この週末、観たい映画がまだ公開前で、それでもなんか映画が観たい衝動に駆られ、地元映画館をチェック。
映画「太陽の塔」は公開当時見逃したのだが、岐阜の関市で上映中と知り、タイトルはいいとして中身はどうなのか、行くかどうかの判断材料としてググってみる。
いつもは何も調べず直感で行くのに、太陽の塔だけにハズレたら嫌なので。
作り手側の情報でなく、一般客の反応はどうだったか。
結果、あまり評判はよくなかったようだ。
前半の太郎を探る部分はよかったが、後半いきなり311の話になって評価はガタ落ち、批判的な投稿をたくさん目にした。
よっしゃ、それおもしろそうじゃん、みにいこっと!
ということで、昨日観てきました。
岡本太郎のドキュメンタリータッチな部分もあるけど、監督が厳選した人物がインタビューで語ったであろうシーンの必要最小限の言葉尻でカットされ、矢継ぎ早に次々登場人物が入れ替わる。
あの人の話をもっとききたかったとか、話を噛み砕く余裕もないほどに、入ってくる多くの重要な情報を追うのに精一杯となり、複数の証人からひとつの大きな括りで1章から9章まで、一気に見せていくというやり方。
1章の万博で、当時をふり返るおさらい的な内容。
2章の創造で、当時のプロジェクト秘話が明かされる。
3章の太郎で、その生い立ちからパリで画家となり日本に戻ってのルーツ探し。
4章の起源で、いよいよ縄文に迫る。
鹿踊りに、アイヌのイオマンテ。
久高のイザイホー。
ウポポのシーンで、マレウレウも出演してました。
5章の支配で、太郎が感じていたであろう日本社会に対する違和感。
自発的隷属について。
まったくその通り。
これにつきる。
このことき気づいてない人が多いからこそ、映画の評価に311ときいただけで拒絶反応する人が続出したわけだ。
6章の神話で、311をふり返り、大阪万博のテーマ「人類の進歩と調和」の中で原発を人工の太陽とする矛盾に真っ向から批判した作品として太陽の塔が作られたことが浮き彫りにされる。
原爆による被爆国が迎えた高度経済成長。
明日の神話もしかり。
つまり、太陽の塔と同時期の「明日の神話」は2つでセット。
痛烈な批判の上に作られながら、そこには生命の根源が剥き出しに表現されていた。
7章の共鳴で、南方熊楠の南方曼荼羅が出てくる。
8章の曼荼羅で、太郎本人が「太陽の塔はマンダラなのである」と書き記したことへの本質に迫る。
チベットのマンダラは宇宙を三次元に立体化したもの。
それを上から眺めて平面図に落とし込んだのが曼荼羅図。
知らなかった。
初めて映像で見たけど、自分で想像していたものと同じだったからびっくり。
そして古代の太陽神への供物、捧げものであるトルマ。
これも知らなかったけど、まさにその形は太陽の塔とそっくりだった。
9章の贈与で、これらの全体像から太陽の塔とはいったい何だったのかへの結びの章へ突入。
太陽の塔は、万博だけでなく未来の人たちに対する贈与だったのだ。
以上、簡単にまとめたつもりでもこんなにおもしろい内容なのに。
貴重で重要な話ばかりのインタビューを上映時間に収めるために、編集テクニックで神業のように仕上げたのでしょう。
とにかく、膨大な情報が詰め込まれたドキュメンタリー映画でした。