技力で、パートナーとなるイアン役にはジェレミー・レナー、米陸軍大佐ウェバーにフォレスト・ウィテカーと脇を固める俳優陣も豪華。
脚本の構成による、終盤のどんでん返しが見事。
冒頭から展開される、ルイーズと幼い愛娘ハンナとの思い出。病院で赤ん坊のハンナを抱く様子や、成長し共に遊ぶ様子、小児癌を思わせる重病と抗生物質の副作用による頭髪の抜け。奮闘敵わず、幼くして愛する娘を失ったルイーズの悲しみは、過去の出来事にしか見えなかった。そこから間髪入れずに大学での講義に向かう姿は、“娘を失った悲しみを背負って仕事に励む女性”と勘違いさせるには十分な演出だった。「あなたの物語は、あの日から始まったと思っていた」というモノローグや、父親の姿や名前が登場しない様子に僅かばかりの違和感こそあれど、「余程、旦那さんとは上手くいかなかったんだな」と自然と解釈してしまっていた。
ヘプタボットとの交信を繰り返す中で、ルイーズ度々娘の夢を見る。それは、娘を失った辛い記憶のフラッシュバックで、娘と過ごした日々の中に彼らとのコミュニケーションの鍵を見出しているように映った。
ところが、彼らの目的を知らなければ、中国をはじめとした世界各国が宇宙船へ軍事攻撃を開始してしまうという瀬戸際で、宇宙船でヘプタボットのコステロに、ルイーズは「この子は誰?」という強烈なインパクトの台詞を放つ。「ルイーズは未来を見る」と告げるコステロによって、ルイーズが今まで見てきた娘との記憶全てが、未来視によるものであった事が判明する。そして、娘の父親となるのが、共に解読作業に当たっていたイアンだったのだ。だから父親の名前や素顔が明かされなかったのかと分かった瞬間の気持ち良さは抜群だった。彼が何気なく放った「独身のままだ」という台詞の意味も回収される。
ラストでイアンのプロポーズを受ける際、ルイーズは「この先の人生が見えたら、選択を変える?」と問う。それに対して、イアンは「自分の気持ちをもっと相手に伝える」と答える。
この回答が素晴らしい。恐らく、この台詞を受けたルイーズは、未来視したイアンと離婚する未来には辿り着かないのではないかと思う。ルイーズの未来視では、未来が見えるが故に、イアンを傷付け離れてしまった様子だった。しかし、「未来が見えるなら、ちゃんと相手に気持ちを伝える」と答えるイアンによって、ルイーズは未来が分かった上で、限られた時を大切にすると、彼と共に歩む決心をした。ならば、この瞬間に未来は僅かながらも確実に姿を変えるのではないかと思う。“イアンと結婚してハンナを産み、彼女を病気で失う”という未来は変わらない。しかし、その未来を満たしているのは、本来の未来よりも愛という“メッセージ”に溢れたものだろう。ハンナを失うその日も、ルイーズはイアンと共に悲しみ、さらにその先の人生も彼と共に歩んで行けるのではないかと思う。
この微妙に、しかし確実に姿を変えたであろう未来を予感させる美しいラストに胸が熱くなった。
また、本作は未知へ対する恐怖心から陰謀論に走ったり、過激な行動に出る人間の愚かしさも描かれており、それらを排して“繋がろう”というメッセージもある。ヘプタボットの言う「3000年後に人類の助けが必要になる」という未来がどんなものかは想像もつかないが、それまで人類という種が“繋がり”、存続し続けているよう祈りたいものだ。
物理的時間と心理的時間のトピックを組み合わせた時間をめぐるドラマ
時間は物理的時間、肉体的・生理的時間、心理的時間に大別される。
物理的時間は時計で測れる過去から未来へと流れる時間、肉体的・生理的時間とは体内時計等の時間、心理的時間とは「楽しい時間はあっという間だが、退屈な時間は延々と長い」と感じる時間のこと。
例えば、今でもファンの多い『ある日どこかで』は物理的時間と心理的時間を組み合わせたタイムトラベル映画で、行きたい時代の品物を身に付けて自分に催眠術をかければ、実際にそこに行けるというほのぼのとした映画だった。
原作を読んでいないので詳細はわからないが、本作も物理的時間と心理的時間に関する次のようなトピックを組み合わせてドラマ仕立てにしていると思われる。
①循環的時間と流れる時間
物理的時間の認識形態をみると、古代人の時間意識は生命を左右する作物の収穫、天空の動きとともに形成され、そこでは季節とともに生命が死に絶えるが、新たな季節とともに再び生命が甦るという循環的な時間認識が形成されていた。その後、科学の発達とともに時間は過去から未来へ不可逆的に流れるものだという認識に変容した。
②ラプラスの悪魔
宇宙にあるすべての物質の質量と運動量を知っているものは、宇宙を未来まですべて予言できるという仮説。現在では量子力学により否定されているが、本作では異星人は3,000年先まで予知できるという設定である。
③言語によって左右される時間意識
人間は言語によって思考するが、言語によって異なる時制があるように、言語が異なれば時間意識が変容する。それを本作はSF的に予知能力にまで大幅に拡大している。
本作は基本的な構図としては、SFによくある異星人とのファーストコンタクトもののうち、「いい異星人」との接触パターンである。
言語学者が異星人の言語を習得した瞬間、予知能力を身に着けて、地球人と異星人の戦いを未然に阻止するというだけの単純なストーリーなので、作り方が難しいところだが、冒頭から何度もヒロインの未来のシーンを挿入することで、重層的なイメージを作り上げている。
ただ、ここには好みの問題も入ってきて、「未来がすべてわかってしまうのは味気ない」と考える小生にとって、最後は「ちょっとなあ」と首を傾げざるを得なかった。
ハードSFの金字塔
いろいろ書きたくてめちゃくちゃ長くなるので、内容が伝わるかは置いといて羅列することにした。
ちょこちょこインサートされる娘とのシーンは、最初過去の出来事だと思って観ていたが、次第に未来の出来事だと気付き、さらにループしていて過去でもあるが未来でもある事に気づいた。あれは連続している。
宇宙船は最後ふわーっと消えたが、あれは去ったのではなく、初めからそこに居ないのであり、同時に今も居るんだと気がついた。去ってはいないし、来てもいない。
前後が存在しない世界では時間の概念が無い。いずれ死ぬが死なない。
宇宙船もヘプタポッドも12体現れたが、同時存在なので実は全て同じ1体が同時に多重存在している。
と、ここまで来ると勘づくが量子論が科学の原理原則に栄えたら多分、ヘプタポッドのワールドになると思われ、我々三次元の上の世界は時間を操れるんじゃなくて、時間が無い次元で後先も無いから仏教の哲学で説かれる色即是空空即是色なのがきたる未来なんではないか?と。
僕は神さまと思われる人物?と合って話しをしたことがあるが、間違いなく言えるのは、一瞬で背後に居て、一瞬で居なくなったから、自空をコントロールしているってこと。自分の体験からメッセージはあながち只のSFでは済まない気がしている。
静けさ溢れていて薄暗い霧の中にずっといるような映画
疲れたけどおもしろかった!
映画の空気感自体はずっと静けさに溢れていて、薄暗い霧の中にずっといるような映画でした。
各国が戦争を仕掛けるか…!?というピリピリバタバタはやはり流石にあるものの結構落ち着いて見れる作品です。
実際に宇宙人がきたらたしかに言語学者が解明していくんだろうなあという感心と、一歩一歩宇宙人の言葉を解き明かしていく過程がパズルを解くようでおもしろい作品でした。
学術的にはこういうアプローチになるのねえみたいな知的なおもしろさでした。
過去、未来、現在が同軸に存在するという世界観も私には新鮮で楽しかった。ああなるんだな〜。ああなると自分の選択に意味がなくなりそうで、決められた未来しか歩けなそうでなんかちょっと怖いな。
あとは宇宙人ものなのでいつ殺されるのか?なんか不穏な映像も挟まるぞ?とずっとヒヤヒヤソワソワして気を張ってたのでとても疲れた!
また、一兵卒が爆弾仕掛けるあたりとかの作りは唐突で雑だったりと、ところどころおや?とは思ったり。
でも基本的には楽しく見れました。
人生をどのように紡ぐか、についての映画
宇宙人ヘプタポッドの言語を解読するというストーリーに、フラッシュバック的に差し込まれる女の子の映像に戸惑いながら鑑賞するも、ラストになって全貌が明らかになるにつれ、深い感動が込み上げてきました。
ヘプタポッドの言語を理解することで未来を見通すことができる主人公ですが、そもそも未来という時間概念は西欧近代に限られたもので、そう言えば、日本では、正月が来るとすべてがリセットされるという円環の時間概念がまだ生きているような気がします。(とは言え、過去、現在、未来、という一直線の時間概念がすっかり身についていますが。)
未来を見通すことができる人間がどのように人生を選択するのかという問いは、まさにひとりひとりの人生の物語だと強く感じました。
ヘプタポット語学びたい
ざっくりまとめると
言語は思考を形成する
→エイリアンの言語を学べばエイリアンの思考のエキスが入る
→今回のエイリアンは未来が見える奴らだったので同じ感覚になれた
(正確には過去現在未来を認識していない)
僕もヘプタポッド語を学んで未来を見てみたいな
多分将来は5教科に国語算数理科社会ヘプタになるんだろうな
ヘプタポッドの授業は筆ペン使うんだろうな
ヘプ検準二級とか取っときたいな
ヘプタポッドの単語カードとか発売されるんだろうな
国際ヘプタポッド大学とか青山あたりにできるんだろうな
ヘプタポッド学ぶために語学留学したいけど受け入れてくれるホストファミリーいるかな
余談
宇宙船がモノリスっぽくてアゲ⤴️
最近黒くて無機質の直方体が全部モノリスに見える
録画レコーダーとか触んの一瞬躊躇しちゃう
この作品のメッセージとは
私はこの作品はSF映画の形をとったメッセージだと感じました。
私はこの作品を観たほぼ同じ日に、スタートレック ストレンジニューワールドという作品を観ましたが、内容が似ていました。
このシンクロニシティの示すものは、重要なものだということです。
何故彼女が選ばれたのか、それは時間に関する新しい概念を彼女なら受け入れることができるからだと感じました。
人間のいわゆる五感というものは、私たちが思っているよりももっと高度な能力がありますが、私たちはそれを制限しています。
もっと見えていたら、もっと聞こえていたら、それは素晴らしいことですが、それは身体に多大なる負担を強いるものとなります。
時間に関する概念も同様です。
もし、未来を見通すことができたとしたら、既にわかっている事柄に対処できるのか、困惑したり、混乱、ストレスになったりせずに、受け入れることができるのか、それを受け入れることができる人にだけ、見えるのだと感じます。
メッセージとは
素晴らしいSF!
SFは好きな方なので、ずっと気になっていたのをようやくみれました。
素晴らしい。SFのイメージを変える映画だと思いました。
SFと言えば宇宙戦争をしているものが多く、それはそれで好きです。
ただこの映画は現実にありえそうな状況を映画にしていて、学者たちが活躍する。活躍といっても派手なワクワクよりも、淡々と着々というほうが強いです。
宇宙人とのコミュニケーション、他国との協力、起こりえそうなことが続き、本当に宇宙人が地球に来たらこう言う対応をするのだろうか。と思いました!
また、主人公の記憶が最初にでてくることにより、そこからもう映画の見方が結末を知ってるか知らないかで全然変わってきますね。
まさか未来が見えていたとは全然思わなかったので、悲しい人が今でも悲しみを抱えながら生きているところに宇宙船がやってきたのかと思いました。
これはもう一度みたら印象が変わり、違う見かたができそうです。
そして疑問に思うのは、果たして彼女は未来を見たことによって旦那に言うことで同じ結果になることを覚悟するのか、未来を変えるのか。気になります。
摩訶不思議なエイリアン
ある日突然、地球に飛来した謎のエイリアンとの
意思疎通を任された女性言語学者を待ち受ける衝撃の運命を描いた
SF映画です。
原作者は台湾系アメリカ人のテッド・チャン。
宇宙から飛来した巨大な楕円形の飛行体が地球の12ヶ所に姿を現します。
言語学者のルイーズ(エイミー・アダムス)は、7本足で墨を
吐き出すエイリアンが空間にいろいろな円を描きます。
ルイーズは段々にエイリアンの言葉を解析していき、
意志を通わせて行きます。
原作者が台湾系なので漢字や墨にある程度の知識や縁があるのでしょう。
日本人として墨が広がる様子はとても美しく親しみ深く感じました。
まったく敵意を示さず攻撃もして来ないエイリアンの真意はなにか?
彼らは何しに地球に来たのか?
各国の科学者が血眼になって研究するのですが、
ルイーズが読み解いた言葉は、
『武器を提供したい!!』
さすがにビックリ発言に各国の首脳は臨戦体制になって行きます。
でもその真意は、3000年後の地球で起こる戦いのための備え???
そんな〜準備が早過ぎませんか???
ルイーズの幼い娘の回想シーン。
それも未来のことだなんて!!
なんかサイエンス・フィクションだけどスピリチュアルな雰囲気が!!
しかし映像の独創性・・・こんな造形の宇宙船は本当に
思いも寄らない形態でした。
未だ嘗て見たことのない宇宙船を見れただけでも満足です。
そしてエイミー・アダムスの美しさ!!
気品と優しさと知性、本当に魅力的でした。
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