たかが世界の終わり(2016)のレビュー・感想・評価
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不器用な愛の形
2回観てしまった。
ここまで、リアルな心情描写ができる監督がいただろうか。グザヴィエ・ドラン監督はまだ20代。『Mommy』や『マイ・マザー』など、マイノリティの子供とその家族を描く凄まじい映画の数々を送り出していることで有名だろう。また、彼は曲のセンスも良い。『Mommy』でのOasisには心が震えた。
『Mommy』も尋常でないほど素晴らしかった。しかし本作の素晴らしさもそれに匹敵する。
ギャスパー・ウリエル演じる主人公は、他人にはなかなか言えない苦悩(これを文字に起こしてしまうと陳腐な表現になる気がしてならない。)と病を抱え、家族の元へと、それを告げるために戻るシーンから始まる。
素晴らしいのは、スクリーン全面に映し出される顔とセリフによってストーリーはほぼ展開していき、実際のストーリーは5時間程度(だったと思う)のものを、上映時間100分で映し出すことである。彼らの会話と表情から、表層以上の彼らのバックグラウンドが無数にも想像されうる。寡黙な主人公は言い出すタイミングを掴めず、母は主人公の抱える問題に薄々感づいて、それを聞きたくないと言わんばかりに饒舌、弟に強く当たる兄、彼は本当に弟を煙たがっているのだろうか?彼の手の甲についていた傷跡が意味するところとは...
ねじれにねじれた不器用な家族たちの愛の結末が、こうなってしまうのは非情なほどにリアルで、泣ける。
グザヴィエ・ドラン、今回の挑戦は……。
上映中、緊張を強いる作品。
それはスクリーンに映るものを一分たりと見逃すまいと
神経を研ぎ澄ます緊張ではなくて、
発せられる或いは発せられない言葉による緊張。
作品ごとに、あざとい画面をぬけぬけと作り込んでみせるグザヴィエ・ドランの今回の挑戦のひとつは、
人もモノも輪郭すら曖昧なほどぼかした映像。
私の脇をただすり抜けていった。
ありとあらゆる映画を見逃し続けている中、
グザヴィエ・ドラン監督作品だけは珍しく追い続けていたんだが、うぅむ……。
首筋の汗。
首筋の汗も家の中の空気も4人の会話もじっとりしてて、苦しかった。
余計な人物が一切出てこない。4人だけ。
一人一人がしっかり丁寧に描かれているから飽きなかったしそれぞれに感情移入できた。
邦題も良すぎる。
エンドロールのモービーも良すぎる。
家という閉じられた空間のなか、 会話のやり取りだけで状況が変わって...
家という閉じられた空間のなか、
会話のやり取りだけで状況が変わっていく。
誰かの一言に一言が重なり、
場の雰囲気が変わっていく。
会話というものへの理解力、
観察力に圧倒された。
母の息子への思いを吐露する箇所、
兄の最後の心の動きの描き方も良かった。
睡魔…
衝撃作「マミー」のドラン監督に、レア・セドゥ、ヴァンサン・カッセル、マリオン・コティヤールが出演!!大いに期待して観に行ったが…開始数十分で睡魔に襲われ、気がつけば、話は後半。その後も二度寝し、話も何も分かりませんでした(笑)。ただ、思ったのは、開始時点と何も変わってないなってこと。ずっと家で喋ってただけ。それは辛いよ…。「マミー」はめちゃくちゃ面白かったのに!「アデル」のレアも魅力半減。他の役者も良くは見えなかった。
憧れた”人ん家”
この映画はあくまで一般家庭のいざこざを垣間見ているだけで、それ以上でもそれ以下でもない。
町に突如異星人が現れる訳でも、身内がヒーローになる訳でもない。
「人の家の話」というのは得てして他人からしたら興味深いものだし、常に目新しいもの。
映画をみているというより友人から「この間ウチでさ〜」と家の話を聞かされているような感覚に陥ったのははじめて。
豪華な俳優陣をもってしてこの庶民感覚への成り下がり方は良い意味で異常だった。
この世にひとつとして同じ人間がいないように、同じ家庭もない訳で。
言い換えれば本来、スポットを当てる家族は作中に出てくる家庭である必要はなくて私の家族でもあなたの家族でもよかったように思う。
なぜなら何にしても「人ん家は他人にとっては目新しくうつる」から。
確かにここまで感情露わにするのは日本人には馴染みがないけれど、「こんな家庭もあるんだろう」に結局は落ち着く。
公式設定で主人公は自分の死期が近いことを知らせるために帰郷する、という設定があるけれど監督が描きたいのはそこではないということがよくわかった。
誰しもが必ず経験しているけれど見過ごしてしまう出来事にあえてスポットを当て、あろうことかそれを映画にしてしまう。
グザヴィエ・ドラン 恐るべし…
日常だが非常に劇的
主人公が自分の死期が近いことを知らせるために12年振りに家族の元に帰るというストーリーで、全体はその家族とのやりとりが最後まで描かれる日常的な内容だった。
内容は日常的なのだがその家族全員が感情を異常な程シリアスに露わにしているので最初は動揺した。日本のドラマみたいにオーバーだなと思いかけたが、よく感じるとそれらの言動の奥にある感情はよく理解できるものだった。普通なら周りに配慮し抑制している感情が顕在化しているように見えた。それによって見えてくるものがあった。家族内でもそれらの感情は起こっているもので、いわゆる普通の優しい家族というのは微妙な均衡によって円満にやっていけているものなんだと改めて思った。
俳優さん達豪華でしたね‼︎ 皆さん感情露わで 始終喧しかった(笑)...
俳優さん達豪華でしたね‼︎
皆さん感情露わで
始終喧しかった(笑)
うまく言えないけど
それぞれの思いが
なんかわかるぅ〜って感じ
かなり良かった‼︎
満席ではないが結構多かった
何か視線?を感じると思ったら
こっち向いて両隣が爆睡(笑)
初っ端から挫けたみたい
オープニングから
劇中歌がインパクトあったなぁ
単純なのか、複雑なのか
ドランとギャスパーの組み合わせに心が踊ります。
映像や音楽のセンスは問題なし。最高です。
空港のシーンだけで期待が高まります。
ただストーリーはわかりやすいのか、わからないのか微妙。
あんなに個性を全員で爆発させると逆にわかりにくい。
けれどみなさん素晴らしい俳優だってことはわかりました。
小鳥のシーンはいらない。
銘菓
確かに技術的な事は申し分なくて、しかも本人が超イケメンだから一気にスターになったけど、ドラン氏って実は凄い普通の感性を持った若者なんだなというのがよくわかる。
気まずさの演出が凄く良い意味でベタだし、特別な事はほとんどない。
それが良いのかもしれないけど。
あと、何故彼の感性を普通だと思うかというと、彼の作品の劇中で流れる音楽のほとんど、僕がCD持ってるやつだから。
フォールズ懐かしい。
41
ただひたすらに演者のアップに引き込まれる
12年ぶりの再会という設定で主人公とそれぞれ家族との距離を表情だけで感じられるように設計されている作品で、その12年という時間の溝が何を指しているのか明確でない分、観る者は役者の演技に引き込まれていくようで面白い作品でした。
なぜそこまで苛立ち、それぞれに葛藤を持っているのかは観る者によって印象が違うだろうと思うが、それには主人公のセリフの少なさだったり、映像がほとんど役者の顔のアップという構図だったり、ストーリーの多くを説明していないところにこの作品の妙があるのだと思う。実感する愛情と己が求める愛との差異が1つ屋根の下で交錯し合うこの脚本は、グザヴィエ・ドランがなせる業と言っていい。
寺内貫太郎一家
舞台を見ているような映画。マザーよりは救われない感が半端ないけど、これがドラン節というものなのか。
会話劇部分は寺内貫太郎一家(若い人は知らない)を見ているようであった。
初見では「ハァ」という映画かもしれないけど、見た後に「あーでもない、こうでもない」と好きな人と話すには良い映画と思います。
いえいえ、大好きな映画ですが、☆3.5は前日飲み過ぎで中途で眠かったことです。
意外と好きな映画
とても映画通の映画っぽかったので気になり鑑賞。
この映画はとても難しく、なんと感想を言えば良いのか分からないがなんか凄かった。こう言ってしまうとざっくりしているが、まさにこの通りだった。99分という映画としては平均的な長さだが大きな事件が起きる訳ではなく、家族一人一人の心の闇が徐々に見えてくると言ったもの。
他の映画と違うなと感じたのは、結局この闇の部分は最後まで消化しきれず、挙句の果てに家族に死ぬことすら打ち明けられずに終わってしまう所。ここが妙にリアルに感じた。
最後の鳩時計から出てきた本物の小鳥が家の中を飛び回り、最後時計の中に戻ろうとしてその手前で死ぬ描写が主人公と重なって見えた。
相変わらず美しい映像美 ストーリーは…
誰にでもある、誰にでも訪れる「世界の終わり」を、終わる人の主観ではなく、客観として描いた…っていう解釈で合ってるのかな…。
もしも、自分が余命いくばくとされたら…きっとどういう身終いをするか、考えると思う。それは、自分にとっての世界の終わりであり、それは「他人」からこうありたいと思うことでもあり…。結局自分の見終いは他人を巻き込むことであり、それは自分の思った姿とは違うんでしょうね。
家族の一日という、ミニマムの単位で、ミニマムの日数で自分と人の距離感や、妬み、悩み、葛藤を描いたこの作品は本当にグザビエ・ドランらしくって、僕はとっても好きです。
好き嫌いは選びそうだけど…。
映像もとっても美しいし、詩的であり、示唆的な映像の数々も彼らしい作品でした。
やっぱりマザコンだよね
グザヴィエ・ドランって、音楽と映像のセンスがもの凄くあって、お話が創れて映画が撮れて美青年で、しかもゲイなの。
クリエイターとしてもうこれ以上何を望めばいいのかってくらい全部もってるよね。
話の中で主人公が、妹、兄嫁、母親とそれぞれ一対一で話すんだけど、母親が一番気合い入れて描かれてんの。「あ、そういえばドラン、マザコンだった」と思ったね。マザコンはクリエーターにとってプラスなのかな。
解るような解らないような内容で、綺麗な映像と音楽で流れてくいつものグザヴィエ・ドラン品質だと思ったな。そして《私はロランス》を超えてくる作品は、もうないのかなと思った。
最後、お兄ちゃんが「俺が全部悪いのか」っていうところでは、お兄ちゃん可哀想と思った。
才能溢れる人が身の回りにいたら辛いよね。異性は賞賛するかも知れないけど、同性は辛い。
面白い!
登場人物の立体的な描き方が素晴らしい。見る角度によって、解釈が広がる。
美貌と知性と気品に恵まれ、性格も優しく、才能も花開き、誰からも愛される弟。
だけど、角度を変えて見ると、残した家族への無関心はハンパなく、家族に対してかなり冷たい。
出て行った後、絵葉書だけは送っていたようだけど、通り一遍な言葉しか書いていない。
「マイアヒ〜」の回想シーンは、陽の光でいっぱいだけど、あくまで「自分」の子ども時代に思いを寄せただけ。
ベッドマットを懐かしむのも、恋人と過ごした「自分」への憐憫。
兄と車の中で、互いの近況を語らうでもなく、自分の今朝の空港の話。家族への無関心とその無自覚に、兄は怒りのデスロード。
苦痛と不満がありながら、それでいてその状況から抜け出せない人間は、些細なことにもいちいちイライラする。「たかが」なんて思えない。
それに引き換え、自由にカッコ良く生きる人間は自分の死すら「たかが」?
よほどのことがない限り、家に帰る気なんてサラサラない彼が帰って来たのだ。母と兄には想像がついている。
告白なんか聞きたくない!それを聞いて、オレたちは感情をどう処理すりゃいいんだ!言うな!帰れ!
鳩時計(家庭)から飛び出した小鳥は、好き勝手に飛び回り、あっけなく命を落とした。
私の中のどこかに、主人公より、家族の気持ちのほうに、潜在的傾斜を認めた。そこが、この映画のすごいところ!
コミュ障家族の悲しみ
最初から最後まですれ違う家族関係を描く映画は、しんどいものではあるのですが、深く考えさせられるため観応えがあります。本作も観応えはあったし、鑑賞後はいろいろ考えることができて面白かったと言えるのですが、鑑賞中はとにかく観心地の悪い作品でした。
その理由は、最初から最後まで演者をアップで撮るという演出にあります。
演じ手と観手の距離がほとんどなくなり、観客は演者の情動をダイレクトに感じさせられてしまう。しかもこの作品は登場人物たちが怒鳴りっぱなしなので、ずっと刺々しい感情を浴びせられる。観ている側としては圧迫されてゆとりがなくなり、息苦しくなりました。
おそらく主人公ルイが体験している感覚はこのようなものなのだと思います。グザビエ・ドランの狙いは、この感覚を観客にも直接体験させたい、といったものかもしれないし、もしそうであるならばそれなりに成功していると感じましたが、やっぱりシンドいので個人的には趣味に合わなかったです。
一方、内容は興味深かったです。この家族はマリオン・コティヤール演じる兄嫁以外、話を聞いたり他者の気持ちを受け止めたりする文化が皆無。兄と妹は腹が立ったら怒りをぶちまけてグチャグチャになるといった不毛なコミュニケーションを繰り返し、母親は先回りしてコントロールを試みる。コミュ障という言葉がありますが、彼らこそ真のコミュ障でしょう。
こんなコミュ障家族の中で育てば、温厚なタイプのルイが何も言わない人になるのは自明です。
母親と妹はルイを迎え入れているのですが、ルイの話を聞かないし、彼の気持ちにも無関心。実際に愛はあるのだと感じますが、そんな愛では窒息するだけ。エンディングでは静かに家から去るルイですが、多分12年前も同じパターンだったのだろうと想像しました。
この作品や葛城事件のようなうまくいかない家族の映画を観るたびに、愛があるだけではダメで、相手を想像する力や気持ちの伝え方など、愛を実現させるスキルも不可欠だな、としみじみ思います。
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