葛城事件のレビュー・感想・評価
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案外の重さでびっくり
それほど重い映画だと全然思わなかった!
日本人だったら結構理解できるかもしれないが、外国人なら色々混ざり合っている現象を一々理解するさえ難ありだと思う。例えば家庭の中女性の地位は低いこと、暴力を振るわれても、そのお母さんは弱気で謝るしかできなく、反抗もさらに無理。
また違和感も感じるところもある。例えば、稔が駅でナイフで人を刺すところ、周りの人の反応があまりにも異常で普段だったら逃げるだろうし。
そもそも田中麗奈のあの役は何なんだ?全ての過程を観客に伝えるきっかけと繋がる人間だろうが、たまには彼女の全然いないところでもフラッシュバックみたいに昔話が挿されている。最後また出てて全ての結末をあの暴力のお父さんに話す、だけ、の役か。
一つ過去と今の転換が上手いのは取れるところ。
見終わるとこの映画の言いたいことは何だろうと。
殺人犯に成る次男の育てた家庭自体が歪んでる、か。
日本人はこうゆうのが好きだなぁーと。
黒沢清の『トウキョウソナタ』を思い出せられるわー
家に悲しい事ばかり。
あの家もどっかでおかしい。
ただしあそこにはお父さんは失業。
お母さんは心理的に家に縛られている。
子供は自分の世界を探している。
結局家庭外部の父の失業はきっかけだ。
とても重かった。
が、
この映画はそれよりまた重い!
特に見てやはりダメなのは三浦友和の演じたお父さんだよなと思う。
もう最悪の父だー
全ての悲劇を招いて最後に自殺もできなく自業自得なのも全部あの父。
妻と愛情もなく、暴力を振る舞う。
二人の子供を差別視する。
長男の死も次男の犯行も全て家庭環境の影響だ。
特に南果歩の演じたお母さん、何度も彼女が料理できないことを提示している。
それもまた彼女の愛情の無さを示していじゃないか。
葬礼の時の話、彼女の話したエピソードも、彼女自身が自由を憧れる暗示だろうか。
また彼女も夫の暴行を止められない、というより、怖がっているだけ。次男を一番理解しようとするが、彼を守ることもできない。
こうして、また『トウキョウソナタ』と同じように、両親から崩れている日本家庭の話だ。
そのような家庭から殺人犯が.....
とにかく重いです。
劇場でずっと見たらさぞより重いだろう。
個人的には何を伝えたいかよくわからない重い映画はあんまり好きじゃない。
こんな家族ありゆる
死刑反対、好奇心にて次男と獄中結婚した宗教じみた女役に田中麗奈。何も出来ない女だが、この話の中心である家族のインタビュアー的役割を果たす。
やっぱり三浦友和、あんたは悪人になりきれねぇ俳優だ。無理がある。
役的に俺人生頑張ってるんだ、家族養ってきたんだ感がハンパない。が、普段の良い人が拭いきれてない。
世の中に不満を漏らし連続雑人事件を起こし、死刑判決を受けた次男役の若葉竜也は役柄良かった。こういう親のすねかじり自己中息子いるからね。
何も言えず、逃げてばかりの母親役に南果歩。
父親に逆らえず、闇を抱えている家族持ちの長男に新井浩文。
見た感想は、この様な犯罪が絡んだ(色々詰め込められた)家族映画を出されると次似たような映画は作りづらいと思う。
ある人は関係ない、絶対不幸にはならない、この様な家族の所に関わらない方がいいと思うだろう。
しかし、これはあなたの家族や身近でもなりゆる可能性がある話。
また、誰にでもこういう人生になりゆる可能性がある話の映画だと思う。
誰もが肝に銘じておかなければならない。
この様な家族の結末を。
こんなありふれた世界だからこそ。
救いようがない
交錯する想いの中、破綻し、もはや遮ることが困難なまでに悪臭を放つ家族像を淡々と語る。その語り方はフォックスキャッチャーを想起してしまった。辛い麻婆豆腐、吸い殻、カナブンなど、象徴的なシーンを用いてその重く暗い闇を描く。無駄なシーンがなく、どれもが何らかの違和感や意外性を感じさせるこの家族の間違いが仕込まれている。1つ1つはたわいのないことなだけに、この危機が別世界での話ではなく、身近にありえることとして認識させられてしまい怖い。
三浦友和はじめ、役者陣が何も好演。監督の力量に感服する一本である。
最低な親父
実際に起こった事件を基にしたフィクションである本作は作品的には良いのだが、そのてのトラウマを抱える者にとっては苦痛この上ない作品である為★1つ。
葛城清の全てを象徴するマイホーム。
庭に植えたみかんの苗木は子供達の成長を願うもの。
親の代から継いだ金物屋を営む清は一国一城の主人かのように家族に対し抑圧する。
清はプライドが高く自分以外の全てに否定的。出来の良い長男を褒め、何をしても長続きしない次男を罵倒する。妻は清のストレスの捌け口となり暴力を受ける。そんな支配的な日常から長男は自立し家を出て家庭を築く。
残された妻と次男は1度は家を出たのだが、見つかり家に戻る。
最後の晩餐…何が食べたい?
母が息子達に話す姿が本作の中で唯一ホッと出来るシーンだが、そんな最中にドアが開き…清が…緊張感半端ない。
長男の自殺、次男の死刑、妻は精神崩壊により施設、
清のマイホームには誰も戻って来ないのにそれでもしがみつく清の姿にムカムカする。
こう言う人いるね〜って思った。
家族から嫌われてるし、周りの人だって挨拶程度の付き合い。家業だって客も来ない金物屋で収入あるの?と思うけど、一応社長だから見栄っ張り。息子の嫁家族には大盤振る舞いし、中華料理店の店員には常連客ぶって横柄な態度。人を見下し最低な親父だ。
あー全く腹が立つ‼︎
次男が最後に本音を言った。
自分の駄目さは十分理解してる。けど認めたくないから他人を、日本を、誹謗中傷しどうにか自尊心を保ててる。嫉妬に狂って事件を起こしたって。
次男は清によく似ているが清より賢いのかも知れない。狂ったイノシシは殺処分に…と。
葛城清…こいつこそが悪の根源なのだ。
家族こそが被害者だ。
死刑囚と獄中結婚ってよく聞くがその真意が理解出来ない。死刑制度廃止はわかるが死刑囚と面会が許されるのが家族だけだから獄中結婚するの?謎である。
戦慄家族物語
赤堀雅秋監督の前作「その夜の侍」は凄まじい人間ドラマであったが、同じく舞台劇を映画化した本作もまた。
話はシンプル。ある家族の物語。
しかし、語るのは難しい。
一つ一つ整理し、考えながら、書いていきたいと思う…。
ある青年に死刑が宣告され、傍聴席のある人物に不敵な笑みを向ける。
その人物とは、父。
やがて父が一人暮らす閑散とした家に、青年と獄中結婚した女性が訪ねて来る。
ここを導入部とし、明らかに何かあったこの家族の姿が炙り出されていく…。
葛城家。
マイホームに父と母、二人の息子。
一見ごく普通のありふれた家族のように思えるが、温もりなど微塵もナシ。
まず、一家の大黒柱・清がモンスター。常に横暴で威圧的な態度で、せっかくの会食の席で店員に聞いてるこっちが嫌になるくらいのクレーム、家族に暴力を振るう事も一度や二度じゃない。
母・伸子は朗らかな性格だが、何処か心ここにあらず。
長男・保はすでに独立して妻子持ちだが、ある秘密を言い出せない。
次男・稔はニートで引きこもり。
それぞれが問題や闇を抱え、家族が顔を合わせただけでヒヤヒヤする空気を孕む。
清は自分なりに家族を大事にし、守ってきた。
が、そんな自分の思いとは裏腹に、知らず知らずの内に家族を支配し、苦しめていた。
当然のようにその時は訪れた。
「あなたの事が嫌い。なのに、何でここまで来たんだろう」妻は家を出、精神がおかしくなっていく。
何とか家族を繋ぎ止めようとする長男だが、今にも壊れそうなほど小心。言い出せない秘密と二つの家族が重くのしかかり…。
人生の一発逆転を狙う次男。彼が起こした“人生の一発逆転”とは…
実際に起きた複数の無差別殺傷事件がモチーフ。
ここで本作が一筋縄でないのは、何故彼がそんな事件を起こしたのかではなく、彼を事件に駆り立てたのは何か、である点。
次男にも問題はある。何をやってもダメな自分の一方的な社会への逆恨み。
それを植え付け、さらに増長させたのが…。
自分の思い通りにいかなければ、不条理な不満をぶちまける。
自分の非を認めず、反省も責任能力も無い。
この異常犯罪者にこの父親あり。
見たら分かる通り、この次男は父親に類似の性格になったではないか。
世間を震撼させた事件の加害者全員が全員、同じとは限らない。
本作の場合、父への憎しみ、父の蔑みだったが、そういう歪んだ何かしらが異常心理を形成する。
三浦友和が存在感と破壊力抜群の恐演。
南果歩、新井浩文も渾身の力演。
次男役の若葉竜也が一際印象を残す。
ちょっと浮いてると感じてしまうのが、田中麗奈が演じた次男と獄中結婚した女性。
キチ○イだらけの登場人物の中で一応唯一のまともな人物の設定だが、言わせて貰えれば彼女もまた相当キチ○イ。
時々言動に不可解があり、次男を助けたいと言いながら結局は何もせず、偽善者こそ一番のキチ○イと言うならば痛烈に効いている。
この家族にも幸せに満ちた一時があっただろう。
清が見る家族写真やとある回想シーンはまさにそれ。
家族を愛するのはいいが、彼に欠けていたのは、思いやる事。
強欲に愛する余り、結果自分で壊し、失ってしまう。
ラストシーンも印象深い。
子供たちの成長と共に育った木の枝に縄を括って死のうとする。が、枝が折れて死ねなかった。
死ぬのは簡単。生きる方こそ苦しい。
父は子供たちに“生かされた”のだ。
自分が建て、自分が壊した、自分の城の中で、独りで。
映画は見たら普通、いい所を褒めるもんだが、本作はその逆で称えたい。
不快感100%、後味悪し、誰もがこんな家族にはなりたくない、お近づきにはなりたくない、ド鬱家族物語。
終始緊迫感張り詰め、見た後ドッと疲れるが、片時も目が離せない!
話はいたってシンプル
どーしよーもないやつはどーしよーもない環境で育っている。諸悪の根源はこの場合は父という事なのだろう。父親抜きの三人の語らいのシーンは、唯一ホッとできた瞬間だった。息子が自殺をしても、凶悪犯罪を犯しても、それでもまだ虚勢を張り続けている。最後死ねなかったのは、首をくくったのが自分が息子たちの願掛けに植えた蜜柑の木であるということから、家族に生きろと言われたのだろう。劇中の彼の言葉、生きて苦しめ。皮肉なことだ。
シンプルな話を特別にしているのが、葛城一家四人の役者の演技力。強いて言うなら田中麗奈の素性をもっと描いて欲しかった。平常心でないのは明らかなのだから。
とにかく始めから終わりまでずーーっと辛かった。分かってはいたけど。唯一和ませてくれたのはどこか優しい音楽か。目も当てられないシーンの後に限って流れる。救いだったような気がする。
他人事とは思えない
予告を観ていて、重い話なんだと思っていましたが、予想をはるかに超えるほど重い話でした。
観終わって一番思ったことが、うちの家族に似ているような気がしました。
あそこまで、壊れていない気がしますが、みんな自分のことしかしていない。
そう思ったら、葛城家よりはましなのかな。
見栄ばかり張る父親
父親に逆らえない母親
父親に期待されている兄
自分の殻に閉じこもっている弟
みんなそれぞれ、壊れています。しかし、すごい役だなと思います。
家族の崩壊が観れましたが、悲しいとは思いませんでした。自分が似たような環境にいるかもしれませんが。
じわり、じわりと。
「その夜の侍」で失望した監督だけに、やや斜に構えながら鑑賞したのだが、逃げ場をどんどん塞がれていくように締め付けられた。じわりじわりと、真綿で締め付けられるとはこういう感覚か。
くるぶしまで海水に浸った洞窟で迷い、だんだん水嵩が増してくるような、このままいけばどうなるのかおよそ想像がつきながらも、逃げ道が見つからない感覚だった。
奇妙に置かれた掃除機のコードを手にした瞬間、あ、ミカンの木!ととっさに気付くのだが、結果は予想を外してくるあたりは見事だ。
まさに「俺がいったい何をした?」といわんばかりに、予想と結果、本音ときれいごと、正論と暴言の区別がつかなくなってきたところで締めくくるとは手際がいい。甘く見すぎていた自分に後悔した。
印象の項目にどれか3つチェックしようと思うだけど、どれとも違う。薄気味悪さってないかな?、悲しいじゃなくて哀しいってないのかな?
家族という凶器。
山の日@渋谷アップリンク
またまた宇多丸の影響で鑑賞。
池田小事件の知識はほとんどなかったが、一見普通にも見える家族。
ほんの少しのボタンのかけ違いから、あれよあれよと言う間に崩れ落ちていく。
というか、もっと前から本当は崩れかけていたけれど気付かないふりをしていた?ものが一気に崩壊する。
宇多丸はちょっと大袈裟に表現しすぎていたのでは、と指摘していた
「食育」を無視したコンビニ飯や出前料理
とか
妊娠中の女性がいるのにたばこを吸うシーンとか
一国一城の主として建てた、大事な自宅の思い出の木で首吊って自殺しようとするとか
「家族」として表すには、辛すぎる、不快すぎるシーンの連続で…
かなりざわざわした…
父親としての像
として、しかもありそうな像でもあったからこそ、
家族って何が正しいんだ?!!と考えさせられる(安易な言葉で好きでは無いが と宇多丸は言っていた)
ことに…
とりあえず、婚活 が、頑張ろう…汗
『価値観』という病巣
日本人特有のものなのか、それとも人類の業なのか、哀しくもあり情けなくもあるが我々は常に『価値観』に縛られる。『こうあるべきだ、こうでなければならない』。本来、結果に導くプロセスが目的化してしまう現象。もう定理といっても良いくらい枚挙に暇がない。
そしてその『価値観』が結局、張りぼてでできた偽物だととっくに気づいているのに捨てられない臆病さ。いじらしいほどしがみつき、しかし砂の城の如くサラサラと崩れ落ちていく現実。或る家族が、自分達でこしらえた虚空に飲み込まれていく様をドラマティックに披露する作品である。
観ていて常に感じること、それは、紛れもなく自分の人生に酷似しているということ。痛々しい位に各シーンが胸を抉り、掻き回す。締め付け、押しつぶす。感情移入の度合いが半端無くこの登場人物の兄弟に注ぎ込まれる。しかし、もう自分はすっかり歳を取り、頭頂部も禿げ散らかしてきた。そうなると表層の原因である父親でさえ、憐れでならない気持ちを禁じ得ない。この父親も又悲劇なのは、自分の父親を悲しい位重ね合わせているから。。。
今年は邦画の当たり年。このような重くのし掛るテーマの作品がきちんと商業ベースで上映続けることを願って止まない。
最後に、父親が部屋内を滅茶滅茶に壊した後、子供の成長を願った庭のミカンの木に掃除機の電源コードを括り付け、吊ろう戸実行に移すが弱い枝のせいで自殺が失敗に終わり、何事もなかったかのように、コンビニ蕎麦を啜るラストシーン、自ら命を絶った長男、罪の報いで国家に殺された弟、精神的に破壊された母親等々のように逃げることも又許されない現世に、やりきれない無常観を目一杯吸収し、映画館を後にした。
良質なフィクションは、今更ながら影響力の計り知れない強さを感じさせられる、自分にとって忘れられない印象であり、自分を構成する部品の一つになってしまうことが苦しい。
(もっと自分の人生を赤裸々に詳らかにしながら、作品との対比をしようと思ったのだが、まだもう少し熟成が必要と、エクスキューズしてみる 多分巧く文章を残せない・・・)
あかほり作品
その夜の侍 以来のあかほり監督の映画。シャンプーハットという劇団の演出家、そして俳優としても活躍されているあかほりさんが好きで観に行きました。シャンプーハットの舞台を観に行ったのをきっかけに好きになりました。映画作品は一貫して、バイオレンスでリアリティーのある作品ですが、舞台はそこにコメディー要素もあって面白い。あかほりさん自身が持っている、重厚感のあるイカれた親父のキャラクターは、この映画で三浦さんが演じられた役にコメディー要素を足した感じで。役者としても、監督として、この方が作り上げる生っぽい感じが好きです。この映画、三浦さんが凄い。画面からでも伝わるあっとうてきな威圧感。とにかく怖い。そして、狂った息子。それでも、彼らが必死に生きている姿は、本当に圧倒される。
空恐ろしい
三浦友和みたいなやたら高飛車で偉そうにしてる優しさのかけらもない男は結構いる。
こんな男と結婚してしまう不遇な女性も結構いて、だからと言ってこんな不幸な負の連鎖ばかりの家庭は少ないと思う。
どこかで何かが少し違っただけでプラスの良い方向になったり、誰かが助けてくれたりするんだろうな。
母親がいつもコンビニ弁当食べていたけど食事は愛情のバロメーターですから、愛情がなくなってしまった結果のコンビニ弁当なんでしょうね。
ご飯作るのは作りたい相手がいたらとても楽しいもの。買い物の時間から食べる人のこと考えますから。
この映画の母親は傲慢な夫と暮らすうちに愛情を失ってしまったのでしょう。
でも母性愛でもっと次男を守って欲しかったな。そしたら結果は違っていたと思う。
ああ、モヤモヤする…!
ボツリボツリと見せられる、崩壊していく家族の断片。
もっと見たいと、もっと読み解くピースが欲しいと思うけれど、更に深いモヤに踏み込んでしまうにちがいありません。見応えのある作品でした。
最初は三浦友和演じる横暴な父親に、戦中派の自分の父を重ねて観ていたのです。
ところが気がつけば自分の家族が岐路に立っていたであろう頃の、心もとないザラザラした気持ちが湧きあがって、けっこうきつかったです。
いや、この瞬間もだらだらと葛城家方面に進んでいるのでは?確かめる術もない不安…。
ああ、モヤモヤする…!
淀んだ葛城家を演じきったキャストが見事、特に父親役の三浦友和は凄みがありました。最後に頭をかかえてしまう、この男にとって家族ってなんなのでしょう。 モヤモヤする…!
ありふれた事件
ある凶悪事件を起こして死刑を宣告された青年。
世間から非難され続けるその青年の父親。
事件はどのような流れで起きたのか、そして
事件後の加害者家族がどのような顛末を辿るのかを、
過去と現在を前後しながら描くドラマ作。
厭(いや)な後味が残る映画だけれど、
同時に非常に見応えのある秀作だった。
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主役の葛城家を演じるメンツが、揃いも揃って見事な演技。
常に場を支配する三浦友和の威圧感も流石だが、
魂が抜けかけたような南果歩の演技もものすごい。
家族をどうにか繋ぎ止めている新井浩文の苦渋の表情、
俯いた顔の内側で憎しみをたぎらせる若葉竜也もグッド。
序盤、長男の妻が自宅を訪れるシーンでの、歯車がことごとく
食い違った時計のように軋みを上げる家族の風景が恐ろしい。
なんて重苦しく陰鬱なアンサンブル。
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恐ろしい事件が起こった時、世間は事件を起こした人間や
その家族を別種の生物と考えて心の整理を付けようとする。
ドラッグをやっていただの、特異な性的嗜好の
持ち主だの、ネット上での過激な言動だの、
『世の中には怖い人間がいるなあ(自分は関係無いけど)』
と安心しようとする。
この映画の恐ろしい所は、
自分とはかけ離れて思えたそんな人間達が、実は
別種でも何でも無かったかもしれないと思わせる点だ。
ごくありふれた人間、ありふれた事件に思えてくる点だ。
僕も冒頭こそ「あんな父親なら息子もどうかしちゃうよね」
などとあぐらをかいて観ていたけど、実はあの父親も
世間からの非難が元で、事件前より卑屈で横柄な
態度を取るようになっていることが見えてくる。
事件前の彼も傲慢ではあれ……そう珍しい人間ではない。
短気で自分の意見を押し付けがちな所はうちの親父や
他の知り合いにも少し似た所があると感じたくらいだ。
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あの次男も元々そんな異常な人間ではなかったと思う。
彼は父親に愛されている実感が無かったどころか、
父親の常日頃の叱責に劣等感ばかりが募り、自分は
誰より無価値な人間だと感じてたんだろう。一方で、自分を
そんな思考の持ち主に追い込んだ父を憎悪していたんだろう。
あの凶行はもはや『父を見返したい』とかではない。
自分の全てを否定する“敵”を、逆に徹底的に否定してやる、
お前が全部間違ってたと思い知らせてやるという憎しみだけ。
彼はもう父を単なる外敵、平穏になるはずだった
家族を乱す異物としてしか見ていなかったんだと思う。
少しだけ表情の緩んで見えた束の間の団欒や、最後に
兄に似たスーツ姿の男性を見て動きを止める場面が、
今思い出しても哀しくてやりきれない。
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あの父親は、自分の期待に応えられない次男と
出来の良い長男とを比較して厳しく当たっていた。
だが、「俺は精一杯やったんだ」という彼の言葉に嘘は
無いのだろう。少しだけ流れる幸せな時代の風景を見ても、
彼は彼なりに次男へ愛情を注いでいるつもりだったのだろう。
けどね、思うに、
厳しいばかりでは『自分を守ってくれない、受け入れて
くれない』と不信感や憎しみだけを抱かれるのが関の山。
子どもの失敗や苦境をただただ叱咤するのではなく、
おおらかに受け止めるような姿勢も見せなきゃ。
自分の場合ではあるが、僕が自分の父を“父だ”と
感じたきっかけは、弟の大きな挫折を「自分もそれくらい
のことはあった」と笑いながら受け入れてくれた時だった。
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ラストは少し可笑しく、けどやっぱり哀しい。
孤独に苛まれて終盤次々と不様な行動を晒す父親。
どんなことが起きても人生は延々と、ただ延々と続く。
僕らもあの父親・あの家族と同様、
どこで間違ったかさえ分からない内に、どうしようも
ない人生に陥ってしまうかもしれないのだろうか。
物語の進行役とはいえ設定が浮きすぎて思える
田中麗奈の役は不満だし、やはりこの重苦しさゆえ
「面白かった! 最高だ!」と手放しには喜べないのだ
けど、
それでも観て良かったと思えた映画。4.0判定で。
<2016.07.22鑑賞>
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余談:
文脈に沿えなかったのでここで一言。
父親の経営する雑貨屋のレジに立った長男の見た、狭い風景。
あの父親は毎日あの風景を目にして過ごしていたんだろう。
店は継ぐなという父親の言葉からも、あの父親は
自分の子ども達は自分より立派になってほしいと
願ってたんだと思う。
あの時の長男の微かな笑みが、どうにも切ない。
家族を守ろうとして壊してしまった父
強引な例えかもしれんけど『ゴッドファーザー PART Ⅱ』『PART Ⅲ』やな。三浦友和=マイケル・コルレオーネが家族を守ろうとした結果自ら家族を壊してしまう物語。とはいえ完全なフィクションとして受容することは許されない。「自分ならどうだ?」と自問しながら観るしかない重い重い秀作。しんどい…
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