シング・ストリート 未来へのうた : 映画評論・批評
2016年7月5日更新
2016年7月9日よりヒューマントラストシネマ有楽町、シネクイントほかにてロードショー
キーワードは「ハッピー・サッド」。それが音楽であり生きることであると、映画は語る
80年代、ロンドンはロック好きの誰もが憧れる「聖地」だった。新しい音楽が次々に生まれ、さまざまな国からさまざまな才能が集まり、混じり合い、さらに新しい音楽が生まれる。「聖地」と言うより、音楽の「泉」と言った方がいいかもしれない。そこに行けば何かができる、何かが変わる。若者の誰もにそう思わせてしまう力がイギリスから生まれる音楽にはあった。
本作は80年代半ばのダブリンが舞台となる。そこに生きる音楽好きの若者たちもまた、世界中の若者たちと同じような思いを抱いていたのだろう。海を渡ればすぐイギリス。その近さゆえに自分たちとロンドンとの違いもはっきりと実感して、その絶対的な遠さに希望と絶望のハーモニーを奏でていたことだろう。海を渡ることが彼らにとって、生を実感する最大の出来事だったに違いない。イギリスにあこがれる彼女の心を奪おうと始めたバンドは次第に主人公の人生の中心になり、いつの日か彼もまた、イギリスを目指すようになる。今この暮らしから抜け出したいのではなく、そこに行けば何かが変わるという、かけでもあり小さな希望を、彼は育てようとするのだ。
キーワードは「ハッピー・サッド」。悲しみとともにある喜び、喜びとともにある悲しみをともに受け入れて、それを小さな希望に変える。それが音楽であり生きることであると、この映画は語る。「ONCE ダブリンの街角で」や「はじまりのうた」で知られる1972年生まれの監督ジョン・カーニーは、この映画の主人公たちとほぼ同年代。きっと同じ思いを抱いて80年代を過ごしたはずだ。自身もバンド活動を行っていたという、その歴史もこの映画には刻み付けられているだろう。その個人としての小さな思い出と、世界中の音楽好きの大きな思いが、主人公の前に海となって広がる。映画を観るとは、そんな海を観ることなのだと思う。
ちなみに監督よりひと世代上のわたしは、「ハッピー・サッド」というアルバムを60年代にリリースしたひとりのアメリカ人ミュージシャンのことを思い出しながらこの映画を観た。監督もまた、きっとこのアルバムを、若き日に聴いていたことだろう。
(樋口泰人)