溺れるナイフのレビュー・感想・評価
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出演陣は悪くないのだが……
小松菜奈、菅田将暉はどちらも好きな俳優。重岡大毅の演技は今回初めて見たが、良い意味でジャニーズらしくないルックや佇まいが好ましいと思った。
でも、これはこの作品に限った問題ではないけど、もう二十代半ばにもなろうかという菅田君が冒頭で中三を演じる時点で、「ああ……(嘆息)」となってしまった。せめてハイティーンの俳優を使うとか、十代の頃と大人になってからを別の俳優にするとか、ほかに選択肢はなかったのか。
映像的にも、いくつか印象的なショットもあるのに、編集のリズムが良くない。音楽も、統一感のない選曲で、四六時中鳴っている感じがしたし、PVみたいな演出のシークエンスも個人的には響かなかった。
全体的に、個々の豊かな資質や価値のあるリソースがうまく連動せず、ちぐはぐなままで、もったいない。山戸結希監督のオリジナル脚本で次回作を観たい。
生まれ持った宿命のある者同士
無防備無意識な魔性の女の子、夏芽。
お化粧なくても美人べっぴんに産まれた宿命として、
周りの男性の気を乱す。
本人には自覚がないだけに、田舎に引っ越そうとなんだろうと、危なっかしく、関わる者全員を狂おわせていく。
引っ越した先の神事を司る長の家系の息子、コウちゃんでさえ、夏芽にツンツン接しながらも、気になって仕方ないツンデレなの丸出し。
コウちゃんは家を継いで火祭りの神事でお面を作る伝統文化を背負っていく使命と、中学生として自分らしく生きていきたい狭間で揺れていたところに、夏芽が引っ越してきたようだ。
一気に気になるが、逆に夏芽も雑誌に出ていた自分をちやほやしてこないコウちゃんにどう見られるのかばかり気になり、一気に惹かれていく。
2人は急接近し、素直でないコウちゃんを大好きな夏芽として仲良く過ごしていたが、夏の火祭りの日、お祭りに紛れ込んだ夏芽のファンが夏芽を騙して車に乗せ、レイプされそうになってしまう。
異変を察知したコウちゃんは祭りを抜けて夏芽を見つけ出すが、後ろからレイプ犯に殴られる。
コウちゃんのおかげで、夏芽は強姦未遂で済み、致命的な暴行は免れたが、世間やネットではレイプされた扱いになっていて、周りからそういう目で見られるうちに高校に入っても地味に、暗く過ごしていた。
コウちゃんも、夏芽を守りきれなかった罪悪感に駆られて、目の前に夏芽がいると常に辛いから別れを選択し、夏芽をあえて突き放し、不良とつるむようになっていた。
多感な時期のコウちゃんにとって、大好きな夏芽を自分の手で触りたいその先に進みたい気持ちもありながら夏芽を大切にしたいから我慢していたところに、レイプ犯があらわれ、
・全力を尽くしたが大好きな人が傷付く結果になり守りきれなかった弱さ
・大好きな人といると求めたくなってしまうが、犯人と同じ事をするなんてという、夏芽を更に傷つけたくない葛藤
に日々苛まれていて、夏芽が大切だから苦悩を抱えていたことだろう。
でもコウちゃんが離れても夏芽のもとには、友達の大友、カメラマンなど様々な男性が寄ってくる。
みんな夏芽を好きなだけだが、その先に触れ合いを求めるのは人間として至極普通のことなのだろうか?
カメラマンに至っては、あえてレイプの題材の脚本を渡してきてその内容を撮りたい、「おまえってそういう変態じゃん」とまで言い出す。
レイプされかけたのは本人のせい?レイプされたような女の子は他の男性からもレイプしても良い人としてみられてしまうのだろうか?
純粋に人を好きになる延長に、男性は女性を押し倒したいという感情が湧いてくる。
女性も、心を許せる好きな相手であれば、構わないと思うもので、色々あった夏芽もコウちゃんに遠巻きにされるのは最も辛く、コウちゃんには触られたいとずっと思っている様子。
大友お陰もあり学生生活に明るさを取り戻してきたところで、雨の日にコウちゃんと再会。
私に触ってよみたいな事を言い出し、夏芽はコウちゃんと身体を重ねたが、そのあとコウちゃんはもう会わないと言い、夏芽が東京で芸能活動をする踏ん切りがつくように、あえて突き放す。
泣きながら家に帰る夏芽と、一生懸命励まそうとする大友、大友に別れようと言う夏芽。
ええ?!大友と何もないとはいえ付き合っていたの?
ならいつも心を占拠するコウちゃんがいるのは大友も知ってのうえのことでただでさえ残酷なのに、コウちゃんとそういう関係になるのはダメじゃない?
一気に夏芽のけじめのなさに動物を感じてしまう。
しかしコウちゃんのお陰で、世間の噂を跳ね除けて芸能をやりたい映画に出たい気持ちに勇気を出して、上京を決めるのだが、次の夏休みでまた、レイプ犯が現れる。
未遂だから捕まらずまだ動ける状態だったの?!
よくわからないが、みんなキツネなのに天狗のお面をつけた人間に級友カナが気付き、コウちゃんに知らせたお陰で、またもカナちゃんの目撃でピンチの夏芽は未遂で助かる。
気を失い夢か現実か朦朧とした夏芽だが、今回は祭りの松明を持ってコウちゃんが駆けつけ、レイプ犯を殴ってくれたが、殺してと言う夏芽に、殺しちゃだめと叫ぶカナちゃん。レイプ犯が夏芽と報道され一生世間の記憶に夏芽と残るために夏芽のそばで自殺するなど地獄絵図だった。
結局コウちゃんのナイフでレイプ犯が自殺し、
夏芽とは無関係とするために、レイプ犯の事もナイフも、コウちゃんが海に沈めたようだ。
犯人の死に異論はないが、
コウちゃんが尻拭いの罪まで背負うのはおかしい。
カナちゃんは、夏芽が元凶とコウちゃんに言ったりもしていたが、夏芽にも、コウちゃんともう会わないでと言う。密かにカナちゃんは夏芽が引っ越してくるずっと前から、コウちゃんを好きだったのだろうし。
夏芽が元気がなくても、高校デビューし楽しそうなカナちゃんは夏芽にとってフレネミーみたいな感じだろう。
夏芽は結局上京し無事女優として賞を獲るまで輝けた。
心にはいつも、コウちゃんがいて、芝居の相手にもコウちゃんを重ね、コウちゃんとの美しい思い出を抱いて、女優として出す結果をコウちゃんに捧げていくつもりで頑張るようだ。
いやいやいや、コウちゃんも大友も、気の毒すぎる。
悪いのは全てレイプ犯なのだが、
夏芽が無防備に近づく事で、近付かれた男はみんな、夏芽を追い求めてしまうようだ。
世間が見たくなるような可愛い女の子は、周りがほっとかないと言うが、男性からの人気は紙一重に危険も付き纏うのだろう。
身体を守ることに注力しなければならないのは決して夏芽のせいではないのだが、危機感を持たないといけないし、親の警戒や育て方には甘さを感じてしまった。
親だから子供を守らないとと言うのもわかるが、
子供がやりたいなら応援するしかないと父親が話している通り、じゃあどこまでもいつまでも親がガードにつきっきりでいられるわけではないのだけど。
コウちゃんがくれたナイフを夏芽は護身用にしていたが、それも最後は凶器になってしまった。
悪意なくとも、
男性性の持つ破壊性、
女性性の持つ破壊性を引き出す魔性性
に考えさせられ、
同意のない関係性を避けるために、
何段階前から危機感を持つのが適切なのか、
考えさせられた。
幼児や小学生でも被害に遭う昨今、
子供達に警戒を教えないといけない社会。
ひどい話だな。
原作漫画に興味が沸きました
原作漫画を先に知っていたら、きっとこんな高評価にはならなかったでしょう。
今作はテンポが良くて観ていて飽きませんでした。おかげで途中で眠くなりませんでした。ストーリーはミステリアスで神秘的で程よく難しく、景色も出演者も美しく、カメラワークも良かったです。恋愛部分も程よくじれったくて、コウ(菅田将暉)を好きな夏芽(小松菜奈)を応援しながら観たので、ラストは嬉し涙が出そうになるほど感動しました。
好みじゃなかった
これはこっちの問題だと思うんだけどなんかやけにセリフが聞き取りにくかった(方言とかの問題じゃないと思う)思春期特有の雰囲気と二人の特別感がよかった。あと曲が全部よかった。ただなんか展開が早すぎて感情移入できないのとあまり余白とか説明がないからいまいち物語に集中できなくてもう途中でいいやってなった。ただ他の人も言ってる通り二人の華というか際立つオーラがあるので全体的に画面に迫力?が出てると思う。
ギャガってたまにこういう駄作邦画出すよね
海外からの買い付け作品の質はよいのに、俳優売りたいだけの駄作邦画を定期的に出す配給会社も珍しい。ギャガ、もっと丁寧に邦画が作ってよ。
主演二人は悪くはないが、さすがに中3を演じるのは無理があるし方言も中途半端。
田舎の景色が美しいかといえばそこまででもないし、音楽も微妙に合ってない。
カメラマンも手つきが明らかに素人だし嘘くさい。引退しかけてたモデルがいきなりグラビアですらない写真集出して売れるとは思えない。何もかも中途半端。
何より強○シーンを男女の恋愛のエッセンスに使っているのがいただけない。これは原作漫画のせいかもしれないが(原作未読)
まあ主演俳優二人が好きなら1度見る価値はあるんじゃないかな。
個人的に夏芽に振られた勝利がカラオケで吉幾三を歌うシーンはグッときましたね。それで星☆☆つです。
菅田将暉と小松菜奈がおいかけっこしてるだけ
せっかく良い音楽、豪華な俳優陣、綺麗なロケ地で撮ってる映画なのに終始菅田将暉と小松菜奈が追いかけっこしてたり、コウを追いかけてという素晴らしい楽曲が全く合わないシーンに使われていたりと残念でした。予告を見て面白そうと思いましたが結局、雰囲気だけの映画でした。
夏芽が試写会で見たもの
この作品に仕込ませてある「神」という概念は場所を示し、コウの宿命を示している。
コウは神を感じることができる。現代でいうスピリチュアルな感覚を持つ。その感覚に従い、研ぎ澄まそうとする。それは、この地の神に選ばれたことを意味している。
そこに現れた夏芽
海から出て夏芽に駆け寄る。
「会ってしまったのう」
この言葉は後半の回想場面で明らかになる。コウには夏芽が「光って見えた」
「神は普通にいる 人生は暇つぶし この町のものは全部俺の好きにしていい」
コウの形容しがたい雰囲気と立ち居振る舞い そして突然海の中に突き落とされる。
このことが夏芽の中の何かを刺激し始め、気づけばいつもコウの背中を追いかけていた。
「私、あの子に勝ちたくて、この仕事受けた」
撮影中のカメラマンに石をぶつけるコウ 逃げたコウを夏芽は追いかけるが、決して掴まえられない。悔しさが全身を覆うとき、カメラマンが夢中でシャッターを切った。
「もっと遠くに行ける」
コウも夏芽に言う。
「遠くに行けるのがお前の力じゃ」
もしかしたらコウは、早くから夏芽の光輝く場所に気づいていて、異常者との出来事は夏芽に出された試練ではなく、コウに出された試練だったのかもしれない。
コウは夏芽といる時間が長くなればなるほど、その研ぎ澄まされた神の声によって、彼女を解放しなければならないと指示され続けていたのかもしれない。
コウにとってナイフは、守ることができなかった悔しさと無力感の裏返しだと思っていた。不良グループとの付き合いや喧嘩に明け暮れる毎日によって、研ぎ澄ました感覚を消したかったのかもしれないと思っていた。しかしコウは神に選ばれし者、消すことなどできないこともわかっていた。
「また(もう)顔見せんといてくれ」と言って投げたナイフには、自分自身の宿命を受け入れるしかないという意味があったのだろう。
夏芽にとってそのナイフは、「遠くに行く」自分の力を信じて突き進めという意味があったのだろう。
コウにとって自分の宿命を切りたかった象徴がナイフだ。
夏芽がナイフを受取ったことで、このナイフは事実上使用済みになったと考える。
夏芽は予定通り上京しなければならないのだ。
この作品を考察するにあたり、2つの観点があるように思った。
日本神話と単なる物語だ。
しかしこの作品がモチーフにしているのは、夏芽とコウだけだろう。カナには明確な役割が与えられているので、もしかしたら神話の中に登場しているのかもしれない。
さて、
この二人の神が浮雲の地に降り立った。
まるでケミカルリアクションを見ているようだった。
菅田将暉くんと小松菜奈ちゃんの演技の根幹にある感覚の根源が反応している風にしか思えなかった。
これが芸術的爆発なのかもしれない。
Wikiで見れば原作は漫画のようで、つまりこの二人は漫画を地でやってのけたということだろう。
漫画は漫画だが、漫画を作るものはそもそもそこに情熱の存在を確信している。二人はその世界観を自分自身の根源から表現したのだろう。
この二人と比較すると、もちろんそれもまた演技だが、夏芽と大友のカップルが普通にしか見えない。
逆に言えばその使い分けもまたすごい。
夏芽がコウと一緒にいる時に見せるケミカルリアクションと大友といる時に見せる普通の女子高生。
この女子高生のときの夏芽は、コウと別れていたので普通だったのだろう。中学の時、魚を届けに来た大友との会話では、夏芽はそばにコウがいるようにフワフワとしている。この掴まえようのないフワフワ感が本来の夏芽の通常モードなのだろう。今の状況にとても満足している。
中学の大友はその感性に引き寄せられるように動いているものの、フワフワと動く彼女に付いて行けない。
「浮雲」という地名にある神事と火祭りと「神」
この地に生まれ、それを守る責務を負うコウは、物理的移動のできない宿命。 変えられない「運命」
それに対し、
有名写真家に「夏芽ちゃんはもっと遠くに行ける」と教えられた彼女は、この地で「何か」を掴み、そしてこの地から出ていかなければならない運命、宿命を担う。
15歳の二人は、
若さゆえ、自分自身をさらけ出して叫ぶことができるし、全力で輝きたい衝動がある。しかし彼らはそのままで「誇り高かった」のだ。
自分をさらけ出すことができ、自分に嘘をつかないこと これができるものは極めて稀だろう。
夏芽は東京でモデルをした経験で、嘘だらけの芸能界にある本当の芸の光の存在を垣間見た。または感じ取ったのかもしれない。極々稀にいる有名カメラマンのような人の言う嘘のない言葉。
「それ」になれば、そこに嘘がないことがわかる。作為で作ることのできない「作品」が生まれる。でもどうしたらいいのかわからないまま、親に言われるがまま浮雲へと移住した。
夏芽は、浮雲の地で立ち入り禁止区域の中の海に身を委ねているコウと出会う。
神聖な場所 立入禁止 神のいる場所 夏芽の心の芯を見抜いたコウ 見抜かれた夏芽は言葉も出ない
「神は普通にいる 人生は暇つぶし この町のものは全部俺の好きにしていい」
彼の言葉に夏芽は唯一この町で心を惹かれるものに出会った。
それがコウという人物
夏芽は自分の感情を口に出す。
「私が欲しているのは、この体を貫く閃光」
この閃光の正体を見極め、その力でさらに輝ける存在になる実感を掴むことが夏芽がこの地ですべきことなのだろう。
さて、
カナとはいったい何者だろう?
カナはちょくちょく夏芽に話しかけるが、その多くはコウについてだ。
カナは「噓つき」だ。カナはずっと以前からコウのことが好きだ。
しかし、そのコウとピッタリなのは誰が見ても夏芽。
カナは二人を取り持ちながら、隙を窺っている。絶えず様子を見ているのだ。
そして、
コウに与えられた使命は、夏芽が自分の力を見出し、それを信じ、もっと遠くに行く後押しをすること。
そのために、
物語には事件が起きる。
異常者の登場 「お爺さんが倒れた」
カナは目撃者 コウは車を追いかけ夏芽を助けようとするが、石で打たれ倒れる。駆け付けた仲間らが異常者を取り押さえるが、コウの中には自分で助けることができなかった悔しさと無力さでいっぱいになる。
自分自身が許せないコウは夏芽と別れた。そして同時にこれが神からの指示だということを理解する。
この時もうほぼ夏芽の機は熟していた。
それを受け入れられないでいるのは、コウだった。
抜け殻のように高校生活を過ごす夏芽。夏芽がカナの言葉を生理的に嫌うのは、カナが持っている使命に対する嫌悪感だろうか。
やがて夏芽は大友と付き合い始めるが、有名カメラマンが「君ならもっと遠くに行けると思ったけど。もう二度とこないよ」
夏芽にとってSNSの誹謗中傷などさほど気にならないが、自分自身の感性を否定されるのは我慢できなかった。しかしそれは当たっているのだ。自分の中に光を失ってしまったことを完全に見透かされた。
夏芽は川岸まで走って転げ落ちながら泣き、神社に行って祈った。
「普通の幸せ」 「私の神様、もう一度会えませんか?」
神が差し出したものは「コウ」だった。あの事件の意味はコウには理解されたが、夏芽には大きな喪失以外何もなかった。
神様は面倒くさい。
神はもう一押しをコウに託すのだ。
さて、
溺れるナイフ
この意味は何だろう?
何度も登場する海のシーンも川のシーンも、溺れる気配すらない。
異常者が自殺するときに使ったナイフ。
異常者は二人を引き裂いた象徴。
ナイフはコウから夏芽に渡された時すでに役割を終えている。
しかし夏芽とコウの中にある「あいつの呪い」は消さなければならない。
このシーンは非常に幻想的に描かれている。おそらくこのシーンには「神」が介入している。
時間差はあるが、コウの舞う日の神神楽によって既に呪いなど解かれている。
また、神の視座から見れば、呪いなどなく、すでにすべてが解決しているが、二人の中に取り残された澱のような「アイツ」の感覚は取り除かなければならない。
夏芽は「殺して」と叫び、コウは無言でそれに答える。
そこに割って入ったのが「カナ」だ。彼女は最初から神によって仕込まれていたのかもしれない。
二人は、アイツを殺してしまわなければ呪いは残ってしまうと思い込んでいるが、カナによってその罪の意識は最小限となる。
ナイフは自決に使われたが、人を殺傷するものの存在こそ人を溺れさせるものだと作者は言いたいのかもしれない。
自分の力を信用せず、武器などのアイテムによって目的を達成しようとする人間社会。それを使い不良たちに偉ぶって見せても、虚しいだけだ。
自分自身を受け入れ、心の方位磁針に従って歩くだけでいいのだ。
受賞後の試写会で、夏芽の目に見えたのは、コウと一緒に過ごしたことだった。それは彼女にとって永遠に心に残る出来事で、この場に立てた原動力だ。そこにあるのはどこまでも伸びやかな自分自身の体を貫く閃光そのものだった。
溺れる恋と怪しい主人公たち
菅田さんと小松さんの演技力が良いが、本作は個人的にあまり好きじゃない。
変な恋と混雑する物語、二回目の強暴シーンも意味不明だし、その方法で主人公の成長を表すなんてありえない!わがままのコウと遠く行くため溺れるナツメ そして可憐なオオトモ その結末は唯の嫌がらせに過ぎない。
全く恋愛漫画好みの方にもお勧めしない映画のだ。
展開が早い。
良くなかった点
・前半とても展開が早く「どういう過程でそうなった?」というシーンが多かった。夏芽とコウが引き寄せられていく展開もあっさりとしていて「あ、もう好きなんだ」という印象を受けた。
・展開が早いため物語に引き寄せられない。もう少し丁寧に過程を描いて欲しかった。
・人を殺めたことに対してあっさりし過ぎている。
・ラストシーンのシチュエーションが分かりづらい。分かりやすくしてくれるサービス精神があるのは良いが、場面が分かりづらくより混乱した。
・ストーリーが単純。展開にワクワクしない
・BGM挿入歌が違和感があった。高校に進学して距離が空いている状態で夏芽がコウに話しかけるのに緊張するシーンで違和感のあるBGMが流れ緊張が冷めた
良かった点
・重岡大毅の演技がとても良かった。自然な演技で方言も自然だった。
・水中の中でのキスシーンの映像が美しかった
・夏芽を守れなかった自分の無力感、悲しさが溢れ涙するコウのシーンがとても良かった。言葉の節々に感情が伝わった。
・祭事のシーンが作り込まれていて引き込まれた。演出が良かった。
補足
・田舎の中高生はニューバランスの服は着ない。(重岡大毅)
運命の人とこの人とならきっと幸せになれるだろうなぁと思う人 どちら...
運命の人とこの人とならきっと幸せになれるだろうなぁと思う人
どちらを選択するか、すごい運命の分かれ道
自分の人生に責任を持って生きていかなくちゃなぁと思う
人生は選択の繰り返しだから
最後にあぁこれでよかったと思えるように後悔なく生きよう
何より惹かれ合う過程の描き方が雑
絶対に中学生には見えない主人公の二人
途中から高校生にはなるが、その違和感が最後まで消えなかった。
主人公だけではない。
周りの同年代の少女の荒み方も年相応でないように思える。
同種の犯行への嫌悪感が一番強い時期のはずなのに、面白がっている。
大人っぽく見えるがまだ幼い少女と、尖った言動ばかりの危うい少年。
その組み合わせでないとこの物語は成り立たない。
・途中に出てくる写真家も 付け焼刃的な雑な作りで胡散臭すぎて少し引く。
プロらしくないカメラ(ライカ?にしても、単焦点1本で撮影は無謀)、
レフもなく、満足にスタッフもいない。
・定期的に誘ってくる芸能プロダクションも嘘っぽい。
タイミングも 火中なら、まだ分からなくもないが、沈静化後とは…。
・上白石が扮する少女が 主人公の危機を知らせる際の行動も不自然。
助けを呼ぶための緊急の知らせだと思ったら、こういう危ない奴が来たから
「行くな」って…。助けに間に合うように知らせに行っといて…
チグハグ過ぎる。
・ストーカーは多くの事件が物語る通り、相手を傷つけることはあっても、
自殺したりはしない。
主人公二人の周りの描写が雑なせいで、ニセモノ感が増している。
特にラストシーンはシーンに至る過程も シーン自体も 嘘くさい。
なんだか安っぽい
原作も役者も悪くないはずなのに
なぜか安っぽい。
小松菜奈の透明感、菅田将暉のミステリアスな雰囲気が生かされた映像ではありました。
展開もびっくりするぐらい早く、
物語としては面白くないです。
ジョージ朝倉の描いた、
未熟で危うい10代、ではありません。
溺れるナイフは映画ではなく漫画を読みましょう。
これは小松菜奈と菅田将暉の馴れ初め映像作品です。
主要キャラがヒステリックでびっくり
小松菜奈、菅田将暉の圧倒的なビジュアルや舞台となった島の景色に惹かれて視聴。
なかなか急な展開が多く、終始困惑。
タイトルの通り、小松菜奈と菅田将暉が怒ったり泣いたりするシーンが多い。特によく怒鳴る。そして急に泣く。
一番不思議だったのが、怒った勢いでセックスし、ピロートークで菅田将暉が泣き出すシーン。
10代の危うさを表現している作品であることは承知していたが、見どころとしてここぞというときに「危うさ」を表現するならまだしも、あまりにも言い合いのシーンが散見されるため、「危うさ」をひたすら観続けることになり、観ていて退屈だった。
構成、カメラワーク含め、素人目線でも「もっとよい魅せ方があるのでは?」と考えながら観た。
重岡大毅の演じた役は素晴らしかった。お弁当のシーン、椿のシーン、看病にお邪魔したシーン、バッティングセンターのシーン…自然体の演技で、小松菜奈との掛け合いが微笑ましい。
中学生がレイプされそうになったあと、あんなにあっさりしているものだろうか?
心理描写が乏しく、配役がいいだけに勿体無い。
小松菜奈の横顔。以上。
撮影と演出の一つ一つがいちいちシネフィル的な映画だった。広島弁に酷似した方言や広能・大友といった人名は深作欣二『仁義なき戦い』を、島に伝わる伝統的な祭事は柳町光男『火まつり』を、水辺での鬱陶しいほどのロングショットはテオ・アンゲロプロスを、アッパーさがかえって切なさを引き立てるラストシーンのif世界描写は本作の一年ほど前に本邦で公開されたディミアン・チャゼル『ラ・ラ・ランド』をそれぞれ強く想起させる。しかし監督の知略の上に踊る映画史は自我を欠いた傀儡のようであり、どこまでいっても「賢い」以上の感慨を喚起しない。固有の文脈を紡ぐことのない不毛なパッチワークぶりを、俺はありったけの皮肉と揶揄を込めながら「サブカル的」と形容しよう。
音楽の引用に関しても大森靖子、tofubeatsというチョイスの浅薄さが目に余る。そのうえ彼らの強烈な自意識を正面から扱い切ることは避け、ナヨナヨしたしょぼいカバーでお茶を濁すという狡猾ぶり。脚本に関しても、素朴でご都合主義的な少女漫画的物語を敷設しておきながら最後の15分で梯子を外してサブカルの牙城に引きこもるという監督の身勝手な作家性に閉口した。菅田将暉、小松菜奈というミーハーな撒き餌に釣られた若者を知性でポカンとさせてやろうという下卑た戦略が見え透ける。監督などという職業を目指そうとする以上、強烈な自意識は必須の条件だが、作品の出来はその自意識の運用の巧拙に大きく左右される。本作のように明らかに受け手を知性によって欺こうという意図の見える映画はかなり最悪な部類に入るといえる。バカだけに焦点を絞って上から嘲笑するの、マジで悪しきサブカル知識人ムーブすぎる。
ただ、それらすべての不快さを補って余りあるほどに美しい小松菜奈の横顔。これに尽きる。InstagramやVOGUEで見かける正面静止画の彼女も確かに美しいが、やはり動いているところを真横から捉えたショットでこそ彼女の美しさは最高潮を迎える。横顔の立体性に美しさを見出してしまうあたりに俺の内に巣食う悪しき白人至上主義が露呈していることは否定できないものの、そこに「白人的」という褒辞には収まりきらない東洋的な美が顕れていることもまた事実だ。小松菜奈の横顔の美しさを見出し、それを最大化したという点において本作は無条件に肯定されるべきだろう。マジで今をときめく女優の中で小松菜奈より美しい女優っていないと思う。あまつさえ後の伴侶となる菅田将暉を粗暴なボーイフレンド役として据えるというファインプレー。『ディストラクション・ベイビーズ』と並んで二大「すだなな」フェチ映画だといえる。
演者にそこまで視点を絞らない俺にとっては、演者がいいという一点だけで大幅に加点したくなる映画というのはそうそう出てこないので、そういう意味では稀有な一本だった。
CM向きかな・・・
映像は綺麗だが作為的。物語の骨格はつたない‼️走らせる、水に落とす、自転車で2人乗り・・・余りのベタさかげんに観てて恥ずかしくなる。女の子がこうして貰いたいが満載のムック本。絵柄ありきの唐突の展開は監督の勘違いが原因か・・・画面の作り方のうまさが随所に見受けられるだけに辛い😢🌊
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