顔のないヒトラーたち
劇場公開日 2015年10月3日
解説
ドイツ人のナチスドイツに対する歴史認識を大きく変えたとされる1963年のアウシュビッツ裁判を題材に、真実を求めて奔走する若き検事の闘いを描いたドラマ。1958年、フランクフルト。終戦から10年以上が過ぎ、西ドイツでは多くの人々が戦争の記憶を忘れかけていた。そんな折、かつてアウシュビッツ強制収容所で親衛隊員だった男が、規則に違反して教師になっていることが判明する。新米検事のヨハンは、上司の制止も顧みずジャーナリストのグルニカやユダヤ人のシモンと共に調査を開始。様々な圧力にさらされながらも、収容所を生き延びた人々の証言や実証をもとに、ナチスドイツが犯した罪を明らかにしていく。主演は「ゲーテの恋 君に捧ぐ『若きウェルテルの悩み』」のアレクサンダー・フェーリング。共演に「ハンナ・アーレント」のフリーデリーケ・ベヒト。
2014年製作/123分/PG12/ドイツ
原題:Im Labyrinth des Schweigens
配給:アットエンタテインメント
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自国の過去を追求し正義がなんであるか迷いながら回答を見つけた検事の記録
2021年8月10日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:VOD
2020年2月24日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:VOD
まず、ドイツ軍がユダヤ人に行ったことについて1968年まで世間に知られていなかったことが驚きでした。そのような事実を世界の人は知らなかったということに。そして、検事の人があなたは今教師をやっていますね?今の生徒達に自分が人を殺していたということを言えるのか?人を殺していた人が生徒に教育しているのですか?と昔収容所でユダヤ人を殺してたドイツ人に対して言っている所にすごく衝撃を受けました。そのような人も戦争が終わってからもずっと普通に生活をしているという事実に。もっと恋愛要素ではなく、そのような事実について詳しく描けばわかりやすいのになと思いました。
2018年3月12日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル
相次ぐヒトラー映画。ドイツ本国では氾濫するヒトラーものをどのように受け止めているのだろう。
常に自戒の念を呼び起こされるのか、自分とは関係のない遠い過去のものとして捉えるのかー―この映画の若者たちのように。
ドイツ国内で、ナチスの行ったことがこんなにすぐ風化してしまっていたことに驚いた。日本では日本国民を鼓舞するために、軍部の行った非道を寧ろ喧伝していた歴史があるが、ドイツでは違ったということだろうか。
戦争下では残虐の限りを尽くした人間が、平和になった街角でパンを売っている。この矛盾。
主人公の行おうとしていることは、自分等国民のために戦った同胞を、非難し貶める行為でもある。故に反発を招く。
確かに戦争という常軌を逸した条件下で、何が正気で正義であったかを個人に問いただすのは見当違いなのかもしれない。
しかし個人の罪を問うことで、戦争下の人間がいかに非道になりうるかを世間に知らしめ、それにより戦争の抑止力とすることはできるのだと思う。
映画では人体実験を積極的に行った医師を、捕まえるべき最大の悪として描かれるが、逮捕されたのはほぼ一般市民だ。
この題材、同じドイツのベストセラー【朗読者】を思い出した。
主人公が思いを寄せた年上の女性も、同じように裁判にかけられた。
その時、彼女は言った。
「一体どうすればよかったんですか」
私も同じ立場だったら惑うだろう。
軍に逆らい自分の命を危うくしてまで、ちっぽけな正義を貫けるのかと。縁もゆかりもない人間に情けをかけることによって、家族や自分の安全を差し出せるのか、と。
たまたま生きている時代に戦争が起きて、たまたま敵をいたぶってしまった「元々は罪のない」個人を糾弾してどうするのですか、と。言ってしまうかもしれない。
結局、戦争で一番矛盾を抱えて苦しむのは、戦争を始めた国家ではなく、戦争をさせられた一般市民。
自分だったら…と、自問し続けた二時間だった。
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