ミモザの島に消えた母 : 映画評論・批評
2016年7月12日更新
2016年7月23日よりヒューマントラストシネマ渋谷ほかにてロードショー
ノアールムーティエ島の孤立した風光がすばらしく、哀感に満ちた感銘を与える
引潮の時に、束の間の数時間だけ〈海の中道〉が現れる西仏の「ミモザの島」を舞台に、30年前に謎の溺死を遂げた母の記憶に憑りつかれ、そのトラウマから抜け出そうともがくアントワーヌ(ローラン・ラフィット)の苦悩を描く。原作は「サラの鍵」でナチの収容所体験のトラウマを背負った少女サラと彼女の戦後史を探索するヒロインを対比させ、戦争という災厄のおぞましい傷痕を“記憶と現在”という主題として探求したタチアナ・ド・ロネの「ブーメラン」。戦争をある家族の偽史に置き換えただけで、ほぼ同一のモチーフを扱っているといえるだろう。
冒頭、母の30回忌で島を再訪したアントワーヌと妹のアガット(メラニー・ロラン)が、帰路、互いに「現実を直視していない」と口論となり、車の横転事故を起こすシーンが印象的だ。二度にわたって反復されるこの場面は、エピローグで、波打ち際にうち棄てられた事故車の衝撃的な光景に結びつくシンボリックなイメージであったことに気づかされるからだ。
アントワーヌは離婚、失業、娘との不和とさまざまなトラブルを抱えながら、母の死の真相を禁忌のように封印し続ける父と祖母を、時には激しく指弾し、背後にある謎に迫ろうとする。そこから母にとってかけがえのない一人の人物が浮かび上がってくる。
往年のクロード・シャブロルの田園ミステリのようなダークで苦い味わいがあるのは、祖母を演じた名女優ビュル・オジエの憎々しいまでの存在感ゆえかもしれない。
なによりもヒッチコックの「鳥」の舞台となったボデーガ湾を思わせるノアールムーティエ島の孤立した風光がすばらしい。ラスト近く、〈海の中道〉を一台の車が疾走するだけのシーンが、これほどまでに哀感に満ちた感銘を与えるのは稀有なことである。
(高崎俊夫)