映画 夜空はいつでも最高密度の青色だのレビュー・感想・評価
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地上波でひな壇芸人のトークやグルメレポートを見るより、金を払ってこの映画みたいな絶望と倦怠と憂鬱と虚無に浸るべきだ!
今生きてる現実は絶望と憂鬱と倦怠に充ちている。誰も大声だしてそれを言わない。この映画の中の人も言わない。でも現実な厳しい。微かな希望(ストリートシンガーがデビューしたみたいに!)を信じて、死ぬまで生きるしかない。傑作!
東京と言うより地方都市感がある
日当七千円だと最低時給でフルタイムより下なんだよね
今は人手不足で清掃でも日当一万円くらいはいくので‥
また酒に煙草に女に、と言うのも今の時代からすると若干ズレている感じ
サブスクやYouTubeやっている人が多くてあんまり飲み会とかないし
仲間が亡くなって葬式を上げるのも?
多分行かない人が多いんじゃないかなぁ
個人の生き方なら尊重は出来るけど、これが東京かと言われるとちょい疑問だなと都民の自分は見てました
まぁそういうことを言いたい映画ではないんだろうけど、孤独を紛らわすものもたくさんあって、恋人いない人も4割超えしているのでね
誰からも無価値とかどうでも良くて、他人に興味ないのが今のスタンダードと思っています
違和感で再確認できたと言う意味では良い映画でした
口に合わなかった
自分とは相性の悪いタイプの作品。
都会での寂しさ、満たされなさ、あるいは若さゆえのもやもやとした感覚。
観ていてイライラした。
こんな女のどこに惚れるのか。
こんな男のどこがいいのか。
うざい者同士がくっついただけにしか見えなかった。
日雇い、孤独死、出稼ぎ労働者など社会的問題も
触れてはいるが、だから何。
死ぬまで生きていくと覚悟か諦観のセリフに受け取れるが
ぬるく感じて自分には相容れず。
それに路上ライブの歌が聴くに耐えなかった。
どう考えても売れると思えない。
言葉にはなんの力もない
言葉ってなんの意味も持っていないんだなと思った。言葉を見たり聞いたりした人が受け取ったところで、ようやく言葉に意味を持ってエネルギーを持つんだろうな。
色々な情報が飛び交う中で、その情報を全部知った気でいないといけなくて、それがおかしいということに気づいているのに、気づいていないと思って居なきゃいけなくて、それが気持ち悪くて喋っている。不安だから。
今に不信感をもったり人に不信感を抱いて過ごしているなら、自分の予感を大切に生きていこうと思った。
日常の捉え方
世界に何も期待していない2人。
でも何か起こる度に一喜一憂する。
東京とゆう孤独な世界に紛れ、沈んでいく人達の物語。
いつ何が起こってもおかしくないなら、
とてつもなく良いことが起こるかもしれかい。
陰と陽を行ったり来たり。
この世の中の大半はこのような生活をしていると思う。
日常が当たり前であり、おはようと言える幸せ。
現代の日本社会
映画の中の空気感に引き込まれました。
東京で暮らす人々の日常、現代の閉塞感や孤独感、突然の死、上手く言い表せないけど凄く伝わってくる。
登場人物達の語りや言葉は胸に残るものがあった。苦しい時、辛い時は思い出すようにしたい。
君がどこかにいる。心臓を鳴らしている。それだけで皆、元気そうだと安心をする。お元気ですか。生きていますか。
幸か不幸か俺は生きてる。お前も生きてる。こんな生活だけど生きてる。恋だってしてる。
ざまぁみやがれ。
何が起きてもおかしくないなら、やっぱりとてつもなく良いことが起こるかもしれない。
朝起きたらおはようって言おう。ご飯食べる前はいただきますって言おう。
最後の慎二と美香のシーン、エンディングの音楽には希望があった。日々の生活に生きづらさを感じている人、失敗して落ち込んでいる人に是非観て欲しいです。
「愛」とか「恋」とか軽い言葉ではなく・・・・
DVDで観賞。
この映画では、愛とか恋とか言葉の軽さを示し、大事なのはそこじゃないということを伝えたいのだと思いました。
そういう言葉があるから、人は恋したり愛したりするのではない。
自分の思う恋と、相手が思う恋は違うであろう。
人類がそういう言葉を持つ前から、人は同じようなことをしていたはずである。
言葉を持たない動物でも、同じようなことをするであろう。
主人公の二人を結び付けているのは、もっと直感的なもの。単にビジュアルだけでなく、醸し出す雰囲気、匂いかも知れない。
「ひとめぼれ」の延長線ともいえるが、言葉で伝えるものではなく、その直感が大事な事なのだと思います。最後の場面で、鉢から開いたい一輪の花を同じように喜べること。
それが大事なんだと。
なんだよ、この映画
東京オリンピック前の東京で、日雇い人夫で毎日をなんとか暮らしている男たちの話。
なんだよ、この映画。東京の、日本の、人生の、嫌なことばかり描く。これでもか、これでもかと描く。なのに、なんで希望を感じて終わってんだろう。いいことなんて、ほとんど起きなかったのに。サボテンに花が咲いた、それに二人は気がついた、ってだけなのに…
という訳で、自分はけっこう気にいった映画でした。
以下は、中盤に語られるフレーズだけれど、この映画、もしかしたらこのフレーズだけから生まれたんじゃないかな、と思いました。
「きみがどこかにいる。それだけで安心する。お元気ですか。生きていますか」
夜空はいつでも最高密度の青空、か。たしかに、晴天を次から次へと詰め込んでいったら、真っ黒になるのかもしれないね。観終わって、そんな風に感じられる映画でした。
池松さん、石橋さん、松田さん、ポールさん、みんな少し変な人たちを上手に演じてくれました。そんな中で、自分には田中さんの役柄が一番印象に残ったかな。最初から最後まで、何にもいいことないし、全く魅力もないんだけれど、監督が伝えたかったのは、もしかすると田中さんの生き方だったんじゃないかな。
観てよかった。ありがとう、キネカ大森。
おまけ
恋愛映画として好きなシーンは、「女子寮だから、入れません」かな。あんなに走って走って走ったのに…
池松も石橋も若くてとてもいい。 自転車置き場のシーンとか、バス...
池松も石橋も若くてとてもいい。
自転車置き場のシーンとか、バス停とか映像がいい。
田中哲司の複層的な感じも。この監督は複層的なところがいい。
最後の花のシーンも。
彼女のお父さんが笑顔で彼を迎えるところ。
妹の頓珍漢な感じ。
世界への胸騒ぎ的な不安と、いいことが起こるかもという感情。
池松は日雇で左目が見えず、変だけど、彼女との世界は豊かで優しい。彼女を捨てた男がリラックスするとき君は饒舌になると言って、石橋がイラッとするところが好き。石橋のカバンの持ち方が好き。
緩い
石井裕也はまたも弛い。
衛生的で最適量の孤独を維持し、特段虐げらぬ有能らしき男女が詩的語彙力で当節を語り、結局付き合うトレンディ映画 。
路上ギター女を野垂れ死にさせぬ弛さ。
松田龍平の配役だけは買う。
大都市東京の喧騒に埋もれた若い男女の吐息を視覚化した詩的コラージュ
最果タヒ原作の詩集にインスパイアされた石井裕也監督が創作したラブストーリーを、ドラマというより映像のコラージュで表現したユニークで斬新な映像作品。最近の日本映画を殆ど観ていない立場で云うのも僭越ながら、映像の吸引力を感じる才気溢れる演出を楽しむのは稀有なこと。
看護師をしながら夜はガールズ・バーで働き実家に仕送りをする美香という女性と、左目が不自由ながら建設現場で日雇い労働者として働く慎二という男性の偶然の出逢いと慈しむ姿を見詰めた愛の物語だが、通常の説明的表現を最小限に抑えて、二人以外の登場人物も東京という概念の背景にしたイメージ優位の表現方法で、ふたりの感情を映像に焼き付ける。大都市東京の喧騒の中に埋もれた、その女と男の吐息や悩みを優しく拾う作者の演出技巧は、これ見よがしにせず遊び心を持ってコントロールされている。仕事に追われた疲れをアンニュイな表情に見せるも、確かな生きている意思を秘めた美香を熱演する石橋静河、その熱量が作品を生かす。演技派池松壮亮の誠実な演技姿勢も慎二になり切っていて自然だ。フィリピンからきた出稼ぎ労働者アンドレスが、今の東京を客観視する設定もいい。観る者の想像力に語り掛ける映画の詩的な試みが地味ながら光る良作だと思う。
「繊細さん」こそ、濁らぬ眼を持っている
闇夜に二人乗りの自転車が灯す、小さな灯り。
希望を象徴する光。
決して太陽のような絶対的な輝きではないけれど。
臆病で、確かなものが欲しいけれど、どこにも見当たらない。そんな生を、どうやって、たった一人で生きていけばいいんだ?そんなあまりにも真っ当なギモンに、誰も答えてはくれない。
気付いてしまったら、正気ではいられないか、もしくは悟りが必要になるから。
多くの人はそもそも気付かず、気付いてもあいまいに、うまく誤魔化して、目をそらして向き合わないように生きる。自分にも他人にも。
えてして、世間的成功や穏便な暮らしというものを手に入れるには、ごまかしに無頓着になるしかない。
そのことにギモンを感じないくらい鈍感に生きられる人間と、それを繊細にキャッチし誤魔化しきれない人間と、世の中には両方混在している。一人の中にも、両方の部分がある。せめぎ合いながら、漂流しています。
でも繊細で生きづらくても、孤独でも、小さな灯りをともし続けていこうとする人はいます。ましてや、モヤモヤするとき、自分と一緒に考えようとしてくれる人がいればそれだけで、生きるのがどれだけマシになることか。
正解がわからなくても、絶対でも、ずっとじゃなくてもいい(そもそもそんなものは無い)。
自分以外にも「モヤっとした何か」をわかる人は、どこかに生息している。しかし実際出会わないと、なかなかその存在を信じられない。自分だけがこんな思いをしていると錯覚し、寂しさと焦りで鬱屈する。
でも本当は、出会っている。
その辺に、時々いる。
ただ気付かず通り過ぎることのほうが多い。それはそれぞれが殻を作って、自分を守っているから。
主人公の二人が、臆病さに震えながら、互いの傷つきやすい柔らかな部分に触れ合おうと、無表情の下で必死にもがきます。おっかなびっくり、ひなと親鳥が卵の殻の内と外から、互いに突つき合うように。
不器用でも、お互い働きかけて、やっと殻から出られる。そしてやっと細い細い何かが繋がり、灯りがともる。こんなめんどくさいこと、人の中で減っていくのは仕方のないことかもしれません。でも人類には大事なめんどくささです。池松さん演じる青年の小さな成長が、大きく歯車を動かしました。
よくぞ、リアリティをもって最後までピントがブレずに描いてくれたなぁと、見終わって心から拍手...脚本、監督さん、役者さん、なかなか言葉では語りにくいテーマを、映画にしてくれました。ありがとう。見事な調和。カタルシス...
石橋静河さんは、ザ・映画女優ですね。TVドラマには、はまらない。でも器用になる必要はない。どうかこのまま進んでいって欲しいと思わせる魅力を感じました。
群衆の中の孤独
日常の中に死は溢れていて、そんな現場に立ち合ってしまったことから、孤独を意識しはじめる物語。衝撃や悲嘆から目を背けようとしても、ダメージは静かに心を侵してゆき、そらに抗うには、自分を理解してくれる誰かの存在が圧倒的に必要だ。そんな状況で出会う若い男女の、ありふれているようで不思議な恋愛物語。
若い人の大半がそうだろうが、地方から上京して仕事に就いたら、職場と自分の住処が世界の大半となる。そんな職場で誰かの死を経験してしまうと、逃げ場がなくなり、だんだんと澱が溜まっていく。そうした時に、それまでの世界と切り離された誰かを必要として、そばに居て、話しをして、心の澱を取り除いていくことが、必要なのだ。孤独バンザイ、自由だ、とか都会に出てつよがっていても、人間はそういう生き物ではないのだ。
石橋静河と池松壮亮の、木訥とした掛け合いが妙に間が良くて、いい感じでした。最初は偶然の出会いが重なり、その中で少し自分と似ているところを見つけ、やがてベターハーフと確信するようになる間合いが、自然で良かったです。
脇を松田龍平や田中哲司などが固め、キャスティングも安定。必要性は賛否両論ありそうだが、個人的には佐藤玲が出てくるくだりが、唐突に挟まれたのが良かった。
石井裕也監督っぽく、都会の孤独を題材に切り取った、秀作だと思う。
ありのまま
世の中、都会で華やかな生活を送る夢を叶えた成功者も勿論いるだろう。でも多くはこの映画の中に出てくる人たちの様に、夢があっても叶えられないか、夢が見つけられないか、毎日必死に働いてどこか満たされない思いを持ちながら暮らしている人の方がおおいと思う。
慎二も美香も普通の若者ですごく等身大。演じた池松壮亮、石橋静香が上手いのか、、、2人とも会話も表情も決して大袈裟でなく、ありのままの、どこにでもいそうな普通の若者をさりげなく演じている。
ラストのミュージシャンの広告トラックを目にした2人の表情もすごく良かった。日々の忙しない日常にひと筋の希望が見つかったような
きっといい事あるよね、がんばろうよ!て前向きになれるような、良いラストでした❗️
ざまあみやがれ、俺は生きてる
死ぬために生きてるわけでもないけど、
本気じゃないけど死にたくなる日もあるけど、
それでも今僕は生きている。
辛い事の方が多い毎日だけど、全ての人に小さくてもいいから幸せが訪れればいい。
【”死ぬまで生きるさ!” 死の香りが濃厚に漂う都会の中で、必死に生きる人々へ”生”の大切さを伝える作品。”頑張り過ぎない程度に、頑張れ!”】
ー 死の香りが濃厚に漂う映画である。
それは、
”同僚の突然の死”であったり、
”人身事故による、列車の遅延”であったり、
”独居老人の孤独死”であったり・・。-
・美香(石橋静河)は昼は看護師、夜はガールズバーで働く。諦観した風合を漂わせる女性。
ー その理由は、後半劇中で語られる。-
・慎二(池松壮亮)は東京オリンピックに向け、活況を呈する建築業界の曾孫受けの会社で日雇い労働者。
目に問題を抱えながら、トモユキ(松田龍平)、イワシタ(田中哲司)、フィリピンからお金を稼ぎに来たアンドレスら、と働く日々。
■印象的なシーン
・”ウルサイ!が口癖だったトモユキはある日、突然脳梗塞で亡くなる。手配師らしき男はお金を香典袋にも入れずに出し ”現場で死ぬな・・”。
ー 人間を、労働する道具としか見ていない、愚劣な輩である。-
・スマホを見ながら、俯いて歩く通勤する人々の姿。
・慎二が時折差し入れをしていた隣人の老人の死。死後2週間で発見される・・。
・やや年配のイワシタが腰を痛めながらも、現場をハシゴするシーン。だが、年齢的に厳しいのだろう・・。
ー 田中哲司さんが、日雇い労働者の悲哀をコミカル感も交えながら、好演している。-
・路上で、”頑張れ!”と言うフレーズが何度も出てくる歌をうたう女性のストリートミュージシャン。美香は慎二に”あの人、売れないよ・・”と呟く。
だが・・・。
ー ラストに近いあるシーンで彼女のギターを抱える大きな絵が描かれたトラックが美香と慎二の前を走り抜けるシーン。二人の驚きと、嬉しそうな表情。ー
・正社員のアンドレスがある日、会社を辞めると言った後の言葉。
”ここは、人間が働く場所じゃない・・”
・慎二が美香を夜、自転車の荷台に乗せて走るシーン。彼が美香に掛ける言葉。
・美香が慎二と暮らすことを決意した後に話す言葉。
”募金しよう・・。”
”朝はおはよう、と言おう。”
”ご飯を食べる時は頂きますと言おう、そういう事だよね・・。”
<辛い日々が続くけれど、信念を共有した慎二と美香の前には”新しい世界”が広がっている・・。
雇用問題の過酷な現状を絡ませながら、大都会で暮らす人々へのエールを感じさせる作品である。>
■蛇足
・今作で、キネマ旬報の新人女優賞を取った石橋さんは、当時”石井裕也監督さんからは毎日叱られて、共演の池松壮亮さんは常に隣で”大丈夫だ。負けるな”と言って下さいました・・。”とコメントしていた。
この映画を作った人たちも皆、頑張っていたのだ・・。
路上ミュージシャンの野嵜好美。ガンバレー
『ジャーマン+雨』(2006)で主役を務めた野嵜好美。かなり痛い役柄でリコーダーを吹いていたというイメージしか残ってないのですが、今作では所々路上でエレキギターで歌っているという風変わりなストリート・ミュージシャンだった。彼女だけを切り取ってしまえば、そのままスピンオフの映画も作れそうな強烈な印象を与えてくれた。
TVで放映されたわけでもないのに、タイトルに“映画”とついているのが不思議だと思いつつも、ストーリーそのものも人生観、死生観を感じさせる詩的な映像表現になっていた。こうして、生きることの辛さ。また、死への恐怖を描き、田中哲司が仕事を頑張りすぎたために死んでしまうんじゃないかと思っていたが、彼の立場としては全く逆の生きる様を演じていた。
都会で孤独に過ごす者にとっては多分田舎人にはわからない共感があるのだと思うし、夢を求めて田舎を飛び出した割には、結局夢が何なのかもわからないほどにただ生きている姿。テレビも無さそうだったし、新聞をとっているわけでもない。ネットのニュースに依存しながらも、知らないことだらけの世の中。知らないことがあるから怯え、そして笑う。左目が見えない慎二にとっては逆に幸運?いや、だからこそ何かを追及したくなるに違いない・・・
“愛”という言葉には血の匂いがすると美香は言う。元カレもそうだし、世の中の嘘や欺瞞がみなそう映る。そして、“捨てられる”という意味をも曲解し、捨て犬のアニメーションが痛く映し出される。一方、慎二には身近な人が死んでいく現実を見てさらに鬱屈していく。ただ、そんな二人が出会ったことで何かが変わるハズ!孤独死なんてしたくない。ともに生きる者がいれば、それだけ見る目が変わるんだから・・・
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