ダンケルクのレビュー・感想・評価
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淡々してるのがgood!
群像としての人間模様が感動を誘う
この救出作戦を 美化するかのような映画でもなく、 大声で戦争反対を...
この救出作戦を
美化するかのような映画でもなく、
大声で戦争反対を叫ぶ映画でもなく、
主人公たちの心の葛藤とか思いを
強調するでもなく、
ただ事実を淡々と描いている、
そんな雰囲気の映画でした。
しかし、逆にそれが観る側の心をつかみ、
お腹の底から魂を鷲掴みにされた感じです。
歴史は偉い人が作ってるんじゃなく、
普通の人たちのそれぞれの積み重ねっていうか、
私たちひとりひとりの行動が
大きなうねりとなって、
できていくのかな、
そんなことを感じました。
教科書だと、
数行で書かれるだけの出来事も、
その数行には何千何万、
何十万人の人々がいて、
そういうひとりひとりに思いを
はせるっていうか、
ひとりひとりに対して
想像力をもつ必要がある。
そう感じました。
それは歴史だけじゃなく。
あと、
戦地で生き残ったおじいちゃんが、
その体験を語らないという話を
聞いたりしますが、
なんとなくその理由が
わかった気がしました。
うまくこの感情、感想を
伝える文章力がないのが悔しい。
普段お祭りハリウッドムービーばっかり
観てますが、
深くていい映画でした。
やっぱり、どんなことがあっても
戦争はダメ。
今の世界情勢を思うと、
武力以外で解決して欲しいです。
imaxで観よう❗️
戦争という魔物
ただただ、逃げては追われ、戻される。究極の閉塞感から、希望や力強さは一滴も見出せない。
多くの民衆の船が現れた時の、あの、祖国というものを感じる瞬間。その後にも訪れる閉塞感。
効果的な音楽と、洗練された映像でひたすらに描きつづけたこの作戦に、エンタメではない何かを感じられた。
凄惨さのリアルを追求せずとも怖くて美しい戦争映画
クリストファー・ノーラン監督作、しかも初の実話ベースという事で、かなり期待していた作品。IMAXで2回鑑賞しました。
「ハクソー・リッジ」と同様に、”殺す”よりも”救う”ことにフォーカスした戦争映画です。が、ハクソー・リッジと大きく異なる点は、残酷な描写をせずにリアルを追求したところ。ノーランが求めたリアルとは、CGを極力使わず本物の当時の戦闘機を飛ばすなどして撮影することでした。実際には大量の戦闘機が闘っていただろう空には、現代に遺された実物の戦闘機が2、3台しか飛んでいないのです。ハクソー・リッジのように血塗れどころかグチャグチャの負傷兵や死骸も映りません。むしろ、本物の戦闘機はもちろん、砂浜と波の花が白く輝くダンケルクの海岸や、登場人物の美男子達と、美しいものばかりが目に入ってきます。
ところが、凄惨さのリアルを求めずとも、この映画ちゃんと怖いんです。主人公と完全に同化して、砂浜で、桟橋で、駆逐艦で、海で、難破船で…度重なる敵の攻撃から逃れなければならず、ハラハラが止まらず息苦しい!戦争を擬似体験させられるような感覚すらあります。
登場人物のセリフもかなり少なく絞られています。そこがまた戦争の息苦しさを感じさせるのですが、それと同時に最小限の会話に胸が熱くさせられる、とてもスマートな映画でもあると思います。特に、ダンケルク海岸での救出へと徴用された小型旅客船でのやりとりにはグッときました。言葉の無い表情だけで語り合うシーンでも泣かせるのだから本当に凄い。無論、海だけでなく空でも陸でもとても紳士的な表現が印象に残ります。
そして、別々の時間軸で進んでいる陸海空の出来事が交わり合った時、後半へ行くほど分かっていくのですが、その度にジワジワ〜と胸の奥が熱くなっていくし、映画としてとても良く出来ていて面白い!
なんとか祖国に帰還した若き兵士逹を、勇気ある撤退として讃える一世代前の老人逹の言葉に、最後の最後でまた胸熱になる、若き巨匠クリストファー・ノーランのインテリジェンスとこだわりが爆発した素晴らしい映画だと思います。
あと暖かい紅茶が飲みたくなりました。
IMAXで観るのがお勧めです!
エンタメ要素を排除した戦争映画
時系列を上手く処理した三つの視点による構成が素晴らしい。
大救出作戦や空中戦はエンタメ要素満載のスペクタクル映画になりがちだが、監督は一切それを排除、重いトーンでスクリーンを埋め、戦争のリアルが伝わってくる。
多くの死が情け容赦無く降りかかり、お約束的なストーリー展開では無い中、
ラストのエンジン停止後のトムハーディの静かな飛行が余韻を残す。
戦場と人
パンフ購入推奨
退屈な映画でした
空虚なこころ
映画『ダンケルク』評
☆映画『ダンケルク』(2017年アメリカ/クリストファー・ノーラン監督作品)評
-映画『ダンケルク』とは砂浜であり、それが生と死の瀬戸際のトポスとして君臨する時、あらゆる記号体系が神話作用を稼動させる。そこには父性的特権と母性的なそれの強靭な拮抗と融合による戦いの構図が、微かなる垂直の振る舞いと女性性を不可視の領域に於くことで成立する倒錯的な記号により暴露される英霊達への弔いのトポスの表象形態が敷衍される。
或いはラスト近く砂浜に並べられた数多のヘルメットの描写は、そこが兵士達の葬られた匿名的特権を奮う場所であると共に、戦争の過酷さを静かに讃える映像として君臨するまさにこの映画の白眉として、筆者も涙を禁じ得ぬ極めて崇高な戦争の縮図と謂っても過言ではないであろう-
クリストファー・ノーラン監督はこの戦争叙事詩を謳歌する為に、常に兵隊に動きを纏わせる事で映画の運動性を誇示させる映像戦略を、観る者にカメラと被写体による操作で感知させる。そこでは、イギリス空軍のスピットファイアとドイツ空軍メッサーシュミットによる空中戦が動きを奪われたパイロットであるにも関わらず、戦闘機が『トップガン』や『ライト・スタッフ』の如くゲーム感覚で披瀝される時の速度との戯れにより映画が活性化される事に観る者は敏感であらねばならない。
その証拠に最期にイギリスに帰り兵士達を運ぶ電車が男根的表象体を維持する事で陸が持つ父性を奮う時、不意に車窓に現れる遊ぶ男の子達に、兵士が次の駅の名前を尋ねる時に彼等が発する「ウォーキング」の一言に端的に現れていよう。ここに於いて、この映画がひたすら女性性を回避する事で成立する歩く事、つまり速度を伴った動きに固執する監督の父性的特権性が認められるのだ。戦争とは、恰もこの父性が纏う運動性に代表される速度の醸成にある。
しかし、この映画にはどこかこの速度を欠かせるトポスの誘惑が認識できるのだ。それはこの映画のほぼ七割が女性的特権を標榜する大海において繰り広げられる兵士達の救出劇にある事から、流れをせきとめる停滞と逡巡の概念が海の場面を占有する。
それは閉塞的な船中に銃弾で穴を開ける事で海水を誘い込む場面と、海上に不時着した戦闘機内に閉じ込められたパイロットが侵入する海水で溺れる間際に逃れる場面のカットバックにより代表される。そこでは生と死の中間地帯を纏う虚構空間を停滞と逡巡を生成する閉塞的装置とする事が、前者では船底に残された兵士達と、後者ではコックピットで海水と抗い窓を壊すパイロットのみという数学的見地からの差異を不覚にもさらけ出す結果となる。
そこでは複数と単数という概念が奮う運動性が、微かなる垂直の動きにより脱出するまでの過酷なる戦争状況を露呈する時の閉塞感が、たとえ複数であろうと単数であろうとその人間が船と戦闘機が運動性を剥奪される事で、殆ど差異を払拭する閉塞的な悲劇的空間からの逸脱装置として機能しているのだ。
これらを導き出す海の存在意義は、母性を孕む事でオイディプス的な側面を暴き出す。そこには、戦争こそはアンチ・オイディプスの概念が働くマッチョな人間の愚行であるかのように振る舞われる自虐的な殺人行為であり、まさに生き残りを懸けた遊戯であるかの如く描かれるのだ。それは、係累を遺せぬ性的不能の様相をも帯びる過酷な悲劇である。
またこの兵士の動きを停滞へと向かわせる砂浜での縦列の並びは、彼等を船に乗せる為に狭い防波堤に並ばせる時に発生するリニア的構図が、男根的特権を行使する縦の構図を図らずも露呈させる。この縦の構図が、只ひたすらダンケルクという砂浜のトポスを陸と海の中間地帯である事に終始させる。それは、父権を保つ陸と母権を奮う大海を表象するトポスの抗い難い宿命をも顕示する表層性の誇示でもあろう。
或いは海水という液体が死への欲動を施す記号体系を謀る溺死を誘い海面に浮かぶ死体を現出させるのに対し、砂浜では死体は土砂によりひたすら隠蔽される事だ。ここにも、トポスの持つ表層への依拠が装わているだろう。それは戦死した兵隊の姿が霰も無い姿で披瀝されるか否かで、弔いの概念の有無を無闇にも曝け出す結果となる。
この弔いとリニア的構図が陸という父性的特権に於いて行使されるのも、戦争が男の兵士により敢行される殺し合いである事からも立派に証明されよう。それほどこの映画は、こと程左様に女性性を回避する事で微かなる縦の運動が保つ生への優位が確認できるのだ。
例えば、ラスト近くでの一般人の船による救出劇の殆どが、船に乗り込む兵士達の姿を不可視の領域に追い込む事で成立している事からも明らかであろう。この映画はこういった垂直の動きを画面から排除する時にこそ、生存率を高める証となる記号体系を編んでいる。それは女性の描写を極度に排した事と連関性を誇る。
これは子供を産む女性こそが、係累を遺すジェンダーとして君臨する事の暗喩として機能しているからに他ならない。この血縁関係が催す垂直の関係を保つ事が、微かなる縦の動きを回避する起因ともなっている。戦争とは、かくも縦の関係を寡少たらしめる男性性というジェンダーの悲劇なのでもある。
それはイギリスからドーバー海峡を渡り連合軍を助けに来る男同士の縦の関係である父子こそが、血縁関係を代表する時に呼応する悲劇的フィクションの醸成だ。この息子兄弟の弟が不慮の事故で命を落とすのも、父性の悲劇的側面の強度を高める捏造に加担している。それが戦争の実体なのだと言わんばかりに。
この映画が女性性を徹底的に駆逐する時、映画は微かなる垂直の動きさえをも回避させる。それは生き抜く事の優位を高らかに謳歌している記号として見事に符合しており、この連関性は喩ようもなく美しい。
しかしこれが逆に照射するのが、戦争状況に於ける死者を英霊として祭り上げる祝祭空間の生成にある。この英雄讃歌がラストに用意されているのも、この映画が只の反戦という通俗的制度に則るメロドラマを排する事の証でもあろう。そこでは敵機を完膚無きまでに撃ち落としたスピット・ファイアが砂浜に不時着する時、この戦闘機が炎に包まれそれを眺めるパイロットが炎の赤さに溶け込む実に感動的な場面。又はダンケルクから逃れるイギリス兵士二人が、本国に帰還し電車の中で静かに微笑む場面。そして、イギリスから救出に向かった船に乗る父親と息子が兵士達と共に無事に生還する場面と、死して帰還するヒーローにも準える新聞紙を彩るもう一人の息子の写真。
この三者の生き残る姿或いは死をもって兵士を救う青年の写真記事には、クリストファー・ノーラン監督の英雄讃歌が些かシニカルさを伴い表現されており、ここには監督自身の怜悧な他者的視線さえ窺えるのだ。
「ダンケルク」とは砂浜であり、それが生と死の瀬戸際のトポスとして君臨する時、あらゆる記号体系が神話作用を稼動させるのだ。そこには父性的特権と母性的なそれの強靭な拮抗と融合による戦いの構図が、微かなる垂直の振る舞いと女性性を不可視の領域に於く事で成立する倒錯的な記号により暴露される英霊達への弔いのトポスの表象形態が敷衍される。
ラスト近くの砂浜に並べられた数多のヘルメットの描写は、このダンケルクで散った兵士達の葬られた匿名的特権を奮う場所であると共に、戦争の過酷さを静かに讃える映像として君臨するまさにこの映画の白眉として、筆者も涙を禁じ得ぬ極めて崇高な戦争の縮図と謂っても過言ではないであろう。
(了)
IMAXでもう一度見たい傑作なのだけど、躊躇してしまうほどのあの体感
その日の体調だったりするのかもだけど、スピットファイアの主観視点によるピッチ/ロール/ヨーにはまりすぎて気持ち悪くなってきたのでしばらく視線を外すハメに。途中まで「これは凄いな」と思って入り込みすぎたのかもしれない。こうした経験は『クローバーフィールド』でもあったがアレはただただ苦痛でしかなかったので途中で離席した。
例えば『アバター』でも主観で飛翔するシーンは多くあったがあれは100%ヴァーチャルだったので楽しさしかなかった。今作では実機での撮影ということでリアリティしかなかったし、その感覚と実際の客席に座っているだけの自分の状況との食い違いに耐えられなくなったのかもしれない。
『インターステラー』でも繰り返されたノーズコーン横に相当する位置に据えられたカメラ視点のみでなく、コクピット内からのパイロット視点も加えられることで迫力は十分。CGIに頼らないための工夫に進化を見せた。あえて不自由な手法をとることでしか得られないものを最大限に作品に落とし込んでいる。こういう作家がいることに感謝しかない。
今作はドラマも希薄で登場人物は掘り下げられない。しかしそれは表面的な見方であり、彼らの行動の背景に何があるのかを考えればそれで十分補完できると思う。
ノーラン作品にしては全体の尺が短い今作にあって冒頭の台詞もなくただケガ人を担架で運ぶだけのシークエンスの冗長さがユニーク。あれでドラマ性に関してはある程度の覚悟が出来た。今作では全体の構成としてもそうだが、局面でもタイムリミットがあってそれらに対応させられる人びと、という構図がしつこいまでに繰り返される。そのしつこさに辟易しそうな頃に民間船による救出劇があって有無を言わせず感動的なシーンになっている。リアリティはともかくとして。
オリジナリティは評価するがホントに変わった作品を作るな、という感想が個人的に定着しつつあるノーランだけど、とうとう実話ベースの作品を撮ったということでますます今後の制作に期待がもてる作家であることは間違いない。
ちょっと、船酔い感
小学生向け戦争映画
レビュー通り映像は素晴らしいの一言に尽きる。
ですが私は開始30分後には終了時間を気にするようになりました。
そもそも高評価の方々は戦争映画を見たことはありますか?
実際の戦争でどのような事が起きてるか知っていますか?
銃で撃たれ、爆撃される。
でも血が出ない表現に疑問は持たないのですか?
そんな戦争があってたまるか。
私は戦争映画に映像美なんて求めない。
求めるのはリアルな描写とそれに見合った脚本だ。
この映画にはそれが一切無い。
最後に気になったのは主人公は無事にトイレに行けたのか位w
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