劇場公開日 2016年9月17日

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映画 聲の形 : 映画評論・批評

2016年9月13日更新

2016年9月17日より新宿ピカデリーほかにてロードショー

エモーションの濃度も震度も純度もただならぬレベル、感情のジェットコースター

激しい起伏に富んだ見せ場が満載のアクション映画は“ジェットコースターのよう”と形容されるが、大今良時の同名漫画に基づくこの長編アニメはまさに“感情のジェットコースター”だ。青春期の鬱屈と混乱を真正面から描くとともに、そこに揺らめく切なさと悲しみ、焦燥と絶望がとてつもなく切実で、エモーションの濃度も震度も純度もただならぬレベルに達している。

主人公の石田将也がジェットコースターな暗黒の青春を送るはめになったきっかけは、ガキ大将だった小学6年生の時、先天性聴覚障害を持つ転校生の西宮硝子をイジメ抜いたこと。それに加担した級友たちから手のひら返しを受け、自分がイジメの被害者になった彼は硝子への仕打ちを悔いるが、彼女は再び転校して消え去ってしまう。そして高校3年生になった5年後、硝子と再会を果たした将也の贖罪のドラマが始まる。

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序盤のイジメ描写のリアルさに居心地の悪さどころか胸くその悪さすら覚える人もいようが、メインの高校時代に差しかかると物語の本当のテーマが浮かび上がってくる。それはコミュニケーション、すなわち大切な誰かに自分の気持ちを伝えるということ。「ごめん」「ありがとう」「友だちになりたい」「好き」。本作はこうしたシンプルな思いを相手に届けることの難しさを容赦なく執拗に描く一方、人間の表情や仕種の多様さ、さらには手話や言葉にならない声の響きの豊かさを表現する。京都アニメーションの新作だけに、桜の花びらや川面のきらめきといった情景の美しさも特筆もの。トラウマにもがき苦しむ少年と、予想外のリアクションを連発する少女がぎこちなく距離を縮めていく過程が、かけがえのない一瞬一瞬を連ねるようにして映像化され、その端正で繊細な演出に舌を巻く。

とはいえ、これは将也と硝子のラブ・ストーリーではない。原作と同じく“わかりやすい”展開をあえて拒絶する本作は、後半部分を群像劇として発展させながら、もどかしい現実と必死に格闘する少年少女を描き続ける。その作り手の真摯なパッションは観る者の共感を誘うにとどまらず、しばしば胸を射貫くような驚きを呼び起こす。例えばヒロインの硝子が、自己嫌悪の塊である将也との別れ際に見せる「またね」という身振り。その意表を突いたタイミングで指し示される手話の慎ましいアクションに、このアニメ映画が私たちに伝えようと試みる素朴で愛おしい感情が凝縮されている。

高橋諭治

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