64 ロクヨン 後編のレビュー・感想・評価
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まるでヤクザな東京のマスコミが怖すぎる
映画館では2016年6月20日地元のイオンシネマで鑑賞
それ以来2度目の鑑賞
原作未読
丸腰デパートといってもどうやら舞台は群馬のようだ
後編も豪華な顔ぶれ
狂言誘拐
犯人は後編の早い段階でわかってしまう
推理物ではない
結局三上夫妻の娘は帰ってこなかったけど思わせぶりな公衆電話からの着信はもしかして?
主演の佐藤浩市以外では永瀬正敏と吉岡秀隆と緒形直人が良かった
「映画史に残る傑作の誕生」「慟哭の結末を見逃すな」という謳い文句を読むとそれは違うなと思うけど決して駄作なわけがない
やっぱり海外作品より日本映画の方が好き
韓国やハリウッドで同じ内容ならあまり楽しめない
全体的にいえば日本の俳優の方が自分に向いている
不完全燃焼な終わり方。整理つかず。
前にちょっと見た事あったけど、後編の後半をたぶん見ていなかった。
前にみた記憶だと、雨宮と幸田の共謀で目崎を同じ思いにさせるため誘拐し、最後に広場で雨宮と対峙し、目崎が捕まって終わりみたいなイメージで覚えていた。
とんだ勘違いで、目崎は事情聴取を受けるが否認し、警察は腰抜けでなんと釈放してしまう。ここは、本当においおいまじかよと思いましたよ。信じられない。
そして、佐藤浩市がなぜ釈放したのかと抗議すると、もうあの事件は終わりみたいな事を言い出す警察の偉いやつ(奥田瑛二)の言葉に絶句。
その後の展開
佐藤浩市が、電話ボックスから、何を思ったかふいに目崎に電話してみたことから、小さい娘が行方をくらましていることを知る。雨宮の自宅裏??に行くと目崎の娘が居て、お父さんは悪いことしたの?と佐藤浩市に聞く。
佐藤浩市は、目崎に電話して、娘は、小さな棺の中にいると言うと、目崎は64年に自分が幼女を殺害した現場と同じ場所に行き、車のトランクを開けようとする。
待ち伏せた佐藤浩市と対峙。
取っ組み合いになる。
なぜ小さな棺がこの場所とわかった?
佐藤浩市が問いただす。
とうとう自白する。
このシーンは壮絶だった。
警察も目崎を追跡してきて再び、取り押さえる。佐藤浩市も暴行で連行。
そして一部始終を娘は見ていた。
悲劇である。
娘は泣き叫ぶ。来るなと叫ぶ目崎。
その後、あいまいな描写が進み、目崎が
自白をしっかりしたのか、証拠も揃って逮捕されたのかよくわからない。
そこらあたりの曖昧さが不完全燃焼で不満である。普通に考えて娘にまで目撃されてなお、しらを切るとは考えられないんだが、しっかり目崎の逮捕が見たかった。
しかし意外だった。幸田が雨宮と共謀するとこまでは予想できたが、成り行きとはいえ、佐藤浩市が、誘拐のようなかたちで、脅し、自ら、目崎を自白させるとは。
しかし佐藤浩市がやらなければ、犯人逮捕にならなかっただろう。そういう流れだ。本当にここに出てくる警察がダメダメなんである。
佐藤浩市は自分が一番辛さがわかるはずなのに、自分は目崎の妻や娘を傷つけてしまったと話すシーンがあるんだが、どこまでもいい人すぎる。
最後に、どんどん焼きのお祭りで、雨宮と佐藤浩市が再会。雨宮は明日に出頭しますと言う。まあしかし、雨宮と幸田は誘拐の偽装をして、二千万円を燃やさせたくらいだ。誰も殺してない。たいした罪じゃないだろ。
一時、雨宮は幼女を誘拐したが、自分の娘を思い出し、泣きながら家に返した。そうだ。雨宮は、自分のされて、地獄を見たそんな哀しみを、犯人の娘とはいえ、何の罪もない娘にすることなどできないのだ。
目崎は雨宮の娘を殺したが、なぜ殺す必要があっただろうか。佐藤浩市が聞くと、目崎はなぜ殺したかなんてわからない!と言っていたが納得できないよ。
あと捜査の車のなかで、娘がいない時間がどれだけ辛いものなのか、わからないのか!と佐藤浩市が叫ぶシーンがあり印象的だった。
あと、前後するが、永瀬正敏が電話帳をすべてかけていき、声を探し続けたその思いと執念、年月は壮絶すきる。永瀬正敏はいい演技をしていた。
誘拐殺人、この犯罪は本当に許せない。
そんな苦しみを味わった被害者を救おうともせず、警察組織の失態の隠蔽しか考えていない警察は、どうしょうもないなと思ってしまう、残念ながら、そんな映画になります。しかし警察でも政治家でも企業でも不正や隠蔽などはつきもので、正義なんてものはなかなか通用しない世の中であることはリアルな事実ではないのかなと。
いろいろな思いが整理つかない。
佐藤浩市はいい演技した。
それは間違いない。
他の人のレビューに佐藤浩市が暴走だとか広報官の仕事でないとかあるんだけど、僕には意外でもあったが、警察のあの捜査みたら、映画の成り行き上それは必然だろうという気がしたけれど。そうじゃなきゃ気持ちが収まらない。
まあ長編前後作で大作ではありますよ。
もう少し評価高くていいと思う。
もう一度見たいが、長い。
後編では、ついに殺人事件の犯人が明らかになる。
映画の中の警察を見ていると、なんだかガッカリしてしまう。
自分の名誉のため、もうすぐ定年だから波風たてたくない。そんな想いのある警官がたくさんいて、それを変えるのが主人公。
けど、三上も娘のことがなかったら
あそこまでなれなかったのでは?とも思う。
警察は当てにならないと事件当時に悟った
雨宮は自らの手で犯人を探した。
自分の娘を奪った犯人を、あの時に聞いた声を
たよりに電話帳のあ行から一件ずつかけて…
娘への愛、犯人を許さないという強い気持ちが
そこまでさせたのだろう。
前編に「無言電話」や雨宮が電話帳をさっと
隠すような仕草をしていた場面は伏線だったのだろう。とにかくもう一度見たいのだが、
なかなか長いので悩む。笑
俳優陣が豪華なのも、良かった。
タイトルなし(ネタバレ)
前編からの謎や伏線、
小さな出来事が事件につながっていたことが
判明していって
事件の犯人、背景が明らかになり
64事件の被害者父の雨宮の
64事件から抱えていた心の傷と
64模倣事件へ、そして目崎が身柄確保され
最後、亡き娘・妻へ思い続けていた気持ちと共に
娘を改めて弔、止めていた時間の歩みを
また動かし始めていくという心情のあゆみが
叙情的でした。
また他にも64事件で
時間がとまっていた、心にしこりのあった人たちの心が
64事件から解放される様がまた
叙情的でした。
原作未読
原作未読、ドラマ版も観ていないと理解できない部分が多く重要なところを見逃したのかと二回観てしまいました。
特に幸田メモ。
そして目崎の次女と雨宮の関係
なぜ幸田が誘拐騒ぎを起こすのか。
そして雨宮が自首します、と言うところ。
謎のままなのでネットで調べると原作には書いてあったけど映画ではわからないことばかり。
原作を読んでる人に向けた映画なの??
緒方直人、永瀬の演技は素晴らしいが
仲村トオルや榮倉奈々など残念な演技が目立つ
綾野剛も勿体ないなぁ。
ドラマ版、レンタルできたら観たい^_^
ん〜、腑に落ちない終わり方。 あっけないというか誰も幸せではない。...
ん〜、腑に落ちない終わり方。
あっけないというか誰も幸せではない。
表面的な事は解決したが各々の根本的な問題は解決していないような。
そして主要人物達は大半が子供や家族と最終的に離れている。
事件は解決したがこれで皆が幸せなのかは別問題。
ハッピーエンドのようで全然ハッピーではない。
つまらなくもなかったがこれで終わりでいいのかと疑問が残った。
キャストは豪華だし実力派多くてとても良かった。
執念がすごい
【前後編で4時間を飽きることなく一気に見せる重厚な作品を構築した瀬々敬久監督の力量に敬服した作品】
瀬々敬久監督描く重厚なサスペンスフルな邦画の後編。
映画館でないと感じられないカタルシスを体験できたことに感謝。(前編に引き続き)と当時の感想メモにあるが、今記憶を蘇らせてもその思いは強い。
今作では、犯人が明らかになるが、観るべき点はその他にも多々あり。
個人的には、娘(三上あゆみ:芳根京子)が失踪状態にある三上(佐藤浩一)と幼き娘を理不尽に殺害された雨宮(永瀬正敏)が初めて対峙する場面が印象的であった。
又、事件当時あるミスをして、それ以来引き籠っている元ロクヨン自宅班の日吉(窪田正孝)とその母雅恵(烏丸せつこ)の姿や、
只一人、犯人の声を直接聴いた雨宮が、公衆電話から14年間休むことなく電話を掛け続け、漸く犯人の声(と、思われる男)の声を聴いた際の公衆電話ボックス内で崩れ落ちる姿と表情は鑑賞以来、3年半が経っても未だに覚えている程、インパクトのある場面及び役者さん達の渾身の演技であった。
<これ程多くの実力派俳優が集結し、複雑な人間関係をサスペンスフルに描く邦画は今後上映されることはないのではないかと思った程、見応えの有る前後編作であった>
<2016年6月11日 劇場にて鑑賞>
被害者遺族父親の執念のお話
この映画を企画前の段階に引きずり戻す! って、できたらいいなあ。
永瀬氏と緒形氏には賞をあげたいほど、震える演技を見せてくれたけれど。
あれ? 何故か、ドキドキハラハラしない…
前編と変わらず、役者の演技は良い。だのに何故???( ゚Д゚)
サスペンスと言うより人間ドラマ。
それはそれで堪能できるはずなのに…なんか違う…。響いてこない('_')。
なんでこんな映画に…。責任者出てこ~い!!!
(原作未読。TVドラマ未鑑賞。なので映画だけの評価)
前編を鑑賞して「久々に”映画”を見た手ごたえ。満足」と絶賛させていただいた。
けれど、後編は2時間ドラマになっちゃった(´;ω;`)ウゥゥ。
前編でも、説明が足りないシーンもあるし、反対にちょっと間延びした感があるシーンもあった。けれど、全体的にはぐいぐい押してくるようなショットの連続だったのに、
後編はものすごく間延びした感じ。どうでもいいことが手厚く描かれ、私が描いてほしい心理状態はお座なり…。なんか、のびてふやけた饂飩のよう…ふにゃふにゃ…。
緒形氏が、永瀬氏が、佐藤氏が渾身の演技をしているにも関わらず…。
64の事件と、今起こっている事件ともっとフーガのようにシンクロしてもいいのに。その部分を表現する演出が弱い。松岡の言葉が活きていない。言葉だけでシーンとしては流れちゃった…。
もっと手に汗握る緊張感があっていいはずなのに、人間ドラマの緊迫感もない。三上の感情に流された振る舞いで、ヒーロー物?という展開に興ざめする。
特に、声高に言いたいのはあの次女のくだり必要だった?
映画の総てをぶち壊すエピソード。人情物をやっているのに、子どものトラウマは気にしない?子どもを使って、”泣き”を取ろうだなんて。原作にない、改悪したエピソードと聞く。TV系映画の浅はかさを露呈。
なぜ、この映画において「64」なんだろう。
「64」である意味は何なんだろう。
この映画を見る限り、未解決の誘拐事件であれば、別に、昭和と平成の狭間に起こった事件である必要はない。
「昭和に引きずり戻す」っていう予告でも流れたあのフレーズ。
永瀬氏と緒形氏の演技は、あの事件の時にとらわれざるを得なかった人の気持ちや、瞬時にあの事件の時に呼び戻された瞬間をとらえていて唸ったけれど…。あの時にとらわれてしまった吉岡氏、窪田氏も善戦していたけれど、編集が…。
でも、それだって、事件が起こった”時”であればよくて、別に”昭和と平成”
の狭間である必要はない。
他の人に関しても、それぞれの”昭和と平成の間”が見えないし、”昭和と平成”の間を生きている人、”昭和”にとらわれている人、そんなの関係なく”平成”に生きている人が、交錯しておらずにすべてバラバラ。
ドラマを描きたかったのかもしれないけれど、膨大な情報量に埋もれて、”人”が描かれていないから、すべての行動が唐突か、蛇足。
それでも、緒形氏がある部屋でぽつねんと背中丸めて座っているショット。その佇まいでいろいろなものを語る演技。それには胸の奥底が慟哭したくなるほど揺さぶられた。
でも、その余韻に浸る間もなく、どうでもいい感傷的なシーンがこれでもかと繰り広げられる。
監督はこういうのを人間ドラマと思っているのか?
犯人が過去に行ったある行為に対して、何故やったのか、わからないというシーン。
犯人がそのように言う心情を丁寧に綴っていたらさぞかし見応えあるものになったと思うのに…。演じる方があれだけの演技を見せてくれているのだし。
タイムマシンに乗って”あの”時に戻ったら、きっと自分を止めていただろう。なんでやっちまったのか、自失茫然。今の自分からは、あの時の自分が、自分自身が一番わからない。視野狭窄。でも、今の家族を守るためにも、家族から軽蔑されないためにも、捕まるわけにはいかない。「今の生活を守らなければ」そんな狂気と後悔。役者の演技はそういう風に語りかけてくれるけど、演出があまりにも唐突で「はあ?」という感じにしか見えないのが口惜しい。編集のせい?
だのに、その後につづく人情物のような展開…。こっちは語りすぎ。
どんと焼のシーンも冗長。三上と雨宮の会釈のシーンだけでも伝わるものはあると思うけどなあ。永瀬氏と佐藤氏と夏川さんの演技なら。
さらに醜悪なのが、荒木田と松岡の場面。爺さんの茶呑み話のようだった。荒木田がここでも憎々しげにしてくれたら違う印象なのに…。ここも奥田氏の目の演技だけのワンショットでも見せられると思うけどなあ。
そう、前編で悪役を演じきった方々の存在感も薄い。
キャリア組とそれ以外の人々との確執、刑事部と警務部の確執、広報室と記者達の確執。
前編では、誰が味方で誰が敵?と言う中で育まれる信頼感が温かかったのに、後編では茶番劇みたいなシーンで終わり。柄本氏はよかったけど、信頼感を感じる場面にはならなかった。広報部の面々は置いてけぼり…。
代わりに本社の記者たちがぐいぐい攻める。
本社と支社の軋轢を表現したのだろうけれど…。
ま、組織なんてあんなもんだ。とはいえ、前編に比べて雑。
マスコミも相変わらずがなりたてるだけ。足で稼いでいる姿で警察とのバトルを見せてほしかった。餌待っている雛鳥か?
それでも、上述の緒形氏のように、役者の演技はいい。
三浦氏演じる捜査一課長松岡、役徳。カッコ良かったでんなあ。あんな上司がいたら一生ついていく。
仲村氏と窪田氏は、あの程度の出番じゃかわいそう。
仲村氏演じる調査官ニ渡「俺なりに戦っているんだ」いや、台詞で言われても…。場面で見せてほしかったなあ。
窪田氏演じる日吉。一場面で魅せきるけれど、あれだけの場面って勿体なさすぎ。
柄本氏演じる捜査二課長落合。
前編で描かれていた内部の確執。後編のあれだけではなんだかわからない。捜査二課長がキャリア組で”使えない奴”の象徴として出ているらしいのだが、課が違うのだから事件についてわかっていないの当然だし。そもそも課が違う課長が出てこざるを得なかった過程が描かれていないから映画を見ている私も狐につままれたよう。鑑賞後に振り返れば、警察の内部事情ねとは思うものの…。
それでも、落合だけを見れば、いやあ、頑張った。品の良い世間知らずの若者なりに、根性見せてくれた。座布団10枚!柄本氏って、癖の強い役とか下町から這い上がるような役のイメージだったから、こんなキャリア組が新鮮だった。後編でのMVPの一人。
佐藤氏演じる三上、永瀬氏演じる雨宮、緒形氏演じる目崎。
もうこの三人だけにフィーチャーしてもよかったんじゃないかと思うほどの演技を見せつける。もっとこの部分だけに絞ったらもっと観応え有ったと思う。
特に、永瀬氏と緒形氏は、あれだけの部分でも、受賞させたいくらいに鳥肌ものの演技をしている。なのに、脚本と演出・編集が殺しちゃっている(´;ω;`)ウゥゥ。
他にも夏川さん、烏丸さん、女性陣もいい。
これだけの役者を集めたのに、活かし切れていない。
でも、どんなに演技が良くても、演出・映画が良くないとこうなるのか…。
何がしたかったのか。
監督が思う人間ドラマと私が思う人間ドラマが違うのかもしれない。
でも、前編では魅せられた。
なのに、後編では人物が描かれていない。心理状態が描かれていない。
刑事ものやヒーロー物でよく出てくるようなわかり易い言葉を主人公が喚き散らせば、人間ドラマになると思っているのだろうか?
制作陣は、この原作のどこに惚れて、どこを描きたくて、この映画を作ることにしたのだろう?
原作者の反対を押し切ってまで、描きたかったのは何なんだ。
この浪花節を描きたかったのなら、
前編でも、後編でも執拗に繰り返され、かなりの時間を割かれている、記者たちとの攻防は何だったのか。
前編で嫌というほど見せつけてくれたキャリア組とノンキャリ組との軋轢は何だったのか。
相手の行動を責めれば、正義感になった気分になれて、いい人になれた気がして気持ちがいいのかもしれないけれど、人間そんな単純じゃない。
鬼子母神の例もある。
法の秩序を守り、人々を守るべく身を粉にして働いている人だって、その尊い思いと同時に、自分の進退・出世を計算しながら動く面もある。
そのことを行ったときの自分と、今の自分と違う。あんなことをしてしまった自分を、今の自分が見て、「なんであんなことしてしまったんだろう」と後悔とともに、あの時の自分をわからなくなることだって、誰にだってある。
そんな割り切れない、あるいは自分でも自覚できない思いを抱えながら、ふと出てきた思いや行動に自らびっくりして、折り合いをつけながら生きていくのが人間だろう。
それを、正義面したヒーローが…というのは、あまりにも一面的すぎないか。カタルシスは得られるかもしれないが、人を描くドラマとしてはどうなんだろう。
この原作のドラマ版は、原作に忠実に作っても、なお、傑作と評判が高いのになぜ作り替える必要があったのだろうか。
作り替えるのなら、原作を超える気概を持って欲しかった。
さんざ、振り回されて、たくさん張られた網や糸は縒り合されず、織り上げられず、捨て置かれたまんま。
だったら、はじめから三上の活躍物語として描いてくれれば、こちらもすっきりしたのに。
後編だけをTV特番で見たら「おもしろかった」になるのだろうが、
前編の良さに、
誇大広告に、
期待度UPして見ただけに、がっかり。
「映画史に残る前後編2部作の感動巨編」といただいたフライヤーにあるけれど、
私にとっては「映画史に残る前後編2部作の落差」だな。
監督と脚本には☆なしだけど、役者がすこぶるいいので☆2。
(2025.9.29訂正)
信念を胸に生きること
"64‐ロクヨン‐" 二部作第2部。
原作は既読、NHKの連ドラ版は視聴済みです。
前編で登場人物の想いや背景を描き切っていたからこそ、ロクヨンの模倣事件が勃発する本作のスリリングさと、全ての伏線が集約した慟哭の結末に向けてのノンストップ感が活きて来るんだと、二部作ならではの構成に舌を巻きました。
組織や立場に翻弄された三上の苦闘は、かなりの痛みと苦さを伴った結末を迎えました。己の信念のままに行動した彼の姿に胸を打たれました。行方不明になった娘の件は解決してはいませんが、決して希望が消えたわけではない。妻と共に未来へ踏み出したラスト・シーンが印象的でした。
[余談]
永瀬正敏の演技に心を奪われました。
連ドラ版の段田安則もかなりいい演技を見せていましたが、それに負けず劣らずの名演だなと思いました。
娘を奪われた悲しみ。頼りにならない警察への失望。今もどこかで生きているであろう犯人への怒り。
それらがない交ぜになった執念の業に、止めどない涙が溢れました。さりげなく張られた伏線に、さらに大粒の涙が。
[以降の鑑賞記録]
2019/04/28:MBS(地上波初放送)
※修正(2023/10/10)
親子の愛を訴えた作品
組織は良くも悪くも昭和。生産性の低い、パワハラ、セクハラだらけの世界。今も俺はそんな世界を引きずって生きているので懐かしかった。
最後の無言電話は時系列から三上の娘。帰ってくるのでしょう。
組織論は色々あるでしょうがそれは置いときます。この映画は電話の声で犯人を見つけられるかどうかで、評価が別れるのでは。それを決めるのは親が我が子を思う気持ちに比例する。具体的には映画を見たとき、子供が小学生までの親なら、この映画は刺さるのでしょう。もしくは、子供の可愛さを知っている人用。
どっしりと重い本格派の邦画をみよ!
エピソードが始まった前半と違い後半は畳み掛ける様な対立がテーマとなっている。組織対組織、警察対マスコミ、上司対部下etc.そこには利害や勘定、闇と言った色々な流れがクライマックスに向けて一本化され正に秀逸な作品と仕上がっています。心に残るのは永瀬正敏演じる雨宮の鬼気迫る執念と慟哭。これだけでもこの作品の価値の7割は有るかと思います。面白いのがどちらかというと悪人顔の永瀬正敏が被害者で善人顔の筒井道隆が加害者って配役。これはこれで良かった。娘を殺され後悔と憎しみの日々。年取って感じるけど感情=愛情や憎しみってエネルギー使うんだよね。だからあの情念の演技力が心に刺さります。素晴らしい。久々の重厚な作品でした。
全281件中、21~40件目を表示












