劇場公開日 2017年6月3日

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「京・頂法寺の花僧・池坊専好の話」花戦さ Moiさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0京・頂法寺の花僧・池坊専好の話

2024年11月4日
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鑑賞方法:VOD

感想

私は華道や茶道を詳しくは知らない。しかし四季や世の中の移ろいを通じ関わり合う人の生き方の発現。その道は其々に深淵で極致としての終わりは無い。だからこそその道の世界は素晴らしいのだという。侘びと寂び。この感性を受け入れて自身で解釈しないとこの作品の感想は語れないと感じる。

茶人千利休との交流を通じるうちに専好は悟る。
茶の道は束の間。茶は飲み干したら後には何も残らない。飲み干すまでの束の間である。しかしその束の間こそが活(生)きるという事。活きると生きるを掛け合わせる事で人の生き方、人生の活かし方を知るー。

華道はまさしく花の道。自然の野に咲く木花を活けるとは束の間の花や人の活き(生き)方を考え感じる事。花一輪にて伝わるは多くより情(心)深し。束の間とは時の長さに拘ることの無い人の道と同じ。言うなれば人生の生き(活き)方にも通じるものがあるー。茶も花も人も道の考え方は同じである。人の生き方により、茶も花もその活かし方は変わるはず。

自分の生き方を生け(活け)るものにしようとした人とその人に関わり、心を活かそうとした人々の話。専好と利休が悩みと共感を分かち合った貴重な時間。利休亡き後その四十九日に六角堂に専好をはじめ多くの市井の人々が供養の為立花した話が感動し涙を誘う。無人斎道有の娘、蓮の話なども興味深く、さらに前田利家邸での秀吉との対面により納められた立花と無人斎筆と思しき墨絵を通じての因縁話として、(実際に長谷川等伯筆「枯木猿猴図(こぼくえんこうず)」という猿を描いた墨絵を利家の子、前田利長が所有していたという。等伯と無人斎との関係は不明。)秀吉が無人斎に自分の肖像画を依頼したが、共に洒落で描いていた猿猴図が秀吉の目には自身への侮辱と写り、以降無人斎を忌み嫌い最終的には抹殺。絵図も徹底的に排除された事が語られる。

洒落や掛け言葉の意味を知りその人柄だけでなく服装、身なり、使用する道具の一つ一つまでに自由で深い意味がある事を意識する侘び寂び本来の美意識と哲学。千利休が茶を通じて説いた人の道とは何ぞやということと、秀吉自らが自身の立場と生き様の中で利休をも殺めてしまった天下人らしからぬ狭義で傲慢な態を反省し初志を再認識する話が感動する。

脚本・演出◎
実話と相まった骨太な話の展開。素晴らしい脚本。
視線と凝視のアップ描写がその人物が想いを馳せている内容に観ている者の気持ちをも掻き立てられ想像させる演出手法となっていて素晴らしい。

配役
出演者の皆様の演技は素晴らしい。
特に生来独特の感受性の鋭が耀くその瞬間の感性の表現を大切にした専好役の野村萬斎氏の演技は秀逸だ。

⭐️4

2024.12.28再鑑賞追記。

Moi