グランドフィナーレのレビュー・感想・評価
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Personal Reasons . そう。「私的な理由」が誰にでもある。 映画はそう語る。
Personal Reasons .
=忘れたい思い出と、
=忘れてはいけない課題と、
=そしてこの身ごと世間から忘れ去られてしまいたい理由が僕たちにはあるのだ。
邦題:グランドフィナーレ。
つまり「大往生」と云うことか。
・・
私事だが、僕は数日前、「定年」を迎えた。
この映画が僕の定年後の、初の映画。
つまり第一本目なのだ。
隠退した作曲家にして指揮者のマイケル・ケイン(フレッド・バリンジャー)が本作の主人公として、その長かった人生を振り返り、彼がやり抜いた足跡と、やり残した事どもを振り返っている ―。
大きなプライドと、そして深い傷を振り返っている。
彼はその顔の深い皺の中からPersonal Reasons.を思い出している。
この音楽家バリンジャーと、もう一人、映画監督のミックが、滞在先のホテルでお互いの体調と仕事の進捗を伝え合う。
二人とも老人だ。そして無二の親友なのだ。
そしてそこにもうひとり ”悲しき一発屋“ の若き映画スター(ポール・ダノ)が絡む。三者三様に不名誉な肩書に苦しめられている有名人なのだ。
つまり彼らは一様に「代表曲:シンプルソング#3」と「代表出演作:Qロボットシリーズ」と「代表監督作11作」以降、気持的に落ちぶれている”過去の栄光の人々“。
【出演者それぞれについて】
◆マイケル・ケインは、我が敬愛する大俳優。英国の至宝。劇中、女王陛下からの叙勲を賜る有り難いお話を断ってしまう彼なのだが、マイケル・ケインは実際既に「サー」の称号を女王から受けている。語る姿に説得力がある。そして横顔がとんでもなく美しいシェークスピア俳優。
◆そのバリンジャーの親友で映画監督のミック。彼は過去の栄光にしがみつき、自作が時代遅れである事にはまだ気付けていない。良き助手たちには恵まれているが、業界では既に過去の存在。
◆そしてそんな彼らを遠くからそして近くから見守っている青年がポール・ダノ扮するジミー・ツリーだった。何とも端正な若者に育っていて、僕は驚く。フリースのフードを被っていたのがポール・ダノだと気付いて、何故か僕は急にその成長ぶりに胸が一杯になる。
(ポール・ダノがうちの上の息子によく似ている件は「リトル・ミス・サンシャイン」に記しているし、勝手な思い入れがある)。
◆父親を恨み、父親と気持が通わない娘レナ(レイチェル・ワイズ)も、本当にあの世代の生きた演技を見せる。
◆そしてソプラノ歌手スミ・ジョーの登場には僕は驚いた。鑑賞するまで彼女の出演作だとは知らなかったもので。来日公演に行けずにほぞを噛んだソプラノのディーバだ。よくある「ここぞと云う時に自慢の声を横行オウギョウに響かせるタイプの歌い手ではなく」「逆にそこで敢えてボリュームを絞って過度のドラマチックさを抑え得る稀有な人」だ。そう、彼女は儒教の国、 韓国の出身だ。
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邦題「グランドフィナーレ」
原題「YOUTH」
(邦題が◎)。
妻も娘も去り、息子も娘もまるで他人のようになってしまった。老人たち父親たちとはもう心が通わない。
唯一「あなたの曲はきれいです」と呟いたバイオリンの少年を除いては。
唯一「あなたの映画で答えがわかった」と言った少女を除いては。
唯一「あなたの体からはストレスが伝わる」と見抜いた指圧の娘を除いては。
こうして
舞台の演出も、オーケストラの指揮も、そして家族も過去も、
一人ひとりがステージを去っていき、自分だけになってしまった独り舞台で、
知らない よその子の賛辞だけを頼りに《自らのグランドフィナーレ》を迎える寂しき我々老人。
これはスイスの温泉保養所での物語。
しかしどれだけ保養をしても、疲れと老いに追いつかれて、僕たちはこのように、孤独のうちに潰ツイえるのだ。
・・報われないままで、忘れられて、
そうしてじきに土に還っていく年寄りたちの
その男親の心情が、
「定年」を迎えた僕には痛いほどわかる。
親しい人は必ずいなくなり、
楽しかった思い出もいつしか必ず忘却の彼方に消える。
だから「せめて娘の記憶には残るように無理して思い出を残した」(マイケル・ケインの言葉)のだ。
・・
「定年後」、初めて観たこの映画です。
再雇用で、僕は仕事はそのまま継続なのですが、自らが老いていく事の意味と、来し方、行く末の寂寞感と、
しかし獲得した事どもも、確かに我が身の人生に刻まれている。その充実感をも同時にこの映画から与えられました。
「再出発」のための忘れられない作品ともなりました。
珠玉の言葉と、ハッとするやり取りが散りばめられていますから、
五十代、六十代の皆さんに、
特にダメおやじだったお父さんたちにオススメです。
『パーソナル・リーゾンズ♥️』
ぶっ飛びの5時間の鑑賞。最後は3回見た。疲れた。
最後ののシンプル・ソングを歌うソプラノ歌手は韓国人のスミ・ジョーである。
全く、異議は無いが「女王陛下」と言い「スミ・ジョー」と言い権威主義なんだよね。しかも、口パク。
最後は「グランドフィナーレ」に使われるシンプル・ソングもオリジナルでアメリカ人の手によるもの。そもそも「グランドフィナーレ」ってそれまでなにをやってたの?って感じる。
マイケル・ケインの様相からエンニオ・モリコーネが浮かび、ニーノ・ロータとフランコ・ゼフィレッリやフェデリコ・フェリーニとリカルドムーティとの関係を思い浮かび、魔の山からハンス・カストルプを連想して、主人公とニック以外のサブストリームの意味を考えてみたりしたが、全部空振り。
それで、最後の最後に。
「ゴーザノストラ」かよ!
名監督なんだろうが。僕は余りこれ系が好みでない。
総じて申せば、ナポリ人のアルプス超えなんだろうね。ベニスでよかったんじゃない。カンヌやベルリン狙わなくてもベニスがある。
何もハリウッドなんかに期待しなくても。
追記
マラドーナじゃない。
追記2
まだ、55歳ならこれからだろうが。巨匠と呼ばれたいなら、古典を学んで貰いたい。
youth in ones mind
アートをみているような映画 老いても人生を楽しもうという応援歌
と、書いたのが2017年
2025年に9年ぶりに見返してみたら、私の感性が変わりより深く感動した。
これは、性的欲望をアートに昇華させた映画なんだと理解することができた。そのためこれだけ好きな映画だったのだと気づいた。
シーンの考察
•指揮者のマッサージをする女の子。歯の矯正器具が若さを表している。 途中の描写で、指揮者のために下半身の回春マッサージをしてあげているのが明らかである。 その後も度々性的エネルギーの象徴として登場する。
•会話をしない老夫婦。 老旦那が若いスイス人(アラブ系とのハーフっぽいというのも面白い)の娼婦と性欲解消をしている。その後、老妻の感情爆発から新たな展開へと進んでいく事が出来た。
また、指揮者の親友もその女の子と手つなぎデートをして、初恋の女の子に感じた性的欲望を確かめるかのようであるのだ。
•指揮者と親友の昔話は結局初恋の女の子につきている。それ以外の話は本音として興味ないのだ。
•ルーマニアのミスユニバースの全裸入浴は、この映画の象徴とも言うべき性的なアートである。
•指揮者の娘、親友の息子、その新しい彼女であるセクシー歌手。それらは全てベッドの上の情事に関するエネルギーと欲望を表している。
•俳優の気づきが、視聴者へのメッセージでもある。
人間を生かすものとは、純粋で不道徳で手に入れ難い、欲望なのである
欲望は生まれながらにして人間それぞれ違う物をもっているのである。
我々のように、それが性的欲望である者たちには、この映画は美しいアートとして輝くのであろう。
【”若さと老い。そして束縛からの解放。”若き日の名声に束縛された老いた作曲家と映画監督のスイスアルプス山麓のホテルでの交流を軸に、二人と関わる人の姿を不思議なショット満載で描いた作品。】
ー パオロ・ソレンティーノ監督作品としては、初鑑賞である。そして、今作は、好みの作品である。-
■高名な英国人音楽家・フレッド(マイケル・ケイン)は、引退後、アルプスの高級ホテルで優雅なバカンスを、友人の名映画監督のミック・ボイル(ハーヴェイ・カイテル)と過ごしている。
彼の元に、英国女王から彼が作曲した名曲「シンプル・ソング」の指揮の依頼が舞い込む。だが、その依頼を二度も断るフレッド。
一方、ミック・ボイルは新しい映画製作に意欲を燃やし、スタッフ達と協議するが、主演を依頼しているミックが育てた女優ブレンダ・モレル(ジェーン・フォンダ)に出演を断られ、フレッドの前で投身自殺する。
そして、明かされる、フレッドが固くなに指揮を断っていた理由は、妻のメラニーしか「シンプル・ソング」は歌えないというものだった・・。
◆感想
・スイスアルプスの麓にある高級リゾート・ホテルが舞台である。何故か庭にはチベット仏教の僧侶がアルプスを見ながら座禅を組んでおり、物凄く太ったマラドーナが杖を付いて呼吸器を使用人に運ばせながら歩いている。
不思議なテイストだが、好みである。何故か、リューベン・オストルンド監督作品が頭を過る。
・フレッド(マイケル・ケイン)とミック・ボイルは、ホテルに滞在している人たちの中で、全く喋らない老夫婦が、食事中に会話をするかで賭け事をしている。
そして、ある日老婦人はイキナリ夫の頬を激しくビンタして立ち去るのである。一人テーブルに残り、スープを啜る夫。
その姿を、フレッドは複雑な顔で見ているのである。このシーンも、フレッドの心を揺るがす切っ掛けになったシーンであろう。
・ジミー(ポール・ダノ)は、ロボット映画の役で有名だが、その役のみが先行してしまい悩みを抱え、皆が食事をする中、ヒトラーの恰好をし食事をするが嫌悪感を露わにした人たちの表情を見て、食卓を激しく叩いてしまう。
彼も又、ミック・ボイルと同じ、過去の名声に囚われた人である。
・フレッドの娘、レナ・バリンジャー(レイチェル・ワイズ)は、彼の秘書として滞在しているが、結婚しているミック・ボイルの息子から、女性を紹介され別れを告げられる。その理由は、”ベッドが、巧いから・・。”
そして、レナが”私だって・・。”と言った時に、フレッドが慰めようとしてレナに言った言葉。”控えめに言って、私はベッドでは最高・・。”ウーム、作曲だけしていたのではないのだね・・。
■不思議なシーン
1.チベット仏教の僧侶が空中浮揚するシーン
2.物凄く太ったマラドーナがテニスコートで、テニスのボールを左足で高々と何度も蹴り上げるシーン
⇒ それぞれ、”解放”を暗喩しているシーンとして解釈する。
・フレッドは、ミック・ボイルが自死した後に、病院にいる精神を病んでいるようにしか見えない妻メラニーの病室を訪れる。
レナ・バリンジャーがホテルにいた時に、彼に恨みがましく何度も言った言葉。”お母さんから、お父さんが作曲しているから、静にしなさいと何度も言われた。”という言葉を思い出す。妻の病気が、フレッドが若き時に、作曲に没頭していた事と、何度も浮気をしていた事が遠因であろう。
<そして、フレッドは漸く、英国王室の要請に応じ大観衆の前で、名曲「シンプル・ソング」の指揮をする決意をし、燕尾服を着てステージに立つのである。
メラニーは、ホテルで知り合った登山家のルカと崖を上り、メラニーは窓を眺めているのである。
今作は、若き日の名声に束縛された老いた作曲家と映画監督のスイスアルプス山麓のホテルでの交流を軸に、”若さと老いと束縛からの解放。”をテーマに描いたヒューマンドラマなのである。>
長生きしたくなくなる映画
素敵な景色ですね~♪
原題を知ってから観るべきだった
原題が「Youth」だということを
知ってから観るのと、
知らないで観るのでは、
着目点が全然異なってくるから
知ってた方がいいと思った〜〜〜
私は、知らずに観てしまった派で。
原題
Youth=若さ
と知り、
オーーーーイ!
言いたいことめちゃくちゃハッキリ
最初からゆーてるやん
と思った。
グランドフィナーレ
どんな終焉を迎えるか、という
「未来」に目を向けているのは
間違い、ではないのだけれども、
「若さ」という、
「過去」を顧みている
目を向けているという点で
まったく逆方向の視点と言ってもいい。
今現在の、老いた自分
過去の、若き自分
やり残したこと
今やりたいこと
有るのか、無いのか
有るけど食らいつかないのか
諦めてる自分と、
諦めてない友人
若さと老いに対して感じることを
見せてもらった気がする。
ラストのシーンは、
観てる人にお任せします
ということなのかな?と
個人的には思った。
主人公の彼が、
満足しているのか、
やっぱちゃうな、と思っているのか。
私は、
感動する観客に相反して、
主人公は、不服そうに感じた。
映像美100
清々しいすぎる。
監督の魔術に酔う
やすらぎの郷でもあるまいに正直、老人の戯言は退屈で興味もない。ところが本作の卓越したところは虚実の心理描写、映像だけで語ることもあればセリフの伏線回収で見せる心の変節、例示の上手さだろう、子供の頃の記憶の話・・、
ミック「初めて自転車に乗れた時の感動しか覚えていない」
フレッド「転んだろう」
ミック「どうしてわかる?」
フレッド「僕もそうだった、夢中でブレーキを忘れる」。
ところがミックが医者に語った話では自転車ではなく好きな女の子と初めて手を繋いだことらしい。
シーンを挙げれば切りがないが主たる虚実、女王陛下からの演奏の依頼の話、断る言い訳にも裏がある。そして裏の理由も色褪せた現実を見せられたことで心変わりか、指揮台に向かうエピローグ。
著名、無名にかかわらず誰しもが家族にも友にも言えない過去の一つや二つはあるだろう。一人の時間が増える老後はいやでも自分と向き合わされる、完璧な人間などいないのだから、してしまったことばかりか、しなかったことにまで思いを馳せる。
人物観察を続けていた若手俳優が所詮人生は欲望の産物だと喝破するが観察せずともわかるだろう。生物的な次元から承認欲求や自己実現まで様々な心の綾が個性を形づくる。
個人的には指揮者のありふれた心の綾より映画監督の方に惹かれた、複数のシナリオライターに競わせるのは黒澤作品でも有名だが実際の雰囲気が味わえたのは嬉しい。大女優をジェーンフォンダが演じていたのには驚きだ、老け込んで誰かわからないがこれも終盤の伏線だろう、劇中の出演辞退の理由もあたりさわりないものから本音の罵り合いに一変、かと思えば後悔の苦悶、女優は飛行機で錯乱、監督は育てた女優達に想いを馳せる、すると女優達が作品の扮装で丘に勢ぞろいする回想シーンは心理描写としては秀逸だ。マラドーナのそっくりさんやミスユニバースが頭も切れてヌーディスト?、自分の強みを堂々と魅せつけるサービス精神の演出にも頭が下がるが、女性全体を表層的に軽く扱っている姿勢は女性が観たら怒るかもしれない。高尚なセリフを語らせたかと思えばすぐに煙に巻くので何が監督の本心か困惑する。本格的オペラは言うに及ばず劇中曲のバリエーションの多彩さも素晴らしい。
心という掴みどころのないものを映画に具現化するパオロ・ソレンティーノ監督の魔術師との評判に納得です。
生きる
「人間は肉体から老いるのではなく、精神から老いていく」と、昔何かの記事で読んだことがありますが、パオロ・ソレンティーノの作品を鑑賞するといつもこの言葉が頭をよぎります。彼が老境に差し掛かった男性の再生物語を良く描いているからなのかもしれません。
成功者が集まるスイスのホテルは、ハイセンスで芸術的なんだけれど、どこかしら「迷い」がある空気を感じます。お金、若さ、才能を以ってしてもいつかは捨てなければいけない時がくる。だけど最期の時まで捨てなくてすむものがあるとしたら、それは自分にしか得られない感じる力だと言われている気がしました。感じる力は、誰にも邪魔されない内にあるもの。
自分の感情を最大限に引き出してくれるのが、フレッドにとっては作曲であり、パオロ・ソレンティーノにとっては映画制作や芸術。「Youth」とは、「生きる」に値する何か、情熱を持たずにいられない何か。では、私にとって「Youth」とは何なのでしょう?もしかすると自分自身が気がつかないふりをしているけれど、答えは分かっているんじゃないか?
パオロ・ソレンティーノの映像はいつも、他に類を見ないほどの美しさです。彼の「Youth」があるからこそ、観客も忘れていた「Youth」を思い出すのです。
空中浮遊出来てた
徐々に物事が動き出す
ある無気力な老人作曲家兼指揮者がアルプス山脈のリゾートホテルにて。同じ場所に宿泊する映画監督、俳優、ミスユニバースらと共に過ごし、残りの人生を見出して行く作品。
アルプス山脈の麓にある綺麗なホテルを舞台に主役だけでは無く、他の宿泊者にもスポットが当たる点は三谷幸喜作品に似た感覚はある。
ホテルに骨休めに来た人々達が殆どだが、他の方々から影響を受けて心境・物事が変化していく。
徐々に物事が動き始める事を実感出来る。
マイケル・ケイン、ハーベイ・カルテル、ジェーン・フォンダ、レイチェル・ワイズなど実力派俳優の演技も見事。
アルゼンチンの英雄、神の手の方も出演。
中々見どころある映画でしたが、淡々としている為飽きる人もいるかも知れません。俳優陣の演技を観る作品だと思います。
上映時間も長いですが、私には更に長く感じましたね。
邦題「グランドフィナーレ」とはちょっと違うかな?って感じです。アカデミー賞に好まれそうな映画ではありました。
人生のグランドフィナーレをどう迎えるのか
音楽はもちろん、セリフ、シーン、俳優が美しくて、ずっと好きな画集を...
人生のフィナーレを感じる。
年を重ねる
私は年を重ねるということは、年々実感として身近になってきているが、まだ老境とはいってない。彼らは仕事の上では成功をしているが、まだまだ終わりたくない監督、もう終わったと無気力となっている指揮者、どちらも満足の行く人生のはずなのにそれでも老境は悲しさが伴う。それは家族の愛が関係しているのかな。何も大きな功績を残さない私の老境はどうなるのだろう。でもそれはこの映画の目的とは違う視点なのかな。難しいな。
同じように友人としてスイスの保養所にいても、あきらめてか絶望して旅立ってしまった監督は幸せだったのでしょうか。いつまでも諦めずいたい。
あと、この映画に限らず、日本語のタイトルはだいたいどうかしてる。タイトルは映画を表すものだけど、内容を限定するものであっては観客に失礼。製作者ならともかく、日本語タイトルをつける人たちがその映画を見て理解した内容を説明するようなタイトルをつけるのは想像の翼を折ります。どんどん幼稚でバカになってきますよ。
一人一人の人生
情景はスイスでのバカンス先の超高級ホテル。共通しているのはそこにいる誰もが一度は成功した人たち。自覚があるにせよないにせよ、成功の後での様々な問題を抱えている。
成功の時=YOUTH(青春)にずっと引っ張られ続ける終末期(グランドフィナーレ)。原題と邦題で映画の見方が異なるが、原題のYOUTHの方がしっくりくる。
人生というものは一人一人全く違ったもので、誰もが永遠に成功し続けられるわけではなく、必ず栄枯盛衰が訪れて忘れ去られていくということを改めて考えさせてくれた作品。
自然も人物も、すべての映像は本当に美しい。しかし、そこにいる人たちの心の暗さが非常に際立っていて、光を見ているのに同時に闇も見ている気分だった。それが最初から最後まで続いた。
物語は淡々と進んでいく。大きな事件もあるが、長い人生にとってはささいなことであると言わんばかりにドラマチックな表現方法は用いられることなく、淡々と進む。最後もドラマチックな展開が待っているわけでもなく、淡々と終わるあたり、非常に秀逸だったと思う。
これは好みが非常に分かれる作品だと思うが、映画としての完成度は相当に高いと思う。
全66件中、1~20件目を表示












