アイヒマン・ショー 歴史を映した男たちのレビュー・感想・評価
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アイヒマンと同じ地平にいます。
ネタバレしかしてません。
僕のレビューは
鑑賞してから読んで
いただければ
幸いです。
『自分は他者より優秀に作られたと一度でも考えた者は、アイヒマンと同じ地平にいます。そして、一度でも鼻の形や肌の色や信仰する神の違いによって、他者に悪意を抱いた者は理性の喪失が狂気への道と知るべきです。このような事から全てが始まったのです』
反戦とはそう言ったもんじゃないかなぁ?
報道カメラ陣の心理描写>アイヒマンの人間性
元ナチス親衛隊でアウシュビッツなどの主要な収容所、ないしはユダヤ人虐殺の指揮官としての罪を問われ、アドルフ・アイヒマンの公開裁判が行われた。
彼の裁判は、統治者ヒトラーやそれに関わるナチス党員達の自殺などもあり、より世間から注目を集めていたのではないかと思う。
「一体この男は何者なのだ?」「こんな残虐な事を平気でこなせる者の心理とは一体?」
そんな疑問は当時多くの人々が想像した事と思う。
しかしそれを知るにはアイヒマンは余りにも例外的で、その在り方や人間性には誰もがショックを受けた。
それはこの裁判を捉えた番組製作者たちも同様だったのであろう。
アドルフ・アイヒマンの人間性をより忠実、正確に理解したければ、私は「ハンナ・アーレント」という作品の方に群杯が上がる。
しかしどの作品で使われる「生きた」アドルフ・アイヒマンの映像も、この映画で出てくる彼らの仕事により実現した、という点において、この映画の価値は見直される。
最も印象に残ったのは、戦争が終焉を迎えても未だ、迫害されたユダヤ人達はホロコーストの影に怯え、またその他の理由もあって「語ること」を自ら封じていた点が大きかったという描写である。
それがどんなに差別的偏見による異端な考えの犠牲によるものだったとしても、彼らは自分の体験を語り、自分の命を許し、ユダヤ人として生きていくことを当時躊躇い、恐怖の幻影に怯えながら生活していたのではないかと思う。
結果的にホロコーストの中でもアイヒマンは特殊な人物であったが、「敵なき裁判」を知る上でこの作品も私には有用であった。
後味悪い…でも観て良かった!
映画はあくまで記録映像の撮影秘話(?)ではありますがやりきれなさだけが残ります。
どうしてこんな愚かなことが行われたのか、どうして誰にも止められなかったのか、そしてアイヒマンとは何者だったのか。
何一つスッキリしない映画。
とにかく証言内容や資料映像が衝撃的。これまで本や映画で知ってるつもりだったけど改めて何が起きてたのかを見せつけられると"つもり"だったんだなと思います。そして何の感情も見せないアイヒマンが怖い。なんであの話を聞いて、映像を観ても微動だにしないのか。
どうやったらあそこまで無感情になれるのか。大勢に流されるとみんなああなるのか…。
まるで芋を掘るかのようにブルドーザーが進む映像には気分が悪くなりました…
感情移入しすぎる人にはオススメしない
個人的には好きな部類の映画だったが、よかったとか面白かったとかひと言では済ませられない。
ナチスドイツの大量虐殺の首謀者であるアイヒマンの裁判をテレビ映像化するメディアマンたちの話。
裁判をテレビ放映すること自体がタブーというか非常識ではあるだろうが、そうすることにより全世界の多くの人々に事の真実を伝えようと努力する主人公たち。
アイヒマンの人を殺しても感情を表に出さない不気味さには人間らしさを一切感じないし、途中途中の証言者たちの話が恐ろしすぎて劇中泣き出す人も。それぐらい衝撃的な内容でした。
裁判でビデオを流す場面は、「衝撃」のひと言だった。言葉を失った。歴史の一部を垣間見たとともに、同じ人間にこんな恐ろしいことができるのだろうかと思った。
劇中に立ち上がる人もいたし、映画の中でも撮影クルーたちが次々に映像を見てられなくて退席していく場面にはリアリティがありすぎて、観ていて辛かった。
決して「良い」映画とは言い難いですが、ひとつの歴史を知る意味であらゆる人に見てほしい映画です。
あなたのお陰
実際のアイヒマン裁判やナチスの収容所の記録映像を多数使用しており、アイヒマン裁判を記録したテレビマンの映画というよりも、アイヒマン裁判そのものやホロコーストの記録として見入り、興奮した。
本編としては、ありきたりだけど終盤の宿屋の女主人とレオとの会話は刺さった。
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