ジャズ喫茶ベイシー Swiftyの譚詩(Ballad)のレビュー・感想・評価
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音にこだわり抜いて50年もジャズ喫茶を営んできた男が何を発するか…
ジャズ喫茶という、昭和のある時代に一世を風靡した業態を50年も続けたことが凄いが、「レコードを演奏する」という表現が適切であるかのごとく、ジャズメンたちの奏でた音を再現することに執心する、オーナーの菅原正二氏の姿は、どこまでもぶれず、ただただ感嘆の声が漏れてしまう。
本編は菅原賛歌の映画ではない。ドキュメンタリーという性質上、多くの著名人が本編内でコメントしているが、それがジャズメンだけではなく、アッ!と驚く面々も登場し、菅原氏、そして「ジャズ喫茶ベイシー」について饒舌に語っている。ジャズ好きはもちろん、ジャズを知らない、聞いたことないという方々にも何かが残る作品になっているはずだ。
ジャズというジャンルはない。ジャズる人がいるだけだ。
ジャズ喫茶が生まれた背景には学生運動があった。日本独自の文化でもある“ジャズ喫茶”は一旦入店すると3時間ねばる人ばかり。オーディオ機器にかける金は莫大なものだし、採算度外視といった経営だとは思う。日本全国で600店あるジャズ喫茶の歴史をこの映画は見せてくれたと思う。
映画館の観客はスクリーンからそのまま飛び出してきたようなジャズ好きの人が多かったように感じられ、みな静かに見入っていたというか聴き入っていた。学生運動時代以降、70年代のオーディオブームは確かに覚えているし、その時代が頂点になっていた。CDや配信なんてのは単なる音楽を流すアイテムに過ぎず、アナログレコードを丁寧に扱う姿には懐かしさも覚えてしまった。生音の素晴らしさをレコードで再現するという繊細で大胆な姿勢が伝わってくるのです。
ライブに出演するミュージシャンも有名な人たちばかり。坂田明、村上ポンタ秀一、渡辺貞夫といったミュージシャンの演奏やインタビューも興味深いし、特に印象に残ったのが中村誠一による歌「ニューオリンズ・タクシードライバー」だったな。また、鈴木京香も登場し、森田芳光監督の『愛と平成の色男』(1989)の中でロケに使われたらしい。アニタ・オデイが登場してなかったけど、彼女も見たかったなぁ。
ジャズについての定義も面白いし、その点では小澤征爾のエピソードがとてもよかった。クラシックとジャズの共通点、そこから派生するフリージャズの存在も理解できる。
映画鑑賞前に日本映画専門チャンネルで放映されていた1時間弱のドキュメンタリーを見ていたのですが、その番組ではマスター菅原さんの経歴を紹介したり、音楽評論家としての野村胡堂、そして“あらえびす記念館”のドキュメンタリーでもあった。“Swifty”というニックネームがカウント・ベイシーから贈られたものだったことや、早稲田大ハイソサエティオーケストラでドラマーをやっていたのに、ミュージシャンの道を断たれ、喫茶店の道を目指した話などが聞けた。
オーディオについて、JBLスピーカーが高額なのは当然なのだが、50年前のオープン時期から買い替えてないこと。実はレコード針のほうが金がかかるらしい。その額、なんと家を2軒買えるほどだとか・・・こだわりってすごい!
今はコロナで休業中らしいけど、収まったときには行ってみたいスポットだなぁ。
この時期だからこそこのドキュメントの価値はいいが。
勤給事態宣言中の上映とぶつかり上映延期となったこのドキュメントをようやく観る事ができた。最後のエンディングシーンで亡くなった永六輔の写真もあったが、昔永六輔のラジオ番組でベイジーの話をしていたのを思い出した。ジャズ喫茶の事だったんだと。岩手一関市のジャズ喫茶のマスター菅原氏のジャズへのこだわり、音へのこだわり、オーディオ音響へのこだわりが物凄く伝わった。丁度、2011年東日本大震災で被害にあっても東北をはじめジャズ喫茶店仲間の再建へのサポートも印象に残った。渡辺貞夫、小澤征爾、アメリカの有名ジャズ奏者までこの店を愛していたし、あの女優鈴木京香まで映画の撮影でこの喫茶店を使ったエピソードにはびっくりした。菅原氏、渡辺貞夫、小澤征爾の音へのこだわりについての話は印象に残った。この点は満点だが、観客へのアピールポイントが曖昧な点とBSフジの社長でもある元名物ドラマプロデューサー亀山氏が総プロデューサーだが、あまりにもマニアックすぎた点は減点で3点。しかし、このコロナ渦の中、音楽のコンサートが観客制限、オンラインコンサートが主流の中、音、音楽、ジャズのこだわり、思いを再認識できただけでも観て良かった。
どっぷり。
ジャズとか全然解らないのに鑑賞。
少し前に京都の磔磔というライブハウスの店主の話を観たが、同じく音楽に魅了され、愛し、こだわり抜いて人生を貫いている方の物語。
こういう人を見て思うのが、こんなに好きなものがあって、なおかつ、それにどっぷりつかって生きている人生って最高だろうなということ。
熱中することがあっても一時的なものか、他愛もないようなことだったりする事が多く、こういう生き方を羨ましく思ったな。
このベイシーも、ひとつの宝ですね。
音と雰囲気のせいか途中ちょっと寝ちゃってた。。。
一関にはベイシーがある
2020年映画館鑑賞92作品
自宅から1番近い映画館一関シネプラザで鑑賞
ジャズ喫茶ベイシーはそのすぐ隣にある
わりと地元だが一度も入ったことがない
ジャズ喫茶という存在を知ったのはTBSドラマ『高校教師』の主題歌『僕たちの失敗』の歌詞からだ
東京とか仙台とか都会にしかないものだと思っていたら地元にもあると知ったときは驚いた少年時代の僕
それも自分が生まれる前から店をやっている
ジャズ喫茶はまだ早いと思いなかなかベイシーデビューができずにすっかりおじさんになってしまった
一関にこんなカッコいい爺さんがいるなんて鶏群一鶴
ジャズや音に対する拘りに感服
この映画はジャズが脇役でジャズを愛するオトナが主役である
とても素敵な音楽ドキュメンタリー
とにかくオシャレな映画
できることなら好きな酒をチビチビ飲みながら観たい作品
ジャズドラマーの白人男性の演奏の仕方にちょっとカルチャーショック
すごい世界だ
ナベサダの音の解説を真剣に聴いていたがちっとも違いがわからなかった野暮天な僕
鈴木京香さんも登場
『愛と平成の色男』なんて懐かしい
とりあえずベイシーの前に一関の隣市登米のエルヴィンでジャズ喫茶デビューしようかな今年中に
そしてマスターが生きているうちにベイシーに行ってみよう
かっこよ♡
10代の頃からジャズにハマって
オホーツク海沿いの田舎で暮らしてたあたしには
「NHK-FMゴールデン・ジャズ・フラッシュ」と
「月刊スィングジャーナル」だけが頼りで
誌の広告で一関「ベイシー」はいつも目にしていた…
その後人脈の深さと音楽への想いの深さを知るわけだけど行ったことない!
のっけから「JAZZ喫茶は勝ち目のない商売だよね」
その割に「JAZZ喫茶はしぶといよね〜」という声からw
その後はベイシーのオーディオ装置に驚愕!
スピーカーをテストするのに「雷」と「蒸気機関車」の音はなぜか必須
あとマーラーの四番w
スピーカーからでなくアンプからJBLに入ったという話が興味深かった…
しかし、
オーディオはキリがなくて、そのうちいいんだか悪いんだか分からなくなるよね〜
それを言ったらナベサダのリードとリガチャーの話も一緒だけど
本人が気持ち良いのが一番!
オーディオ屋さんの営業の人が
「ここで(ベイシー)こんなかっこいい音があることを知った」
と言っていて、それからが地獄だったと言っていたwww
坂田明、中村誠一、村上ポンタなんかがくつろいで話してたけど
阿部薫にはぶっ飛んだ!いつの映像??あんな鮮明で近い阿部薫はじめてみた
あと菅原さんのドラムもはじめてみた
なんせ、サングラスでしょ、万年筆でしょ、カメラでしょ、葉巻でしょ(笑)
スーツでしょ、それでドラム叩くんだよ?かっこよくないはずがない
あ〜あたしもJAZZ喫茶のママになりたいな〜憧れるな〜〜
夫が現場か飛行機の事故で死んでまとまったお金が懐に入って
物件探してレコードと装置付きでお店譲るよ!って人がいたら
70過ぎててもやりたいな〜(条件ありすぎw)
マニアックな話で上映中ずっと幸せな時間でした
貴重な記録でした
【ジャズな生き方?】
轟音の裏に潜む静寂。
旋律を内包する自由。
これらが調和したのがジャズではないか。
阿部薫の絞り出すようなサックスの音に、心が握りつぶされるような感覚を覚える。
阿部薫は、三島由紀夫とのディベートで注目された芥正彦と交流のあったサックス奏者だ。
芥正彦と関わると、早死にするのか。
抑圧のなかの怒り、そして、生や自由への渇望。
悲しみの中にあっても求める悦び、楽しみ。
こうしたものが一体となったのがJジャズではないか。
でも、実は、僕のような人間には、そんなことはどうでも良くて、音楽が側にあることが重要なのだ。
だから、数が少なくなったとはいえ、ジャズ喫茶が全国のあちこちに残っていて、言葉肴に皆が曲に聞き入ってる姿を想像すると、なんか良い話だと思ってしまう。
東北出身だし、いつか、ベイシーに行きたい。
首都圏のジャズ喫茶が大学生に依存しすぎて、今は瀕死なのに対して、地方には根強い地元ファンがいるというのも素敵な話だ。
村上春樹さんも作家になる前は、国分寺のジャズ喫茶とバーのマスター(オーナー?)だったように思う。
ロンドンにいた時、毎週やって来るテストとプレゼンでくたくたでも、孤独を紛らすために、頻繁にジャズライヴのロニー・スコッツに通っていた。
金欠で立ち見だったけど、頭を空っぽにして、ライヴに耳を傾けていたことを思い出す。
小澤征爾さんが、バースタインのことを引き合いに出していたが、僕が中学の時に初めて買ったクラッシックは、バースタイン指揮のベルリオーズ幻想交響曲だったことを思い出して、嬉しくなった。
バーンスタインの指揮には何か魂を揺さぶるものがある。
その時、一緒に、冨田勲さんのシンセサイザーのホルスト惑星を買ったが、音楽の可能性の広がりを感じたことも思い出した。
音楽やジャズが進化しているかは、正直なところ僕には判断がつかない。
人に言えるほど通ではないから。
でも、こうして、音楽で思い出すことは沢山ある。
大学生になってバイトしたお金で初めて行ったジャズのライブコンサートは、今はなき新宿厚生年金ホールの渡辺貞夫さんのだった。
その後、一緒に行った彼女とセックスしたのも思い出した。
音は映画では伝えきれない。でも、JAZZも最後は人間性なのだ。
JAZZ喫茶は僕にとっては異様な世界だった。数年前、2か月に1度くらいの頻度で花巻の街へ行っていた。それは1年半ぐらい続いた。其のころすでに「ベイシー」の事は知っていた。そして、2度ばかり東北自動車道から降りて行ってみようと思いつつも行くことをやめてしまっていた。この映画は音にこだわった男のドキュメンタリー。レコードは単に演奏を何度も聴くために作られたものにすぎない。記録として残すために作られた装置に過ぎない。しかしながら名立たるJAZZマンがこの店訪れるには訳がある。ただひたすらマメな人間である以外に何かがないとエルビン・ジョーンズもカウント・ベイシーもこの店へはやって来ないだろう。15歳のとき僕の家の近所に「ジャンル」と名乗った喫茶店があった。他の喫茶店とは一線を画していた。その店のオーナーの背中に彫り物がったし、ママが飛びっきりの美人だったことが原因ではあったが、他の店と決定的に違ったのは音響システムだった。コルトレーンの「至上の愛」をフルヴォリュームで聴かせてくれた。そして、このジャズミュージシャンについて語ってくれたりした。オーネット・コールマン、アート・アンサプル・シカゴ、チャーリ・ミンガス、チャーリー・パーカー、バド・パウェルなどなど人がなぜ自由になろうとするのかを教えてくれた。左手の小指の第二関節から先がなかったオーナーの熱の籠った話しぶりが思い出された。フルスロットルで流れるJAZZの洪水のなかでも話を止めない彼の顔が浮かんでは消えてきた。
JAZZは生き方というより、人の在り方なのだ。
JAZZの現場に行きたくなった
格好いい音は分からなかったが、カウントベイシーやマイルス、エルビンジョーンズ、阿部薫にしても音が突き刺さってきた。
フリージャズが自由な心なら、ジャズは人間なんだという声に納得した。
良いドキュメンタリーのお手本で至福の時間を味わえる作品です。
ジャズ喫茶の名店として名高い「ベイシー」のドキュメンタリー映画と
言う事で興味があり、観賞しました。
で、感想はと言うと、良いッスね♪
104分と言う上映時間で至福の時間を過ごせた感じです。
ジャズ喫茶と言うのは自分よりも一回り上の世代の方にはドンピシャかと思いますが、京都に居た時にはまだジャズ喫茶が所々に存在してました。
少し敷居の高い感じで何回か行った記憶がありますが、まだまだ苦いブラックコーヒーにジャズを楽しむと言う感じではなく、背伸びして入ってはみたものの"まだまだ俺ってお子ちゃま"と言うのを痛感した思い出があります。
それでも、なんかそんな背伸びが良き思い出で、街中にジャズ喫茶を見掛ける事も少なくなった気がしますが、今も全国で600ものジャズ喫茶が存在していると言うのはちょっと驚き。
ジャズと言う文化は決して失くならないと思いますが、劇中でもベイシーのマスターの菅原さんが語られてましたが、"勝ち目の無い商売"と言うのは言い得て妙で、それでも心を豊かにすると言う点ではジャズ喫茶の存在意義は物凄く深い物があるかと思います。
中には喋るのはおろか、新聞の"ガサッ"と言う音ですら憚れると言うお店もあると言うのは驚き。
げに恐ろしきマニアックな世界ですw
"レコードを演奏する"と言う言葉も物凄くしっくりと来る。
日本独特の文化と言う事で様々な音への拘りが見ていて気持ち良い。
CDよりもレコードへの拘りも好きだし、それぞれのオーディオへの拘りもなんか楽しい。
ジャズ、コーヒー、オーディオ、ウイスキーロック、この歳になっても心地好い趣味の時間が堪能出来ます♪
個人的な難点で言えば、ベイシーの歴史と言うか、ベイシーを語る上での縦の線と横の線があるとすると、横の線に些か逸脱している感じがしなくもない。
もっとベイシーやマスターの菅原さんの事を深く掘り下げても良かったのでは?と言う感じが少ししたりします。
菅原さんを始め、出てくる方々は皆渋くダンディーな人達。
様々な著名人の方々も名を連ね、ベイシーの歴史を彩っている。
いろんな拘りを持ちつつも何処か達観している感じで、ジャズが好きだけど、"ジャズは何もしてくれない。何かをしてくれるのは人"と言う言葉はジャズを愛している者だからこそ、発せる名言かと思います。
単にジャズを聴くだけでなく、人の和と空間を堪能する。ジャズを通して、人としての粋に魅せるかを教えてくれる。
そしてもっと音楽を丁寧に大切に聴くと言う事を教えてくれる。
いや~良い映画。良いドキュメンタリー映画です。
一度はベイシーに行ってみたい!と思わせてくれる作品です。
興味がありましたら、是非是非♪
JAZZは人
どういうドキュメンタリーになるかと思ったけど、もうネタがありすぎて削るのが大変だったんじゃないかな。地元岩手の知った場所、知った方々がまるで別世界。
JAZZ喫茶という日本特有の世界はもしかすると少なくなっていくかもしれない。だが、キラキラした世代の記憶はけして古びることなく輝き続けると思う。
JAZZを古いとかBGだとかいう輩はいる。しかし、BGとしてしか聞いたことが無いならこんな不幸なこともない。一度菅原氏の店でちゃんとした音を聴くべきだ。
この日は重鎮西部氏と斉藤純氏のトークショーもあり、短い時間だったがそれこそ思いを聞けて良かった。まさに音を楽しむに尽きるんだなあ。
研ぎ澄まされた音の住処へ
世間からは廃れた文化?それは我々の愛すべき文化。此方側は、片手に収まる画面越しで社会を理解している気の現代人にそっと投げ掛ける… So what? と。それはまさにJAZZの持つ不良性、世に漂うイメージのそれを打ち消すサウンド。求める最高の音質、それは「拘り」の継承が生む、人間の叡智を集約した澄んだ轟音、それには都心に溢れかえる雑音を浄化する様な圧力があり、デジタル世代には凡そ扱いが困難であろう“異質な楽器”として映ったことであろう。決して廃れない文化の強さは、人間の繋がりと信頼の力、つまりアナログこそ勝る、なのだ。結論、岩手県一関市にGO TOなのである。
音にひれ伏したオーディオマニアのジャズな人生
これは、より格好いい音を求めて、音の追求に人生を捧げ続ける孤高の人物のドキュメンタリーである。
そこには、思いの外肩の力の抜けた初老の男性の姿があった。
まるで何かを悟ったような気楽な、しかし颯爽とした姿。
彼には、自分がどう見られるかではなく、自分がどうしたいか。それを貫いてきた自信と安楽感が漂う。
「より格好いい音を求めて。より格好いい音を人に聴かせるために」日々、Up to dateを重ね続ける確固さ。それがカッコ良さの源だ。
彼は、己を捨て、音にひれ伏し、日々より格好のいい音を追求して止まない。
己にこだわらず、音にこだわるが故に、同じ嗜好をもつ人々が自然に集う。
そこはまるで宝石のような別世界。
東北の片隅に半世紀に渡り存在するその場所は、いつしか世界的に名を知らしめる所となった…その名はベイシー
名跡のカウント・ベイシーに一年遅れでお墨付きをもらったその場所は、オーナー不在の営業日が一日たりともないという。それは、そこがビジネスの場ではなく、あくまでも彼の実験場、ガレージである事の証だ。
己の理想を求めて、己の大志を半世紀に渡り貫き続ける所に、東北人の粘り強さをみせつけられる。
日常の生活に囚われず、己の嗜好(或いは志向)を貫く自由さ。それこそがジャズであり、本来、すべての音楽が持つ本質なのかもしれない。
人の感情に直結するはずの音楽。
それが自由であればあるほど、人はより解放されるのだろう。
その解放感を求めて、今日もベイシー(菅原正二)に世界中から人が集まる。
滝の裏には静寂がある
とにかく菅原さんがカッコいいです
ダンディーな着こなし
会話に添えられる優しい笑顔
人への思いやり。
雑誌で見るとなんか頑固オヤジで
強面なのかな?って思ってましたが
みんなに愛されるのがわかる
可愛らしいマスターですw
また色んなミュージシャンが登場して
坂田さんもポンちゃんもいいコクが
出てますが、やはり、
中でも私が栃木出身だから
贔屓してるかもしれませんが
ナベサダさんが、別格ですね^_^
楽屋に特別に
お邪魔したような何気ない会話も良くて。
それでいよいよライブが始まって
あの音色を聞いた瞬間、すっと涙が出ました。
理由はわかりません。
また、映画作品としても
素晴らしいなと思いました。
特に後半で 所在なげにドラムを叩いたり
店主ではなく客のように座って
ぼんやり無言で遠くを見つめるだけの
シーン。
菅原さんに語らせることもなく
テレビのようなナレーションもなく
客が自由に考えるというか。
星野監督や亀山Pの手腕なんでしょうか。
なんか具体的には説明できないんですが
昔のいい時代のフジテレビを感じました。
初見で好き勝手言ってますので
御了承下さい。
手触りのある映画。雑誌をめくってるような感覚も。
1970年創業のベイシー。60年代生まれの私にとっては近くて遠い年月を愛おしむことも目的の一つと思い鑑賞した。近くて遠いのは、50年前のことだからもちろん十分遠いのだけど、同じ時代を生きていたと言っても幼少期だった私には遠い世界だ。その頃、近所にいた東北出身の大学生のお兄さんはフォーク歌手「本田路津子」に心酔していたなあ。この映画は期待通り、「レコードを演奏する」という菅原氏とその周辺のプロ中のプロの貴重な証言のみならず、60−70年代の時代・社会背景、そして便利さ一辺倒のデジタル化に上書きされゆく今日のアナログ人たる哀愁が存分に描かれていた。登場人物が愛おしく感じるのは、彼らが年をとってしまったことに対してとても自覚的で、怒るでもなし、威張るでもなし、自然体なことだ。失礼を承知で言えば、とてもかわいいおじさまたち!心の交流という意味では最早、生きてるか死んでるかすら構わぬ、超越した互いの貴重な記憶の断片を咀嚼し続けている様子なのである。
ちなみにこの日からアップリンクは全席販売となり、会場は満席。その9割は高齢者男性だった。中には早稲田のハイソサエティのOBも混じっていたのだろうか。
「音」を感じる、考えてはいけない
文章はその思考の背景や文脈を考えることは大事だが、音については作り手が感じるままに表現したものを敢えて考えるのは無粋なこと。
考える行為は批評家に任せて、感じたままに受けとめればいい。
マスターの菅原さんが言うように、文化は右肩上がりで進化しない。波状のように上がったり下がったりを繰り返す。
であれば、菅原さんたちのような60年代以降の日本のジャズ文化を築きあげてきたものを後進がしっかり引き継いでいく必要がある。
(ただ忘れ捨てられることなく)いったん引き継いだうえで次代に活かしていくかは、次代の人間が選択していけばいい。道が進化一辺倒でないなら、オプションは必要。
ジャズ喫茶店は国内に600店あるそうだが、もう600店しかないのか、まだ600店もあるのか、正直よくわからない。
菅原さん自身も損な商売だと仰っていたが、彼には70年の開店前後来のかけがえのない出会いや友人があり、BASIEという唯一無二の小宇宙があるのは最強の財産なのだと思う。
BASIEは「レコードで演奏する」という表現がまさにピッタリな空間だ。
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