リリーのすべてのレビュー・感想・評価
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考えさせられた
この作品は愛で溢れていると思いました。様々な壁に当たるもそれを受け入れ乗り越えていく。これがもし自分だったら受け入れられたか、乗り越えて行けたのか、とても複雑でした。最近はジェンダー問題も話題になっているので少しでも多くの方に見て頂きたい。
内容も勿論ですが、エディの演技も素晴らしかったのでそちらにも注目して頂きたいです。
リリー
予告見ずに観たためか、偏見なしで観ることができた。エディ演じるリリーが美しすぎて、この映画を観るまで、広告ポスターの2人はどちらも女だと思っていた。アイナーの妻の気持ちを考えると胸が痛いし、リリーの気持ちも理解できないわけではない。この問題は、今の時代でもまだまだ続いている問題である。わたしはこの映画を観ることができてよかったと思う。
リリーの花は今も多くの人の心の中に咲き続ける
世界で初めて男から女へ性転換手術をした実在の画家の伝記ドラマ。
エディ・レッドメインが再び実在の人物を演じ2年連続アカデミー主演男優賞ノミネート、その妻を演じた新鋭アリシア・ヴィキャンデルが助演女優賞に輝いた話題作。
こういう人とは違う性別の苦悩を持った人物は大抵最初から、自分に違和感があったり、異性より同性に心惹かれるなどの場合がほとんどだが、本作のアイナーは違う。
中盤、幼少時にそんな気質が少なからずあったと告白するが、妻を愛し、SEXもし、ごく普通の男だった。
きっかけは、同じ画家である妻の画のモデルを努めた事。
妻は女性の画を手掛ける事が多く、そのモデルとして度々女性の服を着たり、女性のような仕草をしたり。
時にはサプライズでパーティーに女装して出席したり。
それらがアイナーの中に眠る“女性”を目覚めさせ、いつしかその女性=“リリー”の存在が大きくなっていく…というもの。
変な言い方をすれば、皮肉というか、可笑しな話。
女装していたら、女の子に目覚めちゃいました~!…のだから。
妻の気持ちは複雑だ。殊に本作のゲルダは一層。
夫は昔から内にリリーが居たと言うが、リリーを目覚めさせたのは自分。
自分から夫を奪うリリーを拒絶はするが、嫌いにはなれない。目の前に居るのは夫なのだから。
夫は自分を愛してくれている。
自分も夫を愛している。
が、日に日にリリーとして居る事が多くなり、夫がそこに居るのに、夫に会えない不条理。
夫に会いたい、夫を抱き締めたい、夫を返して!…と“リリー”に不満をぶつけるシーンは胸打った。
夫は夫で苦悩を抱えているが、妻は妻で苦悩を抱えている。
その苦悩を乗り越えるには、受け入れ、理解する事。
よくある“夫を支える妻”に留まらない本作に於けるゲルダの存在は大きい。
元々軟弱そうなエディ・レッドメインだからこそ(失礼!)、本作の役柄はハマった。
女装姿は佐藤かよ級のびっくりするほどの美貌ではないが、仕草も含め、女性の雰囲気を違和感無く魅せる。
そしてやはり、上記の通り、ゲルダ役のアリシア・ヴィキャンデル。
自立性のある意志の強さ、気丈さ、愛らしさ、苦悩に押し潰されそうな弱さも滲ませる名演。
受賞は納得。(一つ解せないのは、何故に主演じゃなく助演??)
歴史モノ続くトム・フーパーが今作でも美術・衣装・映像・音楽など画になる手腕を披露。
トランスジェンダー、性同一性、性転換…性別の悩みは今も多く、時代が進んでもまだ偏見も。
時代設定の1920年代なら尚更。
全く理解されず、異常な精神状態や病気とされた事は劇中でも。
手術技術もまだまだで、命に関わるもの。
リリーとしての時間は短かった。
儚く散ったが、自分が本当の自分で居られた最高の時。支え、受け入れ、理解してくれた人と。
自分を偽らずありのままでいた先人の勇気と理解者の献身は今も、性別の苦悩を抱えた人たちの支えになるだけじゃなく、世の偏見に疑問を投げかけ続ける。
多重人格に思えるリリーのしくみ?
リリーは昔から存在していて女装が切っ掛けで呪縛から解けたかのように全てがリリーに。
リリーは物凄く我儘な少女のように御転婆で女性より女性らしい手の掛かる人だ。
生涯のパートナーと想えた男が生涯の女友達に関係が様変わりする複雑な奥さん。
グザヴィエ・ドランの「わたしはロランス」や「彼は秘密の女ともだち」よりもシビアな内容だけどその二作品よりも胸が熱くなる感動には至らず案外、スムーズに鑑賞。
リリーも含めた主要人物の描写を感情的に深く掘り下げる工夫が欲しかった。
美脚の人
ゲルダの評伝を読むと、映画とかなり違っている。
事実は映画より奇なり、というか、より複雑だ(ゲルタはリリー存命中に他の人と結婚したりしている)。
当人だけでなく、時代背景もアールデコの退廃などもっと色々あったと思う。
事実と違うからダメとかそんな野暮なことが言いたいんじゃなくて、複雑なゲルダ&リリー&時代背景をよくシンプルにまとめたなあと、感心した。
シンプルにしたからこそ、時代の特異性よりも、普遍的な共感が際立ったような気がする。
追:エディ・レッドメイン、脚がきれいだったなあ。あと、ハンス役マティアス・スーナールツ(プーチンに激似)がむちゃくちゃカッコよかった。
苦しすぎる映画!!
エディ・レッドメインの演技は凄いですが、仕草をいくら研究しても女性には見えませんでした。ストーリーは特に盛り上がることもなく、ただただ盛り下がっていき、体を傷つけていくので観ていて苦しくなります。部屋の中でもスーツを着ている姿はキマッていました。男ヴァージョンの方が格好良くて好きです。「善き人のためのソナタ」のセバスチャン・コッホを久しぶりに観ました。
リリーの自己中さに少しイラつきを覚えたものの、トランスジェンダーの...
リリーの自己中さに少しイラつきを覚えたものの、トランスジェンダーの苦悩を赤裸々に描いてあり見応えがありました。
史実として重要
エディレッドメインはやっぱり良い。
だんだん女に見えてくる。
エディの女装がきつい、とかってレビューもあるけど、そりゃ男ですから。そういう話ですから。外見を綺麗につくろうオネエの話ではないですから、そこは勘違いしないでほしいですね。
愛とか云々の難しい話ではなく、
初めて性転換手術をした人の話、
現代みたいな概念が無い時代の話、として見るべきです。
おもしろいです。
思っていたより、やっぱり妻の辛さが、
辛いなぁ、と思いました。
女装はイマイチ、映像美の方を堪能、
これははっきり言って、性同一障害と同性愛の相違点に食い込みたかったのでは?
はっきりいってレッドメインの女装はきついですw
それと包茎のアレをばっちり映すような全裸シーンは無用だった。
劇中にいくつか織り込まれる男同士の同性愛のエピソードも比重が重過ぎた。
女でありたいと願うとともに、女が好きだという話の展開にしていった方が、例えば日本のトランスジェンダーたちにも理解されやすかったのでは。
そんな事より、この監督は画面の構図や背景のシーンに素晴らしいものがある。
子犬の印象付け、木立の情景、オランダの市街地、どれも絵画を見るように美しい。
むしろ次回作に期待。
愛と官能の映画
少なくとも、この映画が「世界で初めて性転換手術を受けた女性(男性)の伝記」ではないことは確かだろう。映画の最後に「多くの史実に基づいてはいるものの、フィクションである」という注釈をつけているからという理由だけでなく、作品を見ればそう確信する。この映画が描こうとしたのは、つまりは女へと変わっていく夫と、それを支えながらも心が複雑に揺れる妻の夫婦愛の物語であり、それと同時に自らの肉体と精神とから薫り立つ「官能」の物語でるからだ。別段、ヌードシーンやラブシーンが多いということではない(主演の二人は脱ぎっぷりの良さを見せてはいるが)。それよりも、夫婦の間に流れる「性」の色、そして自らが他者に対して感じる「性」の匂い、また他者から浴びせられる「性」の求め・・・そういったものが作品全体にわたって霧のように立ち込めているのだ。
アイナーの「女性性の目覚め」を、映画は「官能」に結びつけて描いていく。アイナーが女性性に目覚めれば目覚めるほどに、映画は官能性を増すようだ。ストッキングを滑らせる指の感触、ドレスを撫でる衣擦れの音、目元をなぞるアイラインの筆・・・。すべてが官能的であり、それはそのままアイナーからリリーへの移ろいに直結する。僕はこの映画をLGBT映画としてではなく、官能性をテーマにした映画として、実に愛おしくセクシーだと感じた。その上で、夫婦の深い愛の美しさに感動する。夫が女になっていく様子を、苦しみながら支えようとする妻の苦悩と葛藤。「死が二人別つまで」と誓った愛とはこういうことだ、と言わんばかりに二人の間には常に愛が横たわっている。「性」ももちろん「愛」だが、愛にも様々な形があり、もはや性別さえも関係なく、アイナーとリリーの二人を最後まで愛し続けたゲルダの凛々しさに目を見張る。そしてそれを演じるアリシア・ヴィキャンデルの凛々しさ。「苦悩する妻」という枠で役を捉えることを拒否し、もっと逞しく勇ましく向き合う妻の姿が描かれる。彼女が演じたゲルダは悩むだけの女ではないところが素晴らしい。彼女自身も物語の中心に立ち、自分の人生を動かす人物として役柄が捉えられている。男が自由にふるまい、女が耐える映画だと思ったら大間違い。女はきちんと自分の決断と意志で物語を動かしている。そしてその説得力を裏付けたのがヴィキャンデルの演技であることに他ならないだろう。
エディ・レッドメインの女性性の表現も実に素晴らしい。内から湧き上がる女性としての官能を表現したのはヴィキャンデルではなくレッドメインだ(逆に男性性をヴィキャンデルが表現していた)。見た目の美しさもあるが、所作やその佇まいから官能を表現し、その上で少しも下品さが出ないのはレッドメイン自体の気品と風格の成す業だろう。彼がフルヌードになるシーンがあるが、なぜか実に爽やかだった。
実際のアイナーとゲルダがどうであったかは、映画だけでは知りえない。しかしそれは構わないことだ。この映画は決して伝記映画ではなく、愛と官能の物語だから。当時同性愛が「病気」で「精神疾患」だった時代に、それでも夫の嗜好を信じ、それすらも愛した女の偉大さを見て、思わず涙が出る。空を自由に舞うスカーフの美しさが映画の美しさをそのまま象徴していた。
感情移入しまくり
いろいろ物議を醸しているようですが、最も受け取るべきは普遍的な、愛するって何、ってことだと思いました。
他人を伴侶として愛すこと、自分をかけがえのないものとして愛すこと、もしかしてそれは時に残酷な形で矛盾していくということで、葛藤とか喜びとか、涙なしには見られない作品でした。
久しぶりに嗚咽して泣きました。
愛した人の望みを叶える事が果たして自分を幸せにするのか?
この映画は今から80年前の1930年に世界で最初に女性性転換手術を行ったアイナー・ヴェイナー(リリー)の生涯をモチーフにした物語です。
恋愛ストーリーには『難病もの』というジャンルがあります。
恋愛を阻む障壁として重い病気を設定することで、愛し合う2人の間に障害を作り、その困難を克服する為に努力する姿がドラマを生み出す恋愛ストーリーの定番と言えるジャンルですね。
例えば『セカチュー』や『余命1ヶ月花嫁』とか『電車男』なんかも『オタク』を『病気』として捉えると難病ものの1バリエーションと言うことができますよね。
そういう意味でいうとこの『リリーのすべて』は難病物ジャンルの作品にして、最大最強級の逆境、超ハードモードの作品だと思います。
画家同士の夫婦であるアイナーとゲルダ、
夫アイナーはある出来事を切っ掛けに自分の中にある『女性』に目覚め、実際の自分の性別との違和感に悩む、いわゆる『トランスジェンダー』として、自分の性別の『間違いを正す』ことにその生涯の全てを賭ける事になります。
つまり自分の心(女性)に対して間違っている肉体の器(男性)を正そうとする(性転換手術)ことが、この映画の大きなテーマとなるわけですが…
この肉体的『間違い』を是正する行為が、配偶者ゲルダから見て他の難病(癌や白血病)を克服する事と大きく異なるのは、
その手術に成功する事 = 自分の夫を失う事
になるという、行くも地獄、行かぬも地獄という、葛藤を産むわけです…
劇中でも最初は遠慮がちに女装をしていたアイナー(リリー)も、その本心をオープンにしてからは立ち振る舞いがどんどんと女性化してゆき(エディ・レッドメインの演技が素晴らしい!)
夫の幸せを思って支えていた筈の行いが、どんどんゲルダから夫を遠ざけてゆく辛さ…
だって彼女の愛した「夫』の存在が 彼にとっては唾棄すべき『間違い』なのですから…
自分の望みを叶えるべく、どんどん女と化してゆくアイナー(リリー)の身勝手さと、愛する夫の思いを叶える事が自分から夫を遠ざけてゆくゲルダの葛藤
2人の思いのすれ違いがもう、見てて辛い…辛い…
かって2人が愛し合ったベッドの上で交わされる会話
リリー『 いずれ結婚したい 』
ゲルダ『 私達、ついこの間まで結婚していたのよ 』
2人の間に引かれたカーテンがアイナーとゲルダが既に夫婦として愛し合う事ができなくなってしまっている事を象徴していてもの凄く悲しいシーンでした。
前しか向いていないリリー
諦めとも後悔とも言えない表情のケイト
2人の対比に胸が締め付けられます。
そして、すれ違いながら
たどり着いた2人の物語の終幕…
リリーの望みは叶えられたのか?
その結果、ケイトは何を得たのか?
答えは風の中…
空に舞うスカーフのように
地に落ちることもなく
誰にもとらえることなどできない…
そんな
美しく悲しいラブストーリーでした。
美しい映画
性別が変わっても変わらず愛し続けることができるのが本物なのだろうか。少なくとも今の私にはできないことだ。
衣装も風景も美しく最初から最後まで飽きることなく鑑賞できた。
妻は健康的なかわいらしさがあり、夫は哀しさを増すごとに美しくなっていったのが印象的だった。
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