火の山のマリアのレビュー・感想・評価
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原題は『火山』貧困を訴える映画ではない。心優しきカトリック教徒の映画だ♥
邦題が火の山と称していながら、山頂が出てこなかった。様な気がする。なんか意味があるのか?唯一、一箇所だけ山が映るが背後の遠景で、山頂を含む全景は映っていない。日本人にはわからない意味が。富士山型の思考しか出来ない日本人に理解出来ないような。
突っ込みどころ満載で、グテマラ人を自虐的にディスった映画にも見えるが。。
日本人にもこれだけの寛大な心があれば、世間体を気にして、自殺までしてしまう『よこがお』の様な母親は存在しないと思ったら、この映画がコメディに見えて来た。悪い奴は途中で消えて、あとは善人ばかりのお話で『不妊症に悩む白人の役に立っているでしょ』と同意を求めているようにも見える。
つまり、異教徒の異邦人の日本人としてこの映画を観賞すると、最初に出て来た生き物とグテマラ人を同一視していると思える。
言うまでもないが、貧困から来る問題ではない。
『朝からテキーラなんか飲んてるな』ってパブリックな大統領なら言うと思うが。メキシコにも壁が出来るぞ。
まさか、それを望んでいるのか?
グテマラには『PLAN0』があるんだね。死んだ子供の葬儀代まで、出るなんてアメリカなんかよりもよっぽど良い国だと思うよ。勿論、日本よりもね。
演出家はそれが言いたいんだね。
『みんな、こんな良い国から無理して出て行く事はないですよ』って。
なお、登場するヘビは毒を持った蛇に見えない。
もう一度見て確認した。あと二回山の場面があるが、どちらも山頂は映っていない。鮮明な山の全景が映っていないと言うことだ。日本の某映画会社は最初に出てくるのにね。
日本のポスターに写っている。のにね。
【今作は、序盤は望まぬ子を持った貧しき家に育った娘マリアとその家族の煩悶する姿を描き、最後半、2010年頃、グアテマラで起こっていた赤子人身売買の事実を世界に晒した作品である。】
ー 多分、人生初のグアテマラ映画である。
劇中ではグアテマラという国の名前は一切出て来ないが観ていれば分かる。-
■グアテマラの高地。
マリアは、火山のふもとで農業を営む両親と共に暮らすマヤ人の少女。
父親は生活苦から、マリアを地主イグナシオの後妻に嫁がせようとしていた。
ところがマリアは、農園で働く青年ペペの子を身籠ってしまう。
やがてその事実は、両親にも知られてしまう。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・最初は何処の国かな、と思いながら観ていたが、アメリカとメキシコの名前と、珈琲の生産地であることが分かったので、グアテマラの映画である事が分かる。
■ストーリー展開はシンプルで、少女マリアが貧しき家を助けるために、地主イグナシオと結婚することが決まるも、アメリカでの生活に夢を持つ恋人ペペと関係を持ってしまい、子供が出来る。
・今作の見所は、現地の人々を起用した出演者とドキュメンタリー風の映像である事と、ラスト30分で明らかになる、当時のグアテマラでの幼子の人身売買が明らかになるシーンであろう。
■マリアが蛇に噛まれ、堕胎した筈の子供の棺に入っていた石・・。
<今作が、ベルリン国際映画祭で銀熊賞を受賞した理由が分かる作品である。>
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■第80回ベネチア国際映画祭で、銀獅子賞を「悪は存在しない」で受賞した濱口監督、おめでとうございます。
凄い監督になられて行くなあ・・。
マリアはどうなるんだろう
グアテマラという国のことを知らなくても、娯楽作品として楽しめる。でも観終わった後で、いろいろな疑問が湧いてくる。主人公の気持ちになって、思い出して腹の立つシーンもあるのだった。
色々な?¿
両親は多分、字が読めない。
彼らの言葉はスペイン語ではなく、外の人とは話ができない。
水道なし、電気なし、学校は?
性教育もヒト、ブタなどの実地教育?
彼女は連れて行って、と言ったがその意味は何だろう? 豊かさへの憧れ?
まじないや呪術の衰えが見え、所謂近代が迫ってきている。
山の生活と街の風景の落差の激しさ…。
観ていて??¿¿が尽きない。
他人ごとであり、また、他人ごとでない
無知であることがどれほど不利益を生むのか、
また、一見「頼りがいのある」実は「ならず者」を
のさばらせることになるのか、
これを観て、痛いほどよくわかった。
個人レベルでも、社会レベルでも、
それは同じはず。
もちろん、これは自分にも当てはまるはずだ。
「マヤだけで自分は関係ない」、と思うのは、
それもまた無知ゆえの発想と思う。
これからグローバリゼーションで、
自分より優秀な外人がガンガン入ってきたら?
英語や中国語ができなくて大丈夫?
人口知能の発達、ロボット技術の発達で、
専門知識の領域が機械に置き換えられたら?
今の自分のポジションは大丈夫?
ならず者は、きっと、置き換えを考えるはずだ。
ちゃんと生き抜けるよう、マリアから学ぼう。
次の一手を考えて、踏みだそう。
不思議の国のマリア
此所じゃない何処に、心置いてきちゃたマリアと、今、此所で娘の幸せを願う、ご両親。まるで噛み合いません。それでも、何があっても、娘を想う親心に、心動かされました。結果、誰が主役なのか、判らなくなりましたが。それと、結婚を成就するために、あらゆる手を使う彼は、善人なのか、危ない人なのか?。不思議なんですよ。監督の人柄なのか、誰もマリアを傷つけない。みんな優しい。普通なら、感情的になって、多くの人が、傷つけ合う話になるはず。ひょっとしたら、マリアとは、本人の意思と無関係に、しきたりに従わざるを得ない世界の象徴なのでしょうか。正直、解りません。いずれにせよ、子を大切に想う親心は、有難いですね。厳しい自然と、人の優しさに包まれた作品です。ちょっと、不思議の国ですけど。
見ていて楽しいものではない
先住民の文化などを守っていくことが果たして大切なことなのかどうか常々疑問に思ってしまう。結局は搾取以外の何ものでもない、かたちはどうあれ、損をするのは当事者だけ。そんな現実を突きつけられた思いがする。
確かに、その文化すべてが絵になりそうな印象を持つし、壊したくないという思いは理解できる。しかし、単に檻の中に押し込めてしまうようなものであるならば、いくらお金を与えたところで、その文化が平和に未来永劫つづくとは思えない。
もはや古い文化は記録とか形式としてしか存在し得ないのではないだろうか、悲しいかなそう思わざるを得なくなる映画であった。
見ていて決して楽しいものではないけれども、非常に意味のあるものだと思う。単に問題提起にとどまらず、最後まで興味を失わせないように作られているところも共感できる。
今の生活を変えたかったマリアだが
ここで生きていくことを決めたのか
私はマララは、女の子の教育、自立を語っていたが、火の山のマリアは、そこに性と生がプラスされている
新人監督作品とは思えなかったです❕
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