ラストレシピ 麒麟の舌の記憶のレビュー・感想・評価
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良かった……
キャストの皆様の演技に引き込まれて、涙がとまらなかった。
ストーリーは途中から「こういうことなんだろう」と分かってしまうのですが、それでも引き込まれてしまい、家族、国、人の繋がりや大きな愛に感動が止まなかった。
人は独りでは生きていけない
周りが見えなくなって自分だけの狭い暗闇に囚われてもがいていても、そばに居て寄り添い、共に歩んでくれる、心配してくれる大切な人は必ず居てくれる。
その大切な人の存在に気づいたとき、真の優しさと強さを手にできた。
それで失うものがあっても思いは時代を越えて受け継がれていく
。レシピは愛情だった。
こんな素晴らしい映画をありがとうございました!
感動。西島よかった。
西島がよかった。
また脚本も重厚で感動的であった。
ただ、満州と当時の日本の関係など歴史にある程度知識があったほうがより楽しめる。
ベストシーンは
山形が殺される寸前の
「おまえ、料理が好きなんだろ。監視するだけだったら、あんな深夜に一人で試作しないだろう」。
ぐっときた。
鎌田も監視という本来やりたいことではないことをしていた。
やりたいことをやれと。
日本の相互監視社会でやりたいことができずに居る、多くの人に勇気をくれるシーンだった。
綾野も演技がよく、楽しめた。
ただし、二宮の終盤改心する描写が薄い感じもした。
演技もそんなに上手くないとおもった。
依頼主の所に戻った辺りから感動する
テンポが悪くて最初は眠いですし、主役は嫌な奴なので共感出来ないしで、前半は見てるのが辛いものがありましたが、レシピを作った山形の人となりが見えて、レシピを使った陰謀が出てきた辺りから突然面白くなります。中国人を逃がすために嘘をつあて怒鳴り、レシピを託し、本物は燃やす。料理馬鹿にみえて苛烈な人である。過去編が本当に面白かった。
映画館で観るほどじゃない 泣けない
友達に誘われ興味はあったので一緒に行った。
ストーリーは凄く良く小説だったら感動作品になり泣いていたと思う。(このあと本屋に行って買いました)
映像化してしまうとカメラワークや脚本が下手くそ
撮り方が映画っぽくなく地上波で許せるレベル
今どの時代のことを言っているのか分からなくなる。
コントラストを暗くしたりフィルム風で撮ったりと工夫があってもよかった。全てが同じ時代かのように撮っているので感動が無い。
ん?と思うところがいくつかあった
・佐々木が中国の楊の所に訪れた際、会話の最後あたりでテーブルに出された飲み物(?)を物撮りしていて食べるシーン行くかなと思ったらスルー。結局あれはなんだったんだ。
・柳澤がチャーハンを作っている隣で佐々木がカツを作っていたが結局カツには手を付けなかった。いや、食べろよ。なんで作ったんだよ。
・施設のおじさんの死に方が車に轢かれるんじゃないかとソワソワしてたら車ゆっくり進んで止まってくれてそっちかーいって思った。
・佐々木が真相を知り施設に行った時施設にいた女の方誰?
結局何を伝えたかったのかわからない。
ラストレシピって何?麒麟の舌の記憶ってそもそも佐々木は食べたことないんだから記憶も何もないだろ?
主演が二宮和也だという様に世間は言っているが西島秀俊の物語じゃないか。
食べ物は美味しそうだった。
演技も役者さん素晴らしかった。
ただ、スタッフが全てを壊してる。
うーん
過去のパートはまぁまぁ面白かったけど、現代のパートの設定と展開が雑過ぎ、適当すぎ、ファンタジー過ぎ。
見終わって冷静に考えたら、施設長のおじさん、兄妹同然で育った人の大切な忘れ形見(にの)を、たまたま養護施設をやっていたからと言って、施設の他の子と一緒に、身寄りの無い子として育てる必要無くない?その子はその子で我が子として愛情注いで育てれば良いでしょ。ニノも良い歳なんだから戸籍くらい見れば、お母さんの名前やお祖父ちゃんの名前くらい解るよね?と思ったりして。まぁ、そこがファンタジーってことで。後、施設長の死に方とか、つっこみどころが多くて、感動とかはなかったかな。
でも、鎌田くん役の子が最初出て来た時、おー、ジャニーズ顔で物語に合うの?っておもったけど、表情がくるくる変わって可愛かったのが掘り出し物でした。
王道
丁寧な画面。王道のストーリー。館内ではすすり泣きがそこかしこで聞こえました。
千鶴役のあおいちゃんが流石でした。貫禄がある。家庭で夫を支える妻を見事に演じている。満州までついて行って家政婦するだけじゃない、女性性というべきか、求められている役割を果たしている千鶴は一番の立役者。
しかし弟子2人はどうして師匠の孫に顔を見せに来なかった?
いつも王道につきものの、死んだ家族の友人知人が幼い遺族をずっとほったらかしにする流れが納得いかない。
なんどでも観たい
本日3回目の鑑賞です。
じんわりとあたたかい気持ちが残る映画です。
二宮さんがロールキャベツを食べた後の表情から続く、過去パートのシーンが大好きです。
幸せが溢れて胸がいっぱいになります。
その後は一気にストーリーが動いて…
エンドロールの最初に「ラストレシピ」とタイトルが出る…その時の音楽と相まって涙腺が崩壊してしまいます。
静かに、丁寧に重ねられた糸を二宮さんの表情や仕草で紡がれ、気づくと心が満たされている。何度も浸りたくなる映画です。
出来過ぎ、、な感じはあったかなと。
出演の俳優さんがすべて好みということもあり、
ワクワクで鑑賞。
したものの……
どなたかも書かれていましたが、
「え?結局そこのお話か。」っていう感じがあったし
「よくできたお話だな」という感じが否めなかった。
あぁ、そこが着地点なのね、という。。。
ただ、子を育てる母としては、毎日何気に作っている食事がはたしてどれだけ子供にその味を刻めているのかなっていう気持ちが強く残った。
ただ、ラストの充の涙は、拒み続けたことを後悔し愛を感じたのである涙でもあるし、何より、あんな壮大なレシピで仰々しい食事をしたとしても、結局は身近に食している母親の味 に戻ってくるのだなというところは、身近に感じられて、共感できた。
西畑大吾君の、あの、、、複雑な心情の中で壊れて泣く様は、すごく良かったと思います。
あの夫婦の柔らかな雰囲気、
映像から、出汁の香りが漂いそうなシーンも
セリフがないながらも、とても幸福な気持ちになったし
まず、そこでこみあげてきた。
二宮くんについては、
さすが、ラストのあの泣きが何とも言えなかった。
感動のオブラートに包んだ卑怯な反日映画
戦時中の日本をテーマにした映画はだいたいステレオタイプな日本を悪者にした映画が多いので普段は観ないのだが、今回はむしろどれだけ酷いものなのか興味が涌いたので観ることにした。
結論から言えば、全体的な俳優の演技はなかなか良かったが、内容は案の定、この低度だろう、という酷いものであった。
満洲国を、今漢族はわざわざ「偽満洲国」と呼んでいる。
なお溥儀が皇帝について後の正式名称は「大満洲帝国」である。
筆者は大学時代に東洋史を専攻していて、また北京に留学していたこともあるので、我が家には中華書局発行の『史記』から『清史稿』までの原文の歴代二十四史すべてがある。
だいたい次の王朝が前の王朝の歴史を編纂するので、自らの建国の正当性を主張するため、前王朝を必要以上に貶める傾向がある。
そのため国家編纂の正史のはずなのに後世から見ると嘘が多いため「偽史学」という学問まである。
前王朝の初代ぐらいは持ち上げたりするので、初代皇帝が生まれた時は鳳凰が屋根に止まったとか、目の中に瞳が2つあったとか書かれていてほぼテンプレート化されていたりする。
なので現在の共産党がことさらに誇張して日本を歴史で叩くのも同じことである。
もちろん自分たちの不都合を隠すのも昔から変わらない。
さて満洲国の皇帝溥儀は清のラストエンペラーだが、なぜ彼が満洲国の建国に力を貸すようになったのだろうか。
清が倒された後、漢族によって西太后の墓が暴かれ、金目の物は持ち逃げされ、西太后の屍体がレイプされたことが大きな引き金になっている。
また元々満洲国の領域自体は満洲族の土地なので漢族がとやかく口を挟む権利はない。
本作では満漢全席は満洲族と漢族の融和の象徴だとの話があったが、実際は違う。
残念ながら満洲族にとって漢族は差別する対象でしかなかった。
満洲族統治前の漢族は髪に霊力が宿ると信じていたため髪を伸ばしっぱなしにしていた。
ただ満洲族にはその習慣は不潔に映ったらしく、『キン肉マン』のラーメンマンのような弁髪を強要させ、言うことを聞かない漢族はどんどん処刑した。
しかも満洲族やモンゴル族、ウイグル族には弁髪を強要しなかった。
また日本の大奥に当たる皇宮にもモンゴル族とウイグル族は入れたが、漢族は許されなかった。
本作では漢族の呼び方も厳密にはおかしい。
「中国人」という呼び方は当時存在しない。「支那人」が一般的で、そうでなければ「漢人」だろう。
また竹野内豊演じる三宅太蔵が兼松若人演じる楊晴明を共産党のスパイに仕立てようとする設定になっているが、大陸で支那事変の間中日本が終戦まで戦っていたのは国民党である。
当時の共産党は匪賊や馬賊といわれる当の漢族からも嫌われていたほとんど山賊みたいなものであり、おそらく日本軍人は共産党を全く意識していなかっただろう。なので国民党のスパイならまだわかる。
1937年の盧溝橋事件でも衝突したのは日本軍と国民党軍である。
ただこの事件も裏で暗躍していたのは共産党なので、実際には満洲国にも多くの共産党のスパイが入り込んではいただろう。
しかし、当時の日本軍には共産党が眼中になかったという話である。
本作ではまるで現在の共産党のプロパガンダよろしく日本は共産党と戦っていたかのような誤解を与えている。
因みにこの盧溝橋には抗日戦争記念館があり、筆者も北京留学中に数回足を運んでいる。
館内は共産党の歴史観が反映された展示が続き、外には4章仕立ての共産党の正当性を誇示する石像が40個ほどある。(現在は知らない)
館内展示・石像ともに日本語・英語・漢語の説明文があるのだが、日本語では「日本兵」と書かれている単語が英語では「Jap」になっていた。
アメリカですら今や公の場所で使用しているとは思えなかったので、21世紀にもなって「Jap」か!と驚いた。
また同時に日本人にもすぐわかるだろうにこのような蔑視表現を平然と表記するのは馬鹿なのか?とも思った。
それから館内で使用されている写真の説明も酷かった。
1人の漢族女性が軍人に連れられている写真の説明に「この女性の太腿から肉をそいで餃子にして食べた」とか書かれていた。もちろん肉をそいでいる写真ではない。
孔子も人を食べていたようだし、三国志にも最高の客へのもてなしとして自分の妻子を食べさせるエピソードがあったり、むしろ古代から食人の習慣があるのは日本人ではなく漢族である。
また凄惨な写真がたくさんあって全て日本軍がしたことにされていたが、それらは本当は「通州事件」の写真であったり、プロパンガンダとして捏造したやらせ写真であったりする。
「通州事件」とは、国民党軍が日本人居留民約380人の家を一軒残らず襲撃し、略奪・暴行・レイプなどを行ない、その大部分を筆舌に尽くし難い方法で惨殺した事件である。
やっと最近になって日本はこの事件をユネスコの世界記憶遺産に申請した。
劇中で鈴木料理長が「何をやってたんだろうな?私たちは…人様の国で…」とつぶやくシーンがあるが、この言葉はそっくりそのまま今の漢族に返してあげたい。
満洲を征服し、現在もチベット・南モンゴル・ウイグルと人様の土地を占領しているのは漢族である。
また「大日本帝国食菜全席」の創造自体が竹野内の陰謀だったわけだが、暗殺未遂に止めるとはいえ、いくらなんでも天皇陛下を利用するなどという馬鹿げた計画を思いつく帝国軍人が当時存在するとは思えない。
この設定そのものが日本人を馬鹿にしているし、当時の軍人を貶めている。
どうして日本人が日本を貶める映画を制作するのだろうか?筆者は理解に苦しむ。
また楊晴明を演じた兼松若人も笈田ヨシも北京普通話の発音がネイティヴに聞こえない。
日本語をある程度話せる台湾人俳優などの起用を考えても良かったのではないだろうか?
本作は秋元康が企画しているし、監督は米アカデミー賞外国語映画賞を『おくりびと』で受賞した滝田洋二郎である。
俳優も二宮和也や西島秀俊をはじめ素晴らしい面々が出演している。
オープンセットで当時の満洲の街並みを再現するなどそれなりにお金もかけている。登場する料理の数々も手がこんでいてとても美味しそうだった。
本作の演出が原作小説通りなのか改変されているのかはわからないが、このような感動作品にひそかに反日を潜ませる手法は一番卑怯だ。
事実を知らない人々にせっせと反日を刷り込んでいる。
これからまさに激動の時代が訪れようとする中、日本人は日本人であることに誇りを持って未来を切り開くべきではないかと筆者は考える。
こういう映画が制作されること自体が一日本国民として悲しく思う。
心にそっと寄り添うような映画です
二宮くんのインタビューで「シソです」という台詞が言いづらくて〜と言っていたのを見たので確認する気持ちで見ました笑
意外や意外。心が温まるような映画でしたね。
お話は、家族を亡くしどこか感情が欠落した、人間不信を極め孤独に生きながら得意の料理で客が求めるあの味を再現する仕事を引き受け借金返済を続ける佐々木という人物が、高額の依頼を引き受けた所から始まります。
満州時代に作られた幻のレシピを再現してほしい、その為にレシピを探す旅へと続いて行くのですが、関係者を探し話を聞きながらレシピの在り処に近づいていくにつれ、自身との繋がりが発覚していく物語。
主演の二宮君の出番は半分も無かったのではないかと思いますが、終始、心が死んだような冷たい印象で、全てが投げやりにも見える自然体なら演技でした。その分、感情豊かで情熱的な西島さんや綾野さんの演技が引き立った気がします。最後には自身を取り巻く人や、家族の料理に対する熱い想いを知り、どこか少し、でも確かに前を向き、人間らしさを取り戻したような、そんなラストで、見ているこちらにも何か心が温かくなるような、ホッとしたような。前を向いて歩いて行けるんだなって思える素敵なラストでした。今、孤独で辛い人には特に心に入ってくるんじゃないかなと思います。私がそんな状態だから余計にグッとくるものがあったのかも´д` ;
出てくる料理も美味しそうだし、料理があんまり好きではない私でも料理ともうちょっとしようかな?頑張って見ようかなと思える映画でした。
なお、主演の二宮さんは左利きですが、この映画のために右手での演技を練習したそう。利き手に見えるくらいの演技でステキでした!
満腹
ネタバレ入ってるので未鑑賞の方は読まないでください。
原作未読で鑑賞しました。
(余談)観終わった後なぜかロベルト・ベニーニの『ライフイズビューティフル』を連想しました。
~呪われたレシピは、本当は愛のレシピだったのだ~
鑑賞後感がいい映画でした。誰が見てもハズレでなし!
・充は基本表情演技なのだが、主人公であり、視聴者の目線でもあったため、逆にそれが活きていた。最後、いい表情だった。
・鎌田が泣き叫ぶシーン、監獄でよく響いていい演出だった。
・宮崎あおいさんの演技がさすがでした。安定感がある。
・・・・・
以下、原作未読で映画館に行った一素人目線で思ったことです。
あくまで個人的な感想ですし(自分の場合基本辛口)気にならない人は気にならない箇所を書き出しているので、辛口レビューで気分を害してしまう方は読まないで下さい、
<ストーリーについて>
・確かに最後はきれいにまとまってるんだけど、途中(特に山形の死後)詰め込み過ぎてるせいでそれぞれに深みが足りず“最後を感動にもってくためのカナシイ要素全部乗せ!”したように見えてしまう。たくさんの要素をきれいにまとめるために都合よく物事を運ばなければならなくなってしまった印象。レシピは呪われているかのようにいろいろな不幸を引き起こし今まで再現されたことがない、とするためだろうが無理があったような。
・正直、サチが麒麟の舌を持っていなくても努力で周りの人たちとの助け合いでレシピ再現する話でもよかったかなぁ、と。それに麒麟の舌を持っていることがもっとこの作品の中で重要かと思ってたけど、そうでもなかった…
・どうでもいいけど、現実だったら充の往復大変そう(某、クエストクリアために長距離往復するオンラインRPGかな…)。他に方法なかったのだろうか、
<演出について。細かいことですが。>
・「包丁は父」のページと連名の裏表紙、もうちょっと本編でよく見えるようにしてほしかったし、本編でもう少し取り上げてほしかった。最後の言葉が大事なのに、早くてそこまで読みきれない。(本編ではあまり触れずエンドロールで活かすなら、せめて裏表紙を移す前くらいにゆっくり最後まで味わって読めるよう映し出してほしかった。)
・よくよく見ないとわからない、本当に細かい仕草や目線についてなのだが、二宮さんたしかにその場その場では上手いんだけど、シーンや相手によってややキャラクターがブレていて統一されていない印象。そのブレの幅は日常であれば普通だし(人にはいろんな面があって当然)不安定な揺らぎに焦点を当て描いている映画作品も多いが、今回のように一人一人の正確の違いがパッキリと分かれていてそれがベースとなりストーリーが進行していく映画作品だとそのブレが目立つ。(初めにも書いたが、最後の最後の充の表情は文句のつけようもなく素晴らしかったが。)
・充が「偽りの?」と繰り返す場面が2回もあって、
また聞き返す?さっき偽りってきいたやん、とつい思ってしまった。それに、聞き返すセリフがワンパターンでややしつこいかな、
・どうでもいいけど、現代版料理の名前と見た目、もうちょっとなんとかならんかったんかな~と。laboとかギャラクシーとか、笑えてきて感動の余韻にあまり浸れない…(笑)
・・・・・
以上です。他の人が観たら「そんなん気にならんわ!」となるかもしれないけど自分がやや気になったところを書き出してみました。
誤解を与えてしまうかもしれませんが、
全体的には、この映画を観に行って満足でした。
ミステリーじゃなかった
原作を大きく脚色しミステリー色を消してしまったようだ。結局、綾野剛演じる友人柳沢が計画した充救済の物語であったようだ。やたらと子供がたくさん出て来ていたがそれが最後に効くようにしてレシピのリレーが行われたわけだ。しかしニノの演技はどうだったのかイーストウッドに怒られたのを忘れてしまったようで力のない演技だったのではないか、他の嵐のメンバーは演技にも頑張っているのにちょっとは気合を入れろと言いたい。物語も充が何で料理に目覚めたのかの説明もなく、麒麟の舌を発揮する理由も見出せなかった、映画としては凡作に終わってしまったようである。それにフジTVの料理の鉄人のディレクターの作品なのに何でテレ朝が制作してるのか、TV局には仁義はないのか。
予想外のストーリーでした
なぜ「究極の晩餐レシピを探せ!」などという話なんだろうと観る前には疑問に思っていましたが、これは自分探し・ルーツ探しだったのですね。私は結構泣けましたよ。「おくりびと」の滝田洋二郎監督、うまいと思います。 ただ、ストーリーを見て疑問に思ったのは、三宅少将が山形に「毒を盛れ」と指示することで、これって鎌田君にこっそりやらせるように指示するのが自然ではないかと感じました。様子のおかしい彼に気づいた山形が、彼を問い詰めて真実に気づくほうがありそうではないかと...。誇り高い料理人の山形がそんな指示に従うわけないでしょう。
「永遠の0(ゼロ)」のしょぼいパクリ。ユルい映画。
興行的には成功するだろうけど、ユルい映画である。
まずもって、豪華なキャスティングと料理(笑)に予算がかかりすぎたのか、時代感を出さなければならないVFXがしょぼく、セットは作り物まるだしで、テレビの特番レベルである。
おおよそプロットは、"大日本食菜全席"という幻のコース料理のレシピを探す天才料理人の話なのだが、ミステリーにもなっていない。
"次は〇〇をたずねなさい。"、"私が話せるのはここまでです。"って・・・子供の作った宝探しゲームを解いていくようで、スリリングさのカケラもない。
オチが分かると、"それもやむなし"と多少の同情もできるのだが、こんな茶番に付き合わされるのは、たまらない。「永遠の0(ゼロ)」のしょぼいパクリである。
主人公・佐々木充が自分の店を潰して、借金を背負い込む理由がバカげている。オヤジひとりでやってるラーメン屋じゃあるまいし。スタッフも客も大事にできないシェフがどこにいるんだ。仕事の仕込みができないヘボ料理人か。
「おくりびと」(2008)の滝田洋二郎監督作品というけれど、原作が浅いと、どうにもならない。監督と俳優は頑張ったかもしれないけど、映画化まで持っていくのは無理があったのではないだろうか。
秋元康の企画ね、やっぱり。
(2017/11/4 /TOHOシネマズ新宿/シネスコ)
材料はいいが、できあがったらいま一つの味
一度食べた味を決して忘れず、その味を再現できる絶対味覚の持ち主・佐々木充(二宮和也)。
究極の味を追求した結果、経営していた店は潰れ、莫大な借金を背負った彼は、その能力を活かして、金持ちに対して最後の食事をつくって糊口をしのいでいた。
最後の食事の代金は、100万円・・・
そんなある日、謎の中国人から、旧満州国時代につくられたとされる「大日本帝国食菜全席」のレシピを捜し出して再現してほしいとの依頼を受ける。
手付金として300万円、成功報酬は5000万円・・・
といったところから始まる物語で、失われたレシピの影にある歴史秘話が隠されており、そのレシピと主人公が意外なところで繋がっていく・・・
のだけれど、話の端緒から、あれれと思ってしまった。
主人公の能力は「一度食べた味を決して忘れず、その味を再現できる」能力である。
「一度食べた」である。
つまり、「食べてない」味は再現「できない」ことになる。
だから、謎の中国人が是が非でも失われたレシピを手に入れたいのならば、探偵のプロに頼むのがスジというもの。
こんなところで躓いちゃったものだから、あまり熱心に観ていられない。
が、そこはベテラン監督の滝田洋二郎。
それでも面白くみせていきます。
興味深いのは、満州国時代のエピソード。
満漢全席を超える料理「大日本帝国食菜全席」をつくれと命じられた山形直太朗(西島秀俊)の物語。
全体の尺からいえば、この時代の物語の方に尺が割かれていて、実質的な主人公は山形直太朗ともいえるし、この部分だけ独立させて一本の映画にしたほうが、重厚で、かつ謎に満ちていて面白かったのではありますまいか。
まぁ、そうなると二宮くんの出番はなくなちゃって、観客数激減ってことになるのだろうけど。
最後にひとつ。
「一度食べた味を決して忘れず、その味を再現できる」主人公の能力、結局、ほとんど活かされておらず、がっかりでした。
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