劇場公開日 2016年9月24日

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「感動的だがそれだけではない」ハドソン川の奇跡 nanaさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0感動的だがそれだけではない

2020年1月2日
PCから投稿

技術的な仕事をしている自分にはとても感慨深い映画であった。
技術的な説明を用いながら、世界とはどうなっているのか、人間とはなんなのかということを描いている。

数値では表せない人間の経験・技術・判断・決断といった人為的要素、「長きにわたる経験からくる直感」を議論の対象にできず、機械センサーのデータのみで結果から遡って共有し、評価・議論することの難しさ、そもそもの不可能性。
全員人命が救命されたという望ましい結果よりも、予め決まった手順通りでなかったことを裁きの対象とされ、それがデータのみでしかも経験”外”の人間たちに議論されるようになっているこの世界の間違った仕組み。

AIやセンサー、機械化、電子化の急速に進む現代において非常に示唆的である。この事故ではだれも死傷者がいなかったから考慮され断罪はされなかったものの、もし犠牲者が出ていた場合、こうはならなかった可能性がある。
人間の直感をよりどころにして、あらゆる選択肢のうち最上の結果が得られたとしても、およそデータで包含しきれない人為的要素はごっそり抜かれてしまったデータから正解と判断されなければ、断罪される可能性があるということである。

故意ではない事故の場合、しかも人の過失でなく機械の故障などの場合はなおさら、あらゆる場面でこう言った問題がかならず付き纏い、「あらゆる選択肢のうち最上ではなかった」から裁きを受けるべきだ、ということが本当に言えるのかどうかということである。「最上の選択肢であったかどうか」は機械センサーでの評価では不十分だし、その瞬間の判断というものが人にしろAIであるにしろ、データの欠損を伴うものであるのであるから、後になって罪を追及するのは本質的に危ういことなのである。

そしてそもそも用意されていた手順が最良ではなかった場合はより悲劇的で、この映画では手順が違ったことが遠因で委員会からは特にこまかく追及されることが描かれるが、社会の仕組みはそれ以外のより良い方法をとった個人を許さず、権威側が保護される傾向にあるということである。
ガイドラインや制度や法律などありとあらゆる人間社会の決め事が、そもそも間違いを含んでいるのが当然であることを考えれば、データを超えた個人の判断が正しくあっても断罪されることがあることを示している。
一方で、決められた手順通り遂行していれば、結果が最悪であったとしても断罪されない可能性があることを示している。
これはとても恐ろしい社会の不完全さであると思う。

このパイロットは、データや決められた手順、あらゆる規程などではなく、長年にわたる積み重ねられた職業的倫理観、経験、技術、自己研鑽、責任感により乗客全員を救ったのである。

nana