モヒカン故郷に帰る : 映画評論・批評
2016年4月5日更新
2016年4月9日よりテアトル新宿ほかにてロードショー
破天荒なキャラと笑いに導かれ辿り着いた、宝石のような家族の肖像
人生は喜劇だ。どんな些細な瞬間にだってほのかな笑いがあり、やがてその集積は抱きしめたいほどの愛おしさへ変わっていく。そして多くの名作がそうであるように、沖田修一監督の奏でる喜劇はいつも、観客を笑わせ、と同時に、知らないうちになぜか涙を止まらなくさせる。
その持ち味は今回も存分に受け継がれた。木下惠介監督の名作「カルメン故郷に帰る」(51)を彷彿させるタイトルだが、リメイクなどではない。主人公がストリッパーだった木下作品に比べ、本作ではデスメタル・バンドのボーカル(松田龍平)が主役。ステージ上で重低音のうなり声を響かせる彼は、恋人の妊娠を機に7年ぶりの帰郷を決意する。もちろん、トレードマークのモヒカン姿そのままで--。
いや、正直言うとモヒカンやデスメタルを歌う松田の姿はまだ序の口だった。むしろ驚くべきは故郷の面々。瀬戸内海に浮かぶ島で待ち構える父(柄本明)はあまりに熱烈な矢沢永吉ファンだし、母(もたいまさこ)は常に観音様のような細目で家族を愛で包み込む。この父母の絶妙な掛け合いに松田の朴訥なリズムが加わると、日常感に根ざした彼らの空気は地元エキストラとの境界線すら見事に霧消させ、そこにリアリティの極地ながらも、言うなれば天国のような可笑しみに満ちたワールドが生まれる。
だが、ここからが沖田監督の真骨頂だ。彼は喜劇が喜劇であるための塩加減を忘れない。やがて判明する父の病気。死と向き合わざるをえなくなる家族。それでも決して叙情的な音楽は流れないし、物語も決して予定調和には陥らない。むしろ悲しみが重くのしかかりそうな場面ほど破天荒な笑いが降って湧き、映画はより自由に、柔らかく、その羽根を広げていく。
とくに白眉なのは、盆と正月がいっぺんに訪れたかのようなクライマックスだろう。まさに人生の縮図を思わせる神がかり的な瞬間の連続で、柄本の仰天演技に思わず卒倒しそうになる。観客は笑って泣いて、もう大忙し。上映中すっかりグシャグシャとなった顔は誰にも見せられまいが、かくも形容しようのない我々の表情こそ、本作の唯一無二の魅力を物語る証と言えそうだ。人生万歳。大切な人々よ、ありがとう。そんな想いが次から次へと溢れて止まらない。終映後もずっと心の奥を暖かく照らし続ける名作が、またもこの監督の手のひらから誕生した。
(牛津厚信)