映画 聲の形のレビュー・感想・評価
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いい意味で裏切られた
友人に誘われてなんの予備知識もないまま鑑賞。
だが…私の期待をいい意味で裏切られた! 難聴の少女と少年の絵に描いたような恋愛映画なのかな〜なんて軽く思っていたら、、、(最近のアニメ映画はなめちゃいけませんね)
メッセージの深さに驚かされました。なんといっても卑劣ないじめの後に必ずバチがあたるとはこの事だなと思いました。
そして人間の弱い所と本当に強い人間がどういう人か、ということを映画館を出て考えさせられました。
ちなみに、何処ぞの恋愛映画のように、婉曲的すぎる悩みなどで見ている側がイライラする心配が無かったのも高評価です。
短いです。
終わってから、短かった気がして、何分間か調べたら、129分でした。本当に2時間以上?
原作を2時間に収めることは無理なので、当然、省略してつなげることはわかっていましたが、変えた箇所がある都度気がつきます。
最後もどこで終わるのか気にしながら見てしまいました。
しかし、原作を補った台詞もあり、より理解を深めることもできました。
聲の形
ゆきのさつきさんと平松晶子さん声似すぎ。ゆきのさん兼ね役かと…。話の方は、みんなええ子やね。主人公もええ子でラストシーンは清々しかった。現実には、弱者を徹底的に虐待して自我を確認する、という 即措置入院必要の糞屑糞袋が一定数いるんでね…。
作品は本当に良かった。入野自由さんと早見沙織さんが出演されておられるから言うんじゃないけど、「あの花」の5人のようになったらいいな、思った。
原作未読です
いじめのシーンなど結構観ててつらいものがありましたが最後までちゃんと観ました。
でも全然キャラクターに感情移入できず、最後の方とかはい仲良しって感じだったけど、凄く気分が悪くなった。
俺には合わなかったんだろうな。
映画としてもそんなに面白いとは思わなかった。
感動した!
今までたくさん映画を観てきましたが、この中で一番感動して泣けました。
注目して欲しいのは、雰囲気に合わせる「音」の表現とか、コミュニケーションの難しさを考えさせる「心」の繋がりとかです。
とても良い作品でした。
粉々に砕いた“心”と“繋がり”、それを掻き集める“強さ”・・・京アニでなきゃ描けなかった真っすぐなラブストーリー
小さくて細い糸が不意にプツンと切れた感覚。体験談の話ですけど、それが”繋がり”の切れた感覚です。それはほんの数秒で身体の内側を凍り付かせて、本気で自分の中の一部が欠落したと錯覚します。しかもそれは時間を経ても、忘れることを許しません。未だ身体は覚えてますし、死ぬまで消えぬと思います。
体験談を使ってまで、何故レビューを書き始めたか?それが『映画 聲の形』を鑑賞中に甦ったからです。最も忘れたい忌まわしい”落ち度”、でも忘れてはいけない”事実”を。それがそのまま将也君や硝子ちゃんにも通じるからです。
罪のない好奇心がボタンの掛け違えで凶器になる。やり過ごす為の愛想笑いが逆に相手を逆なでする。防げなかったすれ違いで築いたものはあっさり壊れて、それが幾年経過しても心に影を残してしまう。幼少期の出来事って、例え克明に覚えてなくても、身体と心は覚え続けて、忘れさせてくれないので、当事者はただひたすら苦しいんですよね…。『聲の形』はその苦しみを容赦なく描いてます。しかもひたすら苦しい場面の羅列で画面を覆うのでなく、合間に希望を混ぜることで、それをさらに鋭くします。
過去に『たまこラブストーリー』や『境界の彼方』の”過去”と”未来”で苦しみの先に待つドラマを描いた京アニ作品なだけに、本作もそのブランドに恥じない映画になってました。”偽善”からの行動だと心のどこかで分かっていても、それでも犯した過ちからは逃げたくないと向き合う将也君。自分自身を嫌み嫌って、命を絶とうとした硝子ちゃん。皆苦しい現実から何度だって逃げ出したいのに、逃げたらもう戻れないと分かっているからこそ故に、傷つけあって責め合って、繋がりたいと必死に足掻く。ポール・ハギスの『クラッシュ』ばりにほんとボロボロになってくんです。正直無視できないほど、心と胸が痛みました。
でも映画はそこから抜け出す、光の道を用意してます。それがまた抉られるほどの痛みを受けねばならないもので、そのせいで硝子ちゃんは将也君を傷つけます。下手をすれば彼の命を奪いかねないほどの事態を。被害者だけであった彼女はここで初めて加害者(的立ち位置)となり、将也君のことが好きな直花ちゃんを傷つけます。確かに自ら命を絶てば、楽にはなれるのかもしれませんが、もう将也君のことが好きと自覚した以上、彼の目の前で死ぬことなんてできるわけがありませんよ。人は人を好きになったら、二度ない命を捨てれませんし(全員が全員そうじゃないので、あくまで僕の想像ですが)。
ほんとはもっと巧い言葉でレビューを語りたいのですが、文章力が拙い上、知恵もないし、語彙もないので、”鉄は熱いうちに打て”に従い本能で書きました。ですがこれだけは言えます。
この映画にこうして出会えて、ほんとうに良かったです。ありがとうございました(レビューを読んだユーザーの方も)!!
名作
原作を読んで映画を見ましたが、ほとんど原作に忠実で声優さんも素晴らしく、名作であるのには変わり無かった。しかし、登場人物一人一人の境遇が語られることが少なかったので、全員の心情を捉えるのは少し、難しいのではないかと思った。これも、尺の都合上仕方ない部分はあるのだけど。例えば、真柴?は、中学の頃太っていて、いじめられていたとか、佐原は、小学校の頃、ダサいと言われてたけど、高校になって、学年一位のデザインをするようになったとか。
京アニよく頑張った
期待して読んだものの原作は荒削り過ぎて作者もうまく昇華仕切れていなかったが、アニメの方は実に良く整理されており、ラストも原作を凌駕していた。結局は子供同士のいや大人達でもあるがエゴのぶつかり合いを描いており、そのぶつかり合いがドラマになっている。しかし硝子ちゃんが可愛くなかったらドラマとして成立しないんだろうなあと下衆なことを考えるおっさんになってしまったのが悲しい。「君の名は。」も本作も日本でしか作れないアニメでありディズニーやピクサーでは無理だろうし、そして既に宮崎駿も越えてしまっているのである。しかし最近の若い奴ら原作ちゃんと読んでこいよ。
寄り添う、生きる
1回目は原作未読で、非常に感銘を受け、2回目を鑑賞しました。
原作は、聴覚障害の硝子をきっかけに、人々のディスコミュニケーションを描きそれを乗り越える物語ですが、
映画版はより主人公の将也にフォーカスをあてており、自己肯定を出来なくなった人々が他者とのコミュニケーションを通じて再び自分を許す物語で、より普遍的なテーマを描いた傑作だと思いました。
ゆずるが、将也に対して、自己満足で硝子と会っているのではないか?といいましたが、これは間違っていない。
自分が自分として立つためには、他者から必要とされること、ある種の承認欲求が必要な訳で、死のうと思った将也が硝子に対して献身的に尽くすのも同情ではなく、他者から必要とされたかったから。昏睡から目覚めた後、すぐに硝子を探したのも、恋とか愛とかではなく、ちゃんと救えたかということを確かめたかった。硝子を救うことで、自分もまた救われたかった。
一方硝子は、そもそも他者から救われることしかないことに、遠慮と負い目を感じ続けてきた女の子だ。彼女は自分が他人に対して与えることは無いと感じ続けてきたから、異常に優しく、自己主張せず、全てを赦して生きてきた。ずっと他者から守られてきた人生だった。でもその中で、将也に生きるのを手伝って欲しいと、他者から初めて救いを求められた。それで、生きることがまた出来るようになった。
劇中、ゆずるが硝子に会うのは自己満足なんじゃないか?というシーンがある。でも実はそれはそれで良いんじゃないか。他者のために行動し、他者に必要とされ、それに喜びを感じる。そのことを、実は相手もまた思っている。
そんな単純な世界を認識し、ただひとりで泣きながら周りを見て泣く将也を見て、私もまた泣いた。
真剣に「現実」を形にした、最高の映画
原作漫画の作者さんは、デビュー当時(つまり『マルドゥック・スクランブル』のコミカライズ)からの大ファンです。
この度のアニメ映画化は、期待半分、不安半分でした。
題材が題材だから――というとありがちな物言いですが、要はこの国のみならず社会全体にそれが「腫れ物」のような意識、アンタッチャブルな意識が根付いているからなのでしょう。
やっている事は「癌で苦しむ悲劇の彼氏/彼女」と同じことで、健康でない、もしくは健常でない身の上の人が、どのように他者と触れ合っていくか。
それがメインです。
生まれた環境から、自分は障害者の方や手話を扱う方を何度も目にしましたが、本作においては徹底した監修と取材が成されており、素人とはいえ実際目の当たりにしてきた者としては、何の不自然さもありませんでした。
何より手話を行うシーンが出来るだけ多く描かれている。
流石に長ゼリフのときには、作画の表現や尺の関係からか映らないのですが、しかし「手話で会話をしている」と感じさせる間のとり方をしてあります。
表面を擬えただけのハリボテではありません。聾唖の方に見られる「半濁音っぽい、鼻の抜けたような喋り方」もうまく表現されており、本当に西宮硝子というキャラクターは耳が聞こえないのだ、と肌で感じられる。
京都アニメーションの作画技術も、流石の一言。実に美しく、生々しく、そして繊細。
キャラクターの表情、細かな演出が素晴らしい。
将也と永束君との「友達の定義」が別のシーンできちんと反映されていたり、鯉の泳ぐ姿で場面に流れを生んでいたり、花火大会での「音は聞こえなくとも振動は伝わる」表現であったり。
声優さんはどなたも素晴らしい演技で、特に西宮家の方々はイメージぴったりの声色で、元々悠木碧さんや早見沙織さんの声は好きだったのですが、やはりこういったズシンと心に迫ってくる作品で、演技力というのは響いてきます。
将也の母、美也子を演じるゆきのさつきさん、小学校の担任(漫画版よりほんの少しクズ要素は省かれていましたが)の小松史法さん等、大人の面々も、優しさや厳しさ、また主に担任に当てはまりますが陰りの部分も。
映画においては音楽も重要なファクターですが、本作には見終わったあと心に残ったものが沢山ありました。
たいてい、後々サントラを聞いても二、三曲しか思い出せなかったりするものですが、今回は殆どが「あのシーンのやつか」と思い出せました。
舞台挨拶のライブビューイングも観たのですが、監督の仰るとおり、音響が非常に優れている。
とまあ、ここまで大絶賛だったのですが、二箇所だけ「もうちょっと!」と感じるものもありました。
一つはビンタのシーン。漫画では突然の展開と、母親の鬼気迫る表情により驚かされたものですが、今回はそこに至るまでのシーンも見せ方も全然違うため、他のシーンに比べると印象が薄い。
漫画ではとても好きなシーンだったので、ちょっと不満。
それから後半の展開。将也の覚醒シーンがすごくあっさりで、過剰に演出されるよりは良いんですが、流石にあっさりすぎないか、と……。
しかし、ラストシーンは圧巻。
漫画版の最後までやると思っていたので、まさかあそこで終わるとは。美しく、綺麗にまとまったエンディングです。
しかし、一緒に観た友人と意見が一致したのが、「aiko、あんま合ってなかったよね……」という点。
ちょっと毛色が違うというか、じゃあ他に誰が適任? となると納得いく答えはあまり出ず(デビュー当時のYUIとか、supercellとかしか思い浮かばなかった)、これで良かったとも思えるのですが。
しかし、相変わらず恋の歌だった、というのはちょっと違うんじゃないか、と考えました。漫画版はまだしも、映画に関してはあくまで「善き友人」になりたいが為のものでしたから。
『君の名は。』で世間が空前のブームに沸き立つ中、立て続けに公開となった本作。
これもまた、猫も杓子も、というわけでなく、この作品の良さをじっくり味わえる方、つまり映画を単なるスナック感覚の娯楽としてでなく、一つの作品としてきちんと向き合える方には、是非ともご覧頂きたい。
最高の映画に、今月二本も出逢えた事を幸せに思います。
素敵な映画をありがとうございました。
「それじゃあ、また」。
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