映画 聲の形のレビュー・感想・評価
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もう一度観たいと思わされる作品
表題通りである。前半の胸糞部分に苛まれ、後半入り込むことができなかったように思う。特に「いじめられた相手が変わったから好意を持つ」ように描かれているところが微妙。
男子小学生特有の、好奇心≒いじめ・からかいに繋がる部分がいまいち。本格的にいじめているようにしか見受けられなかった。それを受け周りの女子も加勢し、いざとなったら誰も助けない。現代の小学生はこうなのか、と思わされた。
手話がわからない筆者にとっては、手話だけで語る場面が掴めなかった。そこも残念。
自らの問題を差し置いて姉を思う結弦と、不器用ながらも西宮を想い、白黒明確に分けたがる植野に共感を持った。ただ、結弦が最後無事に学校に行ったのか、彼女個人の問題についてはどうなったのかが不明瞭なのが気になった。
そしてカメラワークや映像に、京都アニメーションの凄さを感じた。主人公の視線や考え方をつぶさに表現するカメラワーク。人生でアニメーションを観る経験に乏しかったから、改めてアニメーションの可能性を知ることができた。
胸糞部分もあったが、最後の終わり方が綺麗だった上になかなか掴めない部分も多かった。故にもう一度観て、解釈や思考を変えられたら。そう思えた。
子供に早い段階で見せたい映画
号泣しました
京アニの映画は初めて観ます。
聴覚障害とイジメを題材にしており・・結構重いテーマ。
作画はさすが京アニ。とても綺麗で魅了されます。
■石田母が耳から血を流すシーン。
映画では説明がないままだったので、あの耳はどういうこと??
母親同士でなにかあった??西宮母にやられたのか??・・という
想像しか出来なかったのですが公式ファンブックによると
作者の大今良時さんは↓の様に語っています。
『ピアスを引きちぎったあとから出血しています。
硝子の母には「硝子の痛みがわかる?落とし前をつけなさい」
・・という思いがあったでしょうし、
石田の母もその気持は理解できたのでしょう。』
・・という説明があったので、石田母が自らピアスを引きちぎり
息子がやったことに対する落とし前を付けたという事になります。
■いじめっ子が、いじめられっ子になるパターンって珍しい。
現実世界において、いじめっ子は、ず~っと・・いじめっ子なんですよね。
いじめの代償にSNSで住所拡散されるとか損害賠償求められるはあっても
いじめられっ子になる・・ってのは、数少ないパターンだと思います。
特に序盤の石田くんが西宮さんにしたイジメというのは、かなり酷いもの。
そんな子がイジメられて、初めてイジメの怖さを知り消極的な子になる。
因果応報とは、まさにこのこと。
■唯一の癒やしは永束くんとマリアちゃん。
重いストーリーの㊥にも、癒やされる登場人物といえば
石田くんの唯一の本当の友達、永束くんと姪っ子マリアちゃん♥
この2人が居て良かった。
■西宮硝子ちゃんは何を考えているのか分かりにくい。
彼女が自殺しようとするシーンがありますが、急になぜ?!・・って最初思いました。
彼女の内面の描写は基本的に描かれていないので真意は分からないけど
彼女の今までの人生を辿れば死にたくなるのは、なんとなく理解できますよね。
自分の聴覚障害のせいでで親は離婚し、学校ではイジメられ、
佐原さんも転校させてしまい、妹は自分に付きっきりで不登校・・
追い打ちは自分のせいで石田くんが友達と喧嘩別れしてしまった。
彼女にも苦悩・葛藤があった。けど幼少からの壮絶な過程で
自分の感情を表現できないんだと思います。
ニコニコ笑顔は自分を守る為の愛想笑い。
本当は悲しいのに明るく振る舞うのもイジメからそうなってしまったのかも。
■いつ好きになった??
いくら改心したからと言っても私なら自分をイジメてた人なんて
好きにならないんですけどね。
やっぱり硝子ちゃんは何を考えてるのは分からないなぁ(;´∀`)
初めて自分と真剣に友達になろうとしてくれる異性が石田くんだったから
好きになったのかなぁ。
■顔✖が取れた時、感動しました。
石田くんの心情がよく出てますよね。
中学3年間いじめられ、人間関係をシャットアウト。
ずっと✖付いてたのが取れたとき・・私も号泣(´;ω;`)
■イジメ問題は永遠のテーマ
いつの時代もイジメって無くならない永遠のテーマですね。
誰もが学生時代にイジメの状況を見てきたはずです。
そのとき、自分はどんな立場にいましたか?
この映画で救われたのはイジメてた側の人間も高校生になり心が成長し
自分のしたことに反省している点。
直接謝る描写はないものの、行動が示していますよね。
イジメは心が未熟な人間がするものなのだと思いました。
最後に。京都アニメーション放火事件でお亡くなりになられた皆様の
ご冥福を心よりお祈りしますとともに、ご遺族の皆様にお悔やみ申し上げます。
想像をしていく
これを一つの恋愛ものとしてジャンルがおかれてることに違和感がある。
時代関係なく、いつ、どんな身近なところでも言えることなんじゃないかと思う。
差別ってどこから始まる? 言ったから悪くなる?言わないでいたから私は悪くない?
何が正しくて誰が悪いとか、このコロナ下でも日常でもあったなぁと少し感じた。
視点がそれるかもだけど、他人の家にビラを張って、まるでパトロールをした気分でいる当の本人はいいことをしたつもりでいる。
もちろん、この聲の形の主人公がした補聴器を壊す行為はいけないことだが、それを周りで見ていた同級生はじゃぁ悪くないと言えるのか、
これといって大きく対策にでなかった担任の先生は?
親たちは?
川井さんが視聴者からかなり嫌われているけど、同じクラスにいたら、家族にいたら、自分が川井さんだったら、、、
もしも、"ワタシ"がこの世界の中の登場人物だったら、どの立ち位置で物語をすすめられるだろう、
そんなことを考えてしまった作品でした。
聞こえない。それだけではない。
この素晴らしい作品に「意味不明」というレビューが散見されているのはとても残念です。でも聴力障害について全く知らないひとが見たら、大事な部分が理解出来ないと思います。
これは冒頭5分でいい。聴力障害について説明があったら、全く評価は変わっていたと思います。
単に音が聞こえない。それだけではないのです。
大変失礼な言い方になりますが、視力を失った不便さは目を塞げば理解出来ます。でも聴力障害は耳を塞いでもわからないのです。どうして硝子は話せないのか、補聴器は何のためなのか、途中で片方だけになったのは何故か・・一番この作品の鍵となる「どうして空気を読めないのか」・・それがわからないと、観ていても理解なんかできるわけがないと思います。説明を端折って単なるいじめに見せてしまったのはスタッフの失敗だと思います。
将也が硝子の耳元で大声で叫ぶ場面にはゾッとしました。彼女にとってそれがいかに強い衝撃で「苦痛」なのか。
普通級に入れたことがそもそもの事件の発端であるのは、誰が見てもわかります。無気力で身勝手な先生も不快ですが、なぜ硝子は「ごめんなさい」と言い続けなければならなかったのか。それは「普通の子」として育てたいという母親のエゴが生んだ悲劇という一面も忘れてはいけません。硝子を追い詰めて行ったのは他の誰でもない、母親の愛なのです。
でも、母親も含めて、決して誰も悪くない。全ては「誤解」。なのにどうして傷つけあわなくてはならないのか・・それがこの作品のメッセージです。
素晴らしい作品です。スタッフには感謝の気持を伝えたいです。
追伸:TV放映では30分ほどカットされていたようです。この素晴らしい作品のどこを切り捨てられたのか、気になるところですが、TV版で「見たような」気分にならないでほしいと思います。
見終わった後の不快感の理由
(Netflixで視聴、原作漫画未読)
ストーリーは、主人公の石田くんが小学校時代のいじめの加害と被害を経験し以降他者との関わりを絶ってきたが、過去と徐々に向き合い、自分自信の弱さに気づき他者を認め生きていこうとする。
いいストーリーだと思う。
アニメーションも美しく、十分世界観に没入することができる。キャラクターも魅力的で感情移入できる部分もたくさんあった。
だが、これは何がテーマか?何を言いたのか?となると途端によくわからない。理由はテーマと内容に一貫性がないからである。
この映画の一番の問題はこれがコミュニケーションがテーマであるということだ。ストーリーは魅力的なのに、それを動かすテーマの掘り下げが浅く、むしろ偏見を助長するのではではないかと思う。
コミュニケーションの齟齬によるいじめ、いがみ合い、誤解という問題をストーリー上では解決したように見えるが、根本的な問題は一切解決してないし、しようとしていない。
登場人物は「良い人」ばかりではない。実際に偏見を持った人間は多く存在するのでそれは良いのだが、劇中の植野さんが発する「あんたがいなければ、こんな事にはならなかった」というセリフを誰も否定できていないのはかなり問題である。
植野さんの言うように西宮さんはろう学校に行けば良かったのか?この答えは劇中にはないが、もちろんそれは間違っている。
じゃあ何が悪かったのか。
西宮さんが空気を読まないからか?植野さんが発しているサインを西宮さんが無視したことか?いじめられる子供に原因があるのか?
違う、最も大きな原因は大人が子どもを軽視したことだ。このいじめは担任と担任の存在を許す他の大人たちの責任である。確かに担任の無関心や無理解な態度は描かれるが、大人の責任を十分言及していないために問題がいじめられた子やいじめてしまった子の責任のようになっている。
西宮さんという存在は他の生徒にとって今までのコミュニケーションでは上手くいかないという混乱とストレスを招く。それに対応するために必要なのは知識と理解である。手話の授業の場面で、植野さんが「なんで筆談じゃダメなんですか」と先生に質問したときの答えが「その方が西宮さんが楽だから」というセリフには呆れ返った。これがこの映画を作った人間の理解なのか。
高校生になった子供たちが再会した時もこの知識による成長は描かれなかった。最も描かれるべきは再会ではなく、石田くんが手話を勉強して知識を得て西宮さんを理解しようとしたことだったのではないか。なぜ鯉に餌をあげたり、遊園地に行くことで打ち解けるような表面的なことで問題を解決しようとするのだろう。
登場人物の「良い人」ではない人を否定することは容易いが、なぜ彼らが誤解や偏見を捨てられなかったか考えて欲しい。
良い映画は他にもたくさんある。
だが、もしこの作品を大人が子供に見て欲しいと思うなら、この映画に登場する大人同様に子どもを軽視していると私は思う。
(コメントを受けて補足)
私は聴覚障害について知識不足なので「空気を読まないのではなく、読めない」という事がどういうことなのか正確には分かりませんが、聴覚という健常者が当たり前に使用している機能は、他者との距離感や気持ちを読み取る事などの聴覚以外の能力にも貢献しているのかもしれません。だから西宮さんのコミュニケーション方法がクラスの中で違和感を周りに抱かせるのだろうか思いました。
コメントを書いて頂いた方が指摘しているように、映画には説明不足な部分があるのは理解できます。その説明を省いてまで既存のシーンを入れた製作者の意図はなんだったのでしょうか。その意図の予想はレビューに書いた通りです。
私たちがこの映画を見ることによる聴覚障害や手話の理解は、西宮さんの周囲の人たち、つまり石田くんや植野さんが西宮さんを理解する過程と同じはずです。そこが省略されてただ青春ぽいことをする若者たちが描かれて、みんながなんとなく打ち解けて、おしまい!なんてのは論理的にも倫理的にも私は納得出来ません。
ぶっちゃけ泣きすぎた。
ちょっと期待値を…
2ヶ月前に「愛していると言ってくれ」を毎回号泣しながら見たから、てっきり健常者と聾唖者の恋物語的なものを想像していたけど、まるで違ったwww
職場に難聴の子がいるので、今マスクで顔が覆われて口元が読めない昨今は、相当ストレス溜まっているよう。私は透明のマウスシールドを使って、なるべく意志が疎通できるように努力しているつもりですが、なかなか伝わらないことも多く、ご家族の苦労を察しています。
だから、西宮さんがこの世に絶望したり、家族が必死で守ろうとしたり、コミュニケーションの取れなさに友達が離れたり、気を遣ってとりあえず謝っておいたりするのも、本当によくわかります。
ただ、やっぱり死のうとするのはダメだよね。生きる希望とか、死んだら終わり的なメッセージを込めたんだろうけど、ますます聾唖者が健常者と離れて生きざるを得ない感じになってないですか?
職場の難聴の子も、やっぱりポツンとしてるのを見るし、わがまま言わないし、長い雑談はあんまりしないで聞いてるだけかなぁ。
聞こえないって、どんな気持ちなんだろ?同じ人間に生まれてきて、どんな風にすれば喜ぶのか、嬉しいのか、たくさん話してくれるのか…
ファックスやメールのない時代は、手話か筆談しかなかったんだろうか。私たちは色んな想像力を働かせて、望んでいることを聴かなきゃね。
つくづく、コロナが憎いな!しっかり向き合って、手を握ったり、肩を叩いて呼べる時が、早く来ますように。
テレビで鑑賞
耳の聞こえない生徒にいじめるってひでーなと思ったら、逆にいじめられてた奴がいじめられる残酷さ。
そこで、主人公が悟ったいじめられた人の気持ち。
それを取り戻そうとする努力と裏腹に取り戻せない過去がなんとも言えない気持ちにさせた。
話が変わるが、みんなかわいい。
京都アニメーション、幸あれ!
「友の形」
人生は時として僥倖に巡り会う。
偶々テレビをつけたら、「聲の形」が始まった。私はこのアニメについて全く情報を知らず、まっさらな認識の中、ボォ~っと何気なく見ていたら、いつの間にか惹き込まれてしまい、最後までかじりつくように見てしまった。
(結絃って少年なのか?女の子に見えるぞ・・・これはどろろパターンじゃねぇのか・・・やっぱり!!)
(おい!将也!!ちがうだろ!!月じゃねぇ~って!!硝子の心の叫びを聞いてやれ!!)
・・・このような瞬間がたまらなかった!
キャラの個性が確立されており、良い奴だけど残念な所、クセのある奴だけど憎めない所・・・各々一長一短あるがバランスが保たれてあり、どのキャラも強烈に印象に残ります。
葛藤のはざまにある人生観、友情を考えさせられる素晴らしい作品です。
私の半世も振り返ると友達とは意図的に作ったものではなく、自然に築き上げられていったものでした。
きっと将也たちもこれから先、さらなる良い「友の形」を築き上げていくのではないでしょうか。
最高
人を多面的に描くには実写より平面のアニメが適している良い例
この作品はアニメで制作され、二次元であることで、人を多面的に描くことに成功している。
三次元で実写化したら白々しいと思う。
障がいを持つ少女を取り巻く様々な人間関係を子供時代から青年期までそれぞれ描写するのは単純ではない。
各自の中にある悩みや葛藤は平面的に単純な性格や心理描写では描ききれない世界だ。
主人公から見た世界は人の顔にバッテンがついていて、それが、あるタイミングでぺろっと剥がれる。同時に異音が響く。
こういった描写もアニメだからこそすんなり受け入れられるし、面白い設定だと感じた。
実写でやると陳腐になることがすんなり受け入れられるし、最大限の効果をもたらしている。
手話がわかる人が観ても手話を見せず明かさないシーンを取り入れることでより、その時伝えようとした事が後からくっきりと浮かび上がってくる。
母親2人と少年みたいな妹のそれぞれの立場からの愛情も大変多面的だ。彼女たちは脇役でありながらもその辺の実写映画よりも深いところまで心のうちが描かれているのだ。独白も説明ゼリフも全くないというのに。
花火のシーンが美しくも悲しい。
生きることを手伝い合う事で生きていくことを選択し続けてほしい。
日本が世界に誇れるアニメの中でもかなりの良作だ。
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