あの頃エッフェル塔の下でのレビュー・感想・評価
全9件を表示
神田川だなぁ・・・
パリなら、エッフェル塔の見える狭い屋根裏部屋。
東京なら、ズバリ神田川を見下ろす小さな下宿だろう。
女を愛しながら 猛烈に勉強もするあの頃の若者たちのララバイだった。
そして、あの日々の思い出をイジイジと今も引きずるってところだよねー。これってあの70年代を生きた人間たちの共通性なのかも知れないです、
かぐや姫ワールドです。
前半は、ラブストーリーのつもりでレンタルしたのにスパイ物を借りてしまったのか ??と面喰らった展開。
旧ソ連への潜入と旅券譲渡の後始末で、どうなる事かと思った。
でも、
「あの頃の自分」と「現在の自分」と、2つのポールのどっちが本物なのか、つながっているのか別物なのか。自分でもわからなくなるって象徴的なエピソードだったわけだ。
"分身"は死んだことを告げられて「自分の死亡報告書」を手に取るポール。刺さるシーン。
「あの頃のきみはもう死んだんだよね?」と、いきなり観賞者に差し向けられる問い。
フランス人も、こんなウェットな映画作るとは知らなかったわ。
------------
で、
唐突に自分語りをしますが-
僕も若い頃、いろいろ挫折して、嫁と子供を残してエッフェル塔に登りに行きました。
学生結婚だったな。
一緒にギリシャ語を勉強したのも映画と同じで(驚)。
塔の上からパリの煤気た象牙色の街並みを見渡して、そして手すりに寄りかかって真下を見下ろしたら、はるか遠くの緑の芝生に
Je t'aime Marie
と。芝生を靴で削って書いたのか、下手くそな大きな文字が読めた。
誰かがここでサプライズの告白したのね・・・
微笑ましくって、そこで日本の連れ合いへの絵はがきを書いた。彼女のあだ名もマリーだったのです。
・・・後年別れたけれど。
うひゃー!!
おいらも モロ「神田川」やってるし。
振り返ることで見つかるその時には気づかなかった事
美しくて知的。
そして俳優たちがまた良いね👍
観ているこっちもエステルの魅力に翻弄されてしまった。
最後のシーンが素敵。
人生に一度はあんな女性に出会いたい。
あの頃はあの頃。
若気の至りとはよくいったもので、過去の恋愛の狂気性とか
無秩序とか破壊力とか自己中心的な身勝手さなどと色々ある。
それを懐かしむだけならいいのだが、グダグダネチネチ現在
に至るまでそういう執着を持つことはいかに気持ちが悪いか。
そんなカタチで衝撃のラストを観たのだが、ハッキリいって
そこまでのいかにもおフランス(ヌーヴェルバーグ調の)映画
男女遠距離性愛倒錯劇の方もかなり長く感じる。インテリ性
に満ち溢れた手紙の文面といい、まだ中身も分からないのに
語るよな~コイツら^^;とやや笑ってしまう。そこは面白い。
ただ結局やってることは、くっ付いたり離れたりの繰り返し、
段々こちらも疲れてくるのだ。あーあーまたやってる(爆)と。
バカバカしいほどのめり込んだその相手が今どんな風になり
どんな生活をしているのかまでは追いかけないところなんて
自分の想いに酔っていただけじゃないかと突っ込みたくなる。
あの頃エッフェル塔の下で恋愛した過去は汚したくないのね。
少々バランスを欠く我が青春の三つの思い出
外交官のポール・デダリュス(マチュー・アマルリック)は永年の海外生活を終えて久しぶりに故郷のフランスへ戻ることとなった。
現地の愛人に別れをつげて帰国したはいいが、パスポートに不備があるとの理由から入国管理官に留められてしまう。
取調官(アンドレ・デュソリエ)に詰問されることで、大学生時代にソ連でパスポートを他人に渡したことを思い出した・・・といったハナシ。
原題は「Trois Souvenirs de Ma Jeunesse」、わが青春の三つの思い出。
タイトルどおり、少年時代、ソ連での非合法事件、三歳年下の女性エステルとの甘美で切ない恋愛模様、の三つが章となって展開していきます。
日本題の『あの頃エッフェル塔の下で』は第三部エステルを全面に押し出したもの。
田舎町ルーベを離れてパリで暮らすポール(カンタン・ドルメール)とエステル(ルー・ロワ=ルコリネ)の恋は、距離的ハンデキャップを許容しても、幼く未熟な恋。
互いが互いを必要としていながら、物理的に離れているがゆえに、かえって相手を束縛し、寂しさから裏切っていく。
振り返ると、青春時代の恋愛は甘美で美しいといわんばかりの映像表現で、特に互いにやり取りする手紙をモノローグで語るさまを正面から撮るという超絶主観的追想映像で綴る語り口は、ほれぼれしてしまう。
しかしながら、全体としては、すこぶるバランスが悪い。
母親を懼れていた少年時代や、ふとした経緯でパスポートの書面上とはいえ分身を生み出したソ連への冒険譚の尺が短く、恋愛譚と上手く融合してこない。
そこへ持ってきて、先の二つのエピソードでは、回想する端々でアイリスインやアイリスアウトを多用して、ポールの想いの重さを曖昧にしており、観ている方としては甚だ居心地が悪い。
三つのエピソードの後に語られるエピローグも、エステルを寝取った旧友との再会を描いているが、パスポート問題で突然思い出したような甘美な過去を穢されて憤慨するというだけなので、これもまた観客側からは甚だ未熟で身勝手にしか見えない。
まぁ、その後、過去の残滓がポールに降りかかる幻視のようなシーンがあるので、甘美な過去は過去、いまのお前は虚しい、といっているようにも思えるのだけれど。
全体的には、やはりバランスが悪いという印象は変わらない。
たぶんに、デプレシャン監督が物語を語るには、2時間という尺は短いのだろうと思う。
初恋、遠距離、過ぎて行く時間
誰かを想う事が人を愛することであるとするならば、今作のアプローチは見事に的を得ている。遠く離れた恋人を想い、手紙を綴る。メールやSNSが当たり前の昨今において、1980年代の恋人たちのやりとりは、すぐに会えぬ愛しい人への思いをより深いものとして観客に提示する。
受け取った手紙を読むその演出は半ば妄想の世界だ。時には色鮮やかな木々の中で、時には鈍色の空の下で恋人が言葉を読み上げる。フランスという異国感も相まって、それらのシーンに時折ハッとさせれる。
物語は回想劇だ。ひとりの男が初恋相手を思い出す。遠距離となった2人の恋がどのような結末を迎えるのかを想像するのは難しいことではない。一途な恋を好む私にとっては、中盤の展開には共感し難い点はあったものの、過ぎた時間は戻らないという現実と愛した時間は消え去らないという“愛の不変さ”が映し出されるラストシーンにこの作品の核心を垣間見た気がした。
遠距離恋愛の若き恋人たち
若さ故の
純粋さや傲慢さ、弱さや危うさが
淡々と、拍子抜けするほど淡々と
描かれていきます。
ほんとに淡々としてるから
残念なことにその温度を
受けとめられなかったです。
常に、幸福感ではなく
終末感が漂ってるように感じたのは
気のせいだったんでしょうか…
時代的にもっと共感できるかと思ってたが
フランスと日本では
何分隔たりがあるようで。
全9件を表示