リトル・ボーイ 小さなボクと戦争 : インタビュー
尾崎英二郎、ハリウッド作品「リトル・ボーイ」で燃え盛った“夢を現実にする炎”
映画「硫黄島からの手紙」やドラマ「HEROES ヒーローズ」などで存在感を示し、米ハリウッドで活躍する俳優・尾崎英二郎の出演最新作「リトル・ボーイ 小さなボクと戦争」が、8月27日から公開される。尾崎は日本人の勇士マサオ・クメに扮し、主人公の人生を変える重要な役割を担った。2011年の始動から約5年、ついに今作が日本公開を迎えるにあたり、 峻烈な思いを秘めた胸中を語った。(取材・文・写真/編集部)
物語の舞台は、第二次世界大戦下のアメリカの小さな漁村。小柄で“リトル・ボーイ”と揶揄される少年ペッパー(ジェイコブ・サルバーティ)が、戦地に出兵した父親を帰還させるため、完遂すれば願いがかなうというリストをこなしていく。日本とアメリカの戦争が物語を駆動させるが、本質は虚弱な少年が揺らぐことのない意志を貫き、町の空気感を変化させていくヒューマンドラマにある。共同体の根幹を成す“人類愛”にも触れる今作を、尾崎は「白人の家族が題材で、アジア人が主人公に勇気を与えるという脚本はめったにない」「アメリカ人の子どもの目から敵国同士の両サイドを見ているんです。こんな脚本もめったになく、本当に野心的」だといい、「日本の観客にこそ見てもらいたい」と語った。
尾崎がオーディションに臨んだのは、11年5月下旬。日本人将校の役で呼ばれた1次審査を難なく通過したが、ここで思いもよらない出来事が起こる。2次審査は、まったく別の役どころに変更されていた。「しかも設定は15歳。そんな役に40代の俳優は呼ばれないし、1次と2次で役がまったく違うことも、過去に経験したことがなかったです」と振り返る。
それでも、2次審査の2日前に送られてきたシーン台本を読んだ尾崎は、「ここで語られる内容は、自分が普段思っていることそのままだ」と強烈なシンパシーを感じた。マサオ・クメは、小柄だが「意志の力に勝るものはない」と悟り、強大な敵に立ち向かう逸話を持つ役どころ。ほぼ無名の状態で単身渡米し、約9年間“思いを現実にする”ことに命をかけてきた尾崎は、マサオ・クメと自身を重ね合わせた。2日間、4ページの台本の内容を数100回と繰り返し、練習し全身に叩き込んだ。
しかし審査当日、「その役は、ティーンエイジャーの若者を探すことにした。今日は、監督の前で将校をやってくれ」と通告されてしまう。尾崎の胸に失望が広がったが、諦めることはなかった。「アレハンドロ・モンテヴェルデ監督ら製作陣に、まず将校の演技を見せました。すると監督は『君の演技、怖いね~!』。気に入ってくれているとひしひし感じました。今だ、と思い『今日やるはずだったマサオ・クメが語る内容は、僕の思い、そのものなんです』と伝えました。監督はプロフィールを見ながら『〇〇〇(マサオ・クメの特技)はできる?』と。待っていました、間髪いれずに『できます。3分だけください。4ページの戦いの動きを、どう演じるかお見せしたい』と言いました」。
熱意は受け入れられた。製作陣に注視されるなか、尾崎は準備してきた全てを出しつくした。モンテヴェルデ監督を圧倒し、「脚本家と相談し、役の年齢設定を書き換えるよ」とまで言わしめた。幸運が重なったことは事実だが、尾崎が「絶対につかみとる」という意志のもと準備しなければ、出演は実現しなかっただろう。「オーディションではたった3分が人生を左右します」と述べ、「あそこで『僕に3分をくれ』と言っていなければ、この場はなかった。オーディションの1~3分、その瞬間に全てを込められる人でないと、未来がない。今日この未来を生んだのは、3分間のために僕が費やした準備だったんです」と言葉に力を込めた。
そうして勝ち取った今作を、尾崎は「奇跡的な巡り合わせが、今まで3度ありました。1度目は『硫黄島からの手紙』、2度目は『HEROES』、3度目はこの作品です」と表現し、「代表作の1本に加わった」と胸を張る。「今作で『マサオ・クメ役の日本人は、硫黄島からの手紙やHEROESの彼か』と結びつく、やっとそういう段階でしょう。観客が僕の演技をリアルタイムで劇場で見て下さるのは、今回が初めてだと思います。そういう意味でも代表作です」。
撮影はメキシコ・ロサリトのバハ映画スタジオに建てられた、広大なオープンセットで行われた。美術の完成度を見た尾崎は、「スタッフが僕に『あなたのシーンのセット、一番力を入れたんだ』と自慢げに言うんです。またマサオ・クメのシーンが、全撮影で最後の3日間に割り振られていたんです。皆さん楽しみにしてくださって、スタジオのあちこちで『マサオ・クメ!』と声をかけられました。期待を背負っている役だと、現場の熱から伝わってきました」と述懐する。
アメリカのタレントエージェントは営業活動をしないため、俳優は自分の力で役を勝ち取らなければならない。「セリフ1行の役から全部オーディション勝負。毎週、毎月、就職面接を受けているようなものです」と吐露しながらも、「1シーンの役でも、倍率は数10倍なんです。日本で放送された時『あっという間に死んじゃったじゃん!』という反応は確かにありますが、それを勝ち取るのは数10倍なんです」と拳を握った。
一方で、ダイバーシティ(人種の多様性)が叫ばれる近年は、日本人俳優にとって「長いハリウッドの歴史でも、すごくいい時期」だという。工藤夕貴が「ヒマラヤ杉に降る雪」(99)、渡辺謙が「ラスト サムライ」(03)で輝いたことをきっかけに、重要性をハリウッドが認知し始めた。それを肌で感じた尾崎は、「日本語なまりの英語や日本語のセリフを演じる役も本当に増えました」と明かし、「工藤さんは野球で言うと野茂英雄のようで、謙さんや真田広之さんはクリーンヒットを打ち続けるイチローのよう。切り拓いた方がいたからこそ、後が続いているんです」と最敬礼だ。
プレッシャーにさらされ続けながらも、スティーブン・スピルバーグ制作総指揮のドラマ「EXTANT(エクスタント)」や、「エージェント・オブ・シールド」など話題作に出演した尾崎。たゆまぬ努力を続け、成果を上げる原動力は、どこにあるのだろうか。
「自分には力がないと限界ラインを引いてしまう、そういう人たちの『僕、私にもできる』というサンプルになりたいんです。大尊敬する謙さんや真田さんら、スターである先輩方と、僕は同じことはできない。僕ができることは、名やバックアップがない人でも、世界市場でやれるという“夢”を見せること。僕がやめてしまうと、今までの全てが嘘になります。そのことが僕の原動力で、燃えている炎です。大きくなるときもあれば、種火くらいになってしまうことはありますが、この炎だけは絶やしません」
ハリウッドでの挑戦は、この秋で10年目に突入する。「日本での知名度がなかった僕を見て、後に続いてくれる方が実際にいらっしゃるそうです。すごく嬉しい。そういう方がいてくださる以上は絶対に止まれないし、止めてはいけない。その思いが今回、さらに強くなりました」。尾崎の“夢を現実にする炎”は、消えることはない。