マジカル・ガール : 映画評論・批評
2016年3月8日更新
2016年3月12日よりヒューマントラストシネマ有楽町、YEBISU GARDEN CINEMAほかにてロードショー
スペインの日本好き監督が創出した“魔”に魅せられる奇想天外ノワール
カタカナ表記の語感からしてキャッチーな題名を、「魔法少女」と訳してみると親近感がさらに増す。プライベートで何度も来日し、日本カルチャーに精通したスペインのカルロス・ベルムト監督の長編第2作。冒頭から長山洋子のデビュー曲「春はSA-RA SA-RA」が鳴り響き、パソコン画面上にはGoogleならぬ“RAMPO(乱歩)”なる検索サイトが現れたり、引用のマニアックさが尋常ではない。
しかし、これは趣味丸出しでオマージュやパロディを連発する自己満足映画とは違う。物語の発端は、日本の魔法少女アニメに夢中の12歳の少女が白血病で余命わずかと診断され、ショックを受けた父親が愛娘のために魔法少女のコスチューム(値段は90万円!)を手に入れようと思い立ったこと。やがて心を病んだ妖艶な美女バルバラ、ムショ上がりの年老いた元教師を巻き込み、先読みなどしようのない奇想天外なストーリーが展開していく。
これは監督が言うところの“脅迫をモチーフにしたフィルムノワール”であり、時間軸の操作や編集による省略を駆使したトリッキーな構造のスリラーでもある。その鮮やかな手並みだけでも必見なのだが、本作にはもっと得体の知れない魅惑が息づいている。例えばファムファタール的な位置づけのヒロイン、バルバラは被虐的な資質の持ち主で、あからさまな性描写は省かれているのに、その存在と行動自体がとてつもなく危なっかしくて艶めかしい。彩度を抑えた映像に渦巻く暗く冷たい色気と、ベールに覆い隠された猟奇性に胸騒ぎを覚えずにいられない。
また、劇中の小道具でもある“ジグソーパズル”は複数のプロットが錯綜するミステリー劇を評するのによく使われる例えだが、この映画の場合は最後のピースが行方不明となり、理屈だけではすべてを消化できない。むしろ、これまた劇中に登場する“割れた鏡”が暗示するように、壊れて修復不可能な人生をめぐる切実な悲喜劇と見なすべきだろう。では、どうして登場人物は壊されて(=狂わされて)しまうのか。それはもう無垢なる魔法と破滅的な魔性、すなわち“魔”に魅入られたとしか言いようがない。いずれにせよ鋭い深読みを試みるか、もしくは変態的な妄想を膨らませて最後のピースを埋めるのは、観客のあなた自身である。
(高橋諭治)