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第二次世界大戦中のポーランドで、ユダヤ人であることを隠し生き残ろうとする少年を、実話を元に描く。
ドイツ国内ではなくてドイツ占領下のポーランドってところがミソで、軍人が頻繁に出てくることもないし、ナチスに迎合していないポーランド人や、抵抗しているゲリラのポーランド人などが多く登場し、つまり主人公ユレクに対して親切な人の方が多い、生き残りをかけたサバイバルとは少ーし違うところが珍しいと言えば珍しい。
父からユレクへ、父や母のことは忘れてもユダヤ人であることは忘れるなという言葉で物語は始まるが、そうゆうとこだぞユダヤ人、と思わずツッコんでしまった。
だって、どちらかと言えば逆の方が良くないか?ユダヤ人であることは忘れても家族は忘れるなの方が良い。
そのあと、ユレクは親切なポーランド人に匿われ、そこで、これから生き残るための作り話とキリスト教徒の振る舞いを仕込まれる。ユダヤ人であることを徹底的に隠しポーランド人に成りきるために。
ある意味、父の教えに背くような形で生き残り術を身につけていくわけだが、そのあともユレクの危機だったり恐怖に怯える場面で、聖母マリアが何度か登場するのは、ユダヤ教とキリスト教がせめぎあっているようで面白い。
穿った見方をしないならばマリアがユレクを守っているようにも見えるし、ユレクが本当にキリスト教に傾倒していってるようにも見える。
ポーランド人やユダヤ人の宗教に対する考え方はわからないから何とも言えないけれどね。
ついに終戦を迎え、安心して暮らせるようになったユレクの元に、ユダヤ人孤児施設の人間がやってくる。
そこに知らせたのはユレクと同じ村にいたユダヤ人。彼は隠れるように暮らしていたし教会でも黙っていたことから、おそらくこの村に匿われていたユダヤ人だろうと推測できる。
ユダヤ人孤児はユダヤ人全体の未来であるからと無理矢理にユレクを連れていく。
ここで二度目の「そうゆうとこだぞユダヤ人!」が思わず出てしまった。
戦時中はユダヤ人であるからナチスに酷い扱いを受け、戦争が終わったらユダヤ人であるからと本人の意思を無視する。
日本人はほぼ単一のために、その感覚がよく分からないのもあるし、人種が発展するようにコミュニティを作って増やしていくことは多くの○○人が行っているのもあり否定する気はないけど、それってナチスがやろうとしてたことと本質的には同じだよなと思ってしまう。
なんか、ユダヤ人少年の苦労話でありながらアンチユダヤ的な息吹を感じなくもない。
施設の職員の男はユレクが大事にしていたロザリオも返してくれ、ユレクを単なるユダヤ人の少年ではなく、一人の人間として、最後は施設に行くかをユレク本人に選択させた。
父も母も失い一人になっても、最初の父の教えの通り、ユダヤ人であることに戻っていくのは悪くない落としどころだったかもしれない。
昔の家で見たフラッシュバックする家族との思い出がユレクを引き戻したよね。父や母を忘れなかったからユダヤ人に戻っていくのは教えに反したとも言えるし、マリア様の力も及ばない強い家族の力は、全方向に逆張りしているみたいで面白いなと思った。
とはいっても実話だから改編しようもないわけだが。
宗教的対立と融和、人種的対立と融和、その全てがちょっと皮肉っぽい感じて描かれていて面白かったし、結局は本人の選択の問題だというメッセージは良かったと思う。
ただただ可哀想なユダヤ人を見せられるだけの少し前の作品郡とは違って、現代的な風潮に乗った骨太さを感じた。