映画 聲の形のレビュー・感想・評価
全442件中、61~80件目を表示
見終わった後の不快感の理由
(Netflixで視聴、原作漫画未読)
ストーリーは、主人公の石田くんが小学校時代のいじめの加害と被害を経験し以降他者との関わりを絶ってきたが、過去と徐々に向き合い、自分自信の弱さに気づき他者を認め生きていこうとする。
いいストーリーだと思う。
アニメーションも美しく、十分世界観に没入することができる。キャラクターも魅力的で感情移入できる部分もたくさんあった。
だが、これは何がテーマか?何を言いたのか?となると途端によくわからない。理由はテーマと内容に一貫性がないからである。
この映画の一番の問題はこれがコミュニケーションがテーマであるということだ。ストーリーは魅力的なのに、それを動かすテーマの掘り下げが浅く、むしろ偏見を助長するのではではないかと思う。
コミュニケーションの齟齬によるいじめ、いがみ合い、誤解という問題をストーリー上では解決したように見えるが、根本的な問題は一切解決してないし、しようとしていない。
登場人物は「良い人」ばかりではない。実際に偏見を持った人間は多く存在するのでそれは良いのだが、劇中の植野さんが発する「あんたがいなければ、こんな事にはならなかった」というセリフを誰も否定できていないのはかなり問題である。
植野さんの言うように西宮さんはろう学校に行けば良かったのか?この答えは劇中にはないが、もちろんそれは間違っている。
じゃあ何が悪かったのか。
西宮さんが空気を読まないからか?植野さんが発しているサインを西宮さんが無視したことか?いじめられる子供に原因があるのか?
違う、最も大きな原因は大人が子どもを軽視したことだ。このいじめは担任と担任の存在を許す他の大人たちの責任である。確かに担任の無関心や無理解な態度は描かれるが、大人の責任を十分言及していないために問題がいじめられた子やいじめてしまった子の責任のようになっている。
西宮さんという存在は他の生徒にとって今までのコミュニケーションでは上手くいかないという混乱とストレスを招く。それに対応するために必要なのは知識と理解である。手話の授業の場面で、植野さんが「なんで筆談じゃダメなんですか」と先生に質問したときの答えが「その方が西宮さんが楽だから」というセリフには呆れ返った。これがこの映画を作った人間の理解なのか。
高校生になった子供たちが再会した時もこの知識による成長は描かれなかった。最も描かれるべきは再会ではなく、石田くんが手話を勉強して知識を得て西宮さんを理解しようとしたことだったのではないか。なぜ鯉に餌をあげたり、遊園地に行くことで打ち解けるような表面的なことで問題を解決しようとするのだろう。
登場人物の「良い人」ではない人を否定することは容易いが、なぜ彼らが誤解や偏見を捨てられなかったか考えて欲しい。
良い映画は他にもたくさんある。
だが、もしこの作品を大人が子供に見て欲しいと思うなら、この映画に登場する大人同様に子どもを軽視していると私は思う。
(コメントを受けて補足)
私は聴覚障害について知識不足なので「空気を読まないのではなく、読めない」という事がどういうことなのか正確には分かりませんが、聴覚という健常者が当たり前に使用している機能は、他者との距離感や気持ちを読み取る事などの聴覚以外の能力にも貢献しているのかもしれません。だから西宮さんのコミュニケーション方法がクラスの中で違和感を周りに抱かせるのだろうか思いました。
コメントを書いて頂いた方が指摘しているように、映画には説明不足な部分があるのは理解できます。その説明を省いてまで既存のシーンを入れた製作者の意図はなんだったのでしょうか。その意図の予想はレビューに書いた通りです。
私たちがこの映画を見ることによる聴覚障害や手話の理解は、西宮さんの周囲の人たち、つまり石田くんや植野さんが西宮さんを理解する過程と同じはずです。そこが省略されてただ青春ぽいことをする若者たちが描かれて、みんながなんとなく打ち解けて、おしまい!なんてのは論理的にも倫理的にも私は納得出来ません。
イジメや障害は商売ではない こんな意味分からん夢物語にすな なんじ...
イジメや障害は商売ではない
こんな意味分からん夢物語にすな
なんじゃこりゃ
何に寄り添った題材?
ただアニメーションはすごいな
めちゃくちゃ躍動感があって輝いてる
ぶっちゃけ泣きすぎた。
この漫画は初期だけチラッと観たことがあって、かなり尖ったテーマ感を題材にしたなとか思ってた。
いじめっこといじめられっ子の良いコントラストや、グラデーション。そして、因果応報や人間のカルマが色濃く出ている。
人として大切なことが存分に描かれていて、漫画では表現できないまさに、
「音声」の部分が映画ならではの特徴として物語の特異性を際立たせている。
当たり前のことが当たり前じゃない。そんな事を物凄く感じたし、
この映画の作り込み、ひいては漫画作成自体のマーケティングはビジネスマンとしても
凄いし、驚嘆だわと思う。
ちょっと期待値を…
2ヶ月前に「愛していると言ってくれ」を毎回号泣しながら見たから、てっきり健常者と聾唖者の恋物語的なものを想像していたけど、まるで違ったwww
職場に難聴の子がいるので、今マスクで顔が覆われて口元が読めない昨今は、相当ストレス溜まっているよう。私は透明のマウスシールドを使って、なるべく意志が疎通できるように努力しているつもりですが、なかなか伝わらないことも多く、ご家族の苦労を察しています。
だから、西宮さんがこの世に絶望したり、家族が必死で守ろうとしたり、コミュニケーションの取れなさに友達が離れたり、気を遣ってとりあえず謝っておいたりするのも、本当によくわかります。
ただ、やっぱり死のうとするのはダメだよね。生きる希望とか、死んだら終わり的なメッセージを込めたんだろうけど、ますます聾唖者が健常者と離れて生きざるを得ない感じになってないですか?
職場の難聴の子も、やっぱりポツンとしてるのを見るし、わがまま言わないし、長い雑談はあんまりしないで聞いてるだけかなぁ。
聞こえないって、どんな気持ちなんだろ?同じ人間に生まれてきて、どんな風にすれば喜ぶのか、嬉しいのか、たくさん話してくれるのか…
ファックスやメールのない時代は、手話か筆談しかなかったんだろうか。私たちは色んな想像力を働かせて、望んでいることを聴かなきゃね。
つくづく、コロナが憎いな!しっかり向き合って、手を握ったり、肩を叩いて呼べる時が、早く来ますように。
傍観者の作品
イジメや障害者差別を直接受けたことのない人の描いたファンタジー。
傍観者として関わった大多数の人は、共感できるかも知れない。
しかし、それはあくまで傍観者の感傷か願望であることを意識して欲しい。
最高
こういう人いる。あるある。を序盤に出すことによって共感性が非常に高まった。
そこからずっとストーリーに取り込まれていた。
ストーリー、絵の綺麗さ、キャラクター、人間という生き物、全てにおいてよく考えられた良い作品。
この作品を知れてよかった。
良い作品ではあるが、2回目を見ようとは思わない。
理由はメンタルがキツいから...
子供の頃いじめに直面した人はたくさんいると思う。いじめた人、いじめ...
子供の頃いじめに直面した人はたくさんいると思う。いじめた人、いじめられた人、傍観者。登場するキャラクターの誰かに自分を投影するはずで、その全員が救われるような物語。
史上最高のアニメ作品かと。 ( 感動度で )
すべてのシーンが、詩的です。 繊細で、壊れやすくて、何より美しい。
とにかく、感動的です。 誰でも、引き込まれるのではないでしょうか。
自分は劇場で結局3回観て、何度涙を流したでしょう。 原作の漫画も当然ですが、俊逸。
いじめ、ハンディキャップ、贖罪、孤独、友情 ・・・これらのキーワードを並べてもこの映画の魅力はわからないでしょう。
今回TVでみなおして、確信しました。
「これがジャパニメーションの最高峰、ひとつの到達点だ」って。
すごいと思う
漫画読んで映画2回目。
この作品と会うたびに肯定的な事も批判的な事も思うし感動もするしで毎度自分から違った感想が出てくるので非常にまとめづらい。
ただ虐めに関わって悩んでいる人達や周りにいる人達に、背中を押したり支えたり目を向けてもらえないかと、この苦しい問題を変えていくためにどう発信するかを物凄く考えて作られてる事。作者や関わっている人達がこの作品が世に必要な作品だと意志をもって拡散力が確実に上がる映画化だからこそ慎重に心をくだいて作っている事はよくわかる。
気持ちは声として発した時に、向けた相手や投げた方向や投げ方で少なからず形を変えるし相手の受取り方や受取る時の体勢によっても形が変わる。
自分の受取り方の変化も追っていって発見していきたい作品。
恋の話ではなく、人との繋がりの話
原作既読、劇場にて三度鑑賞、ディスクも購入
今回初めて民放TV局で放送され、冒頭より胸に刺さるものがありながら、一つ一つ伏線を確認しながら再度視聴しました
京都アニメーションだからこそ美しい映像と原作の伝えたいことを上手く調理した表現方法は見事
時折主人公目線でカメラワークが映るのがとても独特で斬新、他のアニメとは違う魅力があります
様々な方に観て頂きたい作品だと改めて実感しました
対人恐怖症とは本当に難しい病気なんです、一生治らない人もいる、そしていじめの問題等
それをどう皆さんが感じ取ったかは、生まれや育ち、培われた思考に委ねる作風になっています
そして何よりも声優の皆さんが聲の形の世界観に力を注ぎ、受け手としては大満足のキャラクターを作り上げて下さったことに感動しました
欲を言えば映像にない大今先生の、もっと辛くて悲しくてでも素敵なお話はいくつもあるので、原作もお薦めしたい
何度観ても涙無しでは観れない映画です
繊細で美しい
京都アニメーションの作品はこれしか観てないです。映画館でも観ましたが、人の表情、動き、心の表現の仕方が素晴らしいです。今回TVで鑑賞し、途中で「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」のCMが流れたので、本作の花火の作画の美しさが良くわかりました。声優の選び方も良いです。
自分と違う人(考え方も含めて)を理解しようとすること、想像力を持つこと、が大切ですね。想像力は、人間だけに与えられた能力ですから。
私も、人の声が聞こえづらくて、何度も聞き返して、「あっ、もういいや」と言われたことがしょっちゅう。それでも硝子の気持ちは解りづらかったので、私もまだまだ理解力が足りないです。
あと、先生の対応はダメですよね。
「聲の形」という名の弾丸に見事撃ち抜かれた!
みんなのレビューを見てるといじめの表現がやりすぎだとかで意外と低評価が多いけれど、個人的にはめちゃくちゃ刺さった作品。
冒頭の15分くらいは陰湿ないじめのシーンが淡々と続き、痛々しいし、ちょっと胸糞なんだけど、何故か喉から何かが込み上げてくるような感覚に陥った。
そして高校生になってから。
罪滅ぼしかそれともただただ謝って仲良くなりたかっただけなのか。いじめていた硝子に会いにいく。そして癖の強いキャラクターやバツマークなど、アニメだからこそできる手法もある。
そして人物の足しか映らないカットがいくつかあったけど、それが伏線だったということにも驚いた!
カメラワークにまで伏線を張るとは…
痛々しい青春と爽やかな青春を対比しながらも融合させた作風で、救いようが無いような物語ではあるんだけど、作品自体がなにか目に見えない「優しさ」で包まれている作品だった。
この繊細な人物描写と風景描写は、京都アニメーションにしか描けなかったし、女性監督である山田尚子さんにしか描けなかったと思う。
自分が思うにこの作品は、「いじめ」によってそれぞれ背負った「穴」を互いに、時には傷つけ合いながらもながらも、埋めていく。そんな作品だと思う。
あと硝子が喋るときの「聲」がものすごくリアルで、ものすごく痛々しかった。早見沙織さんの声優としての本気を見せてもらった。
映画で泣いたのは、「タイタニック」、「砂の器」、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」に継ぎ4回目。
あぁ…なんで京アニの作品はこうも響くのだろうか…
××××××××××××××
原作既読。劇場公開時鑑賞。地上波放送にて再鑑賞。
原作からのエピソードの刈り込み方絞り方もうまく、これもまたひとつの『聲の形』。×の使い方が原作では新鮮だったが、こちらでは××××××××××××××××××××××。
手話を字幕で処理しなかったのと、ラブストーリーにしなかったのが良かった。
最初はこちらにも伝わらないのだが、劇中で変わっていく将也や硝子を観ているうちに、こちらもなんとなく少しずつ分かるようになってくる。奇しくもコロナ禍中で手の動きだけが手話ではないことを改めて実感させられたなら余計に。そしてそこにはアニメーションであることの意味がある。
小学生将也が松岡さんだが違和感はなかった。松岡茉優だと言われなければ松岡茉優だとわからないレベルを目指してほしい。
リアリティと創作のはざまで
3年前に観る機会がありましたが、そのときは冒頭しか観れずじまいで今回テレビ放映でやっと最後まで観られました。
非常に評判の良い作品なので、物語についてあれこれ言うのは野暮ですが、とても細部までこだわって作られている作品なので、観る人は自身とリンクさせ感情移入しながら観ることになると思います。
しかしそうなると、登場人物が美男美女ばっかりだったり、舞台が岐阜らしいが誰も訛ってないし、今時あんなに高圧的で、児童の名前を呼び捨てにするような小学校教師なんて存在できないだろうし、鯉がいるような川があんなにきれいだとは思えないし、そもそも今の時代、害魚である鯉に餌あげちゃいかんだろうし、パンなんか投げ入れてもっと水質悪くしてどうするんだとか云々、内容にリアリティがある分、リアリティに徹底しきれない、またはあえて美化している部分によって、この作品があくまで作り物であると何度も再確認させられてしまいました。
作品作りに徹底的にこだわる京都アニメーションの作品ですから、原作をアニメ化するうえで相当な試行錯誤があったと思います。
たとえば劇中何度も登場する美登鯉橋のかかっている水門川?がおそらく実際はあまりきれいではない川だろうに、印象的な映像にするためにあえて美しく見せた(けど、実際はあまりきれいではないことを水草の量で表現した)んだろうとか、主人公たちが何度も鯉に餌をあげることで、聖地巡礼と称して外来種かつ害魚(飼えばわかるが鯉は相当水を汚し、他の生き物を食べつくしてしまう)である鯉のいる川にパンを投げ入れ環境&水質汚染にいそしむ人々が多く訪れるであろうことを想定し、舞台である大垣市と相談し、それでも観光産業につながるなら良いという市の判断の上で制作したんだろうとか、特に小学校のくだりは、20~30年前の価値観の小学校で、もしあんな学校が現代にあればネットやマスコミにかなり叩かれるだろうとか等々、リアリティと創作とのはざまの試行錯誤の中で、最終的に劇中のような表現方法をとったのであろうと、ついつい想像させられながら観てしまったため、物語はよい内容なんだろうけども、何度も現実に引き戻され、あくまで創作物であると何度も確認させられてしまいました。
これは観る者の生活環境に近いリアリティがあり、共感する部分の多い映画あるあるですが、共感して感情移入してはリアルではない部分が浮き彫りになり現実に引き戻され、また共感し感情移入してはリアルでない部分に興ざめさせられ、ということがよくあります。
SFやファンタジー、歴史ものや非現実的な設定の内容なら観客は最初から割り切って、その世界に流れるパラダイムを読み解きながら映画を観進めるものですが、その作品が我々の現実の世界を舞台とした場合、当然我々は現実の生活において考えるのと同じように、作中での出来事に対して、「こうなったらこうするだろう、こうなったらこう考えるだろう、こうなったらあれもこうなるだろう」と考えながら観るわけです。そのため、かえって現実との齟齬が物語の感情移入への妨げになってしまうことがあります。
しかし正直、アニメ作品でこのような感覚は初めてで、アニメがかなり説得力をもって我々の現実に近づいてきたことには驚きです。
逆を言えばこの作品がそれだけギリギリまでリアリティを追求した作品であるという証拠でもあると思います。
上に挙げた小学校の件や川や鯉の件などは、小学生の子供を持ったことがなかったり、外来種について考えたことがない人々にとっては全く引っかかる要素のない部分でしょうし、この作品のターゲット層に対し、物語を印象付けるための演出として誇張や美化をした部分なのだと思います。
そのような面で、今までは我々が生活する現実世界とは非なるものだったはずのアニメ作品が、我々が生きている現実での思考方法で考えさせられ、現実での対人関係で相手の感情を読み解く方法で、登場人物たちの言動からその感情を読み解くことができるアニメ作品が現れてしまった、ということに驚かされた作品でした。
視点は良かったけど所々理解不能な所があり消化不良
全体的な話の流れは良かったけど理解不能な所が多かった…
特に女の子があのタイミングで自殺しようとしたのは理解できなかった。
あと意識が無い主人公が突然目覚めて夜橋の上で出会うとか…。
結局、内容がリアルなのに所々現実離れし過ぎて入り込めなかった。
ただ顔に✕とかアニメならではの演出には感心した。
個人的にはもうちょっとどうにかしたらもっと良かった気がする。
重い
聴覚障害、いじめ、自殺、孤独、自己否定
負の要素が沢山詰め込まれているが、細かな心情を上手く表現している
人はそれでも生きていくのだと、生きる力を与えてくれるような作品
自分自身の生き方を考えさせられる
とても美しい映画でした。 絵も映像表現も音楽も声も物語も。 傷つき...
とても美しい映画でした。 絵も映像表現も音楽も声も物語も。
傷つきやすく脆い痛々しい感情や、もどかしい迷いを丁寧に描いてる。
「周りがみんな他人に見える孤独」「他人の顔を直視できない、向かい合えない、閉ざした心、みじめな劣等感」たくさんの感情をこめて、「X」で顔が見えないというシンプルな映像で表現する、アニメでしか表現できない表現が見事。
ラストシーンの表現はすごく感動した! 主人公と一緒になって泣いてしまった。同じ光景を見ている、と共感できた。まるで世界に祝福されているような幸せ感が、身近な何気ない光景の中でリアルに伝わってきた。
この「X」の場面をはじめとして、言葉では一言も説明せずに、映像だけで感覚的に、かつ鮮やかにわかりやすく表現する場面が多くあり、そこにはとても静かな、まるで水の中の無音空間のような、自分の心臓の鼓動だけがかすかにきこえるような感覚の、不思議な音楽が流れている。
まるで、耳のきこえない少女の感じる世界と、身体的には障害なんて無くても 心に障害を背負っているかのような生きづらさを抱える 登場人物たち(そして私たち)の感覚がリンクしていくような気がする。
(京都アニメーションの表現は本当に素晴らしい!!✨)
とても、感動した。
それでも批判する人もいるように、確かに、完璧な感動作品だ!とすべてを絶賛できるとは限らない。
やっぱり、自分をあんなに酷くいじめていた人達を、あんな風に「友達になりたい」「会えて嬉しい」「好き」なんて、私なら思えない。硝子は純粋すぎて、心が綺麗すぎる。天使かと思えるほど愛らしくて、ちょっと現実味を感じないほどのヒロインだ。
硝子のように、「自分にちょっかいをかけてくる(実際は酷いいじめだが)=自分に興味をもって構っている → お互いの気持ちが伝われば、つながれる、友達になれる」と思い、そう信じることができるのは、すごい。硝子は儚げに見えても、本当はとても強い心をもっている。
(しょうこと読む名にも色々な漢字があるけれど、この少女は硝子、ガラスだ。 儚げですきとおって光りを映してキラキラと輝くけれど、脆くて、傷つきやすく壊れやすい。壊れてしまうと、他人をも傷つけてしまう。 現実には人名に硝子と付けることはないが、この少女のイメージにぴったりだ。)
現実の世界なら、あんな酷いいじめを受けたら、笑顔なんか失くしてしまい、どんなに可愛らしい子どもだって、表情は暗くなり 可愛く見えなくなってしまう。本当はとても可愛らしい子なのに 落ち込んでいるせいで可愛く見えない(いわゆるブスに見えてしまう、いや、ブスにされてしまう)子は、現実にいくらでもいる。(大人から見たらみんな可愛く見えても、子どもは子ども同士ではシビアだ。理想的な容姿でない人はみな簡単にブスというレッテルを貼られてしまう。)
そして、主人公の少年がいつまでも彼女のことを忘れられずにいるだけでなく 何度も勇気を出してつながろうとしたのは、良心の呵責と贖罪の想いだけではなく、彼女があれほどの美少女だったからだと感じてしまう。現実の、いじめられて暗い表情をしている少女だったなら、贖罪したい気持ちは起きても、つながりたい 友達になりたい 今度は自分が守りたいとまで、あんなに強く思うだろうか、と感じてしまう。
そんな違和感はあれど、批判なんて思わない。しょう子のようにポジティブに他人を(むしろ敵さえも)「友達になりたい」と受け入れる強さ、純粋さは、レアケースではあっても、あり得ないわけではない。重い障害をもつ人が「この人達は、自分を障碍者だからと遠慮して敬遠するのではなく、対等感と興味をもって近づいてきた」と嬉しく感じることも、あるのだろう。障碍者とひとくくりにしがちな私達と同じように、人それぞれみな違う感じ方や性格をもっているのだから。
そういうことも含めて、すれ違う人達の心を、みにくさも目をそらさずに描き、繊細に表現した素晴らしい作品だと思う。登場人物はみな未熟で 自分を守るのに必死で、傷つけあうけれど、本当の悪人は誰もいない。
(しかし、序盤の、担任教師の描き方は不満だ。数多くの作品にあのような教師が出てくるが、現実にはレアケースだ。あんな酷い教師は普通いない。いじめに遭った経験のある子どもが、記憶の中で 美化の逆に醜悪化して、極悪な印象に変えてしまっていることが多いのだろう。)
余談ではあるが、この作品の力を信じ、その影響力に願いを託して、これまでにTVが放送したことにも、とても特別感を感じる。NHKが、夏休み最終日(統計上、未成年・学生の自殺率が年間で一番多い日付。つまり、生活の変化に対応できず不安や憂鬱に駆られてしまう子どもが年間で一番多い日付)に放送したこと。そして2020年は、夏休み直前(翌日から夏休みになる学校が多い、今年は7月31日)に日テレが放送したこと。(コロナ禍のオンライン授業が増えたことで、これまで不登校だった子達がオンラインで出席するようになり、その後、通常登校が始まると彼らも普通に登校できるようになったという事例がたくさん報告された。 せっかく笑顔で通えるようになった学校が夏休みになってしまい、生活スタイルの変化で、また不安や憂鬱に駆られてしまわないか、それを事前に防ぎたくて、子ども達を勇気づけるために放送する意図もあったのでは。 だって、京アニの新作映画ヴァイオレットの宣伝が狙いなら、映画公開日が近づくもっと後の日付のほうが効果的だろう。)
この映画は、多くの「オトナたち」の心の琴線をも揺らし、希望を見せてくれたのだろう。
細部のつくりこみ、しっかりした演出
私はアニメを好んで見ることがなく、せいぜい宮崎駿や新海誠を見るくらいです。
ゆえに、まずテレビでは観ませんので、観るとすれば「映画」という単位です。
京都アニメーションを覚えていたのは、これを観たからでした。
自分がゆるせない主人公石田くんの贖罪の旅=成長の行程を描いたアニメ映画でした。
彼はいじめっ子だった過去の自己嫌悪にかられていて、人の顔を見ることができません。
その心象を反映させて、クラスメイトの顔にはバツが貼ってあります。
石田くんが、気持ちをゆるした人だけバツが剥がれます。
永束が剥がれ、川井が剥がれ、真柴が剥がれ、徐々に石田くんの贖罪の旅に道連れが増えるのです。植野はいわば必要悪としてドラマを牽引します。
顔のバツは心象の具現であり、アニメであることの必然性であり、かつクライマックスへ持ち越す最大の布石でもあります。
それにプラスして、つくり込まれた魅力的なディテールがありました。
石田母のピアス引っ張って耳朶切ったときの血痕。
いつもタグ立ってる石田くんの一張羅。
とてもいいパン。
お笑い担当の永束くん=「もっかい言ってみろやー」には本気で笑いました。
好きと月と鉢飾り。
ばあちゃんの梅ジュース。
「がんばれゆずる」。
頻繁につかわれる点景のカットシーン、鯉、蝶、花、木々、養老天命反転地。
声だけの姉と人種不明な旦那。
描写がセリフのような説得力を持っていました。アニメに詳しくないゆえに不見識でしたが、監督は、かなり見せ方を知っていると思いました。129分ありますが、心象や点景の挿入で、琴線を離しません。とりわけ、それぞれが、それぞれの場所から花火を見上げるシーンは素敵でした。
そして、学園祭のまんなかで、人々のバツがいっせいに剥がれるラスト。反則的なまでにエモーショナルで、スクリーンの石田くんといっしょに、涙がでました。
亡くなられた方々のご冥福を祈ります。
全442件中、61~80件目を表示