「再生の物語」アベンジャーズ エンドゲーム maruさんの映画レビュー(感想・評価)
再生の物語
敵だが、サノスは、「宇宙の均衡を保つために」我が娘を犠牲にし、自分を犠牲にし、自分を信じて宇宙に暮らす生き物の半分を絶滅させる。
物語は、自分の目的を果たしたサノスが暮らす星に、生き残ったアベンジャーズが踏込む。畑いじりをしながら余生を暮すサノスは、ほとんど無抵抗で、死に未練などないような生き方をしていた。抜け殻になった武器を持たないままのサノスを、ソーは容赦なく殺し、報復を完了する。『石は全て砕かれた』というのに、感情のままに殺してしまう。
…と、「報復の物語」が終ったところから、「再生の物語」が始まる。
絶滅させられた仲間達を救うために、あらゆる手段を講じる仲間。誰1人諦めていなかった。あの戦いから5年という歳月で、報復という感情は色あせ「どう再生するか」に変わって行った。
再生の方法としてタイムトラベルという手段を見つけ、それを用いて石を集めて行く。しかし、その段階で過去のサノスがジャマをする。過去のサノスと戦うことになる。
ただ、この時のアベンジャーズvs過去のサノスとの戦いは、報復という感情ではなく、それぞれが掲げる・思う、正義vs正義の決闘になっている気がする。
アベンジャーズにとっては奪われた未来を取り戻す戦い、サノスにとっては未来をつかみ取るための戦い。互いに私利私欲ではなく、あくまで自分の中の『正しいの義』のために戦っている。(※義=人として守るべき正しい道)
冒頭のシーンのソーのように、「報復の仕方」を間違えると、「再生」へ向かう道が閉ざされることもあるのかもしれない。
ブラック・ウィドウやアイアンマンは、結果的に自己犠牲になっていはいるが、2人とも大切な人の「再生」を願っていた。
「報復」を決めた時点で、「再生」は、「報復」の後になる。
つまり、「報復」を終えなければ、「再生」に手がつかない。
激情的なソーの行動が報復の対象(サノス)を消し、5年の時間が怒りを薄めていった。だからこそ、「再生」への方法が見つかったのかもしれない。
ここで報復の対象(サノス)がどこかで生きているとしてたら、『サノスを探す事』に時間が割かれていたはず。「再生」のチャンスもなかったはず。
ソーの存在はとても大きかった。いやソーに限らず、全キャラクターの行動一つ一つがつながっていて、壮大な物語に超絶・仕上がっている。おもしろかったです。