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仕掛けの多い映画だった。
仕掛けは、語弊があるか…。
5本のオムニバスなのだけど、作品の全てに監督の手が入っている感じ。
脚本家の思惑を越えてなのか…その思惑を増幅してなのか。
それは小道具にも及ぶし、衣装にも反映されていたり、はたまたアングルや編集や。
あの手この手を使って、作品の世界観を引きずりだす。役者陣が力の抜けた演技をするので、こちらもボーっとしがちだが、しっかりアンテナ張っとかないとケムに巻かれる。
それぞれの作品にしたって、1から10までを丁寧に描いてるわけじゃなく、3689とか、158とか、抜粋して構成してるような感じで、それがかえって、箱庭ではなく延々と広がる世界を想起させる。
言葉を変えれば、昨今では珍しく不親切な作品なのだ。
ただ、そおいう散りばめられたパーツを使ってそれぞれが補完していくべき作品なのかも。
つまりは、作品+観客の人生で、初めて完成するような作品。
例えば
「初恋」のヒロインが着ているワンピースが、まるで金魚のように見える。
それが何を意味するのか?
作品中のヒントで推察するもよし、個人の直感を信じるも良し。
観客それぞれが違った答えを導き出せる。
大体にして、あのワンピースが監督発信なのか分からないし、逆に意味などないのかもしれない。ただ、作品にはそこに意味を持たせられるような色々な部品が作為をもって散りばめられてある。
かなーり手練れな印象、である。
穏和な暴君というフレーズを進呈したい。
この監督とどのタイミングで出会うのかが、かなり重要なようにも思え…琴線を揺さぶられるタイミングで出会った人や、それに呼応する感性の観客たちは、ガッツリと矢崎ワールドの虜になるのだろうと思う。
そして、その波長が合えば、何回も観る事になるのであろう。何回観ても、新しい発見があったりするのだろう。
噛めば噛むほど味わい深くなる作品。
緻密な迷路、もしくは、底無しのヒラメキとも思える。
題名である「Kiss」の印象は、朧げなモノを繋ぎ止めるような印象を受けた。
手を繋ぐって行為にも、意思は反映されはするのだが、接吻の方がより明確な意思が必要だと思う。
おそらくならKissもSEXも意味合い的には大差がなく、発信される根源は同一のように感じた。