アベンジャーズ エンドゲームのレビュー・感想・評価
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「あるべき自分」と「ありたい自分」 正義とはなにか
IWとEGを通してみれば、
サノスとトニーは、ヴィランとヒーローとゆう立場でありながら、実は非常に似た者同士だったとゆうことが分かる。
IWでは、「自分の運命から逃げ出そうと思ったこともあった」とするも、愛娘を殺してまで「全世界の生物を半数にして、世界の均衡を保つ」とゆう大義を果たしたサノス。
EGでは、アイアンマンを辞めて「モーガンとペッパーとの生活を絶対に守りたい」とするも、自らを犠牲にしてまで「サノスを倒し、失った人たちを元に戻す」ひいては、「世界の脅威と戦う」とゆう大義を果たしたトニー。
2人は「ありたい自分ではなく、あるべき自分」を貫くことが正義なのだと伝えてくれた。
そして同じヒーローとゆう立場でありながら
違う道を歩んだトニーとスティーブ。
「あるべき自分」に拘ったトニーに対し、スティーブは
絶対正義のキャプテンアメリカとゆう「あるべき自分」ではなく、「完璧ではなくとも、最善の人でいること」、つまり「ありたい自分」で居続けることが正義だと伝えてくれた。
これはCWのときと同じ構図だった。
「あるべき自分」と「ありたい自分」。
このふたつの正義はどちらも間違ってはいないが、結果としてサノス、トニーは死に、スティーブは生き残った。
また「ありたい自分」を持ちながらも、なることが“ 出来なかった”ナターシャと、失意のどん底で、アスガルドの王としてではなく「ありたい自分」を見つけて、それを受け入れたソーとの結末も明暗をわけることとなった。
そこでマーベルスタジオとして
「あるべき自分」より「ありたい自分」でいることが未来に繋がると 正義に対してひとつの答えを出したんだと思う。
またトニーとナターシャに関して言えば、
トニーは、トニースタークとして生きる道ではなく
アイアンマンとして世界を守りたい欲求を抑えられなかったのに対し、
ナターシャは、ブルースとの生活を夢見つつも、自らの過去から諦めざるを得ず、結果「ありたい自分」になれなかった とゆう違いがある。
そういった理由から
ナターシャはまだ生存、復活の可能性があるのではないかと思う。
GOtG3は恐らくガモーラを探す旅になるのだろうが、ガモーラもナターシャもソウルストーンに取り込まれ、別の世界軸の中で生きていているんじゃないか そう考えてしまう。
もう少しトニーについて考察すると、
アイアンマンとして世界を救いたい欲求を抑えられなかったことが
IWでサノスに言われた「知識に呪われた者」の「呪い」なのではないかと思う。
タイムマシンを造る知識がなければ、自分の家庭や生活を守れたのに、知識があったがために自らの死を招いてしまったと。
しかしトニーは自分を犠牲にしたことに対して、もっと肯定的な感情を持っていたと思う。
「トニースタークにもハートはある」と“ アークリアクター”に刻まれているが、トニーはアーマースーツを脱いでも、心はずっとアイアンマンのままだったとゆう暗喩だと思う。
そしてその極めつけが、最後に言い放った「I am Ironman」なのだと思う。
そして自らの犠牲を覚悟させるきっかけとなったのは、父ハワードとの再会だと思う。
「大義のために個人の幸せを諦める必要はない」と言うハワードに
「私は父の背中を見て育った」とゆうトニー。
血は抗えないと感じた一方で、そんな父と自分に誇りを持てた瞬間だったと思う。
そして、ハグと共に「ありがとう」と言った瞬間決意が固まったのだと思う。
このシーンがあったおかげで、トニーの魂は救済されているんだなと感じた。
今作品は、ひとつのスクリーンにヒーローたちがアッセンブルするシーンが最大の見所となっているが、
各キャラクターたちが辿った運命に、ちゃんと答えを出してくれたことが、一番評価される部分なんじゃないかと思う。
あと過去作品に出てきたセリフやオマージュが 今作中に随所に散りばめられており、20作品追い続けていたファンに対する愛情を見せてくれたのもよかった。
DBに例えてみました。
前作が素晴らしかったので期待して観に行きました。
しかし時間が経つにつれ、観たかったのはコレジャナイ感が…。
ラストもなんだかモヤモヤ。
何でこうなった?
一晩考えてみた結果は以下のとおり(ドラゴンボールで例えてみます)
みんなで総力を結集して戦ったけど、ドラゴンボールで完全体になったセルには勝てなかったよ。
仲間の半分が殺されちゃったよ。
(ここまで前作)
↓
そうだ、過去に行ってドラゴンボールを集め、みんなを生き返らせよう!
↓
その過程でクリリンが犠牲になったけどまぁ仕方ないよね。
↓
セルに殺された人を生き返らせることができたけど、セルに計画がばれちゃってなし崩し的に最終決戦!
↓
相手は完全体になる前のセルだけど、やっぱ強くて敵わずドラゴンボールの力でなんとか消し去った!
↓
でもドラゴンボールの力に耐えられず悟空は死亡。
ベジータは引退してお爺ちゃんになったよ。
END
大雑把に言ってこんな感じでしょうか。
できれば完全体のセルと真っ向勝負して勝って欲しかったし(結局前作のサノスを超えることはできなかった訳ですよね)、クリリンを犠牲にして欲しくなかった(悪役のサノスがガモーラを犠牲にして石を手に入れたからこそ、歪んだ形かもしれないけど娘への愛情を感じられた訳で、ヒーローが同じことしたらダメでしょ)
悟空には奥さん、子供と幸せに過ごして欲しかったよ(これは単純にペッパーが不憫)
結局、解決策としてタイムマシンを持ってきたのがすべての元凶だと思います。
前作終了後に真っ先に予想されてた展開そのままじゃん!
ハワードやカーター、ソーの母との絡みをどうしても入れたかったのかもしれませんが(実際グッとくるシーンではありました)、それは彼らの単独作でやるべきではなかったかと思う。
これによって展開がブツ切りになってしまいましたし、必要以上に話がややこしく、矛盾点も生まれてしまったのではないでしょうか。
どうしてもタイムマシンを使いたいならそれでもいいんですが、序盤の実験などのシーンはもっと短くてよかったと思う。
タイムマシンというあまりにも予想どおりの展開が恥ずかしかったのか、取り繕うためにもっともらしく説明を入れただけのように感じます。
このレビューを不快に思う方もたくさんいらっしゃるでしょうが、私が求めていたヒーロー像は皆さんと違うのだと思ってください。
単純に、ヒーローならば無敵の悪役を真っ向勝負で倒して欲しかったし、仲間を犠牲にして欲しくなかったし、最後は大団円で終わって欲しかっただけですので。
ラストがヒドい。ハッキリ言って駄作
とにかくラストのヒドさが作品全体を台なしにしている。絶賛している人が多い作品らしいが、その人たちはマーベルが、マーベル映画が大好きでマーベルのキャラがたくさん出てきたら文句なしで絶賛!って人なのかねぇ…3時間の映画の中の最終目標のひとつである倒すべきめちゃくちゃ強い敵が、指をならしただけで倒せちゃったのに納得出来るんですか…?
決定的なミス?
今作の物語の核となるタイムトラベル。
「過去に行っても現代が変わるわけじゃない」というパラレルワールドの様な設定で進んでいきます(ネビュラが過去の自分を殺しても現在のネビュラが死ななかったので間違いはないと思われます。)が
であれば圧倒的な矛盾が一つある気がします。
それは最後の最後キャプテンアメリカが各ストーンをもとの場所に返し終えた後。
キャプテンがおじいさんになって現れた部分です。
上映中はむしろ「想像通りだったわ」という感じだったのですが、終わってみて考えました。
パラレルワールドの設定であると仮定し
劇中の現在を(A世界)
改変された過去を(B世界)
としたときA世界のキャプテンがB世界にストーンを返しに行ったのに、A世界でおじいさんになるまで生活していたのはかなりの矛盾ではないでしょうか?
B世界に飛んだのであればA世界にはキャプテンは存在しないはずです。
=無理やりな想像1=
おじいさんになるまでB世界で暮らした後、タイムトラベルに必要なスーツを再度着て、B世界からA世界に回帰してきたものの、座標の位置がほんのちょっぴりずれて湖の近くに出現してしまい、さらにはほかのメンバーが気づくまでの間にスーツを脱ぎ何事もなかったかのようにベンチに座った。
↑
これなら矛盾はしませんがさすがにそんな裏設定じゃちょっと…
=無理やりな想像2=
A世界以外のどこかの世界のキャプテンがA世界の過去に来ていてA世界でおじいさんになるまで暮らしていた。つまりA世界には年齢の違う二人のキャプテンが存在していた。
↑
これも矛盾しませんが矛盾以前の問題ですよね 笑
とまぁいろいろ考えてみたのですが、このキャプテンの在り方だけ疑問がぬぐえない状態です。納得のいく答えありますでしょうか?
映画自体は想像通り過ぎて物足りなさを多少感じましたけど面白かったです。
優しい世界を夢見すぎた
「優しい世界を夢見すぎた」という感想を得た箇所はふたつ。ひとつは「ナターシャ、ガモーラ、ヴィジョン、ロキの犠牲」。もうひとつは「悪の哲学」。
「ナターシャ、ガモーラ、ヴィジョン、ロキの犠牲」
誰も犠牲にならない展開というのは、まあ多分無理だろうなとは思っていたが、それでも「少数で済まないかなー」と少し期待していた。リーダーであるキャプテンかトニーのどちらか一方が欠けて終わりになるのならば、(寂しいけど)頑張って受け入れられそう…と思っていた。
が……蓋を開けてみてこんなにつらい犠牲が多いとは思わなかった。これは自分が「優しい世界」の作品に触れすぎたせいもあるのかもしれないが、それにしてもちょっとつらかった。彼らが居なくなってつらいのではない。居なくなった後に、みんなが受け入れてしまっていることがつらかった。3時間でちゃんと終えなければならないから、エンディングに至っても引きずった顔のままで終われないのは分かるんだけども…、
ブルースは? 床割っただけしか描写なし? スターロードは? 家族が減ったけど船出できる? ワンダは? ソーは? 前作で死んだ人に関してはもう良いのか?
こういう感想を持つのは、まだアベンジャーズ初心者だからなのだろうか…
「悪の哲学」
前回うっかりサノス論理に納得できてしまったせいで、サノスの論理にどう対抗するのかという点が非常に気になっていた。
まどマギで例えると「何だかんだ言ってQBシステムは宇宙のためになってるんだよなあ…」からの「でもそんなに悲しいシステムやめて!っていうまどかの気持ちは分かるよ」といった具合の、そういう納得が欲しかったのですが…
前回「宇宙守るために生命半分にするやで」
今回「やっぱ半分残したら駄目だったから全部消すやで」
前回のお前の理屈は何だったんだよ!! ガバガバにも程が有るぞ!! あそこまで大仰なことやらかしたんだからアベンジャーズ来たくらいでひっくり返してんじゃねーよ! 独りよがりでも自分の論理を堂々と掲げて有言実行するのがサノスの悪役としての箔だったのに、シリーズのラスボスがただの小物になったじゃねーか!
悪役に対しても、登場人物の一人として平等にその主張、正義、哲学を見たかった。「悪の哲学」がしっかりしないと、ヒーローもお互い様で、「独りよがりの正義」になってしまう。「どっちの言い分もわかるけど、やっぱりヒーローの言い分はこうでなくちゃな」というヒーローへの憧れのためにも、サノスには自分の理論を揺らして欲しくなかった。それも「優しい世界」だからできることだったのだろうか。
色々あったが、これでおしまいだから、仕方ない。アクションやビジュアルの美しさよりも、今回はこっちの方が気になってしまった。
…本当にソーの続編にロキ居なくて大丈夫? チーズ入ってないピザみたいにならない? いや、確かにチーズ入ってないピザもあるけどさ…でもさ…
その後しばらく考えたので追記:
サノスの論理への反論について。「間違っている」ものに反論はいらないという姿勢は独りよがりの「うっせーバーカ(暴力)」でしかないのでそれこそ「論外」なんですが、アベンジャーズ側の反論で想定できるものは「いのちだいじに」が一番ヒーローらしいかと思います。生命礼賛ですね。多分映画でもそうだったのだろうと思うのですが。
ですが一方サノスの方も一見生命軽視に見えはしますがそうではなく、IWの彼は宇宙というものを生命として見ているのではないでしょうか。自分としてはそう見えました。だから「半分減らすのは心苦しいが生命維持(宇宙の存在維持)を考えるなら致し方ない」という発想で、結果あれと解釈していたのですが。
自分ががっかりしたのは、「半分そのまま残す」のが駄目だと分かるの早くね? という点なんですよ。そこまで壮大な計画ならシミュレーションくらいしとけって。最初から「全消し&半分の数で再建」にした方が良いなとなっていれば、宇宙的規模で考えるときのサノス理論は完璧だったのでは? そこができてなかったからEGでの彼は「ただの悪役」に成り下がったように自分には見えたわけです。
アベンジャーズとサノスでは「生命」の
の見方考え方が違うんで、話が通じないんだろうなあとは思うのですが、だからそこを暴力じゃなくてまずは論理で攻めろよと思った次第です。その結果、「宇宙規模ならサノスは正しい」「でも自分たちには受け入れられない。よってしね!」となっても良いし、「いや宇宙規模で見てもサノスは間違ってる。何故なら…」となっても良かった。
その場合はちゃんと言葉で視聴者に話して欲しかったな…「言ってたじゃん」という人がいるのかも知れませんが、少なくとも自分にはまだIWの時点でサノス優勢に見えたので。
傑作だが求めていたエンドゲームとは……(ネタバレ感想)
エンドゲームは今期最高の映画だと思う。
それは、10年共に歩んできた仲間達との最後の別れが待っているからだ。
10年来の友人と、もう会えない。
永遠になると同時に、終演を迎える。
10年共に歩んできた輩なら、そんなの感動しない訳がない。
ただし、本作の様々な描き方は疑問が残る。
ストーリープロットや、個々のキャラクターの描き方。
そして、最後のシーンには、もっと美しい終わり方が出来たのではないかと思う。
これだけの良キャラが揃っているのに、見せ場が成立していないキャラも多く、作中内の理論も破綻している。
不信に思った点と、私が求めたエンドゲームについて書こうと思う。
以下より多分のネタバレを含む為、本作を観ていない方は、読まないようにお願いします。
批判されるのは承知ですが、あえて声を大にして言いたいので。
まずは、不信に思った点。
①時空間理論について
②マイティ・ソーのファンは辛い
③アイアンマンの家族
④キャプテンの最後
⑤ドクター・ストレンジが無能
⑥サノスの描かれ方
⑦キャプテンマーベル不要論
⑧インフィニティストーンの扱われ方
大きな箇所では、この辺り。
①時空間理論について
本作のタイムトラベルは、時間と空間が連続しない為、多少の影響は問題ないと見なされます。ただ、時間と空間が連続しないで分岐するのであれば、最後の年老いたキャプテンが同一時間軸にいるのが謎。
タイムマシン理論をもう少し段階を追って説明するか、説得力のある事を言わないと駄目な感じ。
②マイティ・ソーのファンは辛い
カッコいいソーが見られない。冒頭10分のストームブレイカーを呼び寄せるシーン以外は全部だめ。しかもラストバトルですら弱体化させられたまま挑む事になります。
これはストーンを持っていないサノスとの戦闘バランスを考慮したようにしか思えません。
インフィニティー・ウォーでは、1撃で何十体も倒したのに、今回は1撃で数体しか倒せていない。
ラストバトルで窮地に陥る為に、ソーを弱体化させているようにしか感じません。
次回作が決まっているから、今回はこのままで良いやとすら思える。何だかなぁ。
雷神様なんだから、雷の力で体型くらい戻せよ。
③アイアンマンの家族
これは単純に撮影スケジュールの都合かも知れないので、そこまで不満と言う訳でもないのですが、家族3人揃うシーンがありません。
庭で遊ぶシーンや、寝かしつけるシーンでも、3人が揃うカットがありませんでした。
モーガンとペッパーの仲は、あんまり良くないのかなぁなんて思います。
窓ガラスから覗くペッパーや、家に入ったモーガンを抱き上げるペッパー。妻と娘に軽くからかわれて嫉妬するトニーとか、そういう家族間のやり取りが見たかったなぁと思います。
④キャプテンの最後
年老いたキャプテンが座っている時点で、タイムマシン理論が破綻しているのに加えて、キャプテンの台詞や最後のダンスシーンが蛇足感満載。これについては求めるエンディングにも繋がるので後述します。
⑤ドクター・ストレンジが無能
ダムのように水止めて、人差し指を立てる人と成り下がった最高の魔術師。
止めた水を投げつけて、道を造るくらいしなさいよ。
せめてエボニーと対峙して動けないくらいにしてもらわないと、パワーバランス的に合わない。ギリギリ勝てるけど間に合わないみたいな描かれ方が良かったなぁ。
取り敢えず思ったのが、1400万分の1がこれかよ……いや、それについては全て台無しになっちゃうから何も言えないけど……。
⑥サノスの描かれ方
インフィニティ・ウォーの格好良いサノスは、どこに行ってしまったのか。
ただの倒しやすく分かりやすい悪役と化し、異常な剛腕でBIG3を追い詰める。その金属剣は何で出来てるんですか?
前作は石を持っていたから力の理由があったのに、今回は異常に強い。今までの力関係が分からなくなるくらい無意味に強い(物理)
パワーストーンを使う事でハルクをも押しのけるのがサノスじゃないのか? 常に強者であれば、草の根滅ぼし活動でも問題ないじゃん。
サノス特有の、傍から見たら間違っているとも言える確固たる信念は、過去に自分の星を失いかけた時点で形成されたはずなのに……。格好良いサノスが見たかった……。
⑦キャプテンマーベル不要論
彼女の存在はゲームバランスを著しく崩す。それ程の強キャラ。チートキャラである。
それ故に、彼女は遅れて来るし、大事な場面では間に合わない。間に合わせない。
タイムトラベルの時点で彼女が一緒に居たり、ガントレットが出来た時に彼女が居て、彼女が指を鳴らしていれば、ハルクは負傷せずにラストバトルに参戦出来たのではとすら思う。
単独作の映画は正直、中の上程度の出来なので、キャラの掘り下げが甘い状況になってしまう。
彼女の始まりは分かっても、宇宙で何を忙しくしているのかまでは理解が及ばない。そのため、何で居ないんだよ感がメチャクチャある。
こんな中途半端な扱いで良いのだろうか。いっそ出さなくても良かったのではないか。
大人の事情で出された感しかしない悲しいキャラになってしまった。
⑧インフィニティストーンの扱われ方
揃った時点で指パッチン製造装置になってしまった石達。
それぞれにストーリーや固有能力があったのだから、元の使われ方が見たかった。
揃えたら凄いのは分かるから、それぞれのストーンに分離して、一回でも個々の使い方が見えたらもっと素敵だったかも。
結局、私が見たかったエンドゲームは、
・意思と意思の戦い
・石と石との闘い
・ヒーローの美しい最後
である。
サノスのキャラ性を壊さずに、相反する思想の戦いに出来なかったのが酷く辛い。
また、ガントレットと言う一つの個体扱いの石達ではなく、個別の石としての戦いが見たかった。
個人的な振分けとしては、
ヴィラン側
サノス ガントレット・パワー、リアリティ、スペース
ヒーロー側
ストレンジ・タイム ワンダ・マインド ホークアイ・ソウル
あたりにして、ヴィジョンとナターシャの幻影がラストバトルで一瞬でも出て欲しかった。
まぁ、過去から石を持って来た時点でヴィジョンは難しいかも知れないけど……。
でもワンダの中のヴィジョンくらいなら出せたかも知れないし……。
ストーンを再度集めて世界の半分を戻した衝撃で、石が近郊に散らばり、そのタイミングでサノスが現れ、石の再争奪戦が始まり、ラストバトルへ……見たいな展開が欲しかった。
タイムマシン理論の話として、時空間が同一線上にある考え方で「多少の変化なら戻ります」であるなら、ラストシーンのキャプテンの存在も問題なく受け入れられる。
もしその考え方であるなら、なるべく過去に干渉しないように石を手に入れるべきだろう。
M・I・Pよろしくスパイ映画のように緊張感をもって行動するなら、過去のハワードとの会話シーンや、ペギーを見つめるだけのキャプテンの表情もグッと緊張感や感傷が増すはずなのに……。
中途半端に市民権を得ていない時空間理論は、SF世界観では受け入れ辛い。
ある程度の内容であれば許容出来るが、キャプテン・アメリカ同士の対決際に言った「バッキーは生きている」発言は悪手感が強い。別世界線だからと言って、何でもありは駄目だろう。せめてペギーネタで油断を誘って欲しかった。
そして何よりも不信を抱いたのは、ラストシーンである。
美しい最後を飾ったアイアンマンは伝説になった。これについては何も言う事はない。
しかし、アイアンマンのラストと対象的にキャプテン・アメリカの最後は「ぬるま湯」のようだ。シビルウォーで意志をぶつけ合った二人の最後の描き方に、あまりにも温度差がある。
年老いたスティーブが座っているのも、時空間理論が崩れているように感じるし、バッキーに対して「何で同じ時代に一緒に戻らなかったんだよ」感もある。
戻る事自体に問題はないが、理論を正とするなら同一時間軸に居る事に矛盾を感じる。もし時間軸が同じであるなら、他の箇所を細かく直す必要がある。
個人的には戻るエンディングは好きだ。なので、時間軸同一理論で話が進んだ場合のエンディング改善案を構築してみる。
エンディング改修案
・サム視点。バッキーとキャプテンが、遠くで真剣な顔で話をしている。(バッキーは現代で生きる事を決める描写)
・キャプテン、サムに挨拶。タイムトラベルをする。
・キャプテンが旅立った直後、サムの元に手紙と鍵が届けられる(出来ればスタンリー)
・手紙には、キャプテンが過去に戻り自分の人生を生きたかったと書いてある。
・ペギーとスティーブはもう故人になっており墓に名前が刻まれている。
・手紙の最後には「君に贈り物がある」と書かれ、二人が過ごしたであろう家を訪れる。
・家の中には、生前の二人の写真が少しだけ映る。
・奥の倉庫を開けると、キャプテンの盾が隙間からこぼれる光を反射して輝いていた。
・盾の星に向かってズームアップしてエンドロール
個人的にはこれくらいの方が良かった。
アイアンマンが明確な終わりを迎えたのに、キャプテンは過去に戻った上にまだ生きていて、しかも後継者に言葉を掛けられるなんて、バランスが悪すぎる。
2人とも同じくらいの痛みになって欲しいのに、最後に「スティーブロジャースは幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」のダンスシーンとか、本当に要らない。
ヒーローの最期を見届けるはずなのに、老人になって若いのに託して隠居します感が嫌なのだ。
あまり「死=伝説化」を推奨したい訳ではないが、何よりもバランスが悪い。
結局、引退するアイアンマンとキャプテン・アメリカ 2人の為の映画だったと思う。
だからこそ、2人は同じラインで終わって欲しかった。
エゴもエゴで申し訳ないけれど、キャプテンのラストシーンは、私の目線だと何とももどかしい。何かとても歯がゆい。
ただ、エンドロール前の6人の役者のサインシーンは最高でした。
最終回感半端ないエンディングビジュアルでした。
とまぁ、
好き勝手言って申し訳ございません。
エンドゲームは、MCU10年の重みが全て詰まった傑作です。
こんなに言っていますが、
映画としては、めちゃくちゃ良いです。
特にアイアンマン4としては最高です。
キャプテン・アメリカ4としては中の上。マイティ・ソー4としては下の中。
アベンジャーズの最終回としては、感慨深いものがあります。
次作のスパイダーマンは、エンドゲームに無かったCパートだと思っていますので、次作込みのエンドゲームだとも思っています。
素直にファーフロムホームが楽しみです。
乱文長文 失礼しました。
残された者
生物の半分が消えるという設定が面白いと思いました。
もし、「明日、消えたいか?」と聞かれたら、殆どの人が消えたくないと答えると思います。
では、「明日、人類の半分が消えるけど、消えたいか?」と聞かれたら・・・。
私、多分消える方を選ぶと思います。
だって、その状況で生きるの、物理的にも精神的にも大変そうだから。
そういう人も少なくないのでは。
もっとも、この映画の場合は選択できないのですが。
そういう風に考えると、人口半分の世界に残った人々は生きるだけでも大変なのだから、消えてしまった人達の分まで精神的に背負わなくても、いいんじゃないかと思えてきます。
それでですね、もしかしたら現実社会もそうなんじゃないかと。
「死んだ人の分まで」って、言葉を耳にする事が有るけれど、それをプラスの力にして頑張れる人は良いけど、重荷になる人はそれを少し下ろしてもいいんじゃないかなと。
背負う事が心の支えになったり、そう簡単に気持ちが切り替えられる物じゃないのはわかります。
でも、消えた人も重荷になる事は望まないでしょうからね。
なんか、映画の本筋から離れた感想になってしまったかもしれません。
でも、この映画全体に、残された者と消える者、みたいな事もテーマの一つにあった気がしました。
終始大変でした。
涙腺が弱いのもありますが、終始泣きっぱなしでした。
特に大事な仲間が犠牲で亡くなっていくのは、辛すぎました。本当に良い映画なんだなぁとつくづく思いました。
お疲れ様でした。
良かった
前作で宇宙のすべての生命体の内、半数が消滅したので、今作でどうするのか?ってちょっと期待してたんですけど、やっぱりタイムマシンしか無いですよね。
とりあえずサノスが生まれたすぐに殺してしまうって言う一番確実な方法を取らない理由は、作中で出てきましたけど、それもちょっと弱い感じになってしまうくらい、タイムマシン自体は禁忌だと思います。
とは言え、作中でタイムマシンを出したかった理由は半数の生命体を復活させる事では無くて、アベンジャーズの面々の過去のしがらみやわだかまりを回収するためなので、仕方ないかなと思います。これが敵を倒すためのタイムマシンだったらアウトですけど。サノス自体は自分の信念に従って行動していて、大多数とそれが合致しないっていうだけで、悪では無かったし、失敗して諦めた様も潔かった。
アベンジャーズの面々は、それぞれに引きずっているものがあるので、そう言う部分を丁寧に拾って大団円に持っていく流れはとても良かったです。
それぞれにこう言う結末しか無いね、って言う終わりを用意してあるので、最近流行りのリブートとかやめてほしいなぁ。(一部不運なキャラもいましたけど。)
全体的には、引っ張りすぎて大量に出てきたキャラクターをすべて拾いきれるはずもなく、割と重要な役割を担っているキャラでさえほとんどチョイ役になってたりするので、もう少し早くこの映画を作った方が良かったのかなと思います。
が、これだけ広がってしまった世界観を終わりにきちんと導いたのは凄いです。
次に同じ事をやっても上手く行かないだろうな、と思いますが。
してほしいこと全部やってくれた!
最初のホークアイ導入シーンでまず最高。
伏線回収丁寧で感動。
キャップとトニーの生き様に納得。
会話シーンの退屈感は仕方なかった。
なにより全員集結は誰もが夢見たヒーロー集結を描いてくれたのが凄い!嬉しい!
ど偉いお金が動いてるキャスティングだろうにこれを実現したのは凄いって思います。
日本で言えばスーパーロボット大戦、スピルバーグ監督で言えばレディプレイヤーワン…
それぞれ深さは違いますが僕はめちゃめちゃ楽しかったです。
おつかいみたい
キャプテンのアクションと最後はカッコ良かった
敗北を引きずって苦悩してる所も良かった
でも、ソーは酷かったと思う
後は、単純に設定から流される様に進んでそれだけじゃ捻りがないから犠牲だしとこみたいに感じた
最後、集まって闘っても石でナントカするの?
トニーを犠牲っぽく消したかっただけじゃない?
ホンマに終わった…
「どうせまた生き返るんやろ?」などと斜に構えて観てましたが、エンドロール後に何も出てきませんでした。
せっかく灰にならずに済んだのに…
スクリーンでその姿を観た時に、これは最強やとワクワクしたのを思い出しながら切なくなりました。
スカーレット・ヨハンソン、好き♪←アイアンマンと違うんかい!?(^_^;
最高傑作です。
こんな映画体験、この先もうできないと思います。
それくらい素晴らしかったです。
ひとつひとつのシーンに感極まったり、笑えたり、悲しくなったり、感情が忙しかったけど、色々な思い出が盛り込まれていて、本当に集大成と言える、最高傑作です。
無駄なシーンがひとつもない。
ソーの体型の変化とか、誰もが大好きなガーディアンズのあのオープニングとか(そうだよ!もう一度このシーンをでっかいスクリーンで見たかったんだよ!って嬉し泣きしそうになりました)、たまらない。
最後、トニースタークが目を閉じてではなく、開けたまま、、なのとか、リアリティがありすぎた。
ダンスシーンは涙本当に止まらなかった。
余韻が抜けなさすぎて、別の映画作品見れないです。
本当に最高傑作でした。
見ている分には楽しいけど
前作からガーディアンズが加わったせいでそれまでのアベンジャーズとは空気が変わってしまった。
喋るアライグマとかいらない。
妙な笑いもいらない。
キャプテンマーベルとかいうチートキャラもいらない。
スカーレットヨハンソンと弓男ってそんなに愛し合っていたの?
3時間でハッピーエンドにもっていくためにかなりご都合主義。
見ていてハラハラしない。
ピンチが足りない。
絶望感が足りない。
アイアンマンの活躍が少ない。超少ない。
こんな展開のクセになんで殺した?
映像は派手なので見ている分には楽しいけど、もやもやが残る作品。
なんでこんなに絶賛されてるの?
大絶賛してる人に答えてほしい
インフィニティウォーでの、人口問題、環境問題やサノスなりの正義に対するアベンジャーズの回答がなかったこと(現在のサノスを暴力で征して、過去のサノスにも暴力で征し、倫理観や精神的な論争がなかった)
・ハルクの挫折からの復活とゆう伏線の回収がなく、バナーと一体化してギャグ要員になったこと(ルッソ兄弟がハルクはバナーに都合の良いときだけ利用されるのにうんざりしていた。と解答がありましたが、それならサノスにやられる演出は意味がなかったとゆうことか)
・アントマンの量子世界から回帰とゆう伏線の回収がただの偶然だとゆうこと
・キャプテンマーベルは救世主になると散々謳われていたのにサノスの母船を破壊しただけとゆうこと
・キャプテンマーベルはトニーとネビュラをどうやって見つけたのか。偶然なのか、説明がなかったこと
・インフィニティガントレットは願い事はなんでも叶うのか、説明が一切なかったこと。スナップを誰がするか議論への疑問。
・タイムトラベルの設定がほとんどの人が完全に理解できていないこと(キャップが過去からやり直したことからの世界線の設定、ソーはダークワールドの世界から自分のムジョルニアを持ってきたが、返すすべがないこと、ピム粒子を過去から拝借して現在に影響するかどうかなど)
・明らかにアメリカ的ジェンダーを意識した女性ヒーロー集結の違和感
・ソウルストーン回収の際、ホークアイがナターシャを犠牲にする形になったが、真実の愛があったのか。子供や奥さんへの愛よりナターシャへの愛だったのか
・1400万605分の1がトニーが死ぬことだとゆうことへの疑問(なにかサノスを出し抜く方法ではなく、誰かが死ぬとゆうのが勝利の秘策とゆうこと。そしてなぜ他のヒーローではなくトニーなのか理由がはっきりしていない。強靭な身体を持つキャプテンマーベルがスナップをする選択肢はなかったのかなど)
大絶賛の人はこれに解答できますか?
インフィニティウォーのスナップから、ヒーロー達が現実と向き合って、現実を受け入れて、復興に向けて前進していく姿を観たかったです。5年経っても世界的に絶望しかしてなかったし、実際の人達は5年あれば現実を受け入れて復興を努力してるはずだと思うんですよね。僕達の世界ではタイムトラベルはできないんです。つらいことがあっても受け入れるしかない。セラピーのシーンでルッソ兄弟も受け入れるしかないと言ってたはずなのに、タイムトラベルでストーンを手に入れて全てやり直すのはあまりにも現実離れしていて、自分の人生には重ならなかったです。
大絶賛5つ星の人は、これに疑問を感じたけどまぁ最後だから気にしないってゆー感じなんですかね〜
気にならないぐらい最高だったんですかね
まぁでもMARVELってこんな感じかぁって思いました。そもそもディズニー作品だからそーゆーリアルな視点で見るのは野暮なんですかね。楽しいから、最後だからいいじゃん!ってゆー感じで観れたらよかったなぁ
はい、最高
長かったマーベルシリーズが遂に終了!見るまではワクワクしてたけど見終わると寂しさでいっぱいでした。早く次のシリーズの情報を下さい!
今回でソーが一応退場となりましたが、ガーディアンズ達と合流してるしどうなるやら?役者が変わったとしてもソーは出続けてほしいな、ブランクたっぷりのデブった本調子じゃないソーで終わりなんて悲しすぎる…
アメリカのような見せ場が欲しかったよ
それにしてもウィッチめちゃくちゃく強いな!!(笑)
ヒーロー集結!!最後はあのヒーロー!!
映画最後のヒーローが全員登場したところは鳥肌がヤバかったです笑
しかし、最後はやっぱりアイアンマンがカッコ良すぎました!!ロバート・ダウニー・Jrの演技に終始魅了されました笑
アベンジャーズファンは必ず見るべき作品でした。
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