沈黙 サイレンスのレビュー・感想・評価
全417件中、201~220件目を表示
信仰
重いが、また見たくなる。
ひなたの匂い
人生を賭けた信仰と絶望的な状況下における人間の選択。予め覚悟はしていたものの、喩えようのない悲しさと寂しさを噛み締めて、深夜の映画館を後にした。
本作は、マーティン・スコセッシ(1942-)の監督作品であることに加え、遠藤周作(1923-1996)の世界的に有名な小説(『沈黙』新潮社1966)が原作であること、さらには出演している俳優陣など、注目される要素は多いように思われるが、日本公開1ヶ月現在における本作の反響は、比較的「静か」な印象を得ている。〔もしかしたら、今の時代には合わない(=受けない)のかもしれない。〕
原作自体が単純明解とは言えない作品である以上、映画もそれなりになっているであろうと予測はしていた。しかし、そこはマーティン・スコセッシ監督の腕の見せ所であろうと期待もしていた。オープニングやエンディングの「虫の音」と暗黒の世界に引き込まれたり圧倒される場面もあれば、ストーリー展開が早すぎて、内容が理解しにくい場面も散見された。私は鑑賞前に原作を読んでから映画館へ足を運んだが、原作を知らない人が観ると、少し違う内容の作品として理解するかもしれない。
この作品は、タイトルの印象から一般的に「神の沈黙を描いた作品」と誤解されている。しかし、遠藤氏曰く「神は沈黙しているのではなく語っている」という意味を込めた作品である。もちろん、作品中で主人公とその友人たちは、様々な苦難に直面する。絶体絶命の状況下で、(キリスト教における)「神」が、なぜ救いの手を差し伸べない(何もしない=沈黙している)のかを問う。それは神に選ばれし者が、神に与えられた「試練」なのか?「見せしめ」なのか?それとも・・・。
キリスト教徒にとって神の存在を否定することは、自らの信仰を失うことになる。神への信頼と疑問。様々な葛藤の末に、主人公がたどり着いた境地とは。本書は、ある信仰者の内面的葛藤を描いた「回想録」である。
ちなみに『沈黙』というタイトルは、著者自身が付けたものではない。元々は「ひなたの匂い」というタイトルで脱稿した作品であり、後日に出版社からの意向を受け、タイトル変更したものである。(遠藤周作『沈黙の声』プレジデント社 1992)
作品の終盤、この「ひなたの匂い」という原題名を感じさせる場面が淡々と続く。ある種の「救い」がそこはあったのだろうか?主人公の両手に隠された十字架だけが、それを知っているのかもしれない。
なにもしないからこそ、神なのかもしれない
1960年代前半、江戸時代初期、日本ではキリスト教への弾圧が強まっていた。
布教活動に渡ったポルトガル人宣教師フェレイラ師(リーアム・ニーソン)が棄教したとの噂がローマに届く。
弟子のロドリゴ(アンドリュー・ガーフィールド)とガルペ(アダム・ドライヴァー)のふたりは、真相を確かめるべく日本に渡ることにした・・・
というところから始まるハナシで、日本に渡ったふたりがみたものは、筆舌に尽くせぬほどの弾圧ぶりだった。
とにかく、映像と音に圧倒される。
暗闇の中で聞こえる風などの自然音、そこに静かに現れる白抜きのタイトル。
そして、本年度米国アカデミー賞撮影賞にノミネートされている撮影。
自然の息遣いを感じる(ただし、エンドクレジットをみると、いくつかのシーンは台湾で撮影されているようだ)。
さらに、長崎奉行らが行う弾圧・拷問のさまも容赦がない。
観ていて、本当に心苦しくなる。
そんな中でも、棄てない信仰、信仰心とは、一体なんなのだろうか。
正直よくわからない。
でも、身近なものに置き換えてみるとわかるかもしれない。
愛する妻や子どもの写真を前にして、「踏みつけろ。嫌いだ、可愛くもない、と言ってみろ」と迫られたらどうだろう。
やっぱり、出来ないよなぁ。
自分の心に嘘をつくことは、なかなかできない。
でも、「やらないと殺すぞ」といわれたら、うーむ、やっちゃうな。
映画のキチジロー(窪塚洋介)のように。
「これはだたの絵だ。踏んだところで、自分自身が神を(妻や子どもを)愛していることに変わりわない」と思いながら。
でも、その後、後悔はするだろう。
キチジローのように。
じゃ、妻や子どもを、そして神を愛するというのは、どういうことなのだろうか。
何かをしてくれるから愛するのだろうか、信じるのだろうか。
たぶん、違うのだろう。
何もしてくれなくても、愛するだろう。
いや、もしかしたら、何もしてくれないからこそ、愛するのかもしれない。
何もしてくれないということは、裏切ったり、軽蔑したりもしない。
映画を観ながら、そんなことを考えた。
<追記>
映画後半で、ロドリゴと対峙する井上筑後守(イッセー尾形)が交わす問答は興味深い。
筑後守は日本を沼地に喩えていたが、砂地に置き換えると、宗教に代わって、米国式グローバリズム経済とヒューマニズムが中東に迫っているような気がしてならなかった。
それにしても、撮影以外は無視した米国アカデミーも、なんだか偏狭な気がするなぁ。
日本人の本質を理解し表現することはスコセッシ監督といえども難しかったですね。
最後の所を除けば、原作に忠実に映像化されてました。
絵も綺麗だったし、自然の描写もセットも町並みもよかった。
役者の演技もみんなよかったし。
でも井上さまの演出上の表現はイマイチでした。
別にイッセー尾形さんの演技が悪かっただけではありません。
あくまで演出の話です。
私には原作の井上さまのキャラとは全く別物に見えて、まあ、それでも原作とは違った良さを出してくれればよかったのだけれど、どうも違和感が残って仕方ありませんでした。。
スコセッシ監督は日本人のもつ宗教観を映像で表現できてなかったと思う。
私にとっては全く心を動かされませんでした。
原作読んだあとにはあれほどショックを受け、考えさせられたのに、映画では、その欠片すらなかったです。
遠藤周作先生は、日本人だからそこは十分すぎるほどわかっていて、それを文字で表現し、原作のスゴさにつながっていたのだなあと改めて気付きました。
まあ、しょうがないですね。
監督は日本人ではないですからね。
私たちが西洋人ではないので、彼らの本質がよくわかっていないのと同じように。
そういう意味では、民族の本質的な部分を理解し表現するのは難しいのだなあと思いました。
信仰なき日本における信仰の在り方
表に出さなくとも自分の心の中に信じるもの、信じれるものがあればいい...
巨匠の力作って感じ
長い。最後はやや冗長に感じた。
日本人からすると歴史で習って知ってる事なので、自分としてはイマイチ効いてない気もする。
日本以外の国の、そこら辺知らないキリスト教国人からしたら、近代も近い17世紀になって「キリスト教が迫害された歴史がある」って事自体が、(作中でも言うが)誰もがキリストの迫害になぞらえてしまう強烈なインパクトがあるのかもね。
信仰は何ぞや。
監督の心としては後半で語られる事がまさにそうなのかな、と感じた。
現代的な捉え方だ。
もはや神がいるかいないかなんて議論なんてナンセンス。そもそもどっちだっていい。
けどこの時代は違う。本気で神がどこかにいると、信じる神は違えど色んな人が辛い時にそこに縋って生き抜いていた時代なんだろう。
奇しくも時代に宗教・人種の違いによる問題が吹き荒れるこんな時代だから、考えさせるポイントがあるのかもしれない。
それにしても塚本伸也監督の演技は圧巻だった。窪塚や浅野忠信、他日本の役者陣の演技も良かった。
あと作り込み加減ハンパないね。
映画としては秀作でしょう。
スコセッシ監督の感覚に驚き
映画はとってもフェアに描かれてて良かったです。
ちゃんと日本の価値観とか言い分をイッセー尾形や浅野忠信の役を通してはっきりと何度も言語化していたし、その内容も日本人の心にしっかり沿ったものだったのに感心しました。
主人公の宣教師がおそらく死ぬ最後まで信仰心を捨てていなかったことは別いいんだけど、少しでも日本の価値観や宗教観を理解して心から受け入れる描写があれば良かったと思った。
自分の信仰心はそれぞれが持ったまま、違う宗教のことを尊敬しその存在を受け入れることがこれからの時代に必要だと思うから、主人公が棄教したふりしてたけどほんとはジーザスこそオンリーワンだよねって見えたからそこは残念に感じます。
でもキリスト教徒の西洋人の監督が撮ったことを考慮にいれれば、かなりフェアに撮ったと思いました。
心揺さぶられる作品。
始まりからエンドロールまで、余計な音のない静かな作品。風の音や虫の声、蝿の羽音、海の波音。
完全に、役者の台詞と自然の音のみ。
淡々としていて、また上映時間も160分超と長い。
それなのに、全く飽きさせる事なく魅せられた。
素晴らしい作品としか言いようがない。
異国の地日本の長崎にて、弾圧に耐え、己の信仰を試されるポルトガル人宣教師と貧しい百姓の切支丹たち。
神の沈黙の中、残酷な運命に翻弄される彼らの姿に胸を打たれた。
信仰とは何か、信仰のために命が奪われることの是非を考えさせられる。
そしてラストはなんとも言えない切ない気持ちになる。
キリスト教の迫害というテーマから、拷問シーンの残忍さに目を背けたくなったし、日本人切支丹の貧しさや汚らしさがあまりにリアルで驚かされた。
キャスティングはとても良かったと思う。特に日本人キャストは最高だった。
残忍な奉行井上役のイッセー尾形の無慈悲なさまとキチジロー役の窪塚洋介のクズっぷりが素晴らしい(笑)
1つ気になったのが、ポルトガル人宣教師のロドリゴとガルぺの綺麗さ?(笑)
迫害を逃れ身を隠し、貧しいボロを纏っているにしては……なんだか小綺麗に見えてしまった(笑)
個人的な意見として、この作品を観てキリスト教贔屓だとも感じなかったし、日本が排他的に描かれているとも感じなかった。
宗教弾圧は世界中どこでも、かつては行われていたこと。
弾圧する側は残酷で非情であるが、そこには異教を受け入れられない理由があるのだという事も理解できる。
永遠に考えさせられるテーマだ。
この作品を通して、スコセッシ監督と遠藤周作氏が何を伝えたかったのかをじっくり考えてみたいと思った。
若い頃、何故か巡りあった小説が、30年を経て今度は映画に。小説の内...
クワイガンジンを追い求めて、カイロレンとスパイダーマンが旅をする映画。
まともな感想は他の方々が良い事書いてらっしゃるので僕は違う視点で。
配役をみて、ニヤリとするのがスターウォーズファンでは?
エピソード1での指導者的存在のクワイガンジンが異星で行方が途切れ、それを探しにカイロレンとスパイダーマンが旅をする。
フォースを追い求めるジェダイ達が行方不明のジェダイマスターの存在を信じ、そのカイロレンが道半ばで倒れる。
フォースの存在を信じながら。
しかしその地で行方不明だったジェダイマスターはフォースの存在を否定して既に…
ええ、作者の意図ではない事は重々承知だとは思いますが、こういう見方だと、アダムドライバーの演技が余計しみます。
僕だけ?
閑話休題。
原作をあえて読まずに、話の展開を知らずに観るとこの映画そのものが、信仰の踏み絵の様な存在で、度重なるキチジロウの裏切りをどう受け止めるか。
度重なる元カノの浮気を赦し続けた僕の過去と重なり感慨深いものがありました。
良い映画です。
“信仰”の差異が生んだ悲劇。哀しすぎる迫害の歴史。
【賛否両論チェック】
賛:宣教師が目の当たりにした迫害の数々を通して、“信仰”の持つ意義や、異教徒同士の価値観の違いを浮き彫りにすることで、人間の生きる本質を問いかけてくる。
否:目を背けたくなるような処刑シーンが続くので、苦手な人には向かない。上映時間も少し長く、終盤はやや蛇足感もあり。
キリスト教が弾圧されていた時代の日本へ、恩師の棄教の真偽を確かめるべく、殉教を覚悟でやって来た宣教師。その彼らが直面する残酷な迫害の現実を通して、“信仰”ということの意義が投げかけられます。
決して踏み絵をせずに、進んで過酷な死を受け入れた者。生きるために、踏み絵や裏切りを選んだ者。様々な者達の生きる様、そして死に様を見せられた宣教師が、最後にどんな決断を下すのか、その葛藤にも胸か痛みます。
残酷な処刑シーンも多く、決して軽い気持ちで観られる映画ではありませんが、人間が生きていく上で、
「何を信じるのか?」
という普遍的なテーマを、観る者全てに問いかけてくる作品です。
とても濃い時間を過ごしてきました
長い映画なのでどうかなと思っていましたが、なにか、とても濃い時間を過ごしてきました。
次々と突きつけられるものに心を揺さぶられました。
時間をかけてまとってきたものをどんどん剥ぎ取っていくようで、苦しく、どきどきしました。
ロドリゴがたどり着いたのは、静けさの中でしょうか、包まれているでしょうか。
テンポが良く、時間の長さが気になりませんでした。
俳優陣もとても良かった。苦しみ迷い続ける主人公を演じたアンドリュー・ガーフィールドの、優しい声が心に残りました。
あと、浅野忠信演じる通訳の豪胆な雰囲気が、井上様の食えない感じと良いコンビネーションでした。ああいうのが本当に恐い。
走り去るキチジローは百点満点!でした。
分からなくなる
ある程度の予備知識はある中で観に行ったので、どうしようもないシリアスさは覚悟して行きました。
ですが思ったより、気持ち悪くなったり自分が支配されてしまうまでの重さは無くて良かった。
音をもの凄く効果的に使っている事と、映像美、アンドリューガーフィールドのファニーフェイスのおかげかな。
分からなくなったのは、日本人が受け入れなかったのかキリスト教徒が受け入れなかったのか。明白に日本人だと思って前半は観ていたのに、なぜかキリスト教徒側が頑なに観えてしまった。仏だって同じだろ?のところに、どこか日本人側が受け入れてるような錯覚を覚えてしまった。完全に惑わされてますね。
生命という絶対的なものの前で、どうかこれ以上争いが起きませんように。
ゼウスのナレーションはアダムドライバーかな?踏み絵のシーンは圧巻でした。
考えさせられる
人間の業
いつものスコセッシ映画と違い、タイトルの様に静寂した作品でした。前半は正直やや退屈に感じましたが、後半の激しい迫害が始まってからは、人間の怒りや憎しみが力強く描かれグイグイと引き込まれました。
イーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」の時もそうでしたが、近年では外国映画での日本人の描かれ方が非常に自然で、その文化も非常にに研究されている為、取り上げる題材も邦画以上に誠実で興味深い物になる事があります。今作もその一つと言えるでしょう。
現在も行われる宗教戦争、人間は神に救いを求め、神を裏切る。そうした人間の業に沈黙する神にその存在意義を問う。
無宗教を自負する私でさえ、神社仏閣の前では賽銭を投げ、首を垂れるのは何故なのかと考えてしまいました。
全417件中、201~220件目を表示